何時もの朝ー。

惰眠を貪っていた珠生は、夢の中で大きな肉マンを食べていた。
それは、昨日の夕飯の口直しにと、ジェイがこっそりと手渡してくれた蒸しパンが頭の中に残っていたからだろう。
甘いそれはとても美味しかったが、珠生としては久し振りに肉マンも食べたいなとつらつらと思ってしまい、それが夢の中に現れたと
いう、とてもお手軽な幸せに浸っていたのだが・・・・・。

 ガタッ  ドテッ

 「いた!」
 いきなり大きく身体が揺れたかと思うと、珠生は激しい痛みで目が覚めてしまった。
 「な、何?」
今までベッドから落ちるほど悪い寝相ではなかったはずなのに、なぜか今珠生は床の上に仰向けに転がっている。
珠生は慌てて起き上がると横のベッドに寝ていたはずの父の姿は無く、それを不思議に思う前に、珠生の身体は再び大きく揺れ
た・・・・・と、いうか、船が大きく傾いた。
 「な、なに?なに?」
 わけが分からずにそのまま部屋を出た珠生は、
 「うわわわ!」
再び大きく船が揺れたせいで、そのまま豪快に尻餅をついてしまった。



 「なんだよーーーーー!!」
 「おっ、タマッ?」
 船の揺れは一向に収まらず、珠生はあちらこちらにぶつかりながら何とか操舵室に向かった。
途中、甲板を通ったが、かなり風と波が激しく、空は今にも雨が降ってきそうなほど暗くなっていた。
 「ラ、ラディッ、いったいどうなってるんだよ!」
そこはかなり慌しく、何人もの乗組員達が動き回っていた。
 「急に雷雲がやってきたんだ。多分、昼前には抜けられるとは思うが、それまで海はかなり荒れるっ、おまえは部屋にいろっ!」
 「はあ?」
 今まで波が高かったことはあったが、こんなに大きな嵐とも言えるものは経験が無い。
今でさえ身体が吹き飛ばされそうなほどの風が吹いているのに、これで雨まで降ってきたらどうすればいいのだろうか。
 「タマッ、早く部屋に戻ってろっ!」
 「と、とーさんはっ?」
 「エーキは食堂でジェイを手伝ってくれてるっ、あっちも船が揺れると危ないものばかりあるからな!」
普段は珠生の目を見て話してくれるラディスラスも、今は海上の波や空の雲の様子を見るのに忙しいらしく、一度も珠生の方を
見ないままそこまで一気に言った。
それが寂しいとかは、さすがに珠生も考えなかった。
 いや。
(お、俺、どうしたら・・・・・)
ここにいれば、ラディスラス達の邪魔になるというのは良く分かる。
だが、皆が忙しく駆け回っている時、自分だけが1人部屋に閉じこもっていていいのかとも思った。
 「・・・・・っ」
 「タマッ、部屋に戻れよ!」
いきなり部屋を飛び出した(床が揺れているのでフラフラした足取りだったが)珠生の背中で、ラディスラスが叫んでいるのが聞こえ
る。
(こーいう時は船を一番に心配しろ!)
それでも、こんな時にでも自分の事を心配してくれるラディスラスの気持ちがとても嬉しかった。



 「お、俺だって・・・・・!」
 小学生や中学生ではないのだ、自分にも何か出来ると、珠生は再び甲板に出た。
既に雨が降り始め、乗組員達は数枚の帆を仕舞ったり、船下へのドアを打ちつけて止めたり、既に壊れた船べりの棒手摺の修
理をしたりと慌しく動いている。
多分、船の中でも皆がこの嵐を乗り越える為に動いているのだ。
 「うわわっ!」
 再び大きく甲板が揺れた。
珠生は濡れた甲板を滑ってしまい、海に投げ出される寸前に、必死で手摺に掴まって耐えた。
 「・・・・・ぐっ」
自分の中のどこにそんな力があったのか分からないが、珠生は必死で立ち上がると慌ててあたりを見回した。
(なにかっ、出来ること・・・・・!)



 支柱が軋む。
折れることは無いだろうが、乗組員達の何人かは必死でその柱を支えた。
 「誰かっ、仕舞った帆が飛ばないように押さえろ!!」
風が吹き始めてから早々に帆は仕舞っていたが、余りに風が激しくなって縛っている綱ごと飛ばされそうな勢いだ。
幾ら予備の帆があるとはいえ、特注で作らせてある破れにくいこの帆を失うのは相当な痛手だ。ルドーの掛け声に、何人かが綱
に飛びついた。
 そして、その一番端には・・・・・。
 「タマッ?」
綱をグルグルに身体に巻きつけた珠生が、もう一方の柱にしがみ付くようにしていた。
 「タマッ、危ない!離せ!」
 「大丈夫!」
 「馬鹿!そのまま持ってかれるぞ!」
 「だいじょーぶ!!」
猛烈な風に飛ばされないように、珠生はとにかく柱に抱きついていた。
ルドーが言った様に、このまま気を抜けば身体が宙に飛ばされそうだが、とにかくこの柱から離れるもんかと、手も足もギュッと柱に
巻きつける。
 「・・・・・っ、お前等っ、タマが飛ばされないように力入れろよ!!」
 「おう!!」
 なんだか別の意味で一同が団結してしまったが、とにかく必死な珠生は全く他の事に目をやることも耳を傾けることも出来ない
ままだった。



 昼を過ぎ、まるで午前中の嵐が嘘かのように青空が広がり、海も優しいリズムを取り戻した。
 「急いで点検しろっ、よしっ、ご苦労!」
ラディスラスは操舵室はラシェルに任せると、自分は船の中を精力的に見回り始めた。
あの程度の嵐はまだ可愛い方だが、今回は荒くれた海賊だけではなく病人も乗っていることで必要以上に気を遣ってしまった。
そして、それ以上に・・・・・。
 「タマ!タマ、どこだ!」
 一番に部屋に珠生の姿を確認しに行ったが、そこに珠生の姿は無かった。
まさか海に投げ出されたとは思わないが、いったいどこにいるのだろうかとラディスラスの気は焦る。
 「・・・・・食堂か?」
思いついたのは、瑛生のいる食堂だった。
ラディスラスは見回りをしながら急ぎ足で食堂に向かおうとする。
すると。
 「お頭!」
 ラディスラスはルドーに呼び止められた。
 「どうした?どこか異常があったか?」
 「ちょっと・・・・・」
少し困ったような、それでいて笑い出しそうな複雑な表情をしたルドーの後について行ったラディスラスは、そこで思い掛けない光
景を見てしまった。
 「・・・・・釣ったのか?」
 「・・・・・」
 「冗談だ」
 甲板に、人魚が転がっていた。
・・・・・いや、人魚ほども色っぽくは無いが、髪も服もびしょ濡れになったあどけない表情の少年が、身体に何重もの帆を繋ぐ綱を
巻きつけた格好で気を失って・・・・・。
 「嵐が過ぎ去ったことを伝えたら、安心して眠り込んでしまったようで」
 「これ、寝てるのか?」
 「頑張ってくれましたからね、疲れたんでしょう」
 「・・・・・そうか」
 ラディスラスはその場に跪くと、珠生の身体に巻きついた綱をそっと解き、そのまま身体を抱き上げた。
これだけ動かしているのに全く気付かないのは、それだけ疲れたということなのだろう。
 「・・・・・ご苦労だったな、タマ」
ラディスラスは小さく笑うと、そのまま掠めるように珠生の頬に唇を寄せた。





 いい匂いがする。
(ん・・・・・?肉マン?)
朝の夢の続きなのだろうか・・・・・そう思い掛けた珠生はパッと目を開いた。
 「嵐!・・・・・たた、いった~!」
反射的に起き上がると、身体のどこもかしこもギシギシと音が鳴るほどに痛い。それだけでも、あれは夢ではなかったのだろうと珠
生は思った。
 「タマ」
 「タマキ」
 「ラディ、父さん?」
 ベッドの枕元には、ラディスラスと父が立っていた。
大好きな父と、まあ・・・・・それなりに思いがあるラディスラスがそこにいて、珠生は驚いたと同時に頬が緩んだ。
 「よく頑張ったな、タマ、ルドーが褒めてたぞ」
 「聞いたよ、タマキ、頑張ったね」
2人にそれぞれ褒められ、珠生は照れたように笑った。
 「たまたまだよ。俺だってやれば出来るんだから!」
 「うん、でも、頑張ったご褒美に、はい」
珠生の照れを十分分かっている父が、はいと珠生の面前に差し出したのは・・・・・。
 「にく、まん?」
その形は昨夜出てきた蒸しマンと一緒だったが、匂いが違う。これは間違いなく肉マンだ。
 「・・・・・夢といっしょ・・・・・」
 「え?」
 「なんだ?」
 「う、ううん、何でもない」
 「そう?食べなさい、多分、日本の肉マンより美味しいはずだよ」
 「うん!」
珠生は早速フカフカのそれに手を出し、パクッと口に含んだ。
生地も柔らかく、味もしっかりして、本当に夢に見たような肉マンだ。
 「おいしー!」
(頑張ったご褒美だよな!)
たまたま襲ってきた嵐で、頑張って自分が出来ることをやった。
何時もよりもたまたま忙しかっただけのような気もするが・・・・・まあ、今日もいい日だったと直ぐに頷ける。
 「美味いか」
 「うんっ」
 「美味しいかい?」
 「うん!」
肉マン一つで珠生は王子様になったような気がして、遠慮なくもう一つの肉マンに手を伸ばした。





                                                                       end





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