海上の絶対君主




第五章 忘却の地の宝探し


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※ここでの『』の言葉は日本語です






 エイバル号は水飛沫を上げながら航海を再開していた。
 「いい天気で良かった!」
 「ああ、旅立ちに相応しいな」
しばらくはラディスラスのやり過ぎに怒っていた珠生も、こうして新しい旅立ちが始まったことに目を輝かせている。
いや、これは大好きな父親にもう直ぐ会えるという嬉しさからかもしれない。
(恋人の前でこの態度は寂しいなあ、タマ)
 多分、本当に口に出してそう言えばたちまち叱られてしまうのが分かるので、ラディスラスは口元に苦笑を浮かべたまま黙って海
を見つめた。
(旅立ち、か)
 確かに、これは自分達にとっても、そしてイザークに、さらには、ミシュアや瑛生にとっても新しい旅立ちの第一歩になることは確
実だった。
(あの、堅物な男が言い出したんだからな)




 「・・・・・だが、このまま現王のために使うのもおかしいと思う気持ちに、目を瞑ることは出来ない」

 そうきっぱりと言いきったイザークの目の中には迷いは無かったものの、それがどういった意味なのかラディスラスは、いや、イザー
ク以外の者達には分からなかった。
 「それで?結局、どうする?」
 自分達の疑問は、珠生の端的な言葉で表現された。
イザークはそんな珠生の顔をしっかりと見つめ、決意したようにゆっくりと言葉を押し出した。
 「ミシュア王子には、御帰国いただく」
 「えっ?」
 「そして、現王を支えていただき、共にこのジアーラを栄えるように尽力していただこうと思っている」
 「それは・・・・・ちょっと、身勝手じゃないか?」
 ラディスラスはさすがに眉を顰める。
そもそも、ミシュアは現王がジアーラから追い出し、今の境遇になったはずだ。皇太子という身分を剥奪され、故郷から遠く離れ
た異国に軟禁されて、一時は死を覚悟するほどの体調にまでなったのだ。
そのミシュアを、再びこちらの都合だけで呼び戻そうとはあまりにも身勝手だ。
 「王も・・・・・気の毒な方なんだ」
 「イザーク」
 「王は、民がミシュア王子を慕う中即位された。確かに、その方法は私も間違っていると思っている。それでも、当初はこの国を
思い、発展されようと努力をされてきた」
 「イザーク、それは・・・・・」
 「ラシェル、早々にこの国を捨ててしまったお前には、王のご苦悩も見えないはずだ。私は・・・・・その苦悩を見、やがて諦め、
逃げてしまったあの方を知っている」
 「・・・・・」
 ラディスラスも、珠生も、ラシェルも。誰もが口を挟めなかった。
この国の数年という時間は、きっととても長く、重いもので、そこで生活してきた者でしか、その苦しさは分からないのだろう。
(ラシェル・・・・・)
 自分のすぐ側にいたラシェルが歯を食いしばる音が聞こえてくる。
ラシェルにとっても、長い長い時間。皇太子の親衛隊長にまでなった男が海賊にまで身を落としたことは、辛くなかったといえば嘘
だろう。
 そこは、どうしても相反する思いを抱いてしまうだろうとラディスラスは思った。
 「お前は、王子にお帰りいただくというのに、王座を空けて待たないというのかっ?」
 「・・・・・ラシェル、王子はあのお体だ。王という激務に疲れて、またお体を壊されたら・・・・・今度も助かるという保証はないと思
わないか?」
 「そ・・・・・れは・・・・・」
 「それに、私は王子はきっと頷いてくださると思っている。あの方は生まれながらのジアーラの王子だ、国を愛するという気持ちは
きっと我ら以上のはず。この国をより良いものにしようと、お力を下さるはずだ」







 今、エイバル号はジアーラ国の港町レティシアに向かっていた。
そこで一度イザークを下ろし、今度はミシュアと瑛生が待つ港町へと戻る。

 「・・・・・お前の気持ちは分かった。だが、王子のお心が第一だ。今のお前の話を正確に伝え、その上で王子がどうされるかを
お聞きする」

 イザークの言葉はラシェルの心を突いたらしいが、それでもミシュアの気持ちが一番という彼は相当の忠臣だ。そして、イザークも
その言葉に同意し、ミシュアの返事次第で自分は動くと言っている。
 仮に、ミシュアが帰国しないと言えば、相応の原石は渡すと言っていたが・・・・・。
(多分・・・・・ミシュアは戻るな)
ラディスラスは漠然とだがそう思っていた。
誰かが守ってやらなければならないほどにか弱いミシュアだが、その心根はいまだに王子の矜持を持っている。助けてくれと自国
の民であるイザークに乞われて、嫌だと首を横に振ることはしないだろう。
 「・・・・・」
 そして・・・・・と、ラディスラスは自分の隣にいる珠生の黒髪を見下ろした。
ミシュアがジアーラへと戻るのならば、その隣には必ず瑛生もいるはずだ。そして、瑛生が動くのならば、その息子である珠生も当
然・・・・・。
 「・・・・・なあ、タマ」
 「ん?なに?」
 見上げる珠生の黒い瞳は、何の曇りも無く輝いている。
様々な思惑を考え、裏を読んでいる自分がいっそ馬鹿馬鹿しいほどだ。
 「お前も、ジアーラに行くのか?」
 「うん、行く。父さんが行くなら」
 「そうだよなあ」
 ラディスラスが妬きもちを焼くほどに親子の仲が良い珠生と瑛生。一時は死に別れたと思っていたらしい2人は、この世界で再
会するとよりその絆は強くなったようだ。
何時まで経っても、たとえ身体を深く繋いでも、珠生の父に対する愛情には負けてしまうのかと、ラディスラスは思わず溜め息をつ
いてしまった。




 珠生はどこまでも続く綺麗な海から、ラディスラスの顔に視線を移した。
(・・・・・変な顔)
なぜか、困ったような、それでいて諦めたような顔をして笑っているラディスラスの表情に、珠生は首を傾げてしまった。
 「ラディ、いや?」
 「ん〜、複雑なトコだな」
 「え〜、俺なんか、ラディとまた何か出来そうってたのしみなのに?」
 「・・・・・俺と?」
 「だって、おーじと父さんがもどっても、ジアーラは大変なんだろ?それなら、2人が安心してくらせるように、俺たちが何とかして
あげないといけないじゃん!」
 ラシェルの言葉でも、イザークの言葉でも、何だかジアーラ国の現状は大変だというのは分かる。
その上、ミシュアは父とのことで国を追い出されたのだ。その父と共に帰国するということに、今の王様が反対することは想像では
なく確実な現実だろう。
2人のために自分が出来ること。それを探して、2人には出来る限り幸せになって欲しいと思った。
(そんなこと思うなんて・・・・・ラディのせいなんだからな)
 父だけが好き。
父だけが自分の家族だと思っていた珠生の気持ちを、強引に変えたのはラディスラスだ。珠生の心を攫い、身体まで奪って、珠
生にとっての唯一が父だけではないのだと、強引に心に刻み付けてきた。
 それならば、ラディスラスは自分のしようとすることに協力してくれてもいいと思う。
これは、あくまでも自分の勝手な考えだが、きっとラディスラスならば・・・・・。
 「俺達で、か?」
 「ラディ以外いるっ?」
 他の誰を頼れというのかと、珠生は少しだけ泣きそうな気分になってしまった。
ラシェルも、アズハルも、嫌とは言わないかもしれない。それでも、珠生が無条件で信頼するのは目の前の男しかいないのだ。
 「・・・・・そっか」
 「なにっ?」
 「そうなのか」
 「なんだよ!」
 急に顔を緩め、嬉しそうに笑い始めたラディスラスが不真面目に思え、珠生は思わず睨んでしまう。自分の言葉を本気にして
くれないのかと頭にきた。
 「俺は本気で!」
 「上等だっ、タマ!」
 「うわあ!!」
 突然叫んだラディスラスは、珠生の身体を軽々と抱え上げた。
腰を持たれ、子供のように持ち上げられた自分の姿に、珠生は恥ずかしくなってバタバタと足を揺らして暴れるが、その足が身体
に当たってもラディスラスは笑ったままでいる。
(ラ、ラディ、おかしくなったのか?)
いったいどうしたのだと、珠生の怒りは心配へと変わっていった。




 「ラディ以外いるっ?」

 それが、珠生の今の気持ちなのだと、ラディスラスは嬉しくてたまらなかった。
珠生の頭の中にはジアーラで父親と暮らすということではなく、父親とミシュアのために、自分達が・・・・・珠生とラディスラスが協
力するということしかないのだ。
 「ラ、ラディ、だいじょーぶ?」
 子供扱いされることを嫌う珠生は、最初こそ手の中で暴れていたが、今は心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。
そんな顔さえ可愛いと馬鹿なことを思いながら、ラディスラスは珠生の身体を少しだけ下ろしてその唇に口付けをした。
 「・・・・・っ」
 合わせるだけではなく、舌を絡める恋人の口付け。
最初、珠生は逃げようとしていたが、宥めるように口腔の中を舌で愛撫すると、やがて小さな甘い声で啼き始める。
(タマ・・・・・)
 ようやく、全てを手に入れたのかもしれない。
初めて見た時から面白くて、可愛い生き物だと思い、やがてどうしても欲しくてたまらなくなった。
思った以上に子供だった珠生を手に入れるためにはかなり時間が掛かったが、こうして手の中に入ったものは、自分の手に納ま
りきれないほどに大きな存在だった。

 チュッ

 濃厚な口付けとは裏腹の可愛らしい音をたてて唇を離すと、黒い瞳がしっとりと官能の色に染まっているのが見えた。
夕べ身体を重ねたばかりで、お互いの熱さはまだ生々しく残っている。ラディスラスは細い身体を抱え直し、服の隙間から手を入
れたが、
 「なに考えてるんだよっ、スケベ!」
思い切り、ベシッと両手で顔を押されてしまった。




 ガシッ

 「・・・・・って」
 こんな人の行き交う甲板で、キス以上のことをしようとしたラディスラスが信じられない。いや、そもそもキスを許してしまった自分
が悪いのかと思いながら、珠生は思い切りラディスラスの脛を蹴って身体を解放させた。
 「少し乱暴だぞ、タマ」
 「ニヤニヤして言うなよ!」
 なにが楽しいのか、ラディスラスはずっと笑っている。先程ちらりと垣間見えた寂しそうな表情は、もしかしたら自分の錯覚なのか
もしれないとさえ思ってきた。
 「・・・・・もうっ!」
 スケベで、能天気で、何時も自分をからかってくる男。
それでも、この世で一番頼りになると思うのだから仕方がない。
 「ラディッ、一緒にジアーラに来てくれるんだろっ?」
 「当然。可愛い恋人の頼みだからな」
 「・・・・・っ」
(こ、恋人って言うなよっ)
 やることをやって、それでいて友達ですとは言わないが、何だか面と向かって言われるととても恥ずかしい。
 「お、タマ、夕日だぞ」
わざと頬を膨らませている珠生の機嫌を取るためか、それとも何も考えていないのか、ラディスラスはそう言いながら懲りずに肩を
抱き寄せてくる。
 一瞬身を引こうとした珠生だが、その手は意外にも強くて・・・・・そして、うっすらと空と海を赤く染め始めた夕日を見ると、自分
の怒りなどもたちまち消え去ってしまった。
 「・・・・・ラディ、頼りにしてるからな」
 一応と、珠生が言えば、
 「俺も、頼りにしてる」
そう、言葉が返ってくる。
海の男に頼りにされていると言われたら悪い気はしないなと、珠生はふふっと笑みを浮かべながら、自分からもラディスラスの腰
にしっかりと腕を回して、徐々に赤く染まっていく雄大な光景をじっと見つめていた。




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