拍手ありがとうございます。短いお話ですが、どうぞ楽しんで下さい。
携帯が2度鳴って止まった。それは地下駐車場に着いたという合図だ。
宇佐見貴継(うさみ たかつぐ)はスーツの上着をはおってもう一度ネクタイに手をやってから、足早に自室から出た。
5月3日。世間ではゴールデンウィーク真っただ中だが、警視庁に勤める宇佐見にとってはまったく関係ない。
警視庁組織犯罪対策部という部署は、特にこんな大型の休みの時には警戒しなければならない部署だった。
「・・・・・」
そのまま玄関に向かおうとした宇佐見だったが、ふと足を止めて向きを変える。
今朝は朝食の時も姿を現さなかった同居人。出掛ける前にその顔を見たいと思ったのだ。
トントン
多分、まだ眠っているだろうが、礼儀としてドアをノックする。返事はないと思ったが、
「ふぁ〜い」
「・・・・・」
意外にも、眠そうに目を擦りながら、同居人、紺野雅人(こんのまさと)が姿を現した。
「すまない」
「へ?」
「せっかく寝ていたのに、起こしたか」
高校教師である雅人は、基本的に祭日は休みだ。ただし、完全な休みではなく、遅くに出勤して仕事をする場合も多々ある
らしいが、今日は完全な休日だと昨夜話していた。
まったく職種は違うものの、雅人の仕事がいかに多忙か、同居してから宇佐見は間近に見て知っている。だから、出来るだ
け休日はゆっくり寝かせてやろうと思っていたのだが・・・・・。
(顔を見たいなんて思わなければよかった)
ちょっとした自分の我儘で雅人を起こしてしまったことを後悔した宇佐見だったが、雅人はもう起きぬけの寝ぼけた顔から何
時もの笑みになって言った。
「起こしてもらってちょうど良かったです」
「よかった?」
「せっかくの休みなのに、昼近くまで寝ていたらもったいないし。宇佐見さんは今から仕事なんでしょう?世間は休みなのに
お疲れ様です」
気を使わせたなと思う。だが、多分これは雅人にとっては普通のことなのだろう。だとすれば、その気持ちを素直に受け止め
た方がいいかもしれないと、今までの生活の中で学んだ宇佐見は頷いた。
「今日は早く帰る」
「そうなんですか?」
雅人はそう言った後、少し考えるように黙ってから、それならと言葉を継ぐ。
「じゃあ、待ち合わせしませんか?」
唐突な言葉に、宇佐見は僅かに目を見開いた。
「俺は休みだし、宇佐見さんも早く帰れるなら、たまには外で夕飯食べませんか?良かったら塚越(つかこし)さんを誘っても
らってもいいし」
思い掛けない雅人からの誘いは、宇佐見には非常に魅力的なものだった。
普段は上司と打ち合わせを兼ねた会食くらいしかせず、同僚と飲みに行くことすら滅多にない宇佐見にとって、待ち合わせて
から食事をするという《約束》はじんわりと胸を熱くしてくれる。
しかし、一方で雅人の口から自身の補佐である塚越の名前を聞くと、どうしても面白くない思いが強くなった。わざわざ外で
食事をするのに、どうして何時も顔を合わせている塚越を誘わなくてはならないのか。もしかしたら、雅人は自分だけでは物足
りないと思っているのかもしれないとまで思え、どんどん気分は下降線をたどる。
「宇佐見さん?」
「それは・・・・・」
宇佐見が応える前に、インターホンが鳴った。もう、塚越が迎えに来たらしい。
「あ、時間ですよ」
「雅人」
「ほら、急がないと塚越さんを待たせちゃいますから」
返事をする前に背中を押され、宇佐見は玄関までやってくる。渋々靴をはいた宇佐見は、玄関の鍵を開けた後、少し間をおい
てから振り向いた。
「塚越は誘わない」
「え?」
「食事は2人で、だ。いいな?」
「あの・・・・・」
雅人がどんな返事をするのか聞きたくなくて、そのままドアを開けて外に出た。
「・・・・・」
「・・・・・」
隣に座っている塚越が、何か言いたげな視線を向けてくる。会ってから短い挨拶以外口を開かない宇佐見を不審に思ってい
るのだろうが、今口を開けば理不尽なやつあたりをしそうなのでどうしても何も言えなかった。
「・・・・・」
「・・・・・」
警視正という立場上、宇佐見には補佐である塚越と運転手、後もう1人の部下が同行している。
第三者がいる中で宇佐見がこんなあからさまな不機嫌な様子を見せることはなかったので、皆驚きと共にどう対応していいの
かわからないらしい。
それがまた、宇佐見の神経を逆なでしていたのだが、車が動き出してしばらくして、塚越の方から切り出した。
「何かありましたか?」
「・・・・・」
「紺野さんと」
「ない」
即座に否定する方が怪しいと、言ってから後悔してしまった。
「では、何も言わない方がよろしいですね」
「塚越」
「今日のスケジュールの確認をします」
宇佐見の不機嫌の要因がわかって納得したのか、塚越は直ぐに何時もの態度に戻る。
なんだかあしらわれたような気がしてまたしてもムッとしたが、今度こそそれを表情に出さないように自身を律した。
思ったよりも早く起きたが、良い天気だったので思い切って布団を干した。
宇佐見のものはどうしようかと思ったが、彼もお日様の匂いがする布団に寝て欲しいと思ったので、「お邪魔します」という言葉
と共に部屋に入ると、彼の布団もベランダに干した。
「よし!」
几帳面な宇佐見の部屋はとても整頓されていて、何時掃除しているのかと不思議に思う。でも、多分潔癖ではないだろう、
こうして雅人が部屋に入ることを容認してくれているからだ。
同居を決めた時、彼の仕事柄部屋に鍵を付けるのは当たり前だと思っていた。しかし、宇佐見はそれをせず、用があれば勝
手に中に入ってもいいとまで言ったのだ。
もちろん、雅人は他人のプライベートを覗いて楽しむような性質ではないので、ごくたまに洗濯物を持っていったり、布団を干す
ために入る以外は足を踏み入れはしないが、何時来てもそう思っていた。
「ま、いっか」
それだけ、宇佐見が自分のことを信用してくれているのだと思えば嬉しい。雅人は気持ちを切り替え、今度は風呂掃除をする
べく、足取り軽く部屋の外に出た。
風呂とトイレ、リビングの部屋も掃除し終えると、時間ははや昼になっていた。
「うわっ、もうこんな時間か」
急がなければならない。お茶づけで簡単に食事を済ませると、雅人は急いで近くのスーパーに向かう。
今夜は外食しようと宇佐見を誘ったが、明日の朝食用のおかずは買っておかなければならない。宇佐見と出掛けた時に買って
もいいのだが、それだと絶対に宇佐見が支払いをするのだ。
生活費も、最初の取り決めよりも取ってくれないし、こんな些細なことだが男としてのプライドを満足させたかった。
「あ、餌も買っておくか」
ついでに、金魚の餌も買いに行く。
これをやりながら水槽を覗く宇佐見の顔を想像し、雅人は自然と頬が緩んだ。
「・・・・・はい、わかりました」
電話を切った宇佐見はほっと息をついた。
内定していた案件が上手く行った報告を受け、それを上司に電話で伝えたのだ。宇佐見以下、現場の人間は休みも何もない
が、もっと上の立場の人間は呆れるほどに優雅な休日を過ごしていた。
それを、理不尽だと思うことはない。適材適所、上司が現場に出てしまったらどんなに荒らされるか直ぐに想像がつくので、彼
らが姿を現さない今の状況が一番理想的なのだと思えた。
その電話が終えるのを待っていたかのようにドアがノックされ、塚越が入ってきた。
「いかがでしたか?」
「報告書は来週の月曜日に持って来いとのことだ」
「連休明けですか」
塚越の返事も、ごく当然だという響きがある。彼も、きっと宇佐見と同じことを考えているだろう。
「まとめておいてくれ」
「はい」
デスクの上は今さら片付けなくても整頓している。
宇佐見は壁時計を見上げてから立ちあがった。
「警視正」
「お前も今日は帰っていい」
「出掛けられるんですか?」
「・・・・・それが?」
「いえ」
誰と、など、聞き返すほど塚越は無能ではなかったらしく、頭を下げて労いの言葉を掛けてきた。しかし、その口元が僅かに緩
んでいるのが視界の端に入ってくる。
(・・・・・食えない奴だ)
そのことを宇佐見が問い詰めることなど出来ないことを見越しているのだろう。有能だが、本当にやり難い男だ。
雅人との約束の時間は午後6時。
メールで場所まで指定され、宇佐見は運転手に告げてそこまでやってきた。心配する運転手を帰らせ、待ち合わせの場所に早
足で向かっていた宇佐見は、
「・・・・・」
視線の先に、求める姿を見つけた。
どうやらそこは待ち合わせの定番の場所なのか、雅人以外にも何人もの人間が時計を見たり、携帯電話で話していたりする。
しかし、雅人は花壇のブロックに軽く腰を掛けて本を読んでいた。景色に溶け込んでいるものの、けして埋没していない。本を読
んでいるというのも雅人らしく、宇佐見は自然に足を速めた。
「・・・・・」
宇佐見がその場所に近づくにつれ、向けられる視線は多くなる。連休の最中、スーツ姿という堅い格好が珍しいのだろうが、
仕事帰りなのだから仕方がない。
やがて、直ぐ目の前に立っても、気づかない雅人。
「・・・・・」
声を掛けてもいいのかどうか、迷う。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「あの、お1人ですか?」
すると、宇佐見の背後から2人組の女が声を掛けてきた。どうやら、ただ宇佐見が突っ立っていると思ったらしい。
返事をせずに雅人を見下ろしていた宇佐見は、女の声にふと顔を上げた雅人が自分の顔を見、表情を和らげたのを確認して
ホッとした。
どうやら忘れられてはいなかったようだ。
「声を掛けてくれたらよかったのに」
「・・・・・」
「お仕事、お疲れさまでした」
「ああ」
立ちあがった雅人は、宇佐見の背後に目を向ける。
「ごめん、彼と待ち合わせしてるから」
「あの、2人なら一緒に」
「ん〜、男同士の内緒の話があるから、ごめんね」
雅人のやんわりとした断りの声に、女たちは諦めてくれたらしい。去っていく2人を見送ってから、雅人の手が宇佐見の腕に軽
くかかった。
「行きましょうか」
雅人が選んだのは居酒屋だ。
同僚と良く行く和食の創作料理屋で、リーズナブルな値段だが美味しい店だった。ただ、宇佐見によく連れて行ってもらう店とは
何ランクも違うので少し不安だったが、自分の懐と相談するとここが一番最適なのだ。
「いらっしゃい!」
威勢の良い声に出迎えられ、雅人は予約を取っていたことを告げる。座敷に案内され、ビールを頼んでから、それまで黙ってい
た宇佐見に向かって笑いかけた。
「ここ、俺が気にいっている店なんです。宇佐見さんの口にも合うといいんだけど」
「雅人の味覚に間違いはない。それに、こういった店には来たことがある」
「・・・・・」
同じ居酒屋でも、きっと《高級》が付く所だろう。
それでも、そう言ってくれた宇佐見の気持ちを尊重し、雅人は運ばれたグラスを持ち上げた。
「じゃあ、今日もお疲れさまでした」
「雅人は休めたか」
「ゆっくりさせてもらいましたよ」
次々と運ばれてくる料理を端から片付けながら、雅人は宇佐見の言葉に返事を返す。
ごく普通の休日だったが、宇佐見はその普通を知りたがって、雅人は自分が今日したことを母親に伝える子供のように説明をし
た。
「いつもおざなりにしか出来なかった掃除もしたし、あ、宇佐見さんの部屋に入ったんですけど」
「構わない」
「相変わらず綺麗な部屋ですよねえ。宇佐見さんの部屋を見てから自分の部屋に戻ると落ち込んじゃいますよ」
雅人は片付けベタというほどではないものの、ごく一般的な独身男子並みの整頓しかしない。時々、思いきったように全部ひっ
くり返して掃除をし、途中で諦めてしまうこともしばしばだった。
そんな雑然とした部屋と、宇佐見の綺麗な部屋を比べること自体、無謀なのかもしれない。
「雅人はきちんと片づけているだろう」
「え?」
「お前の負担を考えると、本当ならハウスキーパーを雇うのがいいんだろうが・・・・・」
「ま、待ってくださいっ」
確かに、同居するマンションは広いが、第三者の手を借りなければならないほどだだっ広いわけじゃない。掃除をするのは苦痛
ではないし、そんな勿体ないことなんて考える方が怖い。
「宇佐見さんが構わないなら今のままがいいです」
「・・・・・そうだな」
どうやら、宇佐見もホッとしたらしい。
2人の生活空間に人を入れたくないと思ってくれているんだなと思うと、なんだかくすぐったい思いがした。
ほどほどに飲んで、たらふく食って。
そろそろ帰ろうかと座敷を出た雅人はそのままレジに向かったが、そこで思い掛けないことを言われてしまった。
「もう頂いています」
「・・・・・へ?」
「先ほど、お連れ様から」
「・・・・・あ」
(さっきだ!)
お手洗いに立った宇佐見の帰りが少しだけ遅かったのは、先に会計を済ませたからだ。
今日は自分から誘ったし、会計ももちろん自分持ちのつもりでいたのに、こうもスマートにやられてしまうと文句を言うことも出来
ない。
「帰るぞ」
レジの前で眉間に皺を寄せていた雅人の肩を、後からやってきた宇佐見が軽く叩いて促した。
「・・・・・宇佐見さん」
「ん?」
「・・・・・ご馳走様でした」
雅人は頭を下げる。
「こっちこそ、誘ってもらって・・・・・ありがとう」
自分が奢って、礼を言うというのはどこかおかしい。でも、これがきっと、宇佐見なりの優しさと気遣いなのだ。
(今度、すっごく豪華な朝食にしてやろう)
自分だって、宇佐見に何かしてやりたい。年上で、地位も収入もずっと上の相手だが、対等でいたいと誓った気持ちは今もも
ちろん変わらなかった。
「あ」
タクシーを拾おうとした宇佐見は、急に声を上げた雅人を振り返った。
「忘れものか?」
しっかりしているようで、どこか抜けている雅人。もう一度引き返そうとすると、雅人は慌てて腕を掴んできた。
「違いますよ。さっき、言い忘れてて」
「・・・・・」
「宇佐見さんの部屋に入ったって言ったでしょう?今日、すごくいい天気だったから布団干しておきました。きっと、いい匂いが
すると思いますよ」
「そうか」
実家では、布団乾燥器だったので、宇佐見が日に当てた布団の温かさと匂いを知ったのは雅人と知り合ってからだ。
気持ちが温かくなって、ホッとして、宇佐見も自分でも干そうと思うのだが、休みの時は何時も天気が悪く、布団を干すのは自然
と雅人の役割になっていた。
「何時も・・・・・」
すまないという言葉は、雅人に次の言葉に遮られる。
「今度、干したばっかりの布団にごろ寝しませんか?」
「ごろ、寝?」
その図が、頭の中にうまく浮かばなかった。
「夜眠る時も気持ちいいけど、取りこんだばっかりの布団は抜群に気持ちいいですから。ね?」
日中に、布団の上で自堕落に眠る。母親が聞けばすぐさま叱責し、みっともないと言いそうなことだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
でも。
「・・・・・明後日、晴れるだろうか」
「明後日、休みなんですか?」
正確には、昼まで確認しなければならないことがあるので出勤しなければならないが、布団を取り込む時間には間に合いそう
だ。せっかく魅力的な誘いをしてくれた雅人の気持ちに直ぐにでも応えたかったし、同じゆっくりとした時間を過ごしたいという欲求
が急速に膨らんだ。
確か、雅人は明後日も休みのはずだったが・・・・・。
「早く帰る」
「じゃあ、テルテル坊主でも作りますか」
笑う雅人の言葉に、またしても頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。
「雅人、その・・・・・」
また新しい言葉を教えてもらうために、宇佐見は雅人の顔を覗き込んだ。
日、一日と、知らないことが増え、その意味を知ることが・・・・・嬉しかった。
end
宇佐見さんと雅人の、ごく普通の休日の過ごし方。
関係が深まるまで、まだ、もう少し(苦笑)。
お気軽に一言どうぞ。お礼はインフォに載せます。
回答がいる方は、その旨書いておいて下さい。 もちろん他の部屋の話でもOKですよ。