アレッシオ&友春の場合
「贈ってあげたら?きっと喜ぶんじゃないかな」
電話を切った高塚友春(たかつか ともはる)は、電話の相手・・・・・友人である小早川静(こばやかわ しずか)の言
葉に溜め息を付いた。
「喜ぶって・・・・・恋人なんかじゃないし・・・・・」
(そもそも、僕は男なんだけど・・・・・)
老舗ながら、小さな呉服店の息子だった大学生の友春が、イタリアの政財界に強固な影響力を持つカッサーノ一族
の首領、アレッシオ・ケイ・カッサーノと出会ったのは、非日常的な出来事だった。
平凡な自分と、容姿も背景も特別なアレッシオ。初めに身体を奪われ、次に、その心も要求された。
怖くて、ただ逃げたくて。
精一杯の勇気を振り絞って帰りたいと訴えた友春の願いを、アレッシオは受け入れてくれた。
それからのアレッシオは、友春に対して誠実になった。
無理にイタリアに連れて行こうともせず、友春の意思を尊重してくれる。
ただ、会うたびに身体を重ねてしまい、自分では嫌だと思っているはずなのだが・・・・・何時しか自身も受け入れてし
まっていることに気付いた時、友春は自分の中でアレッシオの位置が確かに変わったことに気付いた。
力で支配された事は、怖かったし、悲しかったし、憎かった。
しかし、今のアレッシオが自分に向けてくる息苦しいくらいの愛情も、嘘ではないと分かっている。
このまま、自分がどんな風に変わっていくのかとても怖いが、それでももう、自分が変わっていくことを止める事は出来
なかった。
「どうしよう・・・・・」
同じ大学の友人で、友春とは違って相愛の同性の恋人がいる静とは、夜も電話もするほどに仲がいい。
今日も、試験の話をしていて・・・・・何時ものように雑談をするようになって・・・・・どうしてそんな話に変わっていったのか
覚えていないが、近々バレンタインだという話になった。
友春も静も、今まであまりチョコを貰っていないということが共通していて、どうしてなのかなという笑い話に変わる。
友春は、静は綺麗過ぎるからと言い、静は、友春が引っ込み思案だからと笑った。
会話は他愛無いものだったのだが・・・・・。
「友春は、カッサーノさんにチョコやらないの?」
不思議そうにそう言われ、友春は思わず言葉に詰まってしまった。
それが、全く考えていなかったことではなく、心の中のどこかで考えていた事を指摘された気がしたからだ。
イタリアに住むアレッシオは、日本のこんな文化は知らないかもしれない。
何時も世話になっているお礼だからと言えばいいのかもしれない。
だが、やはりおかしいと思う。
(僕には、ケイにチョコを贈るなんて出来ない・・・・・)
静との電話から数日経った。
もう、今日がバレンタインデーだ。
「友春、笠井の奥さんからよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
今日は大学の授業も無く、完成した着物を得意先に届ける父の代わりにと店に出ていた友春は、母の言葉に初老の
女性に丁寧に頭を下げた。
顔の造作は悪くないものの、大人しくて目立つ事が嫌いな友春は大学では女生徒に人気が無いが、年上の、こん
な息子がいたらいいと思っている年配の女性には人気があった。
こうしてチョコを貰うのも3人目だ。
母親と同世代の女性にチョコを貰うのは気恥ずかしいものの、それでもわざわざ贈ってもらうのは申し訳なくて嬉しい。
「あら、そろそろ前田様がお着きじゃないかしら?友春、表に出て見てみて」
「はい」
友春は着物の裾を上品に捌きながら表に出てみた。
「まだ来てないな」
今日新規の客として問い合わせがあったという客。わざわざ予約という形を取った相手の為に、友春も手伝いとして
かり出されているのだ。
「母さん、相手の電話番号聞いてるのかな」
そう呟きながら店の中に戻って行こうとした時、車のエンジン音が聞こえてきた。
「来た?」
振り向いた友春は、そこに停まっている黒塗りの車を見て目を見開く。
この車をよく知っているからだ。
「ま、まさか・・・・・」
友春の声が聞こえたかのように助手席のドアが開き、中から明らかに日本人ではない男が出てきてそのまま後部座席
へと回る。
そして・・・・・。
「ケ・・・・・イ」
後部座席から降りてきた男の姿を見た時、友春は思わずその名を呟いてしまっていた。
なぜここにアレッシオがいるのか、友春には全く見当もつかなかった。
「ケ、ケイ」
「トモ」
相変わらず、ブランド物のイタリアのスーツを着こなしたアレッシオは、ただ自分を見つめることしか出来ない友春に笑い
掛けた。
「やはり、トモはキモノが似合う」
「・・・・・」
「その姿を見れて、私は幸運だな」
「・・・・・」
(ホントに・・・・・話してる・・・・・)
ようやく、友春は今この時が現実なのだと感じる事が出来るようになってきた。目の前にいるアレッシオは、確かにこの日
本に、自分の目の前にいるのだ。
「ど・・・・・したん、ですか?」
「ん?今日は日本の大事なイベントだろう?」
「イ、イベント?」
「愛する相手に贈り物を渡す日だ。私の愛する者はイタリアにはおらず、この日本にいるからな」
「!」
(バ、バレンタインの事っ?)
まさかアレッシオがそんな日本国内だけのイベントの事を知っているとは思わなくて、友春は今度こそ本当に口が開く気
分だった。
(子リスのようだな)
大きな目を丸くして自分を見つめ返してくる友春が愛らしい。
こんな可愛い顔を見れたのであれば、今日の来日を黙っていた甲斐があった。
(こちらの人間に、友春が家から出ないような手段は取らせたが)
そう、予約をしてきたという前田というのが、アレッシオが手配した仕掛け人だった。せっかく驚かせる為に内密に来日
をしても、友春の居場所が掴めないというのは困る。
「トモ、出れるな?」
「・・・・・」
「・・・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください、母に言ってきますから」
そう言って店の中に戻る友春の背を、アレッシオは笑みを湛えながら見つめていた。
着替えなくてもいいと言われ、友春は着物姿のまま車に乗り込んだ。
突然に現れたアレッシオに対してドキドキしていた気持ちは治まったものの、今度は別の意味でドキドキし始めた。
(チョコの意味・・・・・ケイは知ってるんだ・・・・・)
わざわざ日本のバレンタインに合わせて来日してくれたアレッシオに対し、友春はちゃんとしたチョコを用意していない。
もちろんアレッシオが来るとは思わなかったこともあるが、イタリアに送る為にも買っていなかった自分が、アレッシオに対し
てとても不誠実のように思えた。
「トモ」
「は、はい」
「受け取ってくれ」
差し出された小さな箱は、どこかで聞いたことのあるような有名ブランドのロゴが印刷されている。
確か1粒数千円という、かなり高価なもののはずだ。
(ど、どうしよう・・・・・っ)
「トモは?当然私にくれるはずだと思うが」
「あ、あの・・・・・」
「・・・・・」
「あ・・・・・の・・・・・」
金額と愛情は比例するのだろうか?
友春は一瞬唇を噛み締めた後、思い切って着物の袖の中に慌てて放り込んでいた物を取り出した。
「ごめんなさいっ」
「・・・・・これは?」
アレッシオは見たことの無い、多分チョコ。長く細いスティックにチョコがコーティングされている。
「お、おやつ用に買ってたお菓子で、僕、僕、あの、ケイに何も・・・・・っ!」
止めなければずっと謝罪を言い続けそうな友春の唇を、アレッシオは強引にふさいだ。
「ふっ・・・・・んっ」
くれるだろうとは言いながら、アレッシオは友春が自分に対して何も用意をしていないだろうということは予想していた。
少しだけ、友春に意地悪をするつもりだったのだが・・・・・。
(どんなものでも構わない。トモが、私に用意してくれたというのが・・・・・っ)
一度店の中に戻った時、慌ててこれを掴んできたのかと思うと胸が熱くなった。
「ふぁっ」
交わす口付けは次第に濃厚なものになり、アレッシオの手が友春の着物の襟元へと滑り込む。
「・・・・・っ」
ビクッと友春の身体が震えたのが分かるが、アレッシオは慌てず、口付けを解いて、そのまま耳元に唇を寄せた。
「グレードの差は、お前の身体で」
「ケ、ケイ」
「・・・・・嘘だ、トモ。私がただ、お前を味わいたいだけだ」
甘えるように言えば、友春が弱いということももう知っている。
アレッシオは友春の胸元に顔を寄せながら、密やかな笑みを口元に浮かべた。
end
アレッシオ&友春です。
アレッシオに日本のバレンタインを教えたのは、きっとあの彼でしょう。