隆之&初音編





 

初めまして、僕は桜井初音といいます。
男の僕がこんな手紙を出すのはとても恥ずかしかったんですが、どうしても今の思いを伝えたいと思って、思い切ってこれを書きました。






 今年デビュー4年目のバンド、【GAZEL】(ガゼル)のボーカルの広瀬隆之(ひろせ たかゆき)は、チラッと事務所の時
計を見た。
午後2時半過ぎ、約束の時間まではまだ後30分ほどある。

 「この間の取材の原稿が上がりました。写真と一緒に確認して頂きたいんですけど・・・・・」

 音楽雑誌の記者である桜井初音(さくらい はつね)の連絡を受けたのは、運悪く(?)リーダーでキーボードの真中裕
人(まなか ひろと)だった。
裕人は直ぐに時間を空けるから事務所に来るようにと言い、自分は用があるからとその役目を強引に隆之に譲ってしまっ
た。
嫌だとは思わないが、何て言ったらいいのか考えると落ち着かない。
だが、こうして初音の事を考えていると、デビューして間もなく貰った初音からのファンレターの事を思い出してしまった。



 デビュー当時から、それなりには売れていた【GAZEL】。
目まぐるしく変わっていく周りに何時しか巻き込まれそうになっていた隆之の目に止まったのが、珍しい男子大学生からの
手紙だった。

 

歌を聴いて泣くなんて初めての経験でしたが、歌詞と、広瀬さんの声が凄くシンクロして、その世界に引き込まれていきました。
広瀬さんの声、凄く、人の心に響くと思います。




 傲慢かもしれないが、慣れ始めた賛辞の言葉。全てが、綿密にスタートダッシュを計画していた裕人の思惑通りに進
んでいた。
そんな中で、改めて自分が歌い始めた頃の気持ちを思い出させてくれたのが、素朴な便箋に思いがけず綺麗な文字で
書かれたその言葉だった。
 

あなた達の音楽が好きです。
広瀬さんの声が好きです。
【GAZEL】を知って、本当に良かったと思います。
これからも、ずっと、ずっと応援しています、頑張ってください。




 今でも大切に持っている手紙の差出人と、音楽を介して現実に出会うとは夢にも思っていなかった。
隆之の頭の中では何時までも大学生の青年だった『桜井初音』が、社会人として、自分達の音楽を評価する立場に
なって目の前に立っている。
これ程の偶然がこの世にあるのか・・・・・。
(何かの巡り合わせかな・・・・・)





 「こんにちは!」
 午後3時少し前、初音が大きな鞄を肩に担いで現われた。
 「いらっしゃい」
 「・・・・・こ、こんにちは」
わざわざ入口まで出迎えた隆之の姿を見て、初音は目を丸くして立ちすくんでいる。多分裕人がいるだろうと思ったまま
でここに来て、内心混乱しているのだろう。
それはそれで面白くは無いが、これから数時間は裕人の邪魔無しで初音と2人きりの時間を過ごすのだ。
(まあ、いいか)
 「どうぞ、中に」
 「は、はい」
緊張したまま自分の後に続く初音の気配を感じながら、隆之はふと、先程の手紙の事を思い出した。


 【あなた達の音楽が好きです、広瀬さんの声が好きです】


(まだ・・・・・好きでいてくれてるのかな・・・・・)
どうかまだ、初音にとって自分が今だ憧れてもらえている存在であるようにと、隆之は無言のまま心の中で願っていた。





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