プロローグ
                                                                                  ※ここでの『』の言葉はエクテシア語です






                        
「いた・・・・・」
                        思わず漏れてしまった言葉を慌てて抑えるように両手で口を押さえると、有希はじっと息を殺してうっそうと茂った草むらの影に身を潜めた。
                       (どうしてこうなっちゃったんだろ・・・・・)
                       一ヶ月前に高校生になったばかりの杜沢 有希(もりさわ ゆき)は、今更言ってもどうにもならない思いを心の中で呟いた。
                       つい一時間程前までは、教室の中でクラスメイトと笑い合っていた。


                        《杜沢ってお前?》

                        見知らぬ上級生に付いていったのは、担任の名前を出されたからだ。クラス委員に選ばれていた有希は、疑いもしなかった。
                       まだ慣れない校舎内を、ついでだからと言って案内してくれる上級生を、親切な人だなあと思っていたのも束の間、不意に通りかかった渡り
                       廊下の裏に手を引かれた。
                        「あの?」
                       突然の事に戸惑った有希は、それでもまだ何の疑いも持っていなかった。
                       そこに数人の上級生を見るまでは。
                        「・・・・・な・・・・・んですか?」
                        「へえ、噂通り女みたいな顔してるな」
                        「だろ?俺も初めて見た時ラッキーだと思ったぜ」
                        「順番どうする?」
                        有希の前ではしゃぎながら会話する男達。
                       有希はブルッと身を震わせる。おぼろげながら自分の直面している危機を感じたのだ。
                       逃げないとーーーそう思いながら、どうしても足が動かない。
                       思い通りに動かない足に呆然とした時、一人の男が歓声を上げた。
                        「悪いな。お先」

                        にやついた顔が酷く怖くて、有希は小さく息を呑んだ。
                        「ついてるよ、お前。この中で俺が一番優しいぜ」
                        「嘘付け、サドのくせに」
                        「うるせえっ。初めから怖がらせてどうする。どうせならお互い楽しく、気持ちよく・・・・・な、有希チャ・・・・・うあ!」
                       既に抵抗するとは思わなかったのだろう男は、有希の思い切り突っぱねた両手の勢いにバランスを崩して後ろに尻餅をついた。
                       有希はその瞬間、それが最後のチャンスだとでもいう風に驚くほど素早く立ち上がり、後庭の隅に駆け込んだ。
                        「ちっ、おい!」
                       一瞬呆気に取られていた男達は、直ぐに舌打ちをしてその後を追い掛けた。



                        校舎の裏手はかなりうっそうとした茂みが広がっており、新入生の有希などは奥まで入ったこともないくらいだった。
                       それでも無限の広さがあるわけでもなく、有希よりこの辺りに詳しい上級生の男達にいずれ見つかってしまうことは確実だろう。
                       有希は身を縮め、めまぐるしく助かる方法を考える。
                       (部活している人はいるけど、校庭や体育館までは遠いし、職員室までなんて走りきれないよ・・・・・。携帯だってカバンの中で、他に持って
                       いるものなんて・・・・・)
                       ポケットの中には、今日の実験の時に使って戻し忘れていた100円ライターだけだ。せめてナイフでもあったら・・・・・一瞬そう思った自分が怖
                       くなり、有希は泣きそうになって膝を抱え込んだ。
                        校内にまだ生徒が大勢残っている時間帯では、有希がいないことに気付くことはまず無いだろう。このまま見も知らぬ男達に何をされるのか、
                       体中が冷えて息が止まりそうだ。
                       (誰か・・・・・助けて・・・・・)
                       誰でもいい、今のこの現状を救ってくれるなら・・・・・。
                        「見〜つけた」
                        「!」
                        ビクッと肩を揺らした有希は、ゆっくりと視線を上げる。木立の向こうに、にやりと笑う男の顔が見えた。
                        「かくれんぼはお終いだな」
                       不意に、ポロポロと涙が流れた。成すすべの無い小動物のような哀れさが、いっそう男の邪まな心をくすぐった様だ。
                        「俺一人だけ相手する?うんと言えば、他の奴らには手を出させないぜ」
                        「・・・・・ひと・・・・・り、だけ?」
                        「そ」
                       反射的に頷きそうになったが、有希は泣きながら首を横に振った。
                        「いや・・・・・です。助けて下さい・・・・・」
                        「だ〜め」
                        楽しそうに笑いながら男がゆっくりと近付いて来る。じりっと後ずさった有希の手に、何かが触れた。
                        「い・・・・・し?」
                       水晶の様に透明な、しかし歪な形をした石の欠片だ。
                       (割れたみたいな形?どうしてこんなとこに・・・・・)
                       ぼんやりと手の平にある石を見つめる。すると、ゆっくりと眠気が襲ってきた。
                        「有希チャン?」
                       今眠ったら取り返しのつかない事態になる。有希は必死に頭を振って叫んだ。
                        「嫌だ!誰か、助けて!」
                       男は再び抵抗しようとする有希の口を手で塞ごうとしたが、有希は繰り返し叫んだ。
                        「誰か!誰か助けて!」
                        「おいっ、黙らせろ!」
                        有希の叫び声で、他の男達も居場所が分かったのか姿を現わした。
                        「残念、有希チャン、4Pだな」
                        「やだ〜!!」
                        最後だと思って叫んだ時、有希の視界が一瞬赤く染まった。
                       (・・・・・え?)
                        「ぎゃあうあ!!」
                       気付くと、目の前で男が腕を押さえて転げ回っていた。いや、正確にいえば、腕があった場所を押さえて、だ。
                       肘から下は切断され、切り口からは噴水の様に血が飛び散り、男の体中を赤く染めていく。
                        「な・・・・・に、これ・・・・・?」
                       地面に着いていた手が濡れている。恐る恐る視線を向けると、真っ赤に染まった自分の手と、切断された肘から先の腕が直ぐ傍に転がって
                       いた。
                        「!」
                        「いて〜!いて〜よ〜!」
                        転がって呻いているのは、先程まで有希の口を塞いでいた男だ。その男が血だらけになり、有希の足元でのたうち回っている。いったい何が
                       あったのか、有希は全く分からなかった。
                        「誰だ!お前!!」
                        仲間の男達が殺気立ち、ポケットから取り出したナイフを構える。しかし、その手は震え、目には怯えの色が浮かんでいた。素行が悪いとは
                       いっても、これ程の修羅場に立ち会ったことは無いのだろう。
                       ただ、仲間の前という意地と、背を向ける恐怖が、男達をその場に釘付けにしていた。
                        「変なカッコしやがって!頭イカレてんのか!」
                        「何とか言えよ!言葉がわかんねえのかっ?」
                       (だれか・・・・・いる?)
                        男達が視線を向けているのは有希の背後だ。
                       (駄目だ・・・・・振り返っちゃ・・・・・駄目・・・・・)
                       頭の中で警告が繰り返す。
                       しかし・・・・・有希は何かに引かれるように振り返ってしまった。
                        「・・・・・え?」
                       (な、に、この人・・・・・)
                        男・・・・・だった。背が高く、体格も良い、おそらく・・・・・若い男。
                        「だ・・・・・れ?」
                       有希の言葉に男が視線を向けた。
                       しかしそれは言葉にではなく、おそらく声に反応してのことだろう。言葉が分かるはずも無い、男は・・・・・日本人ではなかった。
                       背中まで伸びた黒髪、焼いている訳ではないであろう褐色の肌、きつい眼差しの瞳は碧色で、見るからに外国人だ。
                       そして、その姿も異様だった。上半身は裸で、肩には透けている(花嫁のベールのような)布を掛けている。腰から下は足首まで隠れるような
                       巻きスカートのようなものを身に着けていた。
                       まるで教科書で見たことのある古代エジプト人のようないでたちなのだ。
                        そして、その手には1メートルもあるかと思える程長い剣・・・・・赤い血が滴り落ちている剣が、鈍い光を放っている。
                       その剣を無造作に構え直し、男は再び上級生達に視線を向けた。
                       綺麗な、深い碧の瞳・・・・・。恐ろしいほど冷たい、殺意を隠さない視線。
                       通常の生活を送っている者ならばありえない非現実的な光景に、有希だけでなく、つい先程までは加害者であった男達も声無き悲鳴を上
                       げた。
                       間違いなく、今目の前にいるこの男は恐怖の存在になった。
                        「た、たす、たすけ・・・・・」
                        「近付くな・・・・・っ」
                        もはや有希の存在など、欠片も頭の中に無いのだろう。男達は傷付いた仲間を置いたままで逃げ出そうとする。
                       しかし、足はなかなか動こうとしないようだ。
                        「たすけ・・・・・っ!!ぎゃあ〜〜!!」
                       振り下ろされる剣と、飛び散る血が視界に入った瞬間、有希の意識はプッツリと途切れてしまった。