蒼の光   外伝2




蒼の運命




プロローグ

                                                           ※ここでの『』の言葉は日本語です






 五月蒼(さつき そう)は、こっそりとドアを開けて廊下を窺った。
(まだ来ないな)
もう直ぐ、午後からの勉強会が始まる。
真面目に受けなければならないのは分かっていたし、蒼もこの国の歴史に関してや、諸外国との関係などの話は楽しくて、まるで
世界史を聞いているような気がしていた。
 しかし、それが宗教的な話になると、舌が噛みそうになってしまう名前が次々と出てしまい、蒼は少し聞いているだけでも眠くなっ
てしまって仕方がないのだ。
 そして、それは自分と同様、この授業を受けている男にも言えることで・・・・・。
 「来たか?」
 「まだ」
 「ま〜た、あの眠くなる呪文のような話を聞かなきゃいけないのか」
うんざりとした男の言葉に、蒼は思わず頷いてしまった。外は青空の広がったいい天気で、部屋の中で勉強するよりもソリューで遠
乗りに行く方がよほど楽しそうだ。
 「・・・・・」
 「ソウ?」
 「・・・・・ごめんっ、シエン!」
 今日で10日目。これでも我慢してきた方だ。自分と同様に勉強する者がいたのでまだ我慢出来たかもしれないが、そろそろ蒼
の感情が爆発しても許してもらえるのではないだろうか。
 「ソウッ?」
 いきなり窓辺に駆け寄った蒼が、大きくそれを開いたのに驚いた男が、焦って止めようとしてくる。
 「だいじょーぶ!ここは1階だし!」
窓枠から見ても2メートルあるかないかくらいの高さだ、蒼は足を掛けるとそのまま外へと飛び降りた。下は手入れされた柔らかな
草なので、思ったよりも衝撃は少ない。
 「ソウ!」
 「俺、だっそーする!後、よろしくっ、セルジュ!」
 「おいっ、待てっ、俺も連れて行け!」
 「やだ!大勢だったらつかまっちゃう!」
 脱走は単独で。どうせ後でカヤンにこってり絞られるのだろうと覚悟を決めた蒼は、そのまま兵士達の訓練場に向かって走り始め
た。




 現代日本の高校3年生だった蒼は、ある日、不思議な力で、この不思議な世界にやってきた。
来た当時はやはりもとの世界に帰りたいと強く願っていたが、蒼を保護し、守ってくれるバリハン王国の皇太子、シエンに対して打
ち解け、シエンも、蒼に愛情を持ってくれるようになって、2人は何時しか恋仲になっていった。

 当時、シエンには許婚がおり、彼女に関しては様々な悲しい事件も起きてしまったが、それを乗り越えた2人は無事に婚儀を挙
げ、蒼は皇太子妃という立場になった。

 皇太子妃となった蒼の一番最初の大きな仕事は、2つ先のメルキエ王国に嫁いでいるシエンの妹のもとに、王子出産の祝いを
届けることだった。
 所用のために一緒には出発出来なかったシエンと離れ、蒼は砂漠の長い旅をし、途中で不思議な二人組みの男と出会う。
この世界の半分は占めるという未開の土地、アブドーランの中のグランダ族の歳若い族長であるセルジュと、男の幼友達で片腕
的存在のアルベリック。
 彼らはアブドーランの建国のために諸外国を回っており、途中で知り合った蒼達についてメルキエ王国にやってきた。

 この世界でもっとも価値のある存在とされているらしい《強星》の肩書きを持ってしまった蒼には、メルキエの王も興味を持ち、顔
に傷を持つ皇太子、エルネストとも妙な係わりを持ってしまったが、結局後から追いついてきたシエンと共に妹王女コンティに祝いを
無事届けることが出来た。

 そして、バリハンに帰国した蒼を待っていたのは・・・・・、なぜかこの国に留学を望むセルジュとアルベリックに、豪華なエルネストか
らの贈り物。
そうでなくても蒼が現れたことによって明るくなったバリハン王国の王宮は、更に忙しなく、賑やかになっていた。







 バリハン王国に留学を望んできたセルジュ達の目的は、建国についての学識を高めることらしいが、彼はほとんど自分の足で実
際に各国を回り、蒼以上に知識を身に着けていた。
それ以上勉強したがるなんて不思議だと蒼は思ったが、なぜかカヤンとベルネがこの機会に蒼にも改めてバリハン王国の政に関し
て学んで欲しいと言い出し、毎日セルジュとアルベリックと共に、午後からの数時間、勉強する羽目になっている。
 もちろん、蒼も皇太子妃という自分の立場があって、学ばなければならないことが多々あるということは分かっていたものの、こう
毎日退屈な宗教の話を聞かされ、外は眩しいほどのいい天気で・・・・・どうしてもムズムズする身体を抑えることが出来なくなって
しまった。

 「カヤンが来るまで、どのくらいだろっ?」
(セルジュが足止めしてくれてたらいいんだけど・・・・・)
あっちも頼りにならないしなと思いながら、何時しか訓練場へと辿り着いた。
 「あっ、ソウ様っ?」
 「おつかれー!」
 入口の兵士は驚いたように蒼を見る。以前は気安くソウと呼んでくれていたが、今ではさすがに敬称がつく。普通に呼び捨てにし
てくれと頼んだが、彼らはそこだけは譲れないと首を振った。
 それでも、剣の相手はしてくれるので、ここは王宮の敷地内の中で1、2を争う蒼のお気に入りのスポットだ。
 「午後からはお越しになれないんじゃ・・・・・」
 「今日はとくべつ!バウエルはっ?」
 「将軍は会議に出席なされています。昨今、国境近くに盗賊が出没して、我が民もかなりの被害を受けていますので」
バリハン王国の将軍は、蒼の父ほどの年齢の大柄な男で、初対面では思わず熊のようだと思ってしまったくらいだった。
気は優しくて力持ちという言葉通り、皇太子妃になる前も、後も、蒼に変わらず優しい言葉を掛けてくれて、今でもしょっちゅう剣
の稽古の相手をしてくれている。
 しかし、そのバウエルがいないとなると、中の兵士達で蒼の相手をしてくれる者はいるだろうか?
(う〜っ、せっかく抜け出してきたのに〜!)




 「・・・・・なんだ、あいつ・・・・・本当に皇太子妃か?」
 「小動物みたいだな」
 セルジュの呆然とした呟きに、アルベリックが答えた。まさしくその通り、今の身軽さは人間というよりも背中に翼の生えた鳥のよう
に見えた。
 「・・・・・」
 たちまち小さくなっていく蒼の背中を見送っていたセルジュは、やがて溜め息をつくとガシガシと髪をかき乱し、あ〜あと言いながら
椅子に腰掛ける。蒼がいなければ、ここにいる意味はないのだ。
 「どうする?」
 「俺は別にいいけどな。なかなか興味深い話もあるし」
 「お前は昔から学があるしな」
 「そういう問題じゃない。将来、お前の役に必ず立つからだ」
 「アルベリック」
 確かに、蒼にもっと近付くためにこの国へと乗り込む時、その理由を建国のための勉学とした。
しかし、それは口から出まかせなどではなく、どこよりも強い国にするために、大国の一つであるバリハンから学ぶことは多いだろうと
思ったのも確かだ。
 「・・・・・仕方ない、ソウは腹痛ってことにしてやるか」
 「直ぐに分かるだろうけど」
 「はは、そうだな」
 アルベリックの言葉にセルジュが笑った時、
 「ソウ、入りますよ」
カヤンとは違う落ち着いた男の声に、2人は顔を見合わせてしまった。
(ソウ・・・・・運悪いな、お前)




 バリハン王国皇太子、シエンは、最愛の妃、蒼が勉強をしている部屋へと向かっていた。

 「どうやら、ソウ様はじっと話を聞かれるのは苦手のご様子。そろそろ嫌だとむずがられる頃合かもしれません」

 午前中、苦笑混じりのカヤンの言葉に、シエンも頷いた。
あの元気一杯の蒼が、午後からの数時間とはいえ、じっと勉強をしているというのはたいした忍耐だろう。そもそも、蒼の国ではあ
まり宗教に対しての造詣は深くは無いようで、特にそれに関しては苦慮しているようだった。
(少しは息抜きをさせてもいいか)
 王宮の中には、今セルジュという異分子がいる。
明らかに彼の目的は知識ではなく蒼自身だとシエンは分かっていたが、それでも蒼がセルジュに好感を持っているし、自分の狭量
さを知られたくなくて受け入れた。
 カヤンの授業を共に受けていれば、少なくともその間セルジュが蒼に手を出すことはないからと、シエンは蒼に積極的に勉強をす
ることを進めたが・・・・・。
(ソウは今でも精一杯に努めてくれている)
 最近は自分も国境の盗賊の問題で会議が続き、父王の代わりに接見することも多くて、ゆっくりと蒼と会話をする時間も限ら
れていた。
朝食と夕食は辛うじて共にとるものの、後は眠ってしまった蒼の顔を見ることの方が多い。
 見知らぬ国で、《強星》という重い名を背負って、それでも明るく笑っている。そんな蒼に甘えてばかりはいられないと、シエンはカ
ヤンに今日の勉強会は中止にするように言い、それを伝えに自ら足を運んだ。

 扉の前に立ち、シエンは一度大きく息をついてから言った。
 「ソウ、入りますよ」
扉を開けて直ぐに目に入ったのは、窓辺に立つ背の高い男2人だ。
 「これは、シエン王子」
 「セルジュ」
金の髪に紫の瞳を持つ男・・・・・セルジュが砕けた口調で話し掛けてきた。
粗野で、言動も横柄なところがあるくせに、将来、アブドーランの新国の王候補であるだけに、不思議と人を惹きつける魅力のあ
る男だ。
 現に、メルキエ王国の女官達もこの男を気にしていたし、この王宮内でも噂の的である。
荒削りで強引な男が良いと噂話を耳にしたが、どうやら肝心の蒼はセルジュに好意以上の感情を抱いていないことがシエンには
安心の材料だった。自分を受け入れているとはいえ、男である蒼には、男の色香など通用しない。
 シエンはセルジュから視線を離すと部屋の中を見渡す。どうやら、蒼は不在のようだ。
 「ソウは・・・・・」
 「ああ、あいつは腹い・・・・・」
 「逃げた」
 「アール」
 「事実は述べた方がいい。後で俺達が疑われることのないようにな」
セルジュの片腕的存在のアルベリック。セルジュを何時も制し、冷静な判断で物事を見ているこの男の知識はかなりのものだとカ
ヤンは言っていた。
 王の側近となるには一番良い性格だろうと思いながら、シエンはセルジュではなくアルベリックと会話を進める。
 「逃げたとは?」
 「どうしても宗教の勉強が苦手らしい。その窓から飛び降りて東の方へ」
 「窓から?」
その言葉にシエンは眉を顰めた。いくら蒼の身体能力が優れていて、この部屋が1階にあったとしても、些細な要因で足を痛める
こともありうる。
それに、さすがに皇太子妃が窓を乗り越えて外に出るのは、褒められた行為ではなかった。
(東・・・・・では、訓練場へ行ったか)
 思い切り身体を動かしたいらしい蒼の行く先は予想がつく。
シエンはアルベリックに言った。
 「今日の勉強会は中止だ。自由に時間を過ごされよ」
 自分は今から蒼を迎えに行かなければならない。捕まえて、小言を言わなければならないと思いながらも、シエンの顔には眉間
の皺ではなく苦笑が浮かんでいた。