(知らないから仕方ないけど・・・・・)
芳樹はやっと次のテストに向かった新田の後ろ姿を見送りながら、はあっと深い溜め息を付いた。
「茅野って、クラブ何部?」
普通ならば何の問題もない問いに、茅野本人よりも芳樹の方が敏感に反応してしまった。
(もう1年以上も経つのに・・・・・)
それでも尚色褪せない強烈なあの夏の悪夢・・・・・。
当事者でない芳樹でさえ、今だ生々しい傷を抱いている気がしているのだ。茅野の心中はどれ程の思いが渦巻いている
か、想像しようにも出来ない。
いや、してはいけない気がする。
(茅野の痛みは茅野自身でしか癒せないし・・・・・)
もどかしく感じるが、だからこそ茅野だとも納得出来た。
「何難しい顔してるんだ?」
「え?」
慌てて我に返った芳樹は、直ぐ間近にあった茅野の顔にドキッとして思わず後ずさったが、下に置いていた誰かのジャージ
に足を引っ掛けてしまい、その場にみっともなく尻餅を付いてしまった。
「何やってんだ?お前」
「い、いや、あはは」
「あははじゃないって。足怪我したらどうすんだ」
少し怒ったように言った茅野は、無造作に片手を差し出す。
ありがたくそれに掴まって立ち上がった芳樹だが、茅野は更に顔を顰め面にしていた。
「何?」
「何って、重いんだよ!ずうたいばっかでかくなって、お前ちゃんと飛べるのか?」
「任せてよ」
それだけはと自慢げに胸を張る芳樹は、こう見えてもハイジャンパーの選手だ。その長身を生かしたダイナミックな跳躍は
茅野の目から見てもカッコ良かったが、当の本人は部活以外はまるでナマケモノのようにスローだ。
「ここでも陸上やるんだろ?」
「うん、今日入部届け出すつもりだけど・・・・・」
(茅野はどうするんだろ)
故障でサッカーを辞めたわけではない茅野は、高校という新天地で再びボールを蹴るのだろうか?
見ている方も身体中の血が沸き立つような、あのドキドキする瞬間を感じるような茅野のプレーを再び見ることが出るのだ
ろうかと、芳樹は思い切って聞いてみた。
「茅野はクラブ、どっか入る?」
「いや、入らない」
「・・・・・そっか」
目に見えて落ち込んだ顔をする芳樹の頭を軽く殴り、茅野は何時もの悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ば〜か。お前の考えてるような理由じゃないって」
「でも・・・・・」
「あそこで辞めた事を俺は後悔していない。だから、未練たらしく時間を取り戻そうともう一度球を蹴るつもりもない」
「・・・・・」
「なんか、気い遣わせちまったな」
「全然!じゃあ、俺のジャンプ見に来てよ!茅野が来てくれたらもっと高く飛べる気がする!」
「なんだよ、俺は馬の餌か?」
「よし!約束!」
そう言いながら背中におぶさってきた芳樹を、茅野は笑いながら振りほどこうとする。
「重いんだって!お前は〜」
中学1年生の時、ほとんど同じ身長だった2人は、今や芳樹が軽く追い抜かし、横も縦も茅野をすっぽり包めるぐらいに
成長した。
運動を辞めてからめっきり筋肉も落ちてきた茅野とは、きっと体重も驚くほど違うだろう。
(あ〜、抱き心地いいな〜)
重い、豚などと茅野が罵声を浴びせてくるが、がっしりとその身体を拘束して悦に浸っている芳樹の耳には可愛い囀りとし
か聞こえない。
(独り占めしたいよな〜)
そんな願いは、茅野家の長男三男がいる限り無理だと分かっている。
しかし、学校では2人はいない。
「小林!離せって!」
この場所では、あの兄弟達よりも誰よりも自分が茅野の傍にいるのだと、芳樹は暴れる茅野を宥めながらも、なかなか手
を離そうとはしなかった。
end