赤い鎖










 「社長の今度のお相手、面白そうね」
 「・・・・・」
 会議室で1人仕事を進めてた倉橋は、面白そうに笑いを含んだ声で言う相手に呆れたような視線を向けた。
 「仕事は終わったんですか?」
 「ええ。だから克己を手伝いに来たんじゃない」
 「余計なお世話です。それに、社長のプライベートを簡単に口にするものではありません」
 「分かってるわよ。これは克己と私のひ・み・つ」
 「・・・・・」
(全く、分かって言ってるのか?)



 倉橋克己が大東組系開成会という暴力団の組に入ってから4年が経った。
一般にヤクザと言われる職種に就いた切っ掛けは、大学の後輩だった海藤貴士・・・・・開成会の会長でもある彼に直接誘
われたというのが最大の理由だが、他にもあげれば細かい理由は幾つかあった。
人も羨む裕福な家庭で育ったものの、実際に家庭の団欒というものはほとんどなく、両親は互いに愛人を持っていた。
それでも、倉橋自身がないがしろにされたということはなかったが、必然的に人の裏と表を見せつけられた心は自然と感情を押
し殺すようになり、何時しか倉橋は何かに心を動かされるということがなくなってしまった。
 そんな倉橋の心の壁に、最初にヒビを入れたのが、大学時代の後輩であった海藤だ。
キャンパス内でも海藤の家の事は広く知られていたが、その素晴らしい容姿とずば抜けた頭の良さで、何時も誰かしらが彼の
側にいた。
(強い人間だな)
 倉橋はただ傍から見ていてそう思っていただけで、実際に海藤と言葉を交わした回数も片手で数えられるほどだったが、一度
だけ、偶然周りに誰もいない場所で視線が合った時、海藤は訝しげにこう呟いた。

 「先輩、生きてるんですか?」

 その言葉は卒業しても倉橋の頭の中から離れることはなく、4年前偶然に再会した時、一瞬にして当時の情景が思い出さ
れてしまった。
 上等なスーツを着こなし、いかにもな強面の男達を従えた海藤は、大学時代とは比べ物にならないほど鮮やかで生きた存
在になっていた。
海藤自身、倉橋に言った言葉は自分にも向けていたのだろう。
生温いあのキャンパスを出てからが、海藤の本当の生きた時間になっているのだ。

 「先輩、俺のところに来たら、生きてる実感が湧きますよ」

まだ20代の男が浮かべるには大人びたその表情に、倉橋は自分でも驚くほどあっさりと頷いた。
生きているのか死んでいるのか分からない今の生活を捨てることなど、何とも思わなかった。
 さすがに両親は難関の試験を乗り越えてなった検事を捨て、極道の世界に入ると言った息子を猛烈に批判し、親子の縁
を切るとまで言った。
しかし、倉橋はその言葉を聞いてさえも動揺することはなかった。今でも途絶えている関係を、はっきり切ってもらった方がいっ
そすっきりする。
 どうしてそんな世界にと言われた時も、「こっちにいるより面白そうだから」と言い切った。
それ以来、倉橋は家族に会っていない。



 「調べたところ何の問題もありませんでした。本人も家族も、綾辻さんが笑うほど『いいひと』ですよ」
 自嘲するように言うと、綾辻は倉橋の肩を抱きしめた。
綾辻のスキンシップ好きは慣れたので、倉橋も大きな反応は返さない。
 「いいじゃない、いい人って。それに、社長がとにかく気に入ってるんでしょう?」
 「・・・・・ええ、あんな執着は初めて見ました」
 「妬ける?」
 「私が?何に?」
 「相手の子に。克己、社長のことが好きだろう?」
 珍しく真面目な顔をして普通の言葉遣いで聞いてきた綾辻に、倉橋は訝しげな視線を向けた。
 「確かに尊敬していますが、嫉妬という感情はないですね。・・・・・いや、私は嫉妬という感情が分かりませんし」
 「・・・・・」
 「それに、男同士ですよ?社長がどこまで考えているのかは知りませんが、わざわざ同性を選ぶ必要はないでしょう?」
 「・・・・・わざわざ選ぶんだから意味があるんじゃない?」
謎めいた綾辻の言葉は、倉橋の頭の片隅に残った。



 綾辻の予想通りというか、海藤は今までに見たことのない強引さで西原真琴という青年を手に入れた。
その想いを感じ取った倉橋は何時になく動揺してしまい、あまりそういったことに興味のなかった倉橋は、綾辻に男同士のセッ
クスのことまで聞いてしまったくらいだ。
 海藤のすることに差しさわりがないように動くのが自分の役目だと、綾辻と協力して真琴を押さえつけ、海藤が強引に抱くの
をただ事務的に見つめていた。
 泣き叫び、血を流す真琴を可哀想だとは思ったが、倉橋にとって大事なのは海藤の意向だけで、それ以外のものは全てそ
れ以下でしかない。
しかし、幾ら海藤のでも、他人のセックスを見る趣味はなく、倉橋は目を閉じて時間をやり過ごそうとした。
 「・・・・・」
 ふと、横顔に視線を感じて目を向けると、同じ様に真琴を押さえていた綾辻がこちらを見ていた。
(綾辻さん?)
部屋の中には、真琴の嗚咽と、粘膜の擦り合う生々しい音が響いている。
押さえつけている両手にも、真琴の震えが伝わってくる。
 しかし、今倉橋の目に映っているのは綾辻の顔だった。
(何ですか?)
その視線の意味を聞く為に、倉橋は唇を動かして見せた。
聡い綾辻が分からないはずはないと思ったのだが、綾辻は何も答えず、ただ倉橋を見つめているだけだ。
 「・・・・・っ」
 なぜだか、倉橋は急に羞恥を覚えた。
今犯されているのは目の前の青年なのに、その顔が自分にだぶって映ってしまう。
(私は何を・・・・・)
そして、犯しているその顔が海藤ではなく、何時も自分を構ってからかってくる綾辻の顔に変わった時、倉橋は愕然としてしまっ
た。
(どうして・・・・・どうして綾辻さんが・・・・・?)
 まずい・・・・・倉橋はとっさにそう思った。
自分にとって一番居心地のいいこの場所を無くすことは出来ないと思った。
何も気付かなかった・・・・・倉橋は自分にそう言い聞かせ、綾辻から視線を逸らして再び目を閉じる。
その横顔に感じる熱さは、消えることはなかったが・・・・・。