蒼の光   外伝3




蒼の再生




12

                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 ドアが開く音に何気なく視線を向けた蒼は、手にした果物と軽く開けていた口をそのままに思わず身惚れてしまった。
 「エ・・・・・ルネス、ト?」
 「久しぶりだ」
深い碧の色の目に穏やかな笑みを湛えて入室してきたのは皇太子エルネスト、いや、もう数日後にはこのメルキエ王国の国王と
なるエルネストだった。
 「ソウ」
 「・・・・・!」
 名前を呼ばれ、蒼は慌てて果物を皿に戻して立ちあがった。
エルネストに挨拶をしなければならないということは頭の中にあったが、風呂に入って汗を流し、瑞々しい果物で喉をうるおしてい
るうちにすっかり現状を忘れてしまっていた。
 「エルネストッ・・・・・あ、様」
 つい、以前のように名前で呼んでしまい、直ぐに訂正をした。国力ではバリハンが勝っているとしても、皇太子妃と国王とではど
ちらの位が高いかは一目瞭然だ。相手に対し、きちんと尊敬の意を見せなければ、エルネストが軽く見られてしまうかと思い、蒼
はぎこちなく礼の形を取った。
 「こ、今回は、呼んでくださり、ありがとうございます」
 何度も練習した口上は、なんとか詰まらずに言えたと思う。だが、エルネストの表情は始め部屋に入ってきた時よりもさえないも
のになってしまった。
何か、間違ったことを言ってしまったかと慌てた蒼に、エルネストは苦笑を浮かべて自身も蒼と同じ目線に腰を屈める。
 「そのような挨拶はしないでほしい」
 「え?」
 「せっかくそなたと再会したというのに、距離を持たれたようで寂しい」
 「え・・・・・と」
 まさか、そんなふうに言われるとは思わず、蒼は戸惑ってしまった。
前回、初めて会った時は布で顔を巻いていた。その後、気持ちを切り替えた彼は、男らしく整った容貌の左側、目尻から顎にかけ
てつけられた大きな刀傷を堂々と人目に晒した。
 どうしてその心境が大きく変化したのかはわからないが、蒼はその傷が醜いとは思わなかったし、彼が引け目を感じることはない
と思った。
 今のエルネストは濃いブラウンの髪を綺麗に撫でつけ、仕立ての良い服に身を包んでいる。自信に満ちた顔はまさに王者に相応
しい感じだ。
 「ソウ」
 強い眼差しで、真っ直ぐに顔を見ながら名前を言われると、なんだかドキッとしてしまう。蒼はチラッとシエンを振り返った。
エルネストが言うようにしてもいいのかどうか、自分では判断が出来なかった。
 「エルネスト殿がそう望まれているのでしたら」
 「シエン」
 「・・・・・」
シエンが頷くのを見て、蒼はもう一度エルネストを振り返る。
 「・・・・・ひさしぶり、エルネスト」
 「ソウ」
 たったその言葉だけで、エルネストが嬉しそうに目を細めた。
(な、なんだか、大歓迎、されてるみたいだ)
大勢の招待客の中の1人だと思っていた蒼にとって、エルネストのその言動には多少の戸惑いがある。それでも、懐かしいという気
持ちは大きく、今回の戴冠式のことも心から祝いたいと思ってきているので、蒼はにっこりと笑いながら手を差し出した。




 どれほど、この日を待っただろうか。
蒼の言葉によって闇の中から立ちあがることが出来、背を向けていた国を立て直そうと思った。そうでなければ自分はあのまま、顔
の傷と父への不信で、一生誰も愛さず、祖国でさえもどうなってもいいと投げやりになったことだろう。
 もちろん、どんなに欲しいと思っても、蒼がバリハンの皇太子、シエンの后であることは変わらないし、尊く、手にすることは叶わな
い《強星》であることもわかっている。
それでも、動かなければ、望まなければ何も始まらないと、父からこの国を引き継ぐ間、エルネストは何度も自身に言い聞かせてき
た。
 「ひさしぶり、エルネスト」
 「ソウ」
 夢にまで見た蒼が、また自分の名前を呼んでくれた。
眩しい笑顔を向けてくれ、親愛の印として手を伸ばしてくれる。エルネストはしっかりとその手を握り返した。
 「ようこそ、メルキエ王国へ」
 恭しくそう言って、そっと握った手の甲に口付ける。健康的な肌の色の、まだまだ少年らしい細い指先が眩しい。
 「うわっ」
突然のことに驚いたように声を上げる様が可愛らしく、エルネストは口元を綻ばせながらさらに手を強く握りしめた。
 「再び我が国を訪れてくださるのを待っていた」
 「エ、エルネスト、手・・・・・っ」
 「その訪問が、私の戴冠式で、本当に嬉しく思う」
 「手、手、はなしてっ」
 本当はもっとこの感触を感じていたかったが、困らせたいわけではない。エルネストが手を離すと、蒼は慌てたように両手を背中
に回し、少し怒ったような視線を向けてきた。
 「怒ったのか?」
 「お、怒ってはないけどっ」
 びっくりしたと言う蒼にすまないと声を掛け、エルネストはようやくシエンに向き直った。
本来は皇太子であるシエンに一番に挨拶をしなければならないのだが、どうしても心情が先に立ち、目が、気持ちが蒼の方に向
いてしまった。
そのことは、多分シエンも気づいていたのだろう、表情の中には呆れと共に警戒の色もある。
(私にソウを取られるとでも考えているのか?)
 だとしたら、エルネストにとっては名誉なことだ。初めから相手にされないよりも、対等に勝負出来る位置にいる方がよほどいい。
せっかく立ち直ろうとしている国を巻き込むことは考えたくはないが、もしもそんなことになったとしても・・・・・。
(ソウが、私を選んでくれるのなら・・・・・)
国をも懸けても構わない。
 「ようこそお越しくださった、シエン王子」
 内心何を考えているのか悟らせないよう、エルネストはシエンに声を掛けた。対するシエンも、
 「王位継承、おめでとうございます、エルネスト殿」
落ち着いた声でそう、祝いの言葉を告げてきた。
 「長旅、大変でしたでしょう」
 「楽な旅ではありませんでしたが、ソウにとってよい経験になったようです」
 「・・・・・」
 エルネストがシエンの隣に立つ蒼を見ると、蒼はコクンと子供のように頷く。
 「大変だったけど、楽しかった」
 「・・・・・それならば、良かった」
シエンの言葉には、こんなにも直ぐに素晴らしい笑顔を見せるのだと思うと羨ましくてたまらない。
戴冠式を終えれば、王になる自分は皇太子であるシエンよりも立場は上になる。ただし、国力は遥かにバリハンが上で、まだまだ
エルネストはシエンに敵わない。
 欲しいものは奪えは手に入るかもしれないが、身体だけを手に入れるのは空しいだけだ。
身も欲しいが、それと同じように心も欲しい。そのためには、少しでも早く、シエンと対等にならなければと、エルネストは改めて己に
誓った。




 国王・・・・・まだ戴冠式が済んでいないので皇太子だが、わざわざ彼の方から出向いて挨拶をしてくれ、蒼は恐縮してしまった。
依然と変わらない態度を取って欲しいと言われたものの、さすがに友人に対するような物言いは出来ない。
 そんな蒼にエルネストは少し寂しそうな顔になったが、直ぐにその表情を消して来国への感謝の意を述べた。
まだまだ忙しいらしい彼はそれから直ぐに部屋を辞したが、直ぐに次の客が部屋にやってきた。
 「お兄様」
 「コンティ」
 それは、この国に嫁いだシエンの妹、コンティ夫妻だ。
子供を産んだとはいえ、まだまだ少女の面影を残すコンティは、兄であるシエンに会えて嬉しそうだ。そんなコンティを、少し後ろから
穏やかに笑って見つめていたこの国の第二王子、オルバーンは、じっと見ていた蒼の視線に気づいたようで目を細めて頭を下げて
きた。
 「ようこそ、メルキエへ」
 「あ、ご、ごじょうらい、ありがとうございますっ」
 突然話しかけられ、思わず言葉を噛んでしまう。焦った蒼に、オルバーンはさらに笑みを深めた。
 「長旅、お疲れでしたでしょう?戴冠式までごゆっくりなさってください」
 「は、はい」
 「義兄上も」
 「こちらこそ、厚遇感謝する」
 「シエン」
コンティと話していたと思っていたシエンが、何時の間にか側に来ていた。
簡単な挨拶が終わると、2人の間で国情についての話題が出る。それには入らない方がいいかなと思った蒼が少し身体を後退す
ると、今度はコンティと目が合った。
 「あ、赤ちゃん、元気ですか?」
 どんな話をしたらいいだろうかと思いながら、一番最初に頭の中に浮かんだことを口にする。すると、コンティは満面の笑みで答え
てくれた。
 「とても元気です。ご滞在中に会っていただけますか?」
 「会ってもいいの?」
 「もちろんです。ソウ様はあの子にとっても大切な家族ですもの」
 「か、ぞく・・・・・」
 シエンと結婚している蒼から見ればコンティは義妹で、その子は甥にあたる。血が繋がっていなくても家族と言ってくれるコンティ
の想いが嬉しくて、蒼は勢いよく頷いた。
 「家族だよねっ」
 シエン以外に頼るものがいないと思う気持ちは間違いだ。
血縁でなくても、自分に繋がっている人は数多くいる。コンティやその子供はもちろん、バリハンの国王夫妻だって蒼の大切な家族
だ。
(なんだか・・・・・嬉しい)
改めて気づかされたことに、蒼は心の中が温かくなった。

 長旅で疲れただろうからと、オルバーンとコンティは早々に部屋を辞した。
部屋の中は再び蒼とシエン、そしてセルジュとアルべリック、カヤン、ベルネだけになる。
 「カヤン、ベルネ、お前たちも休むがいい。休息もなく、疲れただろう」
 シエンがそう言うと、ベルネがいいえと否定した。
 「問題がなかったとはいえ、警戒はしておかなければなりません。どうかこのまま外で待機をさせてください」
 「私も」
カヤンも続いてそう言ったが、シエンはその申し出を却下する。
 「いくらお前たちでも身体を休まないままでは十分な動きもとれないだろう。大丈夫だ、私もソウも、しばらくは部屋から出ない。
・・・・・いいですね、ソウ」
 「あ、うん」
 本当は、このまま少し王宮の中を探索したかったが、その好奇心以上に疲れが溜まっているのは間違いない。多分シエンは、カ
ヤン達に休めと言うのと同時に、蒼にもおとなしくしていろと言っているのだ。
(先手を取られた感じ・・・・・)
 「だ、そうだ」
 蒼の返事に満足したように、シエンはもう一度2人の臣下を見つめる。
 「・・・・・わかりました」
 「カヤン」
先に折れたカヤンに、ベルネが鋭い声を掛けた。だが、カヤンは落ち着いた口調でベルネに告げる。
 「王子もソウ様も、我らがいれば落ち着いて休まれないだろう。王宮内も戴冠式に備えて警備は強化されているし、私たちが体
力を消耗しているのも確かだ。足手まといにならぬためにも、休めるうちに休んでいた方がいい」
 「・・・・・」
 「そうしよう、ベルネ」
 「・・・・・承知、した」
 カヤンの言うことももっともだと思ったのか、ベルネも不承不承ながらシエンの言葉を受け入れた。
(うん、その方がいいよな)
カヤンやベルネももちろん、一緒に旅をしてきた兵士たちもゆっくり休んで欲しい。いや、後2人・・・・・。
 「セルジュ」
 蒼は我関せずといった様子で椅子に座っていたセルジュのもとに歩み寄った。
 「セルジュたちも休めよ」
 「え〜、ソウと離れると寂しいんだけどな〜」
 「セルジュ!」
 「はいはい。おい」
どうやら反抗は口だけだったらしく、案外セルジュは素直に立ちあがり、アルべリックに声を掛ける。
 「じゃあ、俺たちも少し休ませてもらう。ソウ、後でな」
 「うん」
 セルジュたちが出て行き、続いてカヤンとベルネが礼をして部屋を辞した。
中に残ったのは蒼とシエンだけだ。別に彼らが邪魔だったとは思わないが、なんだかようやく落ち着けるような気がして、蒼は大き
く息をついた。