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目の前のドアの前に立った時、江坂凌二(えさか りょうじ)は一瞬立ち止まった。
(・・・・・失敗は許されないな)
やっと・・・・・ここまできた。
様々な問題を全てクリアして、やっとここまできたのだ。
「・・・・・」
どうしても手に入れたくて、あらゆる手段をこうじた。その集大成が、今からのこの対面だ。
自分でも呆れるほど緊張しているのが分かり、江坂は一回だけ深呼吸をした。
「失礼」
軽くノックをした後、江坂はドアを開く。
殺風景なホテルの一室、窓際に立っていた人物がこちらを見て、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「わざわざご足労頂きまして、申し訳ありません」
その人物に優しく声を掛けた江坂は、イスに座るように勧めて自分もその向かいのイスに座る。
そして、緊張している様子の目の前の人物に穏やかに言った。
「よく決心して頂きました。静(しずか)さん、ご実家のことは何の心配もされなくていいですよ。約束通り、私が出来るだけ援
助をさせてもらいます」
「・・・・・」
目を伏せたままの目の前の青年が、僅かに唇を噛み締めているのが分かった。
江坂は、関東随一、そして、日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の理事の1人だ。
まだ36歳という若さでのこの地位は、江坂がかなり期待されているということの表れだった。
組織内では理事という立場の江坂も、世に出れば会社の社長という立場もあった。
最近組織内でも資金源の多くを占めてきている株の売買。東大で経済を学んだことも考慮され、本部である大東組の中では
江坂がほとんどその担当としての責任者になっていた。
見掛けは大企業の役員といってもいいほどの雰囲気を持っている江坂は、企業間の集まりにも積極的に参加し、自分達の資
金を増やすことを半ばゲームのように楽しんでいたのだ。
その、企業の新年会の席に、父親と一緒に現れたのが小早川静(こばやかわ しずか)だった。
初めて会った3年前、静は15歳、高校1年生で、大手ゼネコンの取締役だった父親の後ろで、まるで人形のように黙って立っ
ていた。
まだ見るからに子供の静をこんな場所に連れてきた父親の真意は直ぐに分かった。
それは、たちまち数多くの出席者達が近寄って行ったからだ。
静は・・・・・とても綺麗な少年だった。
まだ子供ながらに、静はとても雰囲気を持った少年で、まだ頬に丸みは残っているものの、全体的にほっそりと華奢で、少し
切れ長の黒目がちの目が印象的だった。
誰に何を言われても黙ったまま、僅かに応えを返す姿はまるで人形のようで、江坂は何時の間にか自分がその少年に目を奪
われていることに気付いた。
「あの子は?」
近くにいた男に訊ねると、応えは直ぐに返った。
「ゼネコンの小早川商事の専務の子ですよ。まだ高校生かな」
「・・・・・綺麗な子ですね」
「ああ。だから父親が連れ歩いてるんだよ」
意味深に笑う男の言葉の意味は分かる。
まさか本当に差し出すということはないだろうが、その少年は十分に餌になっていて、影で父親の仕事の役にたっているのだろう。
(小早川商事か・・・・・)
綺麗な少年というのは、実は江坂もごく間近で見たことがある。大東組の傘下、日向組の次男坊、日向楓だ。
まだ中学生ながら、楓の美貌は絶世といってもよく、小さな組である日向組が幹部達に目を掛けられているのも、楓の存在が
あるからといってもよかった。
楓自身も自分の容姿を自覚し、それを利用しているが、根本的に純粋なのか性格は我が儘な子供のままで、江坂は楓の
事を綺麗だとは思うが、まだまだ子供だという風にしか見れなかった。
しかし・・・・・目の前の少年は違う。
どうしても手に入れたいという焦燥感が見る間に胸の中に広がっていった。
(私は・・・・・どうしたんだ・・・・・)
それから、江坂は少年・・・・・静の事をこと細かく調べた。
学校のこと、家庭のこと、そのどれもが静を少し大人しいがごく普通の少年だと示していたが、江坂はどうしてもあの面影を消
し去ることは出来なかった。
あれからどんなに美しい女を抱いても、若く見目の良い男を抱いてみても、江坂の飢餓感はいっこうに納まらない。
やがて、江坂は自覚するしかなかった。
自分が静という存在を欲しているということを。
一度自覚すると、江坂は全ての情熱をつぎ込んで静を手に入れる為に動いた。
あらゆる手段を使って、先ずは静の父親を追い詰めていく。市場に出回っている株を買占め、取引先に手を回し、議員さえも
使った。
直ぐにではなく、じわりじわりと、確実に追い込んでいく。
あれ程優良な企業だった小早川商事は、数年で経営危機に陥り、追い詰められた彼らは、直ぐに筆頭株主となっていた江
坂に連絡をしてきた。
やっと・・・・・その時がきたのだ。
「融資をしてもいいですよ。条件は一つです」
「緊張されていますか?」
「・・・・・」
静は少しだけ頷いた。
(俺は・・・・・どうなるんだろ・・・・・)
「すまない・・・・・すまない、静・・・・・」
「静、ごめん・・・・・っ」
父が泣いた姿を、静は初めて見た。
最近、父親の様子が変だというのは分かっていた。
既に成人して父の会社を手伝っていた兄の顔色も悪く、静はどうしたのだろうかと心配していたのだ。
そんな時、父と兄は静を前に土下座をして頭を下げた。会社の為に、多くの従業員を救う為にも、静にある人物のところに行っ
てほしいと言うのだ。
それがどういう意味でなのか、父も兄も詳しくは言ってくれなかった。ただ、すまないと言い続けるだけで、後は何の説明もなく、と
にかく相手に会ってくれと言うばかりだ。
わけが分からないまま指定されたホテルに来た静は、ドキドキしながら相手を待っていたが・・・・・現れたのは静の想像していた
ような初老の人物ではなく、まだ30代半ばのような、若い男だった。
整った容姿に掛けているフレームスの眼鏡が知的さを際立てている、一見して出来る大人の男といった感じだ。
「わざわざご足労頂いて、申し訳ありません」
穏やかな声は低く響き、静はただ途惑って目を伏せるしか出来なかった。
(この人が・・・・・会社を助けてくれる・・・・・?)
「よく決心して頂きました。静さん、ご実家のことは何の心配もされなくていいですよ。約束通り、私が出来るだけ援助をさせて
もらいます」
「・・・・・」
その言葉に、目の前のこの男・・・・・江坂が、やはり会社を助けてくれるようだと分かった。
しかし、まだ若く見える江坂が、そんなにも多額の融資をすることが出来るのだろうか・・・・・それに、自分がここに呼ばれたのは
なぜか、静は頭の中でグルグルと考え続けてしまうが、なかなか口に出して聞くことが出来なかった。
「静さん、私のことは聞かれましたか?」
「・・・・・いいえ、何も」
「そうですか」
静の短い言葉に、江坂は苦笑を漏らした。
「まずは、名前を覚えてください。私は江坂凌二といいます」
「江坂・・・・・さん」
「株の売買をしている会社を経営しているんですが、今回たまたまあなたのお父さんの会社の株を大量に取得したんです。
私自身は自分の会社で手一杯ですので、お父さんの会社をどうこうしようとは思ってはいないんですが、やはり筆頭株主になる
と無視というわけにはいかないようで・・・・・色々と今後の事を話し合わせてもらいました」
そこまで言って、分かりますかと優しく聞かれる。静が頷くと、江坂は優しく噛み砕くようにして続きを説明してくれた。
「見返りが欲しいわけではないのですが、あなたのお父さんは随分義理堅い方のようで、今後の修行の為にもお兄さんを預
かってくれないかと言ってこられたんです」
「あ、兄を、ですか?」
「ええ。でも、お兄さんはもう会社を手伝ってらして、今は重要なポジションにいらっしゃるでしょう?そんな人を無理に引き取る
のも申し訳ない気がして・・・・・でも、お父さんはそれでは気が済まないとおっしゃる。そこで、今大学生のあなたをという話になっ
たんですよ」
「・・・・・」
「あなたに、何をしてもらうということはありません。ただ、私の家で色々と勉強をしてもらえればいいんです」
(さて・・・・・どうする・・・・・?)
江坂はじっと静を見つめた。
静が途惑っているのは手に取るように分かる。確かに、傍から聞いてもおかしな条件ではあるだろう。
たかが大学生の青年1人に億単位の融資をするなど、普通ならばとても考えられない。
(それでも、君は断わらない)
家族思いの静は、たとえ直感でおかしいと思ってもこの話は断わらない。
江坂はそれを確信していた。
「・・・・・ただ、お世話になるだけじゃ・・・・・申し訳ないです」
戻ってきた返事は、既に了承の意味を含んでいる。
江坂は内心ほくそ笑むと、イスに座らせた静の肩にそっと手を置いた。
「まだ学生のあなたは、何の気を遣うこともありません」
「でも・・・・・」
「ただ・・・・・私の傍にいてください」
「・・・・・」
もう、3年も待った。焦れて焦れて、やっと目の前に静が立っているのだ。どんな甘言を用いてもこの機会を逃がすつもりはない。
「静さん、どうでしょうか」
真摯に自分を見つめてくる江坂は、本当に自分の事を考えてくれているように感じ、静は少しだけ江坂に恐れと疑いを抱いて
しまったことを申し訳なく思った。
(・・・・・それに、他に方法はないし・・・・・)
父が泣きながら頭を下げてきたくらいだ。万策が尽きたということなのだろう。
親族会社で、社長が祖父、役員達も父の兄弟や従兄弟達が名を連ねている。時期社長と言われている父親の後ろには、数
千の社員、そしてその後ろには社員の家族達がいた。
「・・・・江坂さん」
「はい」
「俺は、あなたの役に立つんですか?」
「ええ、傍にいてくれるだけで」
「・・・・・」
静は立ち上がると、江坂に深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
江坂が静の手を取り、ギュッと強く握り締めてくる。
大きく温かいその手に、今の静は頼るしかなかった。
初めて触れたその手は思ったよりも柔らかく小さく、もう十分自制出来る歳である江坂の心臓と身体が戦慄いた。
(やっと・・・・・手の中に入った・・・・・)
優しくして、甘やかして、その体も心も自分に依存させてしまおうと思う。
狂気と、執着。その向かいにある愛情と慈愛。
我慢に我慢を重ねてじっと目の前で見ているだけだった境界線を、江坂はやっと今・・・・・堂々と越えてみせた。
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今回の話は、今読みたい話でトップの、「ヤクザ 狂気 溺愛 執着×ビスクドールみたいな美人 無表情」のつもりです。
前・中・後編となるか、前・後編書くかは未定。
丁寧語攻めです。腹黒くしたいよ〜。