赤い鎖
1
−初めて会ったのは4年前ー
「綾辻、倉橋克己だ。今日から俺の仕事を手伝ってもらう」
驚くほど短い言葉で紹介した海藤の言葉。
目の前に立っている男を見て、綾辻は内心感嘆の声を漏らす。それ程、男の怜悧な美貌は際立っていた。
「倉橋です。よろしくお願いします」
ボスである大東組系開成会会長の海藤貴士もかなりの美丈夫だが、倉橋はまた違った雰囲気の美人だった。眼鏡の奥の
切れ長の目に見つめられると、ゾクッと身体の芯が疼く気がした。
一言だけ発した後は堅く閉じられた薄い唇を、綾辻はもう一度開かせてみたかった。
「綾辻勇蔵だ、よろしく」
試しに、綾辻はフルネームで名乗ってみた。初対面の人間は、綾辻の外見に全く合わない名前に必ずといっていいほど笑うか、
そうでなくても何らかのリアクションを返してくれるのだが、倉橋は眉一つ動かさずに軽く頭を下げるだけだ。
「・・・・・」
そして、差し出した綾辻の手を握り返すこともしなかった。
綾辻がこの世界に飛び込んだのは意外と早く、高校を卒業する前後には既に組に出入していた。
今となってはその切っ掛けは何だったか忘れてしまったが、先代の開成会会長であった菱沼辰雄には随分可愛がってもらい、
2年間ほどアメリカにも留学させてもらった。
30歳になるまでは特別な役にも就かず、その間に様々な人脈を築いていって、菱沼が甥の海藤に跡目を譲ったと同時に、綾
辻は幹部に昇格した。
その1年後、倉橋が入ってきたのだ。
海藤が自らスカウトして連れてきた倉橋の経歴は、そう間をおかずに綾辻の耳にも届いた。
家柄も学歴も、そして容姿さえ申し分のない倉橋が、なぜこの世界にわざわざ足を踏み入れてきたのかは分からないが、検事
という、この世界とは正反対の世界にいたわりには溶け込むのは早かった。
「綾辻さん、少しいいですか」
「ああ」
しかし、綾辻に対する倉橋の態度はほとんど変わることがなかった。
いや、それは他の者にも同様のようで、唯一海藤に接する時以外は表情を崩すことさえなかった。
感情がない男・・・・・周りは倉橋をそう評していたが、綾辻だけは倉橋の別の面が見えていた。
「・・・・・」
わざとのように身体に触れようとすると、一瞬倉橋は硬直し、その後さりげなく身を引く。
「・・・・・」
(やっぱりな・・・・・)
どうやら倉橋は接触を嫌っているように思えた。それが恐怖からなのか嫌悪からなのかは分からないが、男も女も一律に一線を
引いている。
(確か一度・・・・・)
どうしても断われなかった宴席で、綾辻と倉橋はそれぞれ接待だという女をあてがわれた。
きちんと接待を受けるか見張る男の監視の視線の中、綾辻は普通に女を抱いて楽しんだのだが、横目で見ていた倉橋の方
はスラックスのファスナーを下ろしただけの姿で、後は服を乱すこともなく跪いて奉仕する女を黙って見下ろしていた。
やがてそれなりに成長した倉橋のペニスの上に、女が自ら跨り腰を動かす。
その間、倉橋はほとんど自分から動くことはなかったが、イク瞬間だけはうっすらと目を閉じ、薄い唇を噛み締めていたことが印象
的だった。
勃起して女を抱けるということは不能というわけではない。それに、男にとって一番大事な場所を明け渡しているのだ、嫌悪と
いうものも少ないのかもしれない。
女ならばある程度は触れても平気なのかと思った綾辻は、試しに女言葉で倉橋に話し掛けてみた。笑みも眼差しも、意識
的に中性っぽい雰囲気を作ってみる。
「・・・・・何かの罰ゲームですか?」
「ちょっと、キャラチェンジ。おかしい?」
自分でも案外はまっているなと思ったオネエキャラ。
何時もと全く違う雰囲気の綾辻に、始めは珍しく困惑した表情を浮かべていた倉橋は、次の瞬間には溜め息をつきながら言っ
た。
「公の場ではきちんと話してください」
「OK」
普段の綾辻が綾辻なので、皆それ程驚かず、むしろ話しやすくなったと下の者にも好評だった。
さすがに海藤の前で初めて使った時は緊張したが、
「何の遊びだ?」
そう言うだけで咎めはなかった。
「か〜つ〜み〜」
「・・・・・っ」
「ね〜、今日飲みに行きましょうよ」
ペトッと背中に懐く。
今までならば身体を強張らせて無言で振り払う倉橋が、眉を顰めながらもそのままでいた。
「私は仕事が山積しているので」
「手伝うわよ」
「綾辻さんが?」
「そ。だから、ね、付き合ってよ」
「・・・・・少しだけなら」
正面切った誘いの言葉ならばっさり切り捨てる倉橋も、絡めとるようにじんわりと周りから攻めていくと案外に弱い。
そして・・・・・。
「河野はどうしたの?あいつ、この間の失敗気にしていたけど・・・・・」
「先方には詫びを入れました。河野も反省していましたし、二度目はないということで今回は不問です」
この世界にかなり早く馴染んだと思っていた倉橋は、この世界の人間になるには不釣合いなほど正義感があって・・・・・情が深
かった。
下っ端の構成員にも目を配り、違法なことよりも正当な手段で資金を集める方法を教える。
一見冷たく取り澄ましているように見えて、本当は細かな気配りの出来る倉橋は、皆と酒を飲んだり馬鹿騒ぎをしなくても、何
時の間にかすんなりと受け入れられていた。
(俺だけが知ってたらいいのに・・・・・)
倉橋のいい所を皆に知らしめたいと思う反面、これ程に外見と内面にギャップのある可愛い所は自分だけが知っていればいい
・・・・・相反する思いに、綾辻は柄にもなく悩むことになった。
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