その日、最大指定暴力団大東組系羽生会の事務所ビルの中は、朝から緊張感に包まれていた。
誰もが顔を見合わせてどうするといった困惑と恐れの表情を浮かべていたが、かといって誰もが席を立つ様子はない。
ここから逃げ出すことは簡単だが、その後のことを考えると・・・・・やはり誰も動くことが出来なかったのだ。
やがて、時計の針が午前10時を指した時、
ガチャ
何時もより少し遅い来社でありながら、その頬には変わらない笑みを浮かべたこの組の裏のドンと言われる人物は、なぜか自分
をじっと見つめてくる組員達に静かに言った。
「おはよう」
「お、おめでとうございます!!」
「・・・・・」
その場にいた十数人のむさくるしい男達が同時に頭を下げ、声を揃えて言う。
それに驚くことも無く目を細めたその人物は、1人1人に視線を向けて頷いた。
「ありがとう」
羽生会の会長は上杉滋郎(うえすぎ じろう)だ。誰もが認めるカリスマ性を持っている上杉は豪放磊落な性格の上、容姿も
男らしく整っており、ヤクザという肩書きを持っているというのにかなり女にもモテていた。
そんな彼は仕事は出来るが脱線も多く、ついつい最愛の恋人との逢瀬に抜け出そうとしているのを捕まえているのが、この組の
会計監査役である小田切裕(おだぎり ゆたか)だ。
既に三十代も後半ながら、年齢不肖な美貌で、見掛けによらない仕事面での手腕を持っている小田切は、不可解な性格
から組の中でも上杉以上に恐れられている。
特に何か腕力を振るうでも、言葉で責めるということもないのだが、その存在自体が何か恐怖を感じてしまうのだ。
そして、本日四月一日は、そんな小田切の誕生日だった。
今朝早くから、事務所には小田切宛の小包がひきりなしに届いている。
片手で持てる物から、一抱えもある大きな物。
花屋が花束も配達してきたし、怖いことに・・・・・自動車屋のディーラーが新車を納車しに来た。
それらの送り主が誰なのか、組員達は知らない。ただ、ちらっと見えた名前の中には有名な芸能人もいたし、政治家の名前も
あった。
もちろん、組員達も小田切の誕生日に何もしないでいいのだろうかと一ヶ月近く前から話し合っていた。
しかし、どうやら小田切は物を貰うことを喜ぶというわけではなく、祝ってくれる思いが嬉しいという・・・・・意外な性格だった。
だからこそ組員達は協定を結び、絶対抜け駆けしてプレゼントをしないということを話し合って、今朝、あの祝いの言葉を声を合
わせて贈ったのだ。
「お前、下の事務所が荷物で一杯らしいじゃねーか」
「そうですか?」
組員達の祝いの言葉に上機嫌なまま、小田切は上杉の部屋へとやってきた。
「車なんか贈ってくるジジイにも手え付けてんのか?」
「私は別にねだった覚えはないんですがね。たまたま一緒にいた時、あの車の色がいいとか、形がいいとか、口にしたものを親切
に選んでくださったんでしょう。まあ、仕方ないです、全ての愛犬に自宅を教えているというわけではないですから、ここに送ってくる
という方法しか思いつかなかったんでしょう。ちなみに、ジジイではありません」
「・・・・・」
「大丈夫、ほとんどの物は送り返しますから」
「貰わないのか?」
「物を貰って喜ぶような次期はもうとうに過ぎましたよ。それよりも、太朗君のようなプレゼントが嬉しいですね」
そう言って笑った小田切の手の上には、部屋に入った時に上杉に渡された彼の恋人、苑江太朗(そのえ たろう)からの誕生日
プレゼントがある。それは、小田切が飼っているハムスターの餌と、犬のビーフジャーキーだった。
(私がまだ犬を飼っていると思っているとは・・・・・可愛いね、あの子は)
「・・・・・」
口元に笑みを浮かべたまま、小田切は部屋の中にある時計を見上げた。
(10時半か・・・・・)
「失礼」
小田切は上杉に断りを入れると、その場で携帯を取り出した。上杉の前で携帯を掛けるのは珍しいので不思議そうな顔をされ
たが、協力してもらうには彼が一番適任だろう。
「・・・・・私だ」
仕事中だったのか、コールは10回を数えた。何時もは5回聞けば切るのだが・・・・・。
「お前に伝えたいことがある。実は今病院に行ってきたんだ」
「おい」
何を言うのかと上杉が声を掛けてきたが、小田切は視線でそれを制す。
「いや、最近調子が悪いと思って診てもらったんだが・・・・・驚くなよ、どうやら私は妊娠したらしい」
「はあっ?」
思わずというように大声を上げた上杉に、小田切は仕方ないというような呆れた眼差しを向けた。
可愛い犬達が飼い主の為に色々考えてプレゼントを贈ってくれることは嬉しい。
しかし、今一番可愛がっているはずの室内犬は、あろうことか夕べから夜勤でマンションを留守にし、その上、今日も急な仲間の
休みで仕事を代わり、帰りが遅いという事をメールで知らせてきた。
誕生日にいないのは、お互い仕事を持っているから仕方が無い。しかし、大切な祝いの言葉をメールなどで送ってくる犬には、
罰を与えないと懲りないだろう。
幸いに、今日は四月一日。昔から知り合いにはお前にピッタリな誕生日だと言われてきたこの日は、どんな嘘でも許される日だ。
「・・・・・ん?俺の子かって?なんだ、お前は私がお前以外に身体を許していると言うのか?」
「・・・・・」
「残念だ、哲生。お前の子ならば、男であることを横に置いてでも産もうとしたんだが・・・・・ああ、貧血だ」
そう言って、小田切は上杉に携帯を差し出した。
「・・・・・なんだ?」
「協力お願いします」
ここで嫌だと言ったら、今後の太朗とのラブラブな時間を邪魔されると思ったのだろう、上杉は眉を顰めながら携帯を受け取り、少
し考えてから口を開いた。
「おい」
上杉がその一言を言っただけで、向こうはかなり喚いているのだろう、一瞬携帯を耳から離した上杉は、直ぐに面倒くさそうに怒
鳴った。
「そんなに心配なら取りに来い!」
そう言って無意識に携帯を切った上杉は、あっと小田切を見た。
「・・・・・切った」
「いいですよ」
「お前・・・・・いや、あれは無理があるんじゃないか?」
「その方がいいじゃないですか、直ぐに嘘が分かって」
「来なかったらどうするんだ」
「そうですねえ・・・・・しばらくお預けにしますか。私はあなたみたいに性欲が強いわけじゃないし、一ヶ月くらいセックスしなくても
困りませんから」
「・・・・・だから、一言多いんだよ、お前は」
「あなたに合わせているだけです」
一言言えば十返る。
それが骨身に沁みて分かっている上杉は、溜め息をつきながらもそれ以上に文句は言わなかった。
誕生日の数日前からマンションに送られてきたプレゼントを見て複雑な表情をしていた可愛い飼い犬・・・・・宗岡哲生(むねお
か てつお)。
マンションに送ってくる人間はそれなりに深い関係(身体だけの意味ではないが)の者達で、中の数人には宗岡にも会わせた。
彼がどんな思いを抱いていたのか、全ては分からなくても想像は付く。
小田切には自分以外にも・・・・・そう思うのも分かるが、それからもっと発想の転換は出来ないのだろうか。皆に会わせたのは、今
小田切が可愛がっている特別な犬は宗岡だけだと、言葉ではなく態度で示したとは思わないのか。
「筋肉馬鹿はこれだから困る」
そう呟きながらも、小田切の口元には笑みが浮かんでいた。
そして。
それから一時間後。
「終わりました!」
「ご苦労様」
車やアクセサリーなど、花や食べ物以外のプレゼントを全て送り返す手配を終えた小田切は、珍しく下の事務所で組員達に囲
まれていた。
組員達が金を出し合って買ってきたバースデーケーキ(これくらいはした方がいいと思った)をご馳走される為にだ。
「飲み物はどうされますか」
「そうだな・・・・・」
と、小田切が考えた時、
「サツだ!!」
いきなりドアの外で大声がしたかと思うと、
「裕さん!!」
それ以上の大きな叫び声の後に事務所の扉が開かれて姿を現したのは、白バイ隊員の制服を着、手にピンクの薔薇の花束を
持った小田切の可愛い犬だった。
ヤクザの組事務所にいきなり白バイ隊員が現れ、組員達はいっせいに戦闘モードに入った。
しかし、そんな空気を全く感じていないのか、宗岡はざっと事務所の中を見回して、直ぐに小田切の姿を見付けると、駆け寄って
行ってその足元に跪いた。
その光景に、ざわついていた部屋の中が静まる。
「裕さんっ!」
「・・・・・なんだ」
「お、俺と、結婚して下さい!!」
「!!」
組員達のおおっという驚きとは反対に、小田切は表情を変えずに宗岡を見下ろしていた。
「裕さんから見れば、俺はまだまだ頼りないだろうし、年下だし、警察官だしっ、でも!子供には両親が揃っていた方がいいと思
うんだ!」
「こ、子供?」
「裕さんと、裕さんのお腹にいる子と、俺の家族になってください!!」
「お、小田切監査っ、ガキがいるんですかっ?」
「ガキッてなんだ!俺と裕さんの子供だぞ!」
宗岡と組員達のやり取りを見つめていた小田切は、自分の想像以上に宗岡が男なのだと分かった。
こんな、誰が聞いても嘘だと思う男の自分の妊娠。それを本当のことだと信じ込む単純さは後々言い聞かせなければならないと
は思うが、どうすると迷うかと思った男は、きっぱりと家族になってくれと言ってきた。
(私と、こいつと・・・・・子供か)
有りえない光景なのに、何だか嬉しく思ってしまう自分がおかしい。
「裕さん!」
「監査!」
「小田切さん!」
「こいつっ、サツじゃないですか!」
「ああっ、うるせーぞ!お前ら!!」
まさか、上杉の部屋までこの騒ぎが聞こえたということは無いだろうが(どうせサボろうと思って下に下りてきたのだろう)、上杉はド
アを開け放って怒鳴った。
会長である上杉の一言に組員達はいっせいに姿勢を正したが、小田切は変わらずソファに座ったままで、宗岡も上杉を睨んでい
る。
「裕さんの身体が心配だから、このまま連れて帰りますから!」
公私共によく一緒にいる上杉に見当違いの妬きもちをやいているのだろうが、もちろん、上杉にとっては宗岡は気にするまでも無
い存在だろう。
小田切に呆れたように言った。
「そいつを連れてとりあえず帰れ。明日まで休みをやるから」
「誕生日プレゼントですか?」
「・・・・・まあ、そんなとこだ」
「では、ありがたく・・・・・哲生、帰るぞ」
「裕さん!」
この後、多分事務所内ではかなりの騒ぎになるだろうが、そんな噂を小田切は一々気にすることはないし、今は可愛い言葉を
言った可愛い飼い犬にご褒美をやらなくてはならない。
「・・・・・」
宗岡を後に従えて部屋を出た小田切は、その手に握られていた花束に視線を向けた。
「それは?」
「・・・・・ごめん、俺、プレゼントまだ買ってなくて・・・・・」
「これがそうだろう?」
マンションや事務所に送られてきた一抱えもありそうな大きな花束ではなかったが・・・・・小田切は可愛らしいピンク色のそれに
顔を近付けてにっこりと笑った。
「いい香りだ」
「・・・・・」
「ありがとう、哲生」
惚けたような表情になって自分を見ている宗岡に、本当のことを話すのはもう少し後でもいいだろう。
真面目な宗岡が勤務中に、それもヤクザの組にまでプロポーズしに来たのだ、その行動が小田切にとっては今年の誕生日のプレ
ゼントの中で一番嬉しいと感じたものかもしれなかった。
(妊娠・・・・・しようと思えば出来るかもしれないな)
end
4月1日、小田切さんの誕生日話です。
この日の嘘は午前中までにつかないといけないんですよね?可愛い犬の本心が分かって、女王様もさぞ満足でしょう。
ゆうママ・・・・・ちょっと怖いですね(笑)。