大切な記憶





 「今日はお前も寄れ」
 「え?・・・・・はい、ありがとうございます」
 午後10時を過ぎてマンションに戻った海藤は、そのまま車に乗り込もうとした倉橋を呼び止めた。
海藤の部屋に上がるのは仕事以外ではまれだったが、今日はその事情が違うのを倉橋は知っていた。
 「しかし、綾辻で良かったんでしょうか?」
 「プレゼント選びか?まあ、そんなに妙な物は選ばんだろう」
 一週間後、海藤は真琴を連れて、伯父であり育ての親でもある元開成会会長、菱沼辰雄の還暦の祝いに出席する
為、菱沼が暮す軽井沢に向かうことになっていた。
その話が決まってから渡すプレゼントのことをしきりに気にしていた真琴は、今日海藤の許しを貰って綾辻と一緒に買い物
に出たのだ。
途中掛かってきた電話ではいいものがあったと嬉しそうに報告し、お礼がしたいから綾辻をマンションに呼んでもいいかと聞
かれて、相手が綾辻ならば心配することも無く許した。
 「お前も来れば喜ぶだろう」
 「そうだと嬉しいですね」
珍しく柔らかい笑みを浮かべる倉橋と共に部屋に帰った海藤は、インターホンを鳴らさずに自ら鍵を開けた。
 「社長?」
 「2人が何を話しているのか興味がないか?」


 玄関を入った途端、
 「あ〜!またおれだあ〜」
 「真琴さん?」
楽しそうに叫ぶ真琴の声に、倉橋は嫌な予感がした。その声が妙に間延びして聞こえたからだ。
(まさか真琴さんに・・・・・)
前にいる海藤を見ると、やはり少し眉を顰めている。
倉橋はまたも綾辻の尻拭いをしなければならないのかと溜め息を付いた。
 「じゃあ、今度の罰は、社長の好きなところを10個あげる事」
 「かいどーさんのお?」
 その途端、リビングのドアを開きかけた海藤の手が止まった。
 「え〜とお〜、やさし〜とこと〜、あたまがいいとこと〜、ちからもちなとこお〜」
 「はい3つね。後、7つは?」
 「かりすまあがあるとこと〜、おれのおにいちゃんたちとごはんたべてくれたこととお〜」
 「な〜に、容姿のこと全然出ないじゃない」
 真琴はともかく、綾辻は海藤達が既にそこにいることに気付いているのだろう。わざと大きな声で言って、真琴に先をそくし
た。
 「みためかっこいいの、みんなしってるでしょ〜?だからあ、おれのしってるかいど〜さんのこといってるの〜!」
 「はいはい。じゃあ、後5つ」
 「おじさんのことたいせつにしてるしい〜、めもすきだしい〜、かみなでてくれるのもすき〜」
 「ふふ、後2つは?」
 「やさしくきすしてえ〜、まことってよんでくれることお〜!」
 「だ、そうですよ、社長」


 海藤がリビングに入ると、テーブルの上には真琴の好きなピザが広げられ、他にも幾つかのデリバリーの食べ物とジュース
が置いてあった。
しかし、倉橋が懸念したアルコールの飲み物はそこにない。
 「これは?」
 短く問うた海藤に、綾辻は苦笑しながら包みを見せた。
 「粕漬け?」
 「マコちゃんのお母さんが送ってきたそうです。同居している人に食べさせてやれって」
 「・・・・・これで酔ったのか?」
 「前はウイスキーボンボンでも2日酔いだったらしいですよ。はら、マコちゃん、社長がお帰りよ?」
 直に床のフローリングに座り込んでソファに懐いていた真琴は、綾辻の言葉にノロノロと顔を上げた。
そして、そこに立つ海藤の姿を見た途端、
 「あ〜!かいどーさんだあー♪」
 「あら、マコちゃん、違うんじゃない?」
 「・・・・・あ〜、たかしさん〜う?」
 「真琴?」
 「あっちむいてほいでえ〜まけてえ〜、ばつげえむでえ〜、かいどーさんのなまえをよぶの〜♪たかしさ〜ん、だっこお〜」
 酔っ払い特有のテンションの高さで言いながら、真琴は座ったまま海藤に両手を差し出した。
ニコニコとあどけなく笑う真琴の顔はほんのりと赤く染まって、その瞳も潤んでいる。
しかし、その視線は間違うことなく海藤に向けられていた。
 「社長?」
 一瞬の間を置いた後、海藤は軽々と真琴を抱き上げた。
 「うわ〜、たかあ〜い〜」
真琴は歓声をあげ、両手を海藤の首に回してピッタリとくっついた。
普段の真琴なら人前ではほとんど見せない、いや、2人きりでもなかなかここまで甘えてくれない姿に、海藤は思わず抱き
しめる腕の力を強くした。
 「もう一度名前を呼んでくれ」
 「たかしさん〜?」
 「もう一度」
 「たかしさ〜ん、だいすきい〜」
 「真琴」
 「かぞくよりもお〜、だれよりもだあいすきい〜♪」
歌うように言いながら、真琴は自分と同じ目線にある海藤の頬にキスをした。
 「・・・・・綾辻」
 「は〜い、今日はこれで失礼しま〜す。克己、帰るわよ」
 突然綾辻は立ち上がると、呆気に取られていた倉橋の腕を引っ張ってさっさと部屋から出て行った。


 エレベーターに乗るまで抵抗する様子も無かった倉橋は、扉が閉まって初めて我に返った様に綾辻に詰め寄った。
 「なっ、何なんだ、あれはっ?」
 「野暮ね〜。今から恋人同士のイチャイチャタイムじゃない。今日の社長、絶対激しいわよ〜お♪」
 「あ、綾辻さんっ」
確かに、先程の海藤は何時もと雰囲気が違っていた。他人の性生活を想像するほど物好きではないつもりだが、明日真
琴が起き上がれるだろうかと心配してしまうほどだ。
 「名前呼んでもらってそんなに嬉しかったのかしら。克己は嬉しい?」
 「・・・・・あなたはどうなんですか、勇蔵(ゆうぞう)さん」
 「やだあ〜、ユウって呼んでよ〜」
 「とにかく、今日のことは内密に。今後真琴さんにアルコールは取らせないように!」
 「でも、案外社長はまた頼むって言いそうよ?」
 「・・・・・」
 明日の海藤は半休は確実だろう。もしかしたら、1日休むかもしれない。
詰まっているスケジュールを頭の中に思い浮かべながら、倉橋は大きな溜め息をつくしかなかった。



 翌日、全く腰が立たない真琴は、ベットの中から海藤を見上げて言った。
 「ごめんなさい。母さんにもあれはアルコールがきついから食べないようにって言われてたのに・・・・・あの、俺、昨日変なこと
しませんでしたか?」
 「覚えていないのか?」
 「・・・・・はい」
(綾辻さんにも迷惑掛けちゃった・・・・・)
自己嫌悪の表情で俯いてしまう真琴の髪をクシャッと撫で、海藤は軽く頬にキスを落とした。
 「変なことはしていない。ただ可愛く甘えてこられて、歯止めが利かなかった」
 「!」
 はっきりは覚えていないものの、優しく触れる唇や指先の感触は覚えているし、力強く突き上げられた感覚は残っている。
何より身体中に散っている昨夜の名残と、全く立たない足腰が、それがどんなに激しい行為だったかということを教えてくれ
た。
(はっきり覚えてないなんて〜)
 ただ、微かな記憶の中に、海藤が嬉しそうに笑っていた姿が残っている。
昨夜の何が海藤にそんな顔をさせたのだろうかと、真琴はそれが気になって仕方が無かった。
そんな真琴に、海藤は笑みを含んだ声で言う。
 「俺が覚えているから、安心しろ」
 「それが気になるんですよ〜。教えてください、海藤さん」
 「・・・・・ダメだな」
 「え〜っ」
 「お前が思い出すまで、秘密にしておこう」
 「か、海藤さんっ?」
海藤は真琴を抱きしめると、まだ何か言おうとしている真琴の口をキスで封じた。





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