蒼の光   外伝3




蒼の再生




プロローグ

                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 「あ!リューちゃんのご飯と、とんすけのエサもお願いしとかないと!」
 突然立ち上がって叫んだ五月蒼(さつき そう)を驚いたように見つめたカヤンは、焦って部屋を出て行こうとする蒼をとっさに呼び
止めた。
 「それは心配ご無用です、ソウ様。リュシオン様にはきちんと乳母がついておりますし、とんすけも衛兵の者にきちんと申し付けて
おきますから」
 「そ、そう?お願い」
 その言葉に安心してストンと床に腰を下ろした蒼は、改めて広げられた物を目にしてハァと大きな溜め息をついてしまった。
(他の国に行くのは楽しみだけど、その前準備が大変なんだよなあ)
普通に考えて、男なのだから持って行く服も最小限で済むはずだし、他に必要なものは現地で買い揃えることだって構わない。
ただし、今の蒼の立場では、そうもいっていられないのだ。
 「ほら、早くご持参されるものを選んでいただかないと、明後日の出発には間に合いませんよ」
 「分かってるけど・・・・・」
(皇太子妃が持って行くものなんて、全然見当がつかないんだもん)
 「・・・・・」
蒼は口の中でもう一度溜め息をついた。




 現代日本の高校3年生だった蒼は、ある日、不思議な力で、この不思議な世界にやってきた。
その世界で知り合ったバリハン王国の皇太子、シエンと恋仲になり、紆余曲折があった末、彼の正式な妃として、きちんと式も挙
げてこの世界で生きて行くことを決意していた。

 この世界でもっとも価値のある存在とされているらしい《強星》の肩書きを持ってしまった蒼には、出産の祝いに駆けつけたメルキ
エの王も興味を持ち、顔に傷を持つ皇太子、エルネストとも妙な係わりを持ってしまったが、結局後から追いついてきたシエンと共
に、彼の妹王女コンティに祝いを無事届けることが出来た。

 メルキエ王国に行く途中に出会った未開の土地、アブドーランの中のグランダ族の歳若い族長であるセルジュと、男の幼友達で
片腕的存在のアルベリックも新しく国を立ち上げるために政治を学ぶといって、今はこのバリハンに滞在していた。

 シエンの両親である国王夫妻に、カヤンやベルネを始めとする王宮に仕えている者達。
養い子であるリュシオンに、飼い豚のとんすけ。
そして、新しく出会ったセルジュやアルベリックも一緒に、蒼は賑やかな毎日を送っていた。




 そんな中、メルキエ王国の皇太子、エルネストから招待状が届いた。
私欲に走った父王を諌め、国を立て直すことに尽力していたらしい彼が新王として立つことになり、その戴冠式にぜひ蒼も来て欲
しいと書かれてあった。
 即決で行くことに決めたはいいものの、もちろん蒼1人の旅など許されるわけもなく、王の名代としてシエンも同行することになり、
それに加えてセルジュとアルベリックも建国の参考としてその旅に加わることになった。
 その時、戴冠式まではまだ30日もあり、蒼はゆっくり準備が出来るなと暢気に構えていたが、思っていたよりも今回の戴冠式は
盛大な催しらしく、準備はかなり大袈裟なものになった。
 皇太子妃として着る衣装を始め、身を飾る宝飾の数々。
細々とした備品に加え、祝いの品も相当あるらしい。
 衣装や宝飾はシエンの母で王妃のアンティが喜んで準備をしてくれたものの、最終的に何を持っていくのか蒼も確認しておかな
ければならず、キラキラと輝く、いったい幾らするかも分からない宝飾をずっと見続けていた蒼は眩暈がする思いだった。
 「ねー、カヤン」
 「駄目ですよ」
 「・・・・・まだ何も言ってないよ」
 「先ほど休憩なさったでしょう?」
 「う〜」
(カヤンのケチ)
 本当は声に出して言いたいが、自分以上にカヤンが忙しいことを知っているのでそれも出来ない。
いや、今回の戴冠式に出席したいと自分が言ったばかりに、猛烈な忙しさで仕事を進めている存在のことを思うと、これくらいで逃
げてはいけないのだということは重々承知していた。
 「シエン、今日も遅いかな」
 「政務はもう少しで終わるとお聞きしましたよ」
 すっかり手の止まった蒼とは反対に、一向に衣装を仕分けるスピードが落ちないカヤンは、手を動かしながら思い出したようにそ
う言った。
 「ホントッ?」
それなら、後で会いに行こうと顔を綻ばせると、カヤンは苦笑しながら言葉を続ける。
 「ですが、その後王子は旅の仕度をされなければなりませんし」
 「あ・・・・・そっか」
 今まで旅の準備をすることも出来ずに働き続けているシエンに、せめて労いの言葉を掛けたいが、ここ数日はほとんど顔を合わす
ことが無かった。蒼が寝ている間に起きて仕事をしているらしいし、眠った後に帰ってくる日々なのだ。
 辛うじて昼食は一緒にとってくれるが、それでも・・・・・寂しい。
だから、今のカヤンの言葉を聞いて早速行動しようと思ったのだが、今自分が言っても邪魔になるだけだろうとさすがに分かった。




 それから、蒼にしては辛抱強く作業を続け、陽がかなり傾いた頃ようやくカヤンから作業終了の言葉を掛けられた。
直ぐに部屋を出た蒼は、長い廊下を小走りに歩きながらシエンの執務室へと向かう。自分が出来ることなど限られているが、何か
手伝うことが出来ないだろうかと思ったのだ。
(まだちゃんと字が読めないのが悔しいけど・・・・・)
 簡単な単語や挨拶程度の字は覚えたものの、政治に係わるような難しい文章はほとんど分からない。
会議には出来るだけ参加させてくれたシエンのおかげで耳ではなんとか聞き取れるが、やはり正式な書面は出来るだけ早く読み、
書けるようにならなければいけないだろう。
 「ソウ」
 「・・・・・!」
 そんなことを考えていた蒼は、不意に声を掛けられて立ち止まった。
 「・・・・・あれ?」
しかし、振り向いてもそこには人影は無い。
(でも、今確かに・・・・・)
 「ソウ、こっちだ」
 「セルジュ?」
 もう一度声を掛けられて今度は広い庭の方へと視線を向けると、軽装で剣を携帯したセルジュとアルベリックがゆっくりと歩いて
きていた。
金の髪に、紫の瞳のセルジュと、黒髪に、赤みの強い紫の瞳のアルベリック。2人共シエンと同じくらい背が高く、細身だがしっかり
と筋肉の付いた腕を見せるような半袖姿だ。
 「剣のけいこ?」
 汗を拭う仕草を見てピンと来たのでそう聞くと、セルジュは笑いながらああと頷く。
 「ここの兵士は強いからな。バウエル将軍なんか簡単に勝たせてくれないし、いい稽古になってるよ」
 「俺達はちゃんとした剣術なんか習わなかったからな」
 「えっ、2人共あんなに強いのにっ?」
何度か見た2人の剣捌きは、剣道をしていた蒼から見てもかなり上級だと思う。竹刀と剣では重さも違うし、何より実際に人の命
を奪える武器をあれほど軽々と扱えるなど凄い。
 ただ、そう言われれば確かに、シエンはとても綺麗で隙の無い動きをするが、セルジュ達はどちらかといえば野性的に動く。
剣術というものをちゃんと習ったのかそうでないかはそんな立ち姿でも分かるのかもしれない。
 「あ、でも、2人とも大丈夫なのか?」
 「ん?」
 「明後日、出発するんだぞ?それとも、やっぱりここに残ってる?」
 少しも旅支度をしているようには見えない2人にそう言えば、まさかとセルジュは笑い飛ばした。
 「お前のいないバリハンに興味は無いって」
 「はあ?」
 「それに、俺達が持っているのは僅かな荷物だ。当日の朝纏めたって十分時間は余る」
 「・・・・・いいなあ」
(そんな簡単な旅支度・・・・・)
よほど実感がこもっていたのか、セルジュは軽く蒼の髪をかき撫でながら顔を覗き込んでくる。
 「疲れているようだな、元気が無い」
 「疲れてなんかないよ」
 シエンを始め、カヤンやベルネ、そして今回の旅に同行する兵士達の方がよほど大変だ。じっと大人しくして、言われた作業だけ
をこなしている自分はかなり楽をさせてもらっている。
 「ソウ」
 「ごめん、セルジュ、俺シエンのとこ行くから」
 「・・・・・ああ、分かった」
 「また後で!」
 シエンがいない間は何時も食事に同席してくれていた彼らだ。今日はシエンも一緒に食事が出来るのだろうかと思いながら、蒼
は再び歩き始めた。




 「つれないなあ」
 振り返りもせず歩いて行く蒼の後ろ姿を見送りながらセルジュは呟いた。
 「仕方が無いだろ、あっちはソウの夫だ」
 「・・・・・分かってるって」
どんなに自分が蒼のことを特別に思っていたとしても、肝心の蒼の視線は少しもこちらを見ない。
闇を凝縮したような、それでいて輝くあの黒い瞳に見つめられる権利があるのが自分以外の男だというのはやはり悔しかった。
(嫌われてはいない・・・・・だが、それだけだ)
 大国バリハンの皇太子であるシエンと、アブドーランの一つの部族を束ねているだけの自分。
蒼がそんな背景だけを見るような人間ではないと十分分かっていたが、セルジュ自身が今のシエンとの格差を大きく感じていた。
 「・・・・・早く建国しなければな」
 「セルジュ」
 「俺が王になったら・・・・・また違うはずだ」
 「・・・・・そう簡単に人の気持ちというものは変わらないぞ」
 「変えてみせるんだよ」
 じっと見ているだけで、始めから諦めていては何も始まらない。
たとえその可能性がほとんどなくても、セルジュは自分にとって価値のある、本当に欲しいと思ったものを手に入れるために、とことん
足掻くつもりだった。




 トントン

 重厚なドアをノックしても、中からの返答は聞こえない。
蒼はそっとドアを開けると、少しだけ中を覗きこんだ。
(・・・・・いた)
 執務室の中には部屋の主であるシエンと、その片腕ともいうべきベルネの姿がある。2人は書類を見下ろしながら何か真剣に話
をしていた。
(まだ終わらないみたいだな)
 カヤンの話ではそろそろ仕事も終わりということだったが、目の前の光景を見ればとてもそうは思えない。
蒼は声を掛けるのを諦めてドアを閉めようとしたが、
 「ソウ」
 「!」
名前を呼ばれて振り向くと、顔を上げたシエンと目が合った。
 「どうしたんです?入っていらっしゃい」
 「で、でも・・・・・」
 シエンの側でじっとこちらを見ているベルネの顔が怖い。苦手意識があるから仕方が無いかもしれないが、あの視線を前に平気
で中に入るのは躊躇われた。
 「どうぞ、ソウ様」
 すると、ベルネが淡々とした口調でそう告げてくる。少しだけ、仕方が無いと呆れたような表情をされたような気がしたが、それで
も何とか入室を許されたのだということは分かった。
 「え、えっと、おじゃま、します」
恐る恐る中に入ると、直ぐにシエンが立ち上がるのが見える。ゆっくりと歩み寄ってくる大好きな人の優しい笑顔に、蒼も自然と笑
みが浮かんだ。