今年のゴールデンウィークは最悪だった。
父母は仕事で問題があったらしく、毎日出勤しているからだ。特別どこかに行きたいという思いはなかったが、それでも1日くらい
は一緒にどこかに行けるかもしれない・・・・・そんなふうに思っていた優希は、とうとうカレンダーの日にちが後1日で連休最終日
になると確認し、はあと溜め息をついた。
「・・・・・たかちゃんとも遊べなかったし・・・・・」
幼馴染で、高校1年生の貴央は、有段者という腕を買われて、剣道部の部活に短期参加をしているらしい。
友人の丹波(たんば)が先輩に頼まれてとか、どうとか言っていたが、優希にとっては貴央がそばにいないという事実に変わりは
なかった。
「・・・・・あいつ、僕からたかちゃんをとってばかり・・・・・」
内気な自分とは違い、貴央には多くの友人がいる。その中でも親しい丹波は貴央を振り回しているので、優希は彼のことが
好きではない。
もう一度カレンダーを見た優希は溜め息をつく。明日、何をしようか。
また今日のように、家に閉じこもってビデオを見るしかないかと思っていると、
「あ」
机の上に置いてあった携帯が鳴った。
休みの日に電話を掛けてくる人間なんて限られている。それは、優希の好きな人たちばかりなので、その瞬間にワクワクと胸
が高鳴りながら電話を手にし、その名前を見てさらに笑み崩れた。
「たかちゃんっ?」
『寝てなかったか?』
咳き込んで名前を呼んだ優希に、電話の向こうで貴央は笑っている。
本当に思い掛けない電話で、優希はギュッと携帯電話を握りしめた。
「どうしたの?」
『ユウ、明日、暇?』
「明日?」
『母の日のプレゼント、買いに行かないか?』
「母の日・・・・・」
(あ、13日なんだ)
ゴールデンウィークのことばかり考えてすっかり頭の中から抜けていたが、再来週の日曜日は母の日だ。
毎年、父と連れだって花とハンカチを買いに行っていたが、今年は父も忙しさで忘れているのかもしれない。今朝も何も言ってい
なかったと思っていると、電話の向こうで貴央がさらに続けた。
『俺、明日空いてるんだ。ユウが暇だったら付き合ってもらおうかなって思って』
「で、でも、僕でいいの?」
何時も一緒にいる丹波でなくてもいいのだろうか。
『ユウはマコのことをよく知ってるし、良い物見付けてくれるんじゃないかなって期待してる。あ、予定があるなら・・・・・』
「行く!」
貴央が引く前に、優希は慌てて返事をした。連休最後の休日、貴央と過ごせるのならこんなに良い日はない。
優希の焦った声に貴央は笑い、明日の打ち合わせをして電話を切った。10分ほどの短い会話だったが、優希の気分は一気に
上昇した。
「たかちゃんも、僕と一緒にって思ってくれたんだ」
特殊な家族同士だからかもしれない。それでも、自分を選んでくれたことが嬉しかった。
しかし、ふと、優希は別のことを考えた。もしかしたら、貴央はこの連休中に優希がずっと暇を持て余していることを知っていて、
こうして誘ってくれたのかもしれない。
父母の事情は当然真琴も知っているだろうし、そこから貴央に話がいってもおかしくなかった。
「・・・・・」
(・・・・・理由なんて、いいもん)
結果、貴央と一緒にいられる。それが、一番大切なことだった。
翌日、午前11時に、優希は新宿駅までやってきた。
最初、貴央はマンションまで迎えに来てくれると言ったが、待ち合わせがしたかったので無理に頼んでここにしてもらったのだ。
「あ」
約束の10分前に着いたのに、既に貴央はいた。
シンプルなシャツに、ジーパン姿。でも、すらりとしたバランスの良いスタイルは際立っていて、通りかかる女の子たちばかりか、
随分年上の女の人たちの視線も集めていた。
貴央がモテることは知っているものの、この状況はやはり面白くない。優希は小走りに近づき、
「たかちゃん!」
子供っぽい呼び方で貴央を呼んだ。
「ユウ」
直ぐに貴央はこちらを向いてくれる。同時に、周りの視線も一斉に集まるのを感じて、優希の足は唐突に止まってしまった。
そんな優希の心情を良く知ってくれている貴央はそのまま近づいてくると、俯く優希の頭をポンポンと叩いてくれる。何時もの優
しいしぐさに、優希はようやく顔を上げた。
「お、遅くなってごめんね」
「時間より早いぞ」
「でも、たかちゃん、もう来てたし」
「俺は近くまで連れてきてもらったから。ちょうどマコが出掛けるって言ってさ」
貴央の父の職業柄、その家族である真琴と貴央にはそれぞれ護衛がついていると聞いたことがある。
まだ学生の貴央は通学や遊びにまで、けしてあからさまに姿は見せないものの何時も側にいると苦笑していた。
多分、今回のことも、その守ってくれている人たちからすればずいぶん手間がかかることだろうが、それでも貴央が誘ってくれ
たことは素直に嬉しかった。
「何買うか決めたか?」
「ううん。たかちゃんは?」
「まだ。マコ、何が欲しいって言わないしなあ」
貴央はそう言いながら、優希の背中を軽く押す。
「時間はあるし、ゆっくり考えながら探そう」
「うん」
改めて、今日はたっぷりと貴央と一緒にいられることがわかって、優希は弾んだ気持ちのまま頷いた。
「お気をつけて」
「すみません」
自分の勝手で出掛けるというのに、わざわざ大人が付いてきてくれることが申し訳なくてたまらなかった。
それでも、遠慮する方が相手を困らせることもわかっていたので、貴央は素直に車に乗って新宿までやってきた。
ここからは、組員は貴央の目の届かない場所へと向かい、陰から守ってくれる。巨大な組織の中枢にいる父や、その父の伴
侶である母は狙われる可能性はあるかもしれないが、自分などに危機が襲いかかるなんてとても考えられないが・・・・・。
「・・・・・」
貴央は腕時計を見た。まだ、待ち合わせの時間には早い。
それでも、優希は遅れることはないんだろうなと苦笑していると、
「たかちゃん!」
高い声で名前を呼ばれ、顔を上げた貴央は振り向いた。
「ユウ」
茶色い、柔らかな髪をふわふわと揺らしながら、優希は必死な形相でこちらを見ている。いったいどうしたのだろうと思ったが、
足が止まってしまった優希の代わりに自ら歩いて近づいた。
中学生になったばかりの優希はまだ身体のつくりも華奢で、今日のようにイエローのパーカーに綿のハーフパンツをはいてい
る姿は、一見して女の子にも見える。そう言えばまだ声変りもしていないので、ますます誤解されているかもしれない。
実際の優希はかなり頑固で、少し考え過ぎる面はあるものの、女々しい性格とは思わなかった。そう誤解されるのが一番嫌
だと本人も言っているほどだ。
「行くぞ」
「うん」
貴央が声を掛けると、子犬のように尻尾を振りながらついてくる優希の姿に、貴央の頬には自然に笑みが浮かんだ。
「何するかなあ」
「カーネーションはあげる?」
「マコは、花より団子」
「・・・・・僕のママも」
「倉橋さんの欲しいものは難しいよな」
感情の機微がわかりやすい真琴とは反対に、優希の母親である倉橋は感情が読めないタイプだ。
真琴と同じように、男の身で優希を出産した倉橋は、一見母性とは無縁なほど冷淡な美貌の主だ。しかし、その彼がどんな
に優希のことを大切にしているか、父や真琴を始め、綾辻からも聞いている貴央は、彼を見る目を変えた。
ただ、優希を大切にしていることと、これとは話は別だ。感情が読みにくいということは欲望さえも綺麗に隠すタイプで、そんな
彼の喜ぶものを用意したいという優希の希望はかなり難しいだろう。
「ユウは何時も何を贈ってるんだ?」
取りあえずはリサーチしておこうと、貴央は訊ねた。
「えーっと、僕は、花とハンカチ。パパと買いに行くんだ」
「今年もそれにしないのか?」
「中学生になったんだし、もっとちゃんとしたものを贈りたいなって思ってる」
優希も、色々考えているらしい。
連休中ということもあり、新宿は人でごった返していた。
「あぅっ」
「ユウ」
人波に流されて、はぐれそうになった優希の腕を慌てて掴んだ。
「手は繋いでおいた方がいいみたいだな」
「え?」
「迷子になったら大変だし」
いくら携帯電話で連絡が取れても、一度はぐれたらそれだけ時間が掛かってしまう。それなら最初からしっかり手を繋いでいた
方がいいかと、貴央は優希の右手を掴んだ。幸いに、といったら優希には申し訳ないが、彼の外見のおかげで男同士で手を繋
いでいるようには見えないだろう。
「た、たかちゃん」
「腹減らないか?何か食べよう、奢る」
「ご飯?ぼ、僕、ハンバーガーがいい!」
「バ〜カ、もう少し高い物でも大丈夫だって」
真琴へのプレゼント代とは別に、ちゃんと軍資金は持ってきている。せっかく久しぶりに優希と会うので、彼とも楽しく遊びたい
と思っていたからだ。
「スパとか、ピザ・・・・・ラーメンは、嫌か?」
頭の中に浮かぶメニューを口にしながら、貴央はどんどん歩く。
「ユウは、本当は何が食べたいんだ?」
「・・・・・オムライス」
「よし」
相変わらず好きなものは変わらないんだなと、貴央は辺りを見回した。
貴央が連れて行ってくれた店は、個人の小さな喫茶店だった。
通りから二本も中に入った場所にあり、どうしてこんな場所を知っているんだろうと不思議に思ったが、優希が訊ねると貴央は直
ぐに種明かしをしてくれた。
「丹波に教えてもらった」
なんと、優希の嫌いなあの男に、この店を教えてもらったらしい。
遊び人の丹波は色んな店を知っていて、貴央は優希が好きそうな店をあらかじめ聞いてくれていたのだ。
貴央の気持ちはすごく嬉しいが、その手助けをしたのが丹波だというのはとても複雑で、優希の眉間には少しだけ皺が出来
てしまった。しかし、その皺は運ばれてきた皿を見て直ぐに解消されたのだ。
「どうだった?」
「美味しかった!卵もトロトロで、ソースもすっごく美味しくてっ。中のご飯、ケチャップ味だったでしょ?僕、あの味が一番好きな
んだっ」
「そっか。気にいってもらって良かった」
店を出てからずっとオムライスの感想を言い続けた優希に呆れもせず相手をしてくれた貴央は、丹波にも礼を言わなくちゃいけ
ないなと言う。さすがに、今度は嫌だとは言えなかった。
「さてと、今度はプレゼント選びだな」
「うん!」
本来の目的に、優希は即座に頷いた。
2人とも買うものが決まっていないので、気になる店には積極的に入った。
「まさか、定番のエプロンなんて買えないし」
「・・・・・ママに怒られそう」
「怒るか?」
「・・・・・怒らないかもしれないけど、でも、困ると思う」
家事が苦手な母は、家の中でもエプロンは滅多に着けない。自分は似合わないからと言っていたし、その代わりに父が嬉々とし
て可愛いエプロンを身につけている。
優希がプレゼントをすれば受け取ってはくれると思うが、複雑な思いになりそうなものをわざわざ贈りたくはなかった。
「じゃあ・・・・・ネクタイとか?」
「お小遣い、そんなにないし・・・・・」
予算は三千円。父も母も、身に着けているのは高そうなものなので、そんなお金ではとても買えそうにない。
(それに、直ぐに誕生日もあるし)
父と母の誕生日は近いので、その日のためにもお年玉は取っておきたいのだ。
「・・・・・やっぱり、ハンカチしかないかなあ」
「・・・・・まだ決めるなよ」
「たかちゃん」
「きっと、ユウの満足するものが見つかるから」
励ましてくれた貴央に頷き、優希はまた新しい店に入った。
贈るのは、身に着けるものがいいと漠然と思う。
安いもので言えば、ハンカチや靴下。探せばネクタイもあるかもしれない。
気づけば、貴央は一緒になって優希の母へのプレゼントを考えてくれていた。何も案がないままで時間だけ過ぎていくのが申し
訳なく、優希は繋いでいた手を軽く引っ張った。
「たかちゃん、マコさんへのプレゼント、考えていいよ?僕はやっぱり花とハンカチにするから」
「でも」
「本当にいいから」
中学生になったから、大人の気分になりたいと思う自分が間違っていたのだ。まだ中学生になったばかりの自分は、小学生と
たいした変わりはない。
「・・・・・」
貴央が、こちらを見ている。何でもないふりをして笑い掛けようとした優希は、ふと視線を動かした先に何かが引っ掛かったよう
な気がして足を止めた。気のせいかと思ったが、どうしても気になってもう一度視線を向ける。
「ユウ?」
「・・・・・あれ」
そこは、雑貨屋だ。店先にも色んな小物が並べられていたが、優希が気になったのは店のウインドーから覗く棚に置かれたも
のだった。
「たかちゃん、あの店に入っていい?」
自然と、声が弾んだ。
優希は繋いでいない方の手で大切そうに小さな紙袋を持っている。
何度もそれに目をやり、嬉しそうに笑っている優希を見下ろして、貴央も楽しい気持ちになった。
「見つかってよかったな」
「うん!」
優希が見付けたプレゼントは、キーケースだった。
革で出来ているのに優希の予算で買えたのは、それが一つ前の型だったことと、多分、キラキラとした目でそれを手にしながら
値段を聞く優希を見て、初老の店主が値引きをしてくれたのだと思う。
母の日のプレゼントにしては風変わりだが、これが優希と倉橋の関係では一番しっくりいくもので、最終的にこれが見つかっ
て良かったと貴央も喜んでいた。
「後はたかちゃんのだね」
「う〜ん」
「どうしたの?」
「俺、花にしようかって思って」
「花って、カーネーション?」
最初に否定したものをどうして選んだのか、優希は不思議そうに首を傾げる。貴央自身、そこに明白な理由を見つけられなかっ
たが、それでもなんとなく思ったことを口にした。
「母親としてのマコに、ちゃんと感謝してるって伝えたくてさ」
今までは、意識的にカーネーションを贈ることを避けていたように思う。母親である真琴は男なのだから、あの花を贈るのは違
うのではないだろうかと。
幼かった日は別にして、小学校高学年からそう思うようになっていた貴央は、無理矢理母という存在と真琴を切り離して考え
ていた。もちろん、真琴を母親として愛しているが、自分たちは普通とは少し違う家族なんだからと思うようにして。
でも、今日の優希を見ているうちに、少しだけ気持ちが変わった。
(感謝の気持ちをちゃんと伝えたいって)
「今さらカーネーションとか贈ったら驚きそうだけど」
「そんなことないよ!きっとマコさん、喜ぶよ!」
「・・・・・うん」
きっと、真琴は嬉しそうな笑みを向けてくれる。貴央も、そう信じられた。
「今日はありがとう、すっごく楽しかった!」
「俺も、楽しかった」
夕方、貴央を迎えに来た車に便乗させてもらい、自宅マンションまで送ってもらった。車中では、人が気になってなかなか話す
ことが出来なかったが、マンションの前に着き、貴央がエントランスまで付いてきてくれた時、優希はちゃんと礼を言うことが出来
た。
どこにも連れて行ってもらえず、退屈なだけだったゴールデンウィークだったが、最後の最後で大好きな貴央と、大好きな母のプ
レゼントが選べた。本当に、いい1日だった。
「渡す時が楽しみだな」
「うん、ドキドキしてる」
「でも、楽しみなドキドキだろ?」
「・・・・・そうかも」
優希は胸に手を当てる。こんなドキドキなら、何時までも感じていたいほどだ。
「じゃあ、また明日な」
「うん。送ってくれてありがとう」
手を振り、車に乗った貴央もこちらを振り返る。お互い手を振って別れると、優希はエレベーターに乗り込んだ。
「あ」
自分で鍵を開けてドアを開いた優希は、玄関先に見慣れた靴があるのを目にする。何時になるとは言っていなかったが、思っ
たよりも早く母は帰ってきてくれたようだ。
「優希?」
部屋の奥から声が掛かり、優希は慌ててただいまと言った。
「手洗いとうがいをちゃんとしなさい」
「は〜い」
そのまま優希は洗面所ではなく、自室に戻って机の一番下の引き出しに、今日買ったばかりのプレゼントをしまった。勝手に引
き出しを開けられることはないので、来週の日曜日まではバレないだろう。
これを渡した時、母はいったいどんな顔をするだろうか?
(マコさんも、きっとすっごく喜ぶだろうな)
「よし」
早く手洗いとうがいをして、仕事で疲れている母の手伝いをしよう。
優希はワクワクなドキドキを胸の中に抱いたまま、頬から笑みを消さずに部屋を出た。
end
貴央&優希。
時期的に、母の日のプレゼント探し。