西原真琴、19歳お誕生日編。
海藤さんはやっぱりいい男です。
「あ・・・・・今日誕生日だ」
ふと、カレンダーを見た真琴は、全く今の今まで忘れていたことを思い出した。
「あ〜、だから兄ちゃん達がしつこく電話してきたんだ」
数日前から頻繁に掛かってきた兄弟からの電話。それは長男次男だけでなく、末っ子の弟からもあった。
理由は言わないまま、とにかく帰ってこいとしつこく言ってきたが、バイトが忙しいし、何より海藤と迎える初めてのクリスマスなの
で、正月には絶対帰ると約束して断わった。
(悪いことしちゃったな・・・・・)
12月23日の誕生日。
この、非常に微妙な時期の誕生日は、幼い頃から時折・・・・・というか、頻繁にクリスマスと一緒にお祝いをされていた。
もちろん、その分他の兄弟達よりプレゼントは豪華だったが、真琴は友達の誕生日会に招待されてよく見たように、自分だけ
のパーティーというものに強い憧れを抱いていた。
それは、成長するにつれて薄れてきた思いだったが、それでも完全に消えたわけではない。
ただ・・・・・今年は少し違う。
初めて出来た恋人と、初めて過ごすクリスマス。
真琴はこちらの方に力を入れていたのだ。
「・・・・・ま、いっか」
(もう、祝って欲しい歳でもないし)
それより、明日のイブの準備をしなければと、真琴は慌てて外に飛び出した。
海外からの商談の電話を切った海藤は、じっとこちらを見ている綾辻の視線に顔を上げた。
「・・・・・」
無言での催促に、綾辻は苦笑しながら口を開いた。
「今日、どうされるか決めたんですか?」
主語も何もないその言葉に、海藤の無表情の顔が少し柔らかくなった。
(いー顔するようになったなあ)
元々、怖いくらいに整った容姿の海藤。もっと愛想が良ければ敵など皆無だったかも知れないが、神は二物を与えないとい
うのは本当で、綾辻が海藤と知り合った頃、海藤の能面のような顔は少し怖いものがあった。
それが、真琴と出会って以来・・・・・最愛の人間を手にして以来、海藤の表情は驚くほど柔らかくなった。
腑抜けたというわけではない。
それどころか、真琴に危害を与えられない為にも、今まで無欲だった組織内での立場をより強固にしようと辣腕を奮っているく
らいで、海藤にとって真琴は言わば幸運の女神というか・・・・・。
(アゲマン・・・・・とは違うか)
女じゃないしなと暢気に考えていると、突然ギュッと足を踏まれてしまった。
「イテ!」
「仕事中に私語はしない」
綾辻の悲鳴など全く無視をして、足を踏んだ当人の倉橋は海藤に1枚の紙を差し出した。
「ここが、今都内で一番人気があって美味しいと言われているところです」
横からそれを覗いた綾辻は、アーっと不満そうに声を上げた。
「克己だって、それ仕事じゃないじゃん!」
「私にとっては仕事です。あなたみたいにずーーーっと手を空けていた訳ではありませんから」
倉橋が手渡したのは、都内の有名なスイーツショップのリストだった。
どこも常に行列が出来るようなところで、なかなか男がふらっと入ってというわけにはいかないらしく、真琴も雑誌を見ながら食べ
たいと何度も呟いていた。
「買いに行かせましょうか?」
とても、海藤当人が買いに行くような場所ではなかったが・・・・・。
「いや、いい」
「・・・・・」
「車を用意してくれ」
真琴のことを他人には頼みたくないという気持ちがヒシヒシと伝わり、綾辻はすっとその紙を横から取り上げた。
「私もお付き合いします」
「綾辻」
仕事はと睨む倉橋に、綾辻は楽しそうに笑った。
「あ〜ら、これも立派な仕事よ?しっかり社長を守ってくるわね♪」
「・・・・・仕方ありませんね」
確かに綾辻が一番適役だろう。
強面の組員を付いて行かせるわけにはいかないし、かといって、自分もスイーツショップに行ってもどうしたらいいのか分からない。
倉橋は溜め息を付きながら、渋々頷くしかなかった。
『あ、マコちゃん、私』
絶対に単独行動は駄目だと言われ、仕方なく海老原の運転する車に乗っていた真琴は、不意に掛かってきた綾辻の電話
に驚いたように言った。
「海藤さんに何かあったんですかっ?」
『ないない、平和よ』
「・・・・・そうですか」
真琴は安心したように溜め息をついた。
つい最近、銃や刃物を使った事件に巻き込まれてしまったので、神経のどこかが過敏になってしまっているのだ。
そんな真琴の気持ちを十分理解している綾辻は、突然ごめんねと真面目に謝ってくれた。
「いいえ、それは全然いいんですけど、何ですか?」
頭を切り替えた真琴に、綾辻は続けて言った。
『今どこにいるの?』
「今ですか?え〜と・・・・・新宿のへんです」
『ああ、じゃあ、そんなに時間は掛からないわね。ねえ、マコちゃん、銀座のあの店知ってる?』
綾辻の言った店はかなり有名なスイーツショップなので、甘い物が大好きな真琴は当然よく知っていた。
ただ、何時も行列が出来るほどの人気店なので、今だ口にはしたことがないが。
「はい、知ってますけど」
『今から急いでそこに行ってみて。あ、影からこっそりね?』
「え?あの」
『もう時間ないから、後でねっ』
真琴の言葉を最後まで聞かないまま、綾辻の電話は一方的に切れてしまった。
「どうしたんですか?」
海老原が不思議そうに聞いてくるが、真琴も全くわけが分からないまま首を傾げた。
「さあ・・・・・何なんだろ?」
(あの店で何かあるのかな)
車の中から長い行列を見た海藤は、一瞬だけだが眉を顰めてしまった。
「どうします?」
少し笑いを含んだ綾辻の言葉に、海藤は躊躇いなく車から降りると、そのまま列の最後尾に並ぶ。
(変なとこで真面目な人だな)
少し細工をすれば並ばずに買うのは簡単なのに、変なところで真面目な海藤はそんなことを考えることもないのだろう。
何より、真琴の為にはこんな些細な労力は問題ないのかもしれないが。
綾辻は海藤の後ろに並び、周りの若い女達の反応を見てみる。
見るからに上等なカシミアのコートを羽織った、見惚れるほどに美しい男。
眼鏡を掛けたその横顔は理知的で、とてもヤクザの組の長とは思えないだろう。
間違いなく女が放っておかないくらいの男だが、かもし出す雰囲気が近寄りがたいので、遠巻きにしか見ていられないところが
可笑しかった。
「社長、何を買うのか決めてるんですか?」
「真琴が好きなのは苺だ」
低く海藤が答えると。
「社長だって」
「でも、マコトって、彼女持ちだよ」
海藤の答えを盗み聞いた女達がいっせいに噂を始める。
それはあからさまに聞こえるものだったが、海藤は一切を無視しているので、その対照的な様子に綾辻は思わず笑みを浮かべ
てしまった。
(マコちゃんまだか?こんな面白いとこ見れたのに・・・・・)
(海藤さん・・・・・)
真琴は車の中からその光景を見つけた。
若い女達がほとんどの行列に、異質な2人の背の高い男。
その2人がいわゆるいい男だけに、どうしても目立ってしかたがない。
「・・・・・なんで、海藤さん・・・・・ケーキ屋さんに?」
1時間は当たり前、2時間はざらという評判のスイーツショップに、なぜ海藤がわざわざ並んでいるのか、真琴は一瞬分からな
かったが・・・・・。
「あ、クリスマスケーキ?」
もしかして、海藤は明日の為のケーキを買ってくれようとしているのかも知れない。
そう思い立った真琴は、直ぐに車のドアを開けた。
「真琴さん!」
「近くには行きませんからっ」
(海藤さんがあんな寒い思いしてるのに、俺だけぬくぬく車の中にいられないよっ)
『今日は外で食事をしよう』
海藤からそんな連絡があったのは、海藤達がやっと並んでいた行列から解放されて直ぐだった。
真琴は少し離れた場所で電話を受け取り、海老沢に時間を誤魔化す為に遠回りをして貰った後、事務所に行った。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
既に顔見知りになった組員達に挨拶をしながら、真琴はそのままエレベーターに乗った。
「あ」
「いらっしゃい」
ドアが開いて直ぐに待っていたのは綾辻だった。
「見た?」
面白そうに笑いながら聞いてくる綾辻に、真琴はコクンと頷いた。
あれから1時間以上(正確には一時間半ほどだ)並んでいたのを、真琴も最後までずっと見ていたのだ。
「クリスマスケーキの為に海藤さんを並ばせてしまって・・・・・」
「え?」
一瞬、綾辻は奇妙な表情をした。
(あれ?違った?)
しかし、直ぐに真琴の考えが分かったのか、更にふき出しそうなのを我慢したような顔をして後ろを向いた。
「綾辻さん?」
「しゃ、社長がお待ちよ、早くっ」
「・・・・・はい」
(どうしたんだろ?)
軽くノックをして中に入ると、そこには海藤だけが待っていた。
「海藤さん」
真琴が名前を呼ぶと、何時ものように優しく笑んだ目が真琴に向けられる。
「急に呼び出して悪かったな」
「そんなことないですよ」
そう言いながら、真琴の目は応接テーブルの上に置かれた箱に向けられた。それは、つい先程まで海藤が並んでいた店の箱
だ。
(冷蔵庫に入れなくていいのかな)
明日のイブまでは冷蔵庫に入れた方がいいと思い、真琴はそう言おうとした。
「真琴」
「あ、はい?」
「誕生日おめでとう」
「え?」
一瞬、何のことか分からなかった。
「今日はお前の誕生日だろ?」
「・・・・・あ、うん、そう、だけど」
「何時もクリスマスと一緒に祝われてると言っていただろう?今年からはちゃんと、お前の誕生日を祝っていこう、2人で」
「海藤さん・・・・・」
(じゃあ、これは・・・・・)
箱を見つめる真琴の視線に気付いた海藤が言った。
「・・・・・知り合いに買ってきてもらった。お前、ここの苺のケーキを食べたいと言っていたと思ったんだが・・・・・違ったか?」
「・・・・・」
(俺の誕生日の為・・・・・だったんだ・・・・・)
海藤ほどの男がわざわざ自分で、あんな女だらけの行列に並んでくれた本当の理由が分かった瞬間。
駄目だ・・・・・そう思った次の瞬間に、真琴の目からは涙が零れた。
「真琴?」
「・・・・・ありがとう・・・・・ございます」
気持ちが嬉しかった。
海藤がわざわざ並んでまで買ってきてくれたケーキ。
最近雑誌を見ながら何気なく食べたいと言っただけの、日常の中にあるごく普通の言葉の一つをちゃんと覚えていてくれたこと
が嬉しい。
他人の手を借りず、自ら動いてくれたことが嬉しい。
大切に愛されていることが・・・・・嬉しい。
「・・・・・ケーキぐらいで泣かれたら、プレゼントが渡しにくくなるな」
苦笑しながら真琴を抱きしめてくれる海藤に、真琴も腕を回してギュッと抱きついた。
「ありがとう・・・・・」
誰かを想いやるのに、男も女も関係ない。
真琴は海藤を好きになった自分自身に、ありがとうと言いたい気分だった。
「真琴」
「ありがと・・・・・」
「もう、何度も聞いた」
「ありがとう・・・・・」
何度も繰り返す真琴に、海藤は笑いながら頬にキスをする。
「俺にも言わせてくれ」
「・・・・・」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「海・・・・・」
「俺を愛してくれて、ありがとう」
「・・・・・うん、うん」
家族に祝ってもらってきた誕生日も、何時も楽しくて嬉しかった。
友達から貰うプレゼントも、ワクワクして嬉しかった。
しかし、19歳の今日の誕生日ほど、ありがとうという気持ちになったのは初めてだった。
「目がウサギになる。もう、泣くな」
「・・・・・うん」
12月23日の、何時もなら損をしたと思っていた誕生日が、今年からは本当に特別で大切な日になった気がする。
真琴がゴシゴシと手の甲で涙をぬぐって顔を上げると、綺麗な海藤の顔が優しく微笑んでいた。
「改めて・・・・・19歳、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
半分泣きながら笑った真琴に、海藤はそっと唇を重ねた。
END
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こんなふうに、「ありがとう」と言える真琴だからこそ、海藤さんも好きになったんでしょうね。
羨ましい2人です。