シエン&蒼の場合








 「え?シエンも?」
 「ええ」
 何時ものように優しい笑みを浮かべて目の前に立っているシエンを、五月蒼(さつき そう)は呆気に取られたように見
つめる。
(シエン、いったい何考えてるんだろ?)
蒼の困惑をよそに、シエンは服も簡素なものに変えて、見た目からもやる気がうかがえた。
 「シエン、でも、今日は」
 「ええ、知っていますよ。女性だけの集まりでしょう?」
 「う、うん」
 「でも、確かソウは以前言いましたよね?その祝祭は愛する者に甘い物を贈る日だと。ソウが私に贈ってくださるのな
ら、私がソウに贈ってもおかしくは無いでしょう?」
 「・・・・・」
 さすが頭の良いシエンらしい解釈だ。
確かに日本では一般的に女の子が好きな男相手にチョコを贈るが、男の蒼がシエンに贈ろうとしている現状を考えれ
ば、その反対も考えられない事はない。
(で、でも、怪我なんかさせたら大変じゃん〜)
既に時間も迫っている今、蒼はどうしようかとめまぐるしく頭の中で考えていた。



 もう、すっかりバリハンでの生活に慣れた蒼だが、日々の生活の中で元の世界・・・・・日本での生活を忘れないよう
に色々と趣向を凝らしていた。
気候も文化も全く違うこの地で、出来ることは限られていたが、誰かの誕生日にケーキを作ったり、クリスマスや正月に
当たる日に特別な料理を作ったり。
日にちは確実にずれているだろうとは思うが、アバウトな日を自分で決めて、蒼は得意の料理をみんなに振舞っていた。

 そんな中で、去年も王宮に仕える召使い達を前に教室まで開いたバレンタインデーの菓子作りは、今年も是非行っ
て欲しいとの要望を受けて、蒼も俄然乗り気になっていた。
 今年は、もう少しチョコらしい要素も入れたいと、クッキーを作る事にした。
これならば慣れない者も型を作る事が出来るし、自分が参加しているという気分になるだろう。エクテシアに暮らす同じ
日本人の有希にもそう言って、作り方も伝えた。
 そして、いよいよ今日の昼から、また中庭で菓子教室を開く段取りになっていたのだが・・・・・突然、食堂で準備をし
ていた蒼の元にやってきたシエンが、自分も参加すると言い出したのだ。



 「さあ、ソウ、私は何を手伝えばいいのですか?」
 「え・・・・・と」
 皇太子であるシエンに何をさせるか、それは蒼以上に、蒼の助手を務める料理番達も焦って悩んでいた。
今回は刃物を使うことはほとんどないが、火は使うし、力もいる。かなりの人間が参加するのでそれなりの材料もあり、
それを中庭に運ぶだけでも大変なのだが・・・・・。
 「じゃあ、悪いけど、運んで」
 「ソ、ソウ様!」
 「え〜、だって、シエンしたい、言ってるし」
 「し、しかし、王子に・・・・・」
 「よい」
 蒼と料理人達の間に入ったシエンが、苦笑しながら大量の麦粉の入った籠を持ち上げる。
 「我が妃の些細な頼み事だ、これぐらい容易いこと」
 「シエン様!」
 「ほら、急がねば皆が来るぞ」
そう言って足取りも軽く歩き始めたシエンの後を、蒼もクッキーの中に入れる様々な材料を両手に抱えて付いていった。



 自分の後ろを付いてくる蒼が、物言いたげな視線を向けてくるのには気付いていた。しかし、シエンは少し意地悪な
気分で自分からは口を開かない。
そうしているうちに我慢出来なくなったのか、蒼が少し足を早めてシエンの隣に並んできた。
 「ね〜」
 「はい」
 「どうして、一緒作る気なった?」
 「・・・・・」
(それが気になっていたのか)
 誰に贈るつもりなのかは気にならないのだろうか?・・・・・いや、これが愛する者に贈るのならば、その相手は蒼しかい
ないというのは本人も分かっているのだろう。
共に過ごしてきた時間の長さに比例するように、愛情も信頼も深まっているのだと思うと、シエンの頬から笑みが消える
事は無かった。
 「前回、母上が羨ましく思えたのですよ」
 「え?王妃様が?」
 「ソウと楽しそうに料理をしている母上がとても楽しそうで、私も、そんな時間を過ごしたいと思いまして」
 「シエン・・・・・」
 ジワジワと、蒼の頬が赤くなっていく。
シエンは目を細めてその横顔を見下ろすと、少し身を屈めてその耳元に唇を寄せた。
 「夜だけでなく、昼もソウを私だけのものにしたいのですよ」
 「!」





 「は〜い!みんな、今のせつめー、分かった?」
 「はい!」
 「じゃあ、始めよーか」
 午後の日差しは少し暑いくらいだったが、野外での作業には快適だ。
今ここにいるのは十数人の召使い達だが、彼女達は仕事もあるので交代でここに来る事になっているようだった。
始めに来た者達で粉も捏ねて生地まで作るので、次から来る者達は型作りやトッピングをするだけで時間も取らない。
(やっぱり、クッキーにして良かったな)
 一度に多く作れるしと、自分の選択に満足して笑みを浮かべていた蒼だが、その視線が一周するとどうしてもある一
角に目が行ってしまった。
 「・・・・・」
そこでは、シエンが母親である王妃アンティと肩を並べてクッキー作りをしている。
(・・・・・シエンめ・・・・・っ)

 「夜だけでなく、昼もソウを私だけのものにしたいのですよ」

 昼間の廊下で恥ずかしい事を言うシエンの背中に思わず頭突きをし、それ以降視線が合っても無視をしていた。
そんな風に思われることはもちろん嫌ではないのだが。
(大人なんだから、時と場所を考えろっていうんだよ!)
自分のその態度こそが子供っぽいと分かってるが、それでも蒼はいまだシエンの方を真っ直ぐに見れなかった。



 アンティの口元が笑みの形になったのに気付いたシエンは、どうされたのですかと訊ねた。
 「夫婦の間に入る方が間違いかもしれないけれど、シエン、お前の方が折れてやらないと。ソウはまだ子供なのです
からね」
 「はい、母上」
姑と嫁(?)という間柄ながら、今ではアンティも蒼を本当の息子のように可愛がっている。王である父と共に、両親2
人共蒼の味方だが、この世界に1人きりの蒼に味方が増える事は良いことだ。
もちろん、一番の理解者は自分のつもりではある。
 「そろそろご機嫌を取っておかないと、エクテシアに家出をされかねないですし」
 「まあ、駄目ですよ、シエン。ソウは我がバリハンの大切な人なのですから」



 「出来た!」
 釜を使って焼いたクッキーは、想像以上に綺麗に出来た。
蒼は先ず一組目の召使い達にそれらを渡し、皆の歓声と感謝の言葉に笑いながら言う。
 「これはみんなの力のおかげ!うまくいくよーにお願いしとくね!」
各々、自分が形作り、トッピングをした物を持ち帰るのを見送った蒼は、第二陣が来るまでの短い時間をどうしようか
と考えた。
いや、本当はもう決めていたのかも知れない。
 「・・・・・」
 蒼が作ったクッキーは、さすがに形も綺麗に出来ていた。
それを、小さな籠に入れた蒼は、大きな深呼吸をしてから振り向く。
 「あ!」
すると、直ぐ目の前にはシエンが立っていた。
 「シ、シエン、あのっ」
 「どうぞ」
蒼が慌てて言葉を発する前に、シエンが蒼に籠を差し出した。召使い達と比べてもかなり上手だといってもいいクッキー
が、シエンの性格なのか綺麗に並べられている。
 「え、えっと・・・・・」
 「愛する者に渡すものでしょう?」
 「・・・・・」
 「私が渡す相手は、ソウ、あなたしかいませんから」
 「・・・・・っ」
 蒼は顔が泣きそうになるのを何とか我慢して、わざと鼻に皺を寄せた。ここで泣いたら男じゃない気がする。
(俺だって、渡すのシエンしかいないよっ)
シエンの頬にはずっと笑みが浮かんでいて、余裕がある様子が見えるのが悔しくて仕方が無い。
 「・・・・・じゃあ、しょうがないから・・・・・これ!」
人に教えながら、自分も想いを込めて作った物。お互いがお互いの為を想って作り、交換し合うなど、男同士なのに
少し変かも知れない・・・・・そう思った途端、泣きそうだった蒼の顔に笑みが浮かんだ。
 「・・・・・一緒に食べる?」
 「ソウの方が美味しいでしょうけど」
 「シエンのだっておいしそ!」
 先程までの気まずい雰囲気など、あっという間に消えてしまい、蒼はシエンから貰ったクッキーを一口で頬張る。
 「おいし!」
甘くて甘くて優しい味が口の中に広がって、今度こそ蒼は満面の笑顔になった。





                                                                end





シエン&蒼編です。
シエンはアルよりも大人なので、こんな展開になりました。