お巡りさんシリーズの場合
「お巡りさん!はい!これ!」
「え?チョコレート?」
「今日はバレンタインデーでしょ?だから、はい!」
「あ、ありがとう」
関谷篤史(せきや あつし)は戸惑いながらも、小さな手が差し出す小さな包みを受け取った。
「じゃあね!バイバイ!」
「気をつけて帰ってね!」
これが自分と同じ位の年齢だったらなどと思わないでもないが、少ない小遣いからわざわざ自分に買ってくれた事が嬉
しくないわけが無い。
篤史は頬に笑みを浮かべると、交番の中へと踵を返す。
そして、自分の机の上に置かれたチョコレートの山の上に、今貰ったばかりの包みをそっと置いた。
「なんだか、人生の中で一番モテてるかも」
町の交番のお巡りさんである篤史には普通のサラリーマンのように女の同僚はいない。
本署にはもちろん職員や婦警はいるが、交番から滅多に出ない篤史には縁遠く、実は義理チョコもほとんど期待して
いなかった。
だが。
土曜日だというのに交番にやってきてくれた小中学生の女の子達が、いつもありがとうと言いながらチョコをくれた。
それは大人が買うような高い物ではなく、数百円の、駄菓子屋で売っているような物がほとんどだったが、一般市民か
ら自分に向けられる初めての好意の表現に、篤史は戸惑いと喜びを同時に感じている。
「なんだ、今年はお前の方が多いな」
先程、パトロールに出掛けた先輩も、笑って受け取っていればいいと言っていた。余りに桁外れの高価な物は受け取
るのも用心していた方がいいらしいが、小中学生のおやつの延長のようなチョコならば貰っても安心だ。
「俺なんかに買ってくれて・・・・・悪いな」
警官という仕事に誇りを持っているのはもちろん確かだが、仕事として守っている自分に、1人1人の愛情がありがたく
も重い。
「・・・・・でも」
篤史は、少し眉を顰めると、チラッとだけ自分の机の引き出しを開けた。
中には、綺麗にラッピングされた、それこそバレンタインのチョコレートらしい箱がある。だが、これは誰かから貰ったというわ
けではない。
「こんなの、俺がやるのか?」
そう、これは篤史自身が決死の思いで買ったバレンタインのチョコだった。
「世話をされている礼、したいだろ?」
「はあ?」
数日前、何時ものように突然交番に遊びに来た男が言い放った言葉。そう、これは男が男である篤史に言った正真
正銘の言葉だった。
緒方竜司(おがた りゅうじ)・・・・・篤史よりも年上で、チャランポランな性格からは想像が出来なかったが、男は警
視庁の警部だった。
偶然出会い、それからは向こうがどんどん篤史のテリトリーの中に入ってきて、何時の間にか心の中にどかんと居座っ
てしまった男。
女にモテる容姿をしているくせに、男の自分にキスを仕掛け、可愛いと迫ってくる男。
それがどこまで本気なのかは分からないが、緒方に何度も助けてもらった事は事実で、その礼をと言われれば、絶対
に嫌だとは言いきれない。
(でも、やっぱり男が男に渡すのなんて変じゃないか?)
世の中には友チョコと言って、女の子の友達同士でチョコを交換することも多いらしいが、男同士となるとどうだろうか?
「変だと思うんだけどなあ」
「何が変なんだ?」
「!」
いきなり耳元で囁かれた声に、篤史はビクッと身体を揺らしてしまった。
(い、何時の間にいたんだろ?)
100円ショップで買ったカップの中にはインスタントコーヒーしか入っていないはずなのに、緒方が飲んでいると豆から挽
いた高いコーヒーを飲んでいるように見える。
言動は篤史が首を傾げてしまうほどにおかしいのだが、見た目が良いと違うのだなと何だか羨ましくも思えた。
「は、早いですね」
「夜来ても良いんだけどな」
顔を上げた緒方は、意味深に目を細めてニヤッと笑う。
「そうなると、お前が困ると思って」
「こ、困るっていうか・・・・・」
「ん?違うか?」
「・・・・・違いません、けど」
「そうだろう?」
「・・・・・」
(こんな昼間から来られたって困るんだけどな・・・・・市民の目もあるし)
篤史の子供の頃のイメージでは、交番というものは怖くて強いお巡りさんがいる場所で、少し近付きがたいというイメー
ジだったが、実際に勤務していると仕事に関係なく・・・・・つまり、何の事件が無くても交番にやってくる人は多かった。
ウォーキングの途中で寄ったという、初老の男性や。
バスが来るまで待たせてくれというおばあさん。
美味しそうなパンを差し入れしてくれる主婦に。
登下校の学生達。
最近は、よく交番にやってくる緒方やフリージャーナリストの本郷真紀(ほんごう まさき)に、近所の歯科医、深町駿介
(ふかまち しゅんすけ)の、いい男の顔を見る女子高生やOLも顔を出す。
事件が無いことは嬉しい事だが、本当にこれで良いのかと考えてしまうほどの満員御礼状態なのだ。
「・・・・・」
「・・・・・あの、緒方警部」
「なんだ?」
「えっと・・・・・これ」
篤史は机の下から紙袋を取り出した。中に入っているのは、机の上に置かれている篤史宛のチョコよりも、数段グレー
ドが高い本命チョコばかりだ。
「これは?」
「お、緒方警部に渡してくれって・・・・・頼まれました」
彼らのファンから、自分で渡すのは怖いからと頼まれてしまった大量のチョコ。もちろん、本郷と深町の分まである。
「・・・・・お前、こんなの預かったのか?」
「最初は断ったんですよ?でも、どうしてもって泣かれそうで・・・・・それを受け取ったとこを他の子にも見られちゃって、
その・・・・・ずるずると」
「・・・・・馬鹿か」
「・・・・・」
そう言われるかもというのは想像はついていた。それでも、真剣に頼んでくる女の子達に駄目だと言い切ることが出来な
かったのだ。
「・・・・・」
(本当に馬鹿だな、こいつは)
人のいい篤史は、泣きそうなほどに自分のことを好きだろう女を可哀想に思ったのだろうが、緒方からすれば自分で玉
砕覚悟も無しに誰かに頼む者など門前払いだ。
今にも泣きそうな顔をしている篤史を責めたいつもりは無い。ただ、自分が何の為にここに通っているのか、もう少し考え
て欲しいとは思う。
ついでに言えば。
今の篤史の顔はとても可愛くて、心のどこかではもっと苛めたいと思ってしまっているが・・・・・あまり追い詰めて逃げられ
ても困る。
(あー、面倒くせー)
「今回限りだぞ」
「え?」
「次から、俺宛のものは一切断れ。どうしてもって言うんなら、自分で持ってくるくらいの根性見せろってな」
「は、はい!」
「あ、それ俺も」
「僕も、言っておいてくださいね」
自分の声に重なって聞こえてきた声。
気配は感じていたが出てくるんじゃないと心の中で毒づきながら、緒方はちらっと視線を流した。
「本郷さん、深町先生っ?」
まるで示し合わせたかのように姿を現した2人に、篤史は思わず椅子から立ち上がってしまった。
「ど、どうして俺が2人のも預かってるって分かったんですかっ?」
「緒方なんかにそれだけチョコがあるんなら、俺が無いのは不自然だと思ってね」
「自意識過剰じゃないですが、この人に負けるとも思ってないですし」
口々にそう言う2人を目を丸くして見つめていた篤史だったが、直ぐに慌てたように机の下から残り2つの紙袋を引っ張り
出して、頭を下げながら差し出した。
「すみません、次回からは断りますから」
「そうしてくれ」
「すみません、篤史君に迷惑を掛けてしまって」
とにかく、預かったものは全て渡してホッとした篤史は、次にあっと思い出した。
さっきまでは本当に渡すのかと躊躇していたチョコだが、今回優柔不断な自分が預かってしまったチョコを(とりあえずは)
受け取ってくれたのだ。
お詫びの気持ちも込めてと、篤史は引き出しからラッピングされたチョコを出して緒方に渡した。
「お前から、だな」
その表情から預かった物とは違うのだと分かったのだろう、緒方がにやりと笑う。
そうですと、一応渡したことに安堵した篤史だったが、引っ込みが付かないのは残った2人だった。
「おい!こいつにやって俺は無しかっ?」
「そうですよ!差別です!」
「煩い。お前らと俺は立場が違うんだって、なあ、篤史」
緒方は煩わしい2人に差をつけたことに笑いが止まらない。
(これで諦めろって言っても聞かないだろうがな)
一筋縄ではいかない男達はまだ簡単には引き下がらないだろうが、それでも今日はこれで十分だ。そう思った緒方が見
せ付けるようにチョコに唇を寄せた時、
「あ、お2人のもありますよ」
「・・・・・あぁ?」
「えっ?」
「本当ですかっ?」
「一個だけ買うのは何か恥ずかしかったんで、はい」
そう言いながら、今緒方が持っている物と同じ包みのチョコを2人に差し出した篤史は、そんなにお世話にもなってな
いんですけどと暢気に笑っている。
「・・・・・」
「悪いなあ、俺も貰っちゃった」
「誰かだけが特別ってわけじゃないようですね」
優越に浸っていた緒方に見せ付けるようにチョコを振りながら言う2人。
さすがの緒方も直ぐに反応は出来なかった。
(・・・・・篤史、お前・・・・・)
まさか、3人ともにチョコを買っているとはさすかに予想は出来なかった。自分だけだと思っていた高揚していた気持ちは、
あっという間に地に落ちてしまう。
しかし。
(・・・・・ま、今は仕方ないか)
この自分が、まだ本格的に手を出していないのだ。子供の篤史に自覚を持てということの方が無理かもしれない。
(次は、俺だけだぞ、篤史)
次のバレンタインは、きっと恋人として自分にチョコを渡すようにしてみせる。
改めてそう心に誓った緒方は、礼の言葉と共に本郷と深町に両側から抱かれている篤史を取り戻すべく、ゆっくりと椅
子から立ち上がった。
end
お巡りさんシリーズ編です。
初めは緒方警部だけに渡すつもりだったんですが、こうした方が面白そうだったんで。