海藤&真琴の場合
「どうしようかな・・・・・」
車の窓の外を流れる景色を見つめながら、西原真琴(にしはら まこと)は思わず呟いた。
「何か、言いましたか?」
「え、い、いいえ、何も」
運転をしている海老原が声を掛けてきたので真琴は慌てて否定したが、その態度こそ怪しいとは考えなかった。
それよりもと、真琴は3日後に迫った日の事を考える。
2月14日。
本来なら男である真琴も貰う側なのだが、真琴には大好きな恋人がいて、その相手も男で・・・・・好きな相手にチョコ
を贈るその日は、真琴にとっては自分が贈る側に立つ日だった。
真琴の恋人は、海藤貴士(かいどう たかし)という、開成会というヤクザの組の会長だ。
始まりはとても人には話せないような出来事から始まったが、今では海藤は真琴をとても愛してくれているし、真琴も同
性という事や背景も全て受け入れた上で、海藤のことが誰よりも大切で、好きだ。
去年は、年少の友人である苑江太朗の家で、他の友人達と共に手作りのチョコを作って海藤に渡した。
そのチョコのせいで、自分が酔っ払ってしまったのは本当に恥ずかしい出来事で、翌日二日酔いでガンガン響く頭を抱
えていた真琴を、海藤は苦笑しながら看病してくれた。
今年はそんな失態は絶対に犯さないぞと思いながら、どんなチョコを用意しようかとずっと考えている。
美味しそうなチョコの店も色々と調べているが、そもそも甘いものをあまり食べない海藤には、どんなチョコを用意しても
甘過ぎるのではないだろうか?
(でも、何もあげないのも嫌だし・・・・・)
いったい、皆はどんなチョコを恋人に渡そうとしているのだろうか。思わず電話をして訊ねたいと思ったが、それもちょっと
違うかなと思い直す。
人と同じことをしたいと思っているわけではないのだ。
(どうしようかなあ)
真琴が何度も自分の顔を見ては溜め息を付いていることに海藤は気が付いていた。
去年まではその理由さえも分からなかったが今年は違う。
(そんなに考えなくてもいいんだがな)
真琴がくれるものならば、たとえ1枚の板チョコでも十分に嬉しいのだが、真琴の気持ちとしてはそれではすまないよう
なのだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
悩んでいる真琴には申し訳ないが、海藤はそんな真琴を見つめているだけで笑みが浮かぶ。
真琴がそれだけ自分の事を、自分だけを思っていてくれることを感じるからだ。
(俺も、来月の事を考えないといけないな)
チョコを貰う前から既に礼の事を考えている自分がおかしくて、海藤は真琴から顔を逸らしてくっと笑みを漏らしていた。
そして、2月14日当日。
「海藤さん、今日は早く帰れますか?」
朝食を食べていた時に急に切り出した真琴に、海藤は箸を止めると直ぐに答えてくれた。
「今日は7時には帰れると思うが」
その答えは真琴の予想通りだった。予め倉橋には頼んでいたのだが、その通りスケジュールを調整してくれたようだ。
「じゃあ、今日帰ってきたら、一緒にバレンタインのチョコレート作りませんか?」
「・・・・・一緒に?」
「本当は、美味しい店のチョコを買った方がいいのは分かってるんですけど、考えたら考えただけ迷ってしまって。それな
ら、去年作ったみたいに、手作りにしようかなって思ったんです。でも、1人で作るのは寂しいし、どうせなら一緒に作って
お互いに渡し合いたいなって」
話しながら、真琴はじっと海藤の顔を見つめていた。自分の言葉にいったいどんな反応を示すのか・・・・・。
「・・・・・真琴、悪いが俺は菓子作りは苦手なんだが」
海藤は少し眉を顰めた・・・・・初めて見るような情けなさそうな顔をしている。
珍しい海藤のその様子に、真琴は楽しくなってしまった。
(海藤さんにでも苦手なものあるんだ・・・・・可愛い)
「大丈夫ですよ。チョコは溶かして新しい型に流し込むだけだし、トッピングの材料は売ってるし。実は、綾辻さんが美
味しいチョコの店に連れて行ってくれる約束してるんです。材料は全部俺が用意してますから、海藤さんは早く帰ってき
てくださいね?」
(・・・・・予想外だな)
事務所に向かう車の中で、海藤は眉を顰めて目を閉じていた。
昨夜まで、真琴が色々考えていた事は知っていたが、まさか自分も一緒に手作りのチョコを作る羽目になるとは思わな
かった。
もちろん、真琴と一緒にチョコを作る事が嫌なのではない。
菓子作りをしない自分が、何も出来ないだろうということが分かっているので考えてしまうのだ。
「・・・・・」
まさか、綾辻に相談しているとは・・・・・いや、きっと、あの男なら真琴の計画を聞いて、更なる知恵を植えつけたので
はないだろうか。
(一応見てみるか)
事務所に着いたら、チョコの作り方をパソコンで調べてみよう。
海藤は溜め息混じりにそう思った。
「あ、海藤さん、すっごく上手!」
「真琴、焦げるぞ」
「ああ!」
海藤の注意に、真琴は思わず自分の鍋に視線を移す。
どうやら焦げては無いなと安堵しながら、それにしてもと自分の隣に立つ海藤にチラッと視線を向けた。
(本当に菓子作りしたこと無いのかなあ)
「社長は料理専門なのよ。自分が甘い物食べないし、ほら、今まで作ってあげる相手もいなかったじゃない?」
夕方、わざわざ時間を作って買い物に付き合ってくれた綾辻は、そう言いながら簡単にチョコ作りのアドバイスをしてく
れた。基本は板チョコを溶かして新たな型に入れて、トッピングを加えて冷え固まるのを待つという簡単なものだ。
それでも、少しばかりの隠し味や、何より決め手である美味しいチョコを教えてくれる綾辻のアドバイスは助かった。
綾辻の言う通り、海藤が本当に菓子作りが苦手ならば、少しは自分が教えるという場面もあるかもしれない。
真琴は内心それを楽しみにしていたのだが・・・・・。
思った以上に、海藤の手付きは危なげが無く。
甘いチョコの匂いに多少辟易はしているようだったが、それでもその表情は柔らかな気がする。
(少しは、楽しんでくれているのかな)
「真琴、型は?」
「あっ、これ!」
真琴はキッチンの作業台に置いていた紙袋から、自分用と海藤用の型をそれぞれ取り出した。
定番のハート型だが、これが一番今日という日に合うような気がしたし、綾辻も絶対にそれよと太鼓判を押してくれた。
「はい!」
「・・・・・これか?」
「はい、そうですよ」
海藤が確認を取るのも無理は無いだろう。
海藤に作ってもらう自分用のチョコの型は、何と直径が30センチ近くもある大きなものだ。幾ら薄く流し込んだとしても、
それなりに見栄えがする大きさだった。
「・・・・・まさか、俺の分もこの大きさか?」
「海藤さんのは違いますよ」
少しだけ確認するように聞いてくる海藤が妙に可愛い。
真琴はほらと、海藤用の5センチほどの型を見せた。
「ちっちゃいけど、愛情はたっぷりですから」
「・・・・・そうか」
海藤の頬が嬉しそうに笑みを浮かべる。
その笑みを見て、真琴も嬉しくなって笑った。
溶かしたチョコを型に流し込んで、トッピングして。後は冷やすだけの段階にいくまで、時間は1時間も掛からなかった。
海藤からすれば料理ともいえないものだが、自分の隣で楽しそうに手を動かし、時折、聞きかじったらしいチョコ作りの
ポイントを海藤に説明する真琴が可愛かった。
料理作りでは、どうしても自分が主体となって動いてしまうが、たまにはこうして真琴のリードで、2人で何か作るのも
楽しい。
「よし、じゃあ、次はこっちだ」
「はい!」
今日は全部2人でしようということになっていて、夕飯もこのまま2人で作る事にしていた。
手間が掛からず、一緒に楽しめるものとして海藤が選んだのはピザで、さすがに生地とソースは海藤が作ったが、その
生地を広げるのは真琴に頼んだ。
真琴もピザ屋でバイトをしているのだから任せてと、張り切って生地を広げ始めたが・・・・・。
「んっ、ふっ、むっ」
「・・・・・」
「あ、あれ?えっ・・・・・あ?ま、丸くなんない・・・・・?」
売り物のような綺麗な円形にならないと、真琴の眉間には皺が寄っている。
鼻の頭や頬に白い粉がついているのが子供のようで、海藤は目を細めながら指先ではらってやった。
「俺達が食べるんだ。綺麗な形になっていなくてもいいだろう」
「・・・・・バイトしてるのに・・・・・」
何だか悔しいと、呟く真琴が可愛くて、海藤は思わず声を出して笑ってしまった。
広げた生地にトッピングして焼いて。
それが焼き上がった頃に冷蔵庫を覗けば、どうやらチョコは固まっているようだった。
(割れないように型から出さなくちゃな)
自分の方はまだ型が小さいからいいが、海藤の方は大きくて気を抜いたら割れてしまうかもしれない。
だが、そんな心配をよそに海藤は器用に大きな型からチョコを取り出し、ココアパウダーをふり掛けて、まるで本当の売り
物のようなチョコを完成させた。
もちろん、真琴も失敗しないで完成させることが出来た。
「じゃあ、海藤さん、これ・・・・・バレンタインのチョコです」
海藤用には、甘さ控えめのチョコで。
「真琴、どうぞ」
自分用は、甘いミルクチョコだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
「何だか、おかしいですね」
お互いにエプロンをしたままの格好で、チョコも一緒に作って。それを交換するというのがおかしくて、嬉しかった。
「これは食後にゆっくり味わうとするか」
「はい」
何時もの夕食のようで、少しだけ違うテーブルの上。
歪な形の、それでも美味しそうなピザと、大小のハート型のチョコが一緒に並べられていて、それを交互に見つめていた
真琴は満面の笑みで笑う。
「いただきます!」
「いただきます」
まだ、甘い香りが残っているのが、海藤には少し可哀想かとも思ったが、穏やかな笑みを頬に浮かべている海藤も時
折チョコに視線を向けては、更に深い笑みになっている。
(良かった・・・・・)
男同士だから恥ずかしいんじゃなくて、気持ちを切り替えてお互いに贈り合ったらこんなにも嬉しいし楽しい。
(来年はもっと難しいチョコに挑戦しようかな・・・・・2人で)
そう考えながら、真琴は海藤から贈られた特大のチョコを見てふふっと笑みを零した。
end
海藤&真琴編です。
本編ではシリアスモードですが、こちらはほんわりと和やかに。