ラディスラス&珠生の場合
港町の市場を歩いていた珠生は、ふと甘い匂いにつられて足を止めた。
「あれ・・・・・ロクト?」
大国ベニート共和国の王都でもあるコンラッド。港に面する市場にも様々な物が売られていて、珠生は歩いて店に並
べられたものを見ているだけでも楽しかった。
ただ、フラフラと歩いていると何時もラディスラスに叱られてしまい、まるで子供のように手を繋がれて歩くのは面白くなく
て、少しは自分の自由なように歩いてみたいと思っていた。
エイバル号の停泊している場所は覚えているし、少しくらい1人でいたとしても自分も大人なのだ、心配は要らない。
そう何度も訴えたのだが、ラディスラスは絶対にうんと頷いてくれず、今も・・・・・。
「あれ?」
(ラディ、どこ行ったんだろ?)
ふと気付けば、ラディスラスの姿がなかった。
一瞬、どうしようかと思ってしまったが、考えればこれはチャンスかもしれない。
(どうせ、もう少ししたらラシェル達と合流するんだし)
「少しくらい1人で歩いても大丈夫だよな」
「ここで少し待っていろ」
ラディスラスはそう珠生に言って、近くの屋台に寄った。
歩いていた時、目の端に偶然入った武器屋が気になったのだ。
「オヤジ、女子供でも扱えそうな剣はあるか?」
「どんなものがいい?戦えるものか?それとも守るものか?」
「・・・・・守るものがいいな」
自分がずっと側にいて守るつもりの珠生に、誰かと戦わせるような事はさせるつもりは無かった。ただ、万が一・・・・・今
までも何度か遭った危機のような目に直面した時、少しでも本人の安心の拠り所になるものがあればと思ったのだ。
本来はきちんとした武器屋に行った方がいいかとも思ったが、ちらっと見ただけでもこの屋台の品揃いは悪くない。
もしかしたら丁度いいものがあるかもしれないと思ったのだ。
「そうだなあ〜、護身用の短剣が幾つかあるが、見てみるか?」
珠生は人波に押されるように歩いていた。
まだ夕食時には早い時間なので閉まっている屋台も多いが、珠生の好きなデザート類の店は結構開いている。
「何だか、全部おいしそー」
色も鮮やかで、甘い匂いがする果物屋や、一口カツのような揚げ物屋、サビアの専門店のような店も幾つかあった。
そして・・・・・。
「あ、これ」
ある店の前で、珠生は足を止める。
一口大の四角くて茶色の食べ物は、この世界に来て一番最初に気に入った菓子、生チョコのような食感のロクトの屋
台だ。
「・・・・・食べたい・・・・・」
チョコレート独特の匂いに思わずそう呟いた珠生は、フラフラと屋台の前に歩み寄った。
「・・・・・チョコかあ」
そういえばと、珠生は現実の世界での事を考えた。
まだ時間的には間があるとは思うが、そろそろバレンタインの時期ではなかっただろうか。1月頃からその言葉を店で見
掛けるたびに、自分は貰えるかなとドキドキしたものだった。
貰った数も多い方だとは思うが、それらは全て本命ではなく、どちらかといえば女の子同士で交換する様な友チョコとい
う意味合いが強かったらしい。
義理よりは感情がこもっているものの、愛情には発展しない友情。
それはそれで複雑な思いだったが、友人達にはそんなに貰えるだけでいいじゃないかと言われ、反対にくれと催促され
たくらいだった。
「・・・・・ラディも、あげたら喜ぶかな」
この世界にバレンタインという風習がないのは分かっているものの、珠生から何かをプレゼントしたら、きっとラディスラス
は何時もの笑みよりも更に深いそれを見せてくれるような気がする。
(べ、別に、深い意味なんかないんだしな・・・・・そうっ、美味しさのおすそ分けだって!)
女の子が好きな男相手に渡すのとは全然意味が違うのだからと心の中で言い訳をしながら、珠生は更に店先へと
近付いた。
そんな珠生に、中年の店主が愛想良く声を掛ける。
「ん?幾ついる?1つ20ビスだが」
「20ビス・・・・・」
(そうだよ、タダじゃないんだって・・・・・)
当たり前の事だが、これを買うには金が要る。
しかし、情けないことに珠生はこのロクトを1つ買う金も無かった。
(試食なんか・・・・・ないよなあ)
食べ物の屋台では、今までも試食と称して金を払う前に食べた物は幾つかあった。ただ、それが珠生の後ろにいたラ
ディスラスの存在(金を払う保護者)があったからというのは、当然珠生には分からない事だ。
「何だ、小遣い無いのか?」
食べたそうな顔をしていながら注文をしない珠生の事情を察したらしい店主は、溜め息を付きながら珠生の頭から爪
先までに視線を流していたが・・・・・。
「少し、手伝うか?」
「え?」
「手伝ってくれたら、これを少しやってもいいぞ」
「ホントッ?」
「タマ!」
結局、武器屋では珠生に合いそうな剣はなかった。
あの小さな手にピッタリと合い、細い腕でも振り回せそうな剣はなかなかにないようだ。
諦めたラディスラスは珠生を待たせている場所へと戻ったが、待っていろと言った珠生の姿はそこになかった。
「タマ!」
まだ日は暮れておらず、人の姿もそれほどではなかったが、黒髪に黒い瞳という珠生の珍しい容姿に心を奪われる者
がいないとは限らない。
「・・・・・っ」
ラディスラスは直ぐに辺りを駆け回った。
少し時間が経ってしまったが、珠生の足ではそれ程遠くには行けないだろうし、本人も行く気はないはずだ。
「タマ!どこだ!」
ラディスラスが叫ぶたびに、行き交う人々の視線が向けられるが、恥ずかしいなどと思うことはない。それよりも一刻でも
早くと心が急いた時、
「おいしーよ!どーぞ!」
「!」
(タマッ?)
ラディスラスは耳に聞こえた声に立ち止まり、素早く視線を周りに走らせて、
「タマッ?」
少し離れた店先に、捜していた姿を見付けた。
「タマ!」
「ラ、ラディ?」
いきなり腕を掴んで怒鳴ったラディスラスに、珠生はかなり驚いたようで目を丸くしていた。
だが、そんな可愛い表情を見せられても、怒るべきところは怒らなければならない。
「待っていろって言っただろ?勝手に動いて迷子にでもなったらどうするんだ!」
「迷子なんかならないよ!それに、これは働いてんの!」
「・・・・・はあ?」
「お客さん1人で、ロクト1個。おじさんと約束した!」
「・・・・・」
ラディスラスは眉を顰めて屋台の店主を睨んだ。
(こんな子供を利用して・・・・・っ)
考えれば珠生は18歳なので十分大人といっていいのだが、それでも外見だけで考えれば十分子供に見える。
そんな子供を保護者の承諾も無しに働かせるなど問題であるし、大体客1人にロクト1個などというのは安過ぎる。
珠生の珍しい容姿は十分に行き交う者達の視線を引くし、1人の客は最低10個以上は買うはずで、対価はもっと
高くてもいいはずだ。
現に今も珠生の客引きによってやって来ていた若い男は、チラチラと珠生を見ながら30個ものロクトを買って行った。
「・・・・・オヤジ」
不機嫌さを隠さずに声を掛けると、店主は顔に愛想笑いを貼り付ける。
「あ、兄ちゃんの知り合いかい?少しの間にロクトを200個近く売ってくれてね、ほら、約束のもんだぞ」
「うわ!こんなにくれるんだっ?」
ラディスラスの剣幕に負けたのか、それとも本当に珠生に感謝したのか、店主が紙の袋に入れたロクトはざっと4,50
個はあっただろう。
満面の笑顔で礼を言う珠生を、ラディスラスは深い溜め息をついて見つめた。
「それが食いたいなら俺を呼べばいいんだ。二度と客引きなんかするなよ?変な客がいないとも限らない」
クドクドと父親のように説教を言い続けるラディスラスに、珠生はおざなりに頷いていた。たかが僅かの間の店の手伝
いをそこまで怒られるのも理不尽な気はしていたが、ラディスラスが自分を心配してくれているのだということもよく分かっ
ているつもりなので、ここは口ごたえをするつもりはなかった。
「・・・・・そんなに、食いたかったのか?」
珠生がじっと説教を聞いていたので、ラディスラスもある程度気が治まったのか、大事に抱えていた袋を指差しながら
聞いてきた。
それは半分合っているが、半分は違う。
「・・・・・」
珠生は立ち止まり、袋ごとラディスラスに差し出した。
「はい」
「え?」
「お礼。俺、お金ないから、でも、これあげたい思ったし」
「タマ・・・・・」
ラディスラスの目が大きく見開かれた。よほど、珠生の言葉が意外だったようだ。
「ラディ、いらないのならいーけ・・・・・」
「いらないはずないだろう!くそっ、こんなに嬉しい贈り物は初めて貰った!タマ!ありがとう!!」
「うわっ!」
かなり感激したのか、ラディスラスはロクトと共に珠生の身体を抱きしめてきた。
息苦しくて恥ずかしくて、本当ならここで文句が出てしまいそうだが・・・・・それでもラディスラスが想像以上に喜んでくれ
て、その感情のままに自分を抱きしめてくれるのも、嬉しくないわけではない。
ラディスラスの胸の中に顔を埋めてしまっている自分よりも、ラディスラスの方が目立っているはずだと意識を切り替えた
珠生は、くすぐったい思いで笑った。
「一緒に食おうな、タマ」
「うん」
甘いものが苦手なラディスラスが、幾ら嬉しくてもこれを全て食べられるはずがなく、このロクトの大半を自分にくれるこ
とになるだろうということなど・・・・・もちろん珠生は計算済みだった。
(だって、ロクト美味しいんだもんな)
end
ラディスラス&珠生編です。
前回のバレンタインよりはずっと進んだ2人ですね。相変わらずですけど(笑)。