ACCIDENT
1
「オヤジ」
その言葉がいったいどういう時に使われるのか、太朗は一瞬止まってしまった思考をフル回転して考えた。
(オヤジって、おじさんってこと?そりゃ、ジローさんは俺みたいな歳の子供から見たらおじさんだけど、でも、その前にあの子、パパっ
て言ったよな?じゃあ、オヤジって・・・・・)
「父ちゃん・・・・・ってこと?」
パパ=オヤジ=父ちゃん。
その図式が頭の中ではっきりした時、太朗は声を上げなかった自分が不思議だった。
(あれ、あの子ら、ジローさんの、子供?)
上杉が、昔結婚をしていたという事は聞いたことがあった。しかし、その結婚生活はごく短いものだったらしく、それ以降上杉は
特別な存在は作っていなかったらしい。
その別れた妻以来、初めて心を動かされたのが同性であり、親と子ほども歳の違う太朗だった・・・・・そう告白された時、上杉の
思いを受け止めることで精一杯だった太朗は、上杉の別れた妻の事は頭の中に残らなかったのだ。
(うわ、どうしよ・・・・・俺、ここにいたらいけないんじゃあ・・・・・)
今日、事務所まで来る事は上杉には伝えていない。
いわば、自分の方がイレギュラーな存在で、ここにいてはいけない気がした。
「か、帰ろ・・・・・」
(に、逃げるんじゃないぞ、ジローの散歩、伍朗だけじゃ大変だろうし・・・・・)
動揺する自分の気持ちを誤魔化すように、まるで絵のように完璧な家族の姿から視線を逸らそうとした太朗だったが、
(目、合っちゃった・・・・・っ)
タイミングがいいのか悪いのか、上杉の視線が太朗のいる方へと向けられてしまった。
とっさのことに隠れることも出来ず(隠れる必要など無いのだが)その場に立ち竦んだ太朗を見て、上杉が僅かに目を見張ったよう
な気がした。
それは、見られて拙いというような視線ではなかったと思いたいが、遠過ぎてよく分からなかったというのが本当だった。
「タロ」
何時ものように自分を呼ぶその声に、引っ掛かるような気まずさはない。
それに内心ホッとしながらも、太朗はムズムズと落ち着かない気分だった。
「え、えっと、俺、ちょっと、散歩の途中で・・・・・」
バスに乗ってわざわざ来る距離をそんな風に言ってしまう辻褄の合わなさに気付かないまま、
「わ、忘れ物しちゃったみたいで、お、俺、帰るね」
そのまま踵を返そうとした太朗だったが、大股で近づいてきた上杉はその細い腕を簡単に掴まえてしまった。
「俺に会いに来たのか?」
「お、俺・・・・・」
「愛されてるなあ、俺は」
「ジ、ジローさん」
そう言って笑う上杉の顔は、何時もの大好きな上杉の顔で・・・・・何だか胸が痛くなってしまい、太朗は俯いてしまった。
最大指定暴力団大東組系羽生会の会長・・・・・そんな肩書きを背負ってどのくらい経つだろうか。
36歳になった上杉は、常ならば人が後ろ指をさすような仕事をしているという自覚があっても、それを全く卑下していない。
今のヤクザ社会は昔とは違い、普通の企業に近くなっていて、暴力だけを売りにしている者達の発言力はかなり小さくなってきて
いた。
自分も、そして開成会の海藤や、大東組理事の江坂も、この世の中の流れを読んで確実に台頭していた。年功序列という、
全く意味の無い不文律も、生き残っていく内にはいずれ消えていくだろう。
そんな公が充実していた上杉は、私でも思い掛けない宝を得ることとなった。
それが、まだ高校2年生の太朗という存在だ。知り合った時はまだ高校に入学して間もないくらいで、太朗はどう見てもよくて中
学生にしか見えない幼い少年だった。
そんな、自分の年齢の半分くらいの少年になぜ惹かれたのか、言葉にするのは難しいが、上杉は自分を自分として真っ直ぐ見て
くれる太朗を欲しいと思い、大人の策略を駆使してようやく手に入れた。
手に入れてからも思った以上に子供っぽい太朗に焦らされたり、その母親がかなり手強かったりもしたが、今の上杉の全ての情
熱は仕事よりも太朗に向けられているという事は確かで、ようやく手に入れた宝物を上杉は二度と離さないと思うくらい大切に、
しかし、十分太朗の気持ちを優先して接していた。
それには、過去の失敗があるからだ。
まだ羽生会を立ち上げる前、上杉は結婚をした。
19歳の春に出会い、二ヶ月も経たない内に籍を入れた。上杉より2歳年上で、綺麗で、艶やかな、いい女だった。
これ以上愛せる女はいないと、上杉は妻を愛したし、その間どんなに言い寄られても他の女には目もくれなかった。
だが・・・・・妻は若い夫に満足しなかった。
学生時代から賛美者がいたほどに美しかった妻は、結婚してからも全く容貌は衰えず、周りを男に囲まれて微笑んでいた。
まだ若かった上杉はもちろん嫉妬し、その度に自分に縛り付けておこうと濃厚なセックスをして、その時は妻もあなただけだと叫ん
でいた。
・・・・・まさか、その口で同じ言葉を違う男に言っているとは思わなかった。
彼女に言わせれば、愛とセックスは一緒でも、金と地位というものはまた別次元な話らしかった。
言動は遊び人のような上杉だが、自分と愛する相手には誠実を求めていた。妻が自分達のベッドで他の男と抱き合っているのを
見た時、怒りよりも悲しみが先にたち、愛しいという気持ちもそこでぷっつりと途切れてしまった。
結婚して3年。
兄貴分達には結構持ったほうだと笑われた。それに笑い返す自分が妙に虚しくなり・・・・・上杉はそれ以降、本当に誰かを愛す
るということを止めた。
裏切られることを考えれば、ただの遊びの方が楽だった。幸いに自分の見てくれは女には好かれるらしく、抱く相手には困ることは
ない。
次第に仕事の方も面白くなり、やがて会を持つほどに出世をして・・・・・それでもふらふらと遊んでいた上杉に、しっかりと首輪を
付けてくれたのが太朗だった。
子供だと侮ってはいけない。子供だからこそ純真に、それ以上に男らしく、太朗はしっかりと上杉と向かい合ってくれる。
こんなに愛しいと思う存在を手に入れた自分は本当に幸せ者だと、上杉は信じないはずの神に感謝したものだった。
「タロ」
ここのところ自分の都合でずっと会う約束をキャンセルしてしまい、それは上杉にとってもかなりのストレスになっていた。
電話で声を聞けば会いたいと思うのは当然で、もうそろそろ太朗を攫いに家まで押しかけて行きそうな勢いだった上杉の目の前
に不意に現れた太朗に、驚き以上に嬉しさの方がこみ上げてきた。
「お、俺、帰るね」
それなのに、急に帰ると言われ、上杉はとっさに太朗に駆け寄ってその腕を掴む。
間近で見た丸い目が驚いたように自分に向けられていて・・・・・、
(可愛いな)
性懲りも無くそう思ってしまい、上杉は堂々と言い放った。
「愛されてるなあ、俺は」
「ジ、ジローさん」
いつもなら、そこで恥ずかしがり屋の太朗の蹴りか、全く痛くないパンチが襲ってくるはずだった。
だが、何時まで経っても太朗は動こうとはせず、じいっと上杉の顔を見つめているだけだ。どうしたと聞く前に、自分の背中から声
が掛かった。
「滋郎、その子は?」
「あ?」
(そうか・・・・・こいつらがいたんだな)
振り向こうとすると不意にスーツの袖が引っ張られる感じがして、思わず動きを止めた上杉は何時の間にかしっかりと自分の服
を掴んでいる太朗の姿を見た。
「タロ」
「あ、えと、ごめん!」
上杉の声に直ぐに我に返ったのか、太朗はパッと手を離す。
そんな太朗の行動をじっと見ていた上杉は、口元に笑みを浮かべたまま太朗の肩を抱き寄せた。
「ちょ、ちょっと!」
「俺が離れたくないんだ、少し我慢してくれ」
太朗の行動の意味が分かった上杉は、そのまま離れようと必死にバタバタする太朗を抱きしめたまま振り向いた。
目の前にはそんな上杉の行動を呆れたように不思議そうに見る6つの目がある。
しかし、少しも頓着しない上杉は、そのままそこにいる女と子供達に向かって言った。
「こいつは今の・・・・・いや、俺にとっては最後の恋人のタロだ」
「恋人?・・・・・その子が?」
さすがに驚いたように呟く女に頷いて見せると、上杉の爆弾発言に完全に身体が硬直している太朗に笑い掛けた。
「タロ、こいつは池永佑香(いけなが ゆうか)、俺の女房だった女だ」
「にょ、にょう、ぼう・・・・・」
「後は、でかいのが佑一郎(ゆういちろう)、チビは佑生(ゆうき)、でかいのは一応俺の息子だ。お前より4つ下だな」
「・・・・・そ、そう」
コクコクと頷くことしか出来ないらしい太朗の髪を、上杉は何時ものようにクシャッと愛情を込めて撫でた。
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