ACCIDENT
プロローグ
『悪い、タロ、今日もキャンセルだ。今度は絶対時間を作るから、美味いもん食いに行こうな』
「うん、いいよ、気にしないで」
笑いながらそう言った太朗だが、携帯の電源を切った途端に眉をへの字にしてしまった。
「今日で3度目じゃん・・・・・」
日課のようになっている、飼い犬ジローの散歩途中の公園デート。学生の自分と、一応社会人の上杉とはなかなか時間が合わ
ないので、夕方のその僅かな時間は大切な逢瀬の時間だった。
太朗にしてみれば、上杉が連れて行ってくれる美味しい食事ももちろん、時折手土産に持ってきてくれる珍しい菓子や懐かしい
駄菓子も楽しみだが、何よりも上杉に会えることが一番嬉しいことだった。
(でも、何だろ・・・・・そんなに忙しいのかな)
苑江太朗(そのえ たろう)は高校2年生の少年だ。
身体は小柄ながら元気一杯で、学校ではみんなに可愛がられているマスコット的な存在だった。
その年頃にしてはまだ精神的に幼く、女の子と付き合うよりは男友達と遊んだり、家のペット達と遊んでいる方がはるかに楽しいと
思っているぐらいだ。
そんな太朗の恋人は、上杉滋郎(うえすぎ じろう)・・・・・そう、それは太朗と同じ男、同性の恋人だった。
男同士というだけでも友人達にも言えない秘密の恋人だが、上杉には更に大きな秘密があった。上杉の肩書きは、最大指定
暴力団大東組系羽生会の会長なのだ。
今年36歳になったばかりの会派の会長と言うのは若い方らしいが、そんな特別な世界の詳しい事は太朗はよく分からない。
大切なのは、自分が上杉を大好きなことと、上杉も自分を好きでいてくれること。
高校2年生の自分がセックスも込みのお付き合いをしているのは少し早いかもしれないが、大好きな上杉の腕の中にいるのは
とても心地良く、キスも好きだが、セックスだって嫌いではなかった。
もう、出会って1年以上、太朗は 上杉の全てを知っていると胸を張れるわけではないが、自分の目で見てきた上杉の全ては信
じられるし、大好きだと思っていた。
楽しかった夏休みも終わり、太朗は二学期を迎えた。
クラブ活動はしていないが、毎日ペットの世話や上杉とのデートで忙しい日々を送っている・・・・・と、言いたいところだったが、どう
も上杉の様子がおかしかった。
どんなに忙しくても、週に三日は会っていた夕方デート。
それはただ数十分会って話すだけだったり、夕食に連れて行ってくれたりと、上杉が取れる時間によって違うが、そのデートが今日
で3回続けてドタキャンになってしまった。
理由を訊ねても、
「悪い」
と、ただ謝るだけで、太朗もそれ以上聞く事は出来なかった。
もしも、上杉の仕事に関することだったら、太朗に口出しをする事は出来ないことも分かっている。
それでも、はっきりしない上杉の言葉に、太朗はもやもやとした疑問が湧き上がるだけだ。
「何か・・・・・隠してる?」
(俺に言えない何かがあるのかも・・・・・)
「う〜ん・・・・・」
太朗は切ってしまった携帯電話を見つめながら小さく唸ってしまった。
「なんかさあ、ジローさんが俺に黙って何かしてる感じがするんだ。どう思う?」
「・・・・・どうって、俺に聞くか?」
翌日の昼休み。
屋上で弁当を食べながら何気なく言った太朗の言葉に、中学からの親友である大西仁(おおにし ひとし)は呆れたように溜め
息をついた。
これでも、自分は太朗のことを友達として以上好きなのだし、それとなく太朗にも伝えているはずだった。
しかし、鈍い太朗は大西の気持ちに少しも気付いてくれず、更にというか、いつの間にか太朗を横から攫って行ったあの大人で
嫌味な男のガードも固く、今のところ大西は親友という地位に甘んじていた。
もちろん、この先何があるか分からないし、出来れば太朗には自分を好きになってもらいたい(太朗に言えば好きだぞと呆気なく
言うだろうが)大西にとっては、この話題はあまり面白いものではなかった。
ただ、太朗の浮かない顔を見るのは大西としても面白くないので、つい慰めるようなことを言ってしまう。
「多分、仕事だって」
「・・・・・そうか?」
「あれでもやり手なんだろ?」
「・・・・・うん、だと思う」
「気にする事はないんじゃないか?」
(どうして俺があいつのフォローをしないといけないんだ?)
太朗はパクッとウインナーを頬張りながら、何かを考えるように眉を寄せていた。
自分の感じている根拠の無い不安と、信用出来る大西の言葉を秤に掛けているのだろう。
「・・・・・そっかな」
やがて、太朗は縋るような目を大西に向けてきた。
何時もの元気一杯な太朗とは全く違う、どこか頼りなげで幼い表情に、大西は内心ドキッとしてしまった自分の心を誤魔化すよ
うに笑い掛けた。
「あのおっさん、タロにベタ惚れなんだからさ、お前の方が振り回さないでどうするんだよ」
「・・・・・うん、ありがと、仁」
「礼を言われても困るんだけどな」
(俺としては別れて欲しいくらいなんだから)
少しばかりの後ろめたさも感じ、大西は残った弁当を口にかき込んだ。
そして、また翌日。
大西の言葉にいったんは納得した太朗だったが、やはりどうしても上杉の態度が気になって仕方が無く、とうとう学校の帰りに羽
生会の事務所へと向かうことに決めた。
太朗の学校からは丁度バスで1時間近く掛かってしまうが、今日のジロー達の散歩は前もって弟の伍朗(ごろう)に頼んでいるの
で安心だ。
「・・・・・」
(もう、10日も会ってないし・・・・・)
夕方デートだけではなく、土日のデートもキャンセルで、もう10日は上杉の顔を見ていない。
知り合ってからそんなに長く会っていないのは初めてだったので、太朗はとにかく顔だけでも見たいと思ったのだ。
事務所近くのバス停で降りて、太朗はテクテクと目的の場所に向かって歩く。
いきなり訊ねることになるが、上杉も、そして部下である小田切裕(おだぎり ゆたか)も、きっと何時ものように笑いながら出迎え
てくれるはずだ。
(本当に、何でも無かったりして)
事務所が近づくにつれ、太朗の中にあった不安は不思議と消えていく。もう直ぐ上杉に会えるというだけで、自分の気分が高揚
してくるのを感じた。
すると、
「パパー!」
近くで甲高い子供の声が聞こえた。
何気なく振り返った太朗は、そこに目的の人物の姿を見て顔を綻ばす。
「ジ・・・・・」
ローさんと、続くはずだった太朗の口は、不意にそのままの形で止まってしまった。
なぜならば、上杉の隣には3人の人物がいて。
1人は、今の声の主らしい、小学校低学年くらいの男の子と。
もう1人は、太朗と同じくらいの年齢の、それでも太朗よりずっと背の高い少年と。
そして・・・・・30歳前後の、綺麗な大人の・・・・・女の人。
その中の、太朗と同じぐらいの少年が、太朗よりも低い声で言った言葉が風に乗ってはっきりと耳に聞こえた。
「オヤジ」
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