BLIND LOVE









                                                                                         
『』の中は日本語です。




 車寄せに白のベンツが停まる。
直ぐに助手席から降りて来た男が後部座席のドアを開いた。
 「お疲れ様でした」
 「・・・・・」
 後部座席から降りた男の目の前には、十数人の召使い達が居並んで出迎えている。
 「お帰りなさいませ」
いっせいに頭を下げる彼らに一瞥も無く、男は開かれた玄関の中へと入っていった。

 「お帰りなさいませ、アレッシオ様」
 玄関ホールで頭を下げたのは、この屋敷の執事、香田夏也(こうだ なつや)だ。香田がコートを脱がせる手に任せながら、帰宅
した男・・・・・この屋敷の主人、アレッシオ・ケイ・カッサーノは口を開いた。
 「トモは」
 「友春様でしたら書庫の方に」
 「またか。埃臭い場所を気に入ったんだな」
 広い屋敷の中の一角にある書庫。そこには代々の屋敷の主人が収拾した本や、カッサーノ家に関する書物がしまわれている。
特に立ち入りを禁止しているわけではないが、好き好んでそこに行く者は今までいなかったが、今回屋敷にやってきた恋人はなぜ
かその場所を気に入り、暇があると閉じこもっていた。
 「イタリア語はそれ程上手くないんだが」
 どうやら勉強をしてくれているようで、簡単な会話なら出来るのだが、まだ字を読んだり書いたりすることは小学生並みのはずだっ
た。
もしかしたら、自分と同じ空間に居たくないのだろうか・・・・・そんなふうにさえ思ってしまう。
 「アレッシオ様」
そんなアレッシオに、香田が穏やかに話しかけた。
 「あの部屋には大旦那様が集められた写真集があります。友春様はそれを見られるのが楽しいようですよ」
 「・・・・・どうして知っている?」
 「今朝、お聞きしたばかりです。私もアレッシオ様と同じように不思議に思いましたので」
 少しだけ、香田の口調が柔らかくなったことに気付き、アレッシオは無言のまま書庫へと足を向けた。
恋人に対する自分の恐ろしいほどの執着を知っている香田にはごまかしても仕方がないと思うが、それでも何だか弱みを握られて
いるようで面白くない。
 「・・・・・」
 ただ、香田の首をすげ替えることは考えてはいなかった。
恋人と同じ日本人だということもあるが、その管理能力や采配は、歳に似合わず目を見張るものがある。
 他国の人間を厭うていた屋敷の召使い達も自然と香田を受け入れ、頼り、屋敷を空けることの多いアレッシオにとっても無くて
はならない存在だった。




 イタリアでも有数の資産家であり、裏の顔はイタリアマフィアの首領、アレッシオ・ケイ・カッサーノが、日本の大学生である青年、
高塚友春(たかつか ともはる)と出会ってもう2年ほど経つ。
 当初は自分がこれほど入れ込むとは思わず、ただ、母親の母国の人間だということと、大人しく被虐心を誘う言動を面白く思っ
て、本人の意思など一切構わずにイタリアに攫ってきた。

 しかし、アレッシオはそこで自分の見立てが間違っていたことを知る。
弱く、儚い存在だった友春は意外にも頑固で、アレッシオの過分な寵愛にも心を開くことは無かった。無垢だった身体を自分の色
に染め、快楽を深く刻み込んでも、友春はアレッシオに屈することは無かった。
 甘く開く身体と、氷以上に冷たく硬い心。
そのアンバランスさがもどかしく、どうしても自分に振り向かせたくなって・・・・・そんなふうに考えてきた自分こそ、友春に囚われてい
るのだとアレッシオは知ってしまった。

 母親が愛人だったので、少年時代は随分不遇だったが、本妻が失脚した後、アレッシオが跡継ぎに指名されてから全てが逆転
していた。
イタリアでも有数の資産家で、マフィアの首領になった自分は、今まで望めば何でも手に入ってきた。
どんな女達も、簡単に自分に身を投げ出してきた。
 しかし、友春はそんな欲望の処理の相手達とは違う・・・・・アレッシオは、初めて自分が望むものを手放した。

 もちろん、そのまま友春を諦めるつもりは無く、アレッシオはイタリア男の情熱をもって、頻繁にイタリアと日本を行き来し、友春の
身体だけでなく心を手に入れる為に時間を費やした。
 こんなに長い時間が掛かるとは思わなかったが、それでも、最近は友春の気持ちが自分に近付いてきたことを感じる。
そう、少しでも気持ちが無いのならば、友春にとって初めの嫌な思い出があるイタリアに、こうして自らの足で来ようとは思わないだ
ろう。

 去年のクリスマスは、友春がイタリアに来てくれた。
新年は、自分が日本に行った。
 そして、2月に入って間もなく、再び友春がイタリアを訪れてくれている。それはきっと、間近に迫る《サン・バレンティーノの日》のた
めではないかと密かに期待していた。
2月14日・・・・・イタリアでも《サン・バレンティーノの日》と呼ばれているその日は、恋人達が愛を確かめ合う日だからだ。
 自分のことを、ようやく恋人として認めてくれるのではないか・・・・・そんな期待を込めて、アレッシオは友春がいるだけで更に居心
地の良くなった屋敷から出来る限り出ないようにしていた。




 鮮やかな色の写真。
ヨーロッパだけではなく、東南アジア、アフリカと、様々な風景が次々と現れる。そのたびに感嘆の息をつきながら、友春の指はゆっ
くりとページを捲り続けた。

 広いアレッシオの屋敷には大勢の使用人がいる。
以前の初老の執事がいる時は冷ややかな視線で見られていたように感じたが、香田に変わってからは屋敷の中は良い方に変わっ
た気がした。
もちろん、親しく口をきくということはないが、それでも居心地の良くなった屋敷の中にいることが以前ほど苦ではなくなって、アレッシ
オも屋敷の中に限っては友春がどこに行くのも自由にしてくれている。

 この書庫を見つけたのはほんの偶然だった。
屋敷の奥にひっそりとある扉。その向こうに何があるのだろうかと香田に訊ね、そこが書庫だと聞いてアレッシオに入室の許可を求
めた。
 イタリア語がスラスラと読めるという段階ではなかったので、どんな雰囲気なのかと見るだけでもいいと思っていたのだが、幾つか手
に取った中に写真集があることに気付いた。

 風景だけではなく、人物のものもあったが、友春は風景の写真を気に入って、ここ2日、日中のほとんどをこの書庫で過ごしてい
る。
本を傷めないために暖房が入っていないので、友春は家の中だというのにコートを羽織るしかなかったが、片隅に置かれた小さなソ
ファと木の机の前に陣取り、窓のない書庫の中で静かな時を過ごしていた。

 トントン

 不意に、ドアをノックする音が聞こえ、友春は顔を上げた。
 『・・・・・あ、そろそろケイが戻ってくる時間かも』
ここにいると時間を忘れてしまう友春のために、香田が時間を見計らってきてくれる。急がなければとドアの前まで駆け寄った友春
は、
 『すみません、香田さ・・・・・』
 『ナツではない』
 『ケ、ケイ』
そこに立っていたのは香田ではなく、イタリアのブランドスーツに身を包んだアレッシオの姿だった。




 『すみません、香田さ・・・・・』
 『ナツではない』
 『ケ、ケイ』

 ドアを開けた瞬間、友春の口から零れたのは香田の名前だった。
自分がまだ帰宅していないからと思っていたのかもしれないが、それでもこんなふうに柔らかな笑みを浮かべて香田の名を呼ぶのか
と思うと腹立たしい。
 「やはり、ナツを別の屋敷にやるか」
 「・・・・・!」
 その手腕を切り捨てるのは惜しいが、この屋敷で使うことはないかもしれないと本気で思う。そんなアレッシオの言葉を聞き取った
らしい友春がパッとスーツを掴んで謝ってきた。
 「こーださんっ、わるない!ごめんなさい!」
 「トモ」
 「むかえ、忘れて、わたし・・・・・ごめんなさいっ」
 イタリア語で必死に言い募る友春。慣れない言葉なので敬語は使えず、それが返って嬉しくも感じるアレッシオだ。
ただ、自分が何を不機嫌に思っているのかはきっちりと伝えなければと、改めて友春を見下ろしながら言った。
 『ここの主人は誰だ?トモ』
 『ケ、ケイです』
 『お前の唇から呼ぶ名前は?』
 『・・・・・ケイ』
 『忘れるな、トモ。この世の中でお前を一番深く愛しているのは私で、私に愛されているお前は、けして他の人間に目を向けては
ならない』
 そうい言ったと同時に、アレッシオは友春の唇を奪った。
 「んむっ」

 チュク

我が物顔に口腔内を貪りながら、アレッシオは友春の身体を強く抱きしめる。
友春がイタリアに来て今日で3日目。本来は毎日でもこの身体を抱いていたかったが、少々問題が起きてしまい帰宅時間が連
続して遅くなった。
 日本との時差のことも考えてまだその身体を抱いていなかったが、こんなふうに自分の恋人である立場を忘れてしまいそうになる
のならば、少々無理をしても抱けば良かったと思う。
 薄暗い書庫の中では友春の顔色はよく分からなかったが、きっと青白く、怯えた表情をしているのだろう。優しくしたいのに、どう
しても追い詰めてしまう。
 「・・・・・っ」
 ようやく唇を離すと、友春は涙で潤んだ瞳で自分を見上げ、もう一度小さくごめんなさいと謝ってきた。
そんなふうにさせている自分が腹立たしく、アレッシオはそのまま細い手首を掴んで書庫から出る。
 『冷たい』
 『え?』
 『明日からは暖房を用意させよう』
 『で、でも、本が傷むし・・・・・っ』
 『古臭い本よりも、お前の方が大切だ』
 そんなにここが気に入っているのなら、友春にとって居心地の良い空間にしなければならない。結局、香田に手配させることにな
るだろうが、それがあの男の仕事だった。




 アレッシオに手首を掴まれたまま、友春は早足でついていく。
手足の長いアレッシオとは歩幅が違うので、どうしてもそんな格好になるのだ。
 気持ちが落ち着かないせいもあって一瞬足がもつれてしまい、そのせいでアレッシオを引き止める形になってしまう。
その時ようやく立ち止まったアレッシオは、しばらく友春の顔をじっと見つめた後・・・・・不意に抱きしめてきた。




 「ケ、ケイ?」
 「すまない、トモ」
 「・・・・・」
 「ここにいると、どうしても家長や首領としての立場を強く意識してしまって、お前を怯えさせてしまう。日本にいる時は、もう少し優
しく出来るんだが・・・・・」
 「ケイ?」
 難しい言い回しのイタリア語なので、友春はその言葉のほとんどの意味が分かっていないのだろう。
それでいいと思った。友春に対しては、自分は何時も優位に立っていなければならない。そうしなければ、自分の手の内から逃げ
ていく友春を捕まえることが出来ないからだ。
(私も、弱くなったものだな・・・・・)
 愛は奪うものだと思っていた自分が、今は友春に愛を乞うている。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 自分が掴んでいる友春の腕。その自分の手に、友春のもう片方の手が重ねられる。細くて小さな手が、自分の手に重ねられる
のをじっと見つめ、アレッシオは一度大きく息をついた。
 「・・・・・トモ」
乱暴にしてすまないと謝ろうとしたアレッシオよりも先に、友春がつたないイタリア語で大丈夫と言ってきた。
 「ケイ、わたし、大丈夫」
 「・・・・・」
 「元気、して」
言葉が分からないまでも、アレッシオの気持ちが乱れていることを感じたのだろう。友春が自分を気遣って声を掛けてくれることが嬉
しくて、そのままアレッシオは友春の手を握り締める。
 「夕食を一緒に」
 「うん、ごはん、いっしょ」
 「行こうか」
 友春がイタリアの自分の屋敷にいて、手を伸ばせば温かな身体を抱きしめることが出来る。そんなささやかなことが何よりも幸せ
なのだと、クリスマスにも感じた思いをアレッシオはこの数日間も常に感じていた。






                                               







お久し振りです、アレッシオ&友春です。
今回はバレンタインに近い話なので、前回のそれよりかなり関係の進んだ2人を書きたいです。
ただ、ラブラブって感じではまだないかも。一応10話予定です。