蒼の光   外伝3




蒼の再生






                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 「ソウ」
 愛しくてたまらない名前を呼ぶと、その人は少し照れたように、しかし、十二分に嬉しそうに頬を綻ばせながら、自分のもとに駆け
寄ってきてくれた。
 「邪魔じゃない?」
 「ようやく一段落しましたから。今まで放っておいてすみませんでした」
 蒼が正式に皇太子妃となってから、バリハンの言葉や歴史を学ぶことと平行をしてシエンは国政に参加させてきた。
王になるべくして育ってきたシエンや、代々バリハンに仕えてきた臣下達の意見とは違い、柔軟で驚くような提案をしてくる蒼の意
見がとても貴重だったからだ。
 セルジュやアルベリックが来国してから、勉強中は蒼の時間を取られてしまっていたが、政務に関しては蒼と共に行動することが
多かった。
 しかし、メルキエ王国の皇太子、エルネストの戴冠式に正式に招待をされてからは事情が変わった。
旅の行程と滞在時間を考えると、少なくとも20日は国を離れてしまうことになり、その間の政務を前倒しで処理をしなければなら
なくなった。
 そのためにまだ慣れない蒼の手を借りることは出来ずに、しばらくの間シエンは蒼とゆっくりとした時間を取ることもなく政務に没頭
する毎日を送っていたのだ。
 「謝ることないよ、シエン」
 「ソウ」
 「俺、シエンと一緒に旅できるのが嬉しいし」
 もちろん、戴冠式も楽しみだと笑う蒼を抱きしめ、シエンはその髪に顔を埋めた。
何時も飛び回っている蒼は太陽のような匂いがするのだが、今日は人口的な甘い香りを纏っている。彼らしくないその香りに、シエ
ンは身体を離して顔を覗き込んだ。
 「ソウ、今日は何をしていたんですか?」
 「さっきまで、カヤンと旅の準備」
 「旅の?」
 「持っていく服とか、飾りとか。キラキラして目が痛くなった」
 「そうですか」
(だからこの香りが・・・・・)
 蒼が男であるというのはバリハンの国内では周知のことだが、対外的にはやはりシエンの妃という立場になる。
公式な場では女装をすることになり、それは人一倍男らしい心を持つ蒼には申し訳ないと思いつつ、シエンはどこかそれを楽しみ
にも思っていた。
 今回の戴冠式も蒼の正装はやはり女性のものなので、母や召使い達がこぞって着飾って遊んでいたのだろうと容易に想像がつ
いた。
 「それで、仕度は整ったのですか?」
 「・・・・・あー・・・・・まあー・・・・・」
 歯切れの悪さは、もしかしたら途中で諦めてしまったのだろうか。
これではカヤンも大変だろうとシエンは苦笑した。
 「私はこれから仕度をするのですが、ソウ、良かったら手伝っていただけませんか?」
 「シエンの手伝い?する!」
 「あなたが手伝ってくれるのなら早く済みそうだ」
 途中で脱線しなければなと心の中で付け足したシエンは、側で呆れたような表情のまま自分達を見ているベルネに視線を向け
る。
 「ベルネ」
 「後は大臣達の認可を得るだけですのでお任せを」
 「では、頼む」
シエンはそのまま蒼の肩を抱き寄せて執務室を後にした。




 戴冠式に着る正装や、それに付ける宝飾は既に用意されているということで、実際にシエンが準備をするのは身の回りの細々と
したものらしい。
(・・・・・俺って、すること無いんじゃ?)
 事あるごとに脱線してカヤンに注意されていた自分とは違い、シエンはテキパキと効率よく動いている。
それでいて、ちゃんと蒼にも話しかけてくれているのだから、これはもう性格の違いと思うしかないだろう。
 「そういえば、ソウ、先ほどエクテシアから書状が届いたのですが」
 「エクテシアからっ?」
 そこは、この世界でもバリハン以上に国力のある、どうやら一番の大国といわれている国だ。しかし、蒼にとってはその大きさなど
はあまり関心はなく、そこにいる人物のことが大いに気になった。
 自分と同じ、日本からこの世界にやってきた少年。蒼よりも2歳年下で、外見も儚い美少年といった風情だが、その精神は蒼
も感心するほど真っ直ぐ強い親友、有希(ゆき)。
 エクテシアの王、アルティウスの妃である彼とは実際には数回しか会ってはいないものの、同じような境遇の、日本のことを語れる
唯一の相手として、手紙は何度もやり取りをしていた。
 「今回の戴冠式には、アルティウス王とユキ殿も出席なされるそうですよ」
 「ウソ!」
(あの、妬きもちやき屋の我が儘王が、有希を国の外に連れ出すなんて!)
 「それ、ホントッ?」
 「ええ。どうやらエルネスト殿が私達の出席をアルティウス王に伝えられたらしくて。それを知ったユキ殿が、ぜひソウに会いたいと願
われたようです」
 「うわ〜、本当に会えるのかあ」
 お互いに地位のある相手と結婚しているせいで、自由に国を行き来することはとても出来ない。
特に、有希に執着するアルティウスは国外に彼を出すなど、それがたとえ自分が同行するとしてもとても許しそうにないと思っていた
ので、こんなサプライズは本当に嬉しい。
 「じゃあっ、有希に渡すお土産も考えないと!」
 「そうですね」
 「あ〜、時間が無いよ、どうしよ〜っ」
 ウズウズとして部屋の中をいったりきたりしていた蒼だったが、ここにじっとしていても何も進まないということにはたと気がついた。
旅立ちまでには本当に時間はなく、思い立ったら即行動しなければならない。
 「俺っ、カヤンと出掛けてくる!」
 「ソウ、後で私も一緒に・・・・・」
 「だいじょーぶ!ちゃんとすっごいもの探してくるから!」
 そうでなくても忙しいシエンに自分につき合わせるのは申し訳ない。それを言えばカヤンもそうなのだが、自分の世話係だというこ
とで諦めてもらって、蒼は直ぐに町に出ることに決めた。




 引き止める間もなく、慌しく蒼は部屋を出て行ってしまった。
シエンは一瞬その後を追いかけようかと考えたが、カヤンが一緒ならば大丈夫だろう。
それに、蒼の顔は民も良く知っていて、明るく、皇太子妃とは思えないほど人懐こい彼は慕われているので悪いようにはならない
はずだ。
 「・・・・・」
 シエンは、民に色々な食べ物を渡され、それを喜んで頬張る蒼の姿を想像し・・・・・笑った。あの、本当に美味しそうな表情は
誰が見ても幸せな気分になる。
 出来れば側でその顔を見たかったなと思いながら準備の手を進めていたシエンは、不意に扉を叩く音が聞こえて顔を上げた。
王宮内には要所要所に衛兵が立っており、不審な人物が入ることは出来ない。
 それでも一応用心しながらシエンは声を掛けた。
 「誰です」
 「俺」
 「・・・・・セルジュ?」
小さく聞こえた声の主に、シエンは眉を顰める。この場に蒼がいるのならばともかく、セルジュがシエン自身に会いに来るなどとても
珍しい。
(いや、ソウがいると思ったのか?)
 自分に向けられている感情に気付かずに無邪気に男に懐いている蒼の姿を苦く思い浮かべながら、シエンはゆっくりとドアを開
けた。その場には、セルジュ1人が立っていた。
 「何か?ソウはここにはいませんよ」
 「いや、王子に話があってな」
 「・・・・・どうぞ」
 シエンはセルジュを招き入れて椅子に誘う。
蒼が好きな果汁と水はあるものの、セルジュはそんなものは口にしないだろう。
(そもそも、長居はしないかもしれないな)
 シエンはそう思い直し、セルジュの向かいに腰を下ろした。
 「話とは何です?」
 「今回のメルキエの戴冠式に同行させてもらうが、俺達はそこで別れてアブドーランに帰るつもりだ」
 「・・・・・」
それは、予想外のことだった。蒼に対して随分強い想いを抱いているように見えたセルジュは、てっきり戴冠式が終わっても再び
バリハンに同行するだろうと当たり前のように考えていたのだ。
 「そうですか・・・・・寂しくなりますね」
 「本当か?」
 セルジュは笑っているが、シエンは本気でそう思っていた。
確かに、油断がならない人物だとは思うが、それでもこの王宮内に新たな一筋の風を吹き込んだのも確かだ。
 常に向上心を抱き、粗野だが明るく、男らしい容貌のセルジュとアルべリックはこの王宮内だけではなく町でもかなりの人気だ。
蒼と連れ立って買い食いしながら歩いているところは本当の兄弟のようで・・・・・。
(肉親に対するような愛情ならば、私ももっと穏やかな気持ちでいられたのだが)
 「建国の準備、ですか」
 「ああ」
 「これからが大変ですね」
 「でも、目の前でこうして世代交代が行われるのを見ていると、俺達が遅れるのは悔しいって思うじゃないか。もちろん、今から
俺が創る国は大きさだけはあっても、まだまだ力は無いだろう。それでも、やがてこの世界一の大国にしてみせる」
 人が聞いたならば放言とも思えることだが、このセルジュにはもしかしたらと思わせるものがあった。
シエンは、自分も負けるつもりはない。多分、もう間もなくこの国の王に即位するだろうが、このバリハンこそエクテシアを追い抜くほ
どの国にしようと思っている。
 「・・・・・楽しみにしていますよ」
 「嫌味かそれは。まあ、話はそれだけだ。ソウには俺から話すから言うなよ」
 「ええ」
 立ち上がったセルジュを見送ろうとシエンも椅子から腰を上げたが、ふと思いついて口を開いた。
 「セルジュ、今回の戴冠式にはエクテシアのアルティウス王も来賓として呼ばれています」
 「・・・・・赤の狂王が?」
さすがにセルジュもアルティウスのことは知っているらしい。
 「よければ、顔合わせに立ち会いますが」
 「・・・・・俺なんかを?」
 「あなたは、もう立派に一国の代表でしょう」
 たとえまだその国は存在しなくても、近いうちに必ず自分達の前に立ち塞がる新しい力となるはずだ。
アルティウスも国の大小ではなく、その人物を見る男なので、きっと面白いと思いながらセルジュと対面してくれるだろう。
 「・・・・・そうだな。一番大きなものを始めに見ておいた方がいいかもしれない」
 案の定、セルジュは尻込みをする様子もなく楽しげに笑う。
シエンはメルキエでも忙しくなりそうだなと、ふうと息をついた。




 「も〜っ、悩むな〜!」
 「・・・・・ソウ様、声が大きいですよ」
 呆れたようにカヤンが注意してくるが、頭の中が真っ白になっている蒼は気にしていられなかった。
本当に久し振りに会う大切な親友に何を手土産にするのか、改めて考えてもなかなかいいものが思い浮かばないのだ。
そんな蒼をずっと見ていたカヤンが、いい加減決められたらどうですかと無情なことを言ってきた。確かに空はもう赤く染まりかけてき
たが、まだなにも買っていない。
 「ソウ様ご自身はどんなものを贈られると嬉しいのですか?」
 「俺?俺は・・・・・肉?」
 「・・・・・それは、とてもユキ様には合いませんね」
 「だから、困ってるんだろ」
 蒼は唇を尖らせた。
まだまだ成長途中の自分は、食べ物を貰うのが一番嬉しい。現に今も屋台の前を通ると、味見と称して様々な差し入れをして
もらって美味しく頂いた。
 しかし、そんな食欲重視の自分とは違い、有希はかなり小食で果物の方が好きだと言っていた。
 「果物なんて、持って行く間にカラカラになりそう」
 「やはりここは、装飾品がよろしいのでは?」
 「でも・・・・・」
(有希だって俺と同じ男だし)
客観的に似合っても、喜んで装飾品を身にまとうようにはとても思えなかった。