もう直ぐ日が暮れる。
今日は朝からずっと会えなかった稀羅にもう直ぐ会えるかと思うと嬉しくて、莉洸は自然と浮かんで来る微笑を消さないまま、長い
廊下を弾むように歩いていた。
華美な装飾など無い頑丈な造りの蓁羅の王宮は、当初はとても冷たくて寂しい感じがしたが、今では大勢の人間と生活を共に
しているという息遣いを感じるようになって、莉洸にとっては既にもう一つの自分の家という感じになっていた。
大国と誉れ高い光華国の第三王子として生を受けた莉洸。
生まれた時から小さく、病弱だったせいか、家族にも周りにも大切に守られるように育った莉洸は、成長しても人を疑うことも無い
素直で心優しい青年へと育った。
そんな莉洸と、隣国でありながら長い間敵対関係にあり、莉洸からすればかなりの年上でもある稀羅となぜこうなったのか、実を
言えば今だよく分かっていなかった。
謎の多い蓁羅は野蛮の国で、恐ろしい気質の民がいる・・・・・。幼い頃からそう聞かされてきた莉洸にとって、蓁羅に連れ去ら
れた時には絶望が心を支配したが、1人1人と対峙した時、そして、稀羅のことを少しずつ知るようになって、莉洸の気持ちは緩
やかにだが変化していった。
それが、恋だというものだと気付くには、莉洸はあまりにも子供過ぎたが・・・・・抱かれて初めて、稀羅のペニスで体の中心を貫か
れて初めて、莉洸は自分の心に気付いた。
恋というものが、こんなにも胸を熱くし、幸せにしてくれる気持ちなのかと、莉洸は日々少しずつ深くなる稀羅への想いを自覚し
ながら考えている。
もっと早く、この気持ちに気付けば良かったと思う反面、これほどの時間が無ければ育たなかったかもしれない想い。
(兄様の結婚式を見たら・・・・・羨ましく思ってしまうかもしれないな)
父に指定された約束の日までは間がある。既に待ち遠しいと思い始めている自分に思わず苦笑を零した莉洸は、ふと耳に入っ
てきたざわめきに足を止めた。
「何をしているのです?」
「捨てるんだよっ」
作業に夢中なのか振り向かずにそう答えた男は、そこにいた数人の男達と一緒にある部屋から家具や荷物を取り出していた。
寝台や鏡、椅子に机。
まだ真新しい気配のそれらを捨てるなど、倹約家である稀羅からにはとても想像が出来ない。
莉洸は首を傾げながら更に聞いた。
「どうして捨てるのですか?」
「そんなの決まってるだろっ、莉洸様っていう正妃をお迎えになられるんだ、今まで遊んでいた女達の気配を残したもんなんて置
いておけないだ・・・・・ああ!!」
「遊んでいた・・・・・女達?」
「り、莉洸様っ?」
そこでようやく男は莉洸の存在に気付いたらしい。
慌てたように声を上げると、部屋の中にいた男達も次々と外に出てきた。
「莉洸様っ、こいつが何かっ?」
「変なことを言いましたかっ?」
「気になさらないでくださいよ?」
「今言ったことは全部でたらめですから!」
男達は口々にそう言うが、莉洸は全くその言葉が耳に入ってこない。
(稀羅様の・・・・・)
「莉洸様!」
「・・・・・ごめんなさい」
何に対して謝っているのかも分からず、莉洸はフラフラとその場から立ち去ることしか出来なかった。
「馬鹿めっ!」
稀羅は大股で歩きながら激しく毒づいた。
莉洸に余計な話を聞かせたことももちろんだが、それと同じか・・・・・それ以上に、無節操だった自分の行動に腹が立っていた。
蓁羅という国を大きくする為に、正妃も娶らずに賢明に国政にのめり込んでいた。
しかし、稀羅も健康な身体を持つ男で、全く欲望が無かったとは言えない。愛しいとか、大切だとかいう感情は一切持たない相
手を一夜の相手として抱くことも多々あり、警備上の問題もあってその情事は王宮内であることがほとんどだった。
私室には女を連れ込まない為、ある一室を女との情事用に用意をしていた。
そこ以外に女は自由に出入りは出来ず、また同じ女は出来るだけ呼ぶことをしないようにしてきた。女に期待を持たせることはした
くなかったし、子供など出来てしまうと煩わしいとさえ思っていたからだ。
そんな稀羅も、莉洸と出会い、莉洸を愛するようになって、そんな欲望だけで抱いてきた女達とは一切手を切り、情事に使って
いた部屋にも足を踏み込まないようにした。
ただ、正式に莉洸を娶るのであれば、その部屋も全てきちんと始末をしておいた方がいいと思い、その片付けを命じていたのだが、
まさかその場面を莉洸に見られるとは想像もしていなかった。
「申し訳ございません!!」
顔色を変えた衛兵や召使が執務室へと駆け込んできた時、いったい何の大事かと稀羅も顔色を変えたが、聞いた話は敵国が
攻め込んでくるという話よりも稀羅にとっては大きな事で、不手際をした者を叱責する間も惜しんで(それは衣月に命じた)莉洸の
部屋へと駆け込んだ。
「莉洸!」
莉洸の部屋の扉を叩く暇も無く開いた稀羅は、そこに莉洸の姿が無いことに血の気が引く思いがした。
(まさか・・・・・逃げたかっ?)
まさかとは思ったが、下半身のだらしない男と莉洸が自分に嫌気をさし、そのまま王宮を飛び出したのかとさえ思ったが、一方でそ
んなことは無いと頭の片隅で自分の声がした。
自分に対して確かな愛情を感じ始めてくれている莉洸が、稀羅の弁解も聞かないまま逃げ出すとは思えない。
(それならばいったい・・・・・)
莉洸の行動の範囲と思考を考え、稀羅は莉洸の居所を想像する。
そして。
「・・・・・っ!」
(まさかっ?)
思い当たった場所に、稀羅はすぐさま踵を返した。
自分の部屋に戻るのはとても寂しい気がした。
たった1人で部屋にいれば、更に悪い考えが頭に渦巻きそうで、莉洸は半ば意識を飛ばしたような足取りで、何時の間にか稀羅
の私室へと向かっていた。
「・・・・・稀羅様・・・・・」
執務を行っている稀羅は当然不在ではあったが、この部屋には稀羅の存在がそこかしこに感じられる。
莉洸は少しだけ安堵の溜め息をつくと、稀羅がよく座っている椅子へと自分も腰を下ろした。
「・・・・・落ち着かなきゃ・・・・・」
(ちゃんと、受け止めなければならないことだし・・・・・)
自分よりも随分年上の稀羅に今まで愛した人がいなかったというのは考えられない。あれほど逞しく、精力的で、優しい一国の
王だ。幾人もの寵妃はいただろし、今現在も・・・・・いるかもしれない。
しかし、莉洸はもう父に覚悟を決めたと誓ったのだ。いずれ稀羅に子を産んでやれる女性が現れたとしても、それでも自分は稀羅
の正妃になると言い切った。
(覚悟を・・・・・決めないと・・・・・)
頭では分かっているが、こんなにも胸が苦しい。
何時の間に自分はこんなに気持ちが弱くなったのかと、莉洸は俯いてしまった。
「莉洸っ」
「稀、稀羅様?」
自分の部屋に莉洸の姿があった時、稀羅はほっと安堵すると同時に嬉しさがこみ上げてきた。
混乱し、動揺した上で莉洸が自分の部屋に来てくれた・・・・・自分を頼ってくれているようで嬉しくて仕方が無く、それでも先ずは
と莉洸の座っている椅子の側まで行くと、その場に跪いて莉洸の手を取った。
「稀羅様?」
いきなりの稀羅の行動に驚いたような莉洸は椅子から立ち上がりかけたが、稀羅はその動きを握っている手の力で抑えると真摯
な声で言った。
「すまぬ」
「稀羅、様?」
「お前に不快な思いをさせた」
「そ、そんな・・・・・」
「あのようなことは、お前に見せぬように真夜中にでもするべきことだった」
謝って莉洸が許してくれるのならば何度でも頭を下げることは出来た。実際に悪いのは自分で、遊びで女を抱くことなど考えたこと
も無いだろう莉洸にとって見れば、自分のやってきたことは不快で下劣なことに違いない。
大国の王室では妾妃を持つことは当然のようにあるが、その女達はそれなりの身分のもので、もちろん一度抱いたらば用無しとい
うような安い関係ではないだろう。
今の自分は、莉洸だけだと誓うことが出来る。
ただ、それ以前の自分は・・・・・やはり綺麗な莉洸には相応しくないかもしれなかった。
「許してくれ、莉洸」
「・・・・・」
「莉洸」
「・・・・・違うのです、稀羅様」
やがて、莉洸は小さな声で言った。
跪く稀羅を上から見詰める形になってしまったが、こんな風に謝ってもらう必要など無いのだ。
女性を抱くことは男としては当然の欲求であるだろうし、現に自分の父も兄弟の母が皆違うというようなことを平気でしているし、
町で色んな女性と遊んでいた。
大人の男でありながら、何時までも子供っぽい父が莉洸は好きだったし、王族の人間ならば尚更血を残すという考えもあるとは
理解していた。
理解はしているのだが・・・・・。
「私が、私の胸が・・・・・もやもやとしているだけなのです」
「お前の、胸が?」
「稀羅様のご寵愛を受けた方々がいらっしゃるかと思うと胸が熱くなって・・・・・苦しいのです」
(私にとっては、稀羅様は唯一の方なのに・・・・・)
「何だか、その相手の方が憎らしくて・・・・・たまらないのです。そんな自分が嫌で・・・・・苦しくて・・・・・」
「・・・・・それは、嫉妬しているということか?」
「え?」
「嫉妬だ。私が抱いてきた女達に妬きもちを焼いていると、お前の言葉はそう聞こえるのだが」
「し、嫉妬・・・・・?」
(この胸の熱さが・・・・・嫉妬だというのか?)
自分の言葉を聞いた瞬間、莉洸の顔が真っ赤になったのが分かった。
慌てたように莉洸は顔を逸らそうとしたが、稀羅は当然その態度を許すつもりは無かった。
「そうか、妬いておったのか」
「ち、違います!僕は、僕は、ただ胸が、胸が、あの・・・・・」
「妬く必要など無いぞ、莉洸。確かに私は今まで何人もの女をこの手に抱いてきたが、真実愛しいと、恋しいと思ったのはお前
だけだ。私が愛するのはお前1人だけだぞ」
そのまま身体を起こした稀羅は、すくい上げるように唇を重ねた。
触れるだけの、それでも熱い口付け。
目を閉じたまま従順にそれを受け入れた莉洸は、唇を離してじっと視線を向けていた稀羅に向かい、小さな、本当に聞き取れる
かどうかの小さな声で聞いてきた。
「他には・・・・・いらっしゃらないの、ですか?」
「いない」
「僕、だけ?」
「お前だけだ」
「・・・・・」
嬉しい・・・・・確かにそう聞こえたような気がして、稀羅はそのまま莉洸を抱き上げた。こんなにも嬉しい言葉を言ってくれた愛する
者をこのまま放すことなど出来ない。
「莉洸、誓って言うぞ、私が真実愛するのは、私の正妃はお前しかいない。お前だけを愛している」
「・・・・・僕も、愛しています」
「ああ、こんな可愛らしい嫉妬をしてくれたくらいに、だろう」
からかうように言うと、莉洸は恥ずかしそうに稀羅の胸元へと顔を埋めてしまった。
(思い掛けない莉洸の嫉妬する姿を見れた・・・・・)
不手際で、一瞬でも莉洸に悲しい思いをさせたのは後悔をしているが、それ以上に初めて見せてくれた可愛い姿が目に焼きつい
て離れない。
こんな嬉しい嫉妬を更なる愛情で覆す為にも、稀羅は今夜莉洸を腕の中から解放するつもりは無かった。
end