海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑


プロローグ



                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 遥か遠くにポツンと見えていた陸地が、今は緑の山や石造りの家々、港の中に停泊している小船まで見えるようになってきた。
 「ラディ!着いた!」
 「もう直ぐ着く、だろ」
細かい訂正をしてくる男に思わず眉を顰めてしまうが、直ぐに綻んでしまうのはもう直ぐ大好きな人に会えるからだ。
ここを発ってからそれ程時間は過ぎてはいないものの、それでも両手で数え切れない日々を過ごしてきた。
以前のように、もう二度と会えないという悲しさは無かったが、それでも離れてしまう寂しさはあり、さらには、今回の船旅で得たも
のの大きさも考えれば興奮は鎮まらない。
 「お〜い!!もーすぐ着くぞー!!」
 「おい、タマ」
 「ラディも叫ぶっ?」
 子供のようなことをしているという自覚はあったが、それでも自分の隣に立つ背の高い男の服を引っ張って言えば、絶対に断る
かと思った男はいきなり、
 「タマは俺のものになったぞ〜!!」
 「う、うわっ、何言ってんだっ!」
思いもよらないことを恥ずかしげも無く大声で叫んだ男の背をバシバシと遠慮なく叩いた。陸地には届かなくても、船の上には他
の乗組員も大勢いるのだ。
 「変なことばっか考えるなっ、エロエロだいまじん!!」
 「エロエロダイマジン?どんないい称号なんだ?」
 「・・・・・っ」
(だ、駄目だ。意味が分かんないと文句にもならないよ〜)
こういう時、自分の語彙がまだまだ少ないのが悔しい。
早くこの世界の文句を覚えなければと、水上珠生(みなかみ たまき)は馬鹿笑いをしてもいい男であるラディスラス・アーディンか
ら、精一杯の嫌味を込めてフンッと顔を逸らした。



       



 大学1年生だった珠生は、故郷の不思議な言い伝えのある洞窟にひょんなことから足を踏み入れ、そのまま不思議な世界へ
と呼ばれてしまった。
中世ヨーロッパの雰囲気に、剣や海賊、そして王様などがいる世界。
海に流されていた珠生を救ったのも、海賊船エイバルの若き船長、ラディスラス・アーディンだった。

 死んだと思っていた父瑛生(えいき)との再会に、ラシェルの元の主人であるジアーラ国の王子ミシュアとの出会い。
重い病のミシュアを助ける為の医師を教えてもらった礼として、ベニート共和国第二王子、ユージンとの約束通り、王位継承に
絡む騒動を起こした珠生達は、なんとかユージンの願い通り、放蕩者を装っていた第一王子ローランを再び表舞台に引きずり
出すことに成功した。

 そんなある日、珠生は浜に打ち上げられた難破船から見つけたという箱を譲ってもらう。
その中に入っていたのは意味ありげな地図で、さっそくラディスラスと共にその地図が示すジアーラ国の島へと向かうことになった。
 途中で合流した、ジアーラ国海兵大将、イザーク・ライドと共に、地図に書かれていたヴィルヘルム島に向かい、そこで珠生達
は湧き出る温泉と宝石の原石が眠る洞窟を見つけた。

 安易に手に入る宝自体に興味が無いラディスラスと、宝探しという行為自体を楽しんだ珠生。
見付けた原石は全てイザークに預けると言えば、イザークはそれをミシュアのために使いたいと言い出した。
 本来はジアーラの王になるはずだったミシュアが国を追われてから、ジアーラは年々衰退していく一方だったらしい。
祖国を救うため、そして真実の王であるミシュアを即位させるために帰国させることを望むイザークの思いに、珠生も、元はミシュア
の親衛隊長だったラシェルも同意し、彼を説得するために、再びミシュアと瑛生が待つベニート共和国の港へと戻ってきたのだ。



       


 「とーさん!」
 「珠生」
 港から少し奥まった山間の一軒家で珠生達を待っていた父は、駆け寄ってきた珠生の身体をしっかりと抱きしめてくれた。
現代日本とは違い、気軽に携帯で連絡など取れない。戻ってくることも伝えられないままの帰宅だったが、父は驚きで少し目を
見張ったものの、何時もの穏やかな笑みで珠生を迎えてくれた。
 「顔を見せてくれ。怪我は?」
 「無いよ!」
 「はは、その顔と声で十分分かるよ」
 元々、珠生のような大きな子供がいるようには見えないほどに若く見えた父だったが、この世界に来てからはさらに日焼けして
若返ったように思う。
 それでも、目元の皺は昔と変わらず、珠生は本当に帰ったのだと嬉しくなってギュウギュウと父に抱きついた。
 「おい、タマ」
しかし、そんな父との感動の対面を邪魔する声が頭上から降ってくる。
声と共に身体も父から引き離されてしまい、珠生は思わず足を振って背後の脛を蹴りつけてしまった。
 「痛っ。おい」
 「ラディッ、離せって!」
 「ったく、お前は動物か」
 「俺は人間!」
 「それは分かってる。温泉でたっぷり堪能させてもらったからな」
 「!」
(と、父さんの前で何をっ!)
 これだけでは何を指しているのか分からないはずだが、父は自分とは違って勘が良い。今回の旅でラディスラスとの関係がさらに
深まったのではないかと思われるのが恥ずかしくて堪らず、珠生はもう一度、今度は先程よりも強くラディスラスの腿を蹴った。




 全く、この親馬鹿、子馬鹿は、僅かの期間離れただけではとても治るようなものではないらしい。
いや、今回の旅では珠生とは身も心もしっかりと結ばれ、絶対に父である瑛生よりも己の方を一番に考えてくれるだろうと思うの
に、そんなラディスラスの思惑をあっさりと覆してしまうのが珠生の珠生たる所以なのかもしれないと諦めてはいるが。
 「すまないね、ラディ」
 「いや、タマのしたことだからな」
 「こうして、無事にこの子を帰してくれて、本当にありがとう」
 「エーキ」
 海賊の頭領という男に大切な息子を任せるということはやはり心配だったのだろう。それでも自分などに頭を下げてきちんと礼を
言ってくれる瑛生は、さすが大人だと思った。
 「今回もタマは大活躍してくれた」
 「本当に?」
 「うん!それでねっ」
 早速今回の宝探しの顛末を話そうとする珠生をラディスラスは止めた。
その宝の件に合わせて、ミシュアに伝えなくてはならないことがあるからだ。
 「エーキ、ミュウは起きているか?」
 「ああ、さっきまで庭に出ていたんだ。ベッドに横になっているが寝てはいないと思う。・・・・・ミュウに何か?」
 珠生のこととは別に、男の顔になってラディスラスに問う瑛生。それだけでも、ミシュアが瑛生にとって特別な存在だということが分
かる。
(これで抱いていないというんだからな)
ミシュアが病弱だとはいえ、ラディスラスだったらとても耐えれない。
 「帰った挨拶をしなければな」
 「ああ、ミュウも皆を心配していたしね」
 「詳しい話は、イザークが来てからになってしまうが」
 ラディスラスの言葉に、瑛生の表情が強張った。
宝の地図が指し示していたのはジアーラの島。そして、ラディスラスが改めてそう言うということは、ミシュアに関して何らかの出来事
があった・・・・・敏い瑛生はそれに気付いたらしい。
 「・・・・・宝は見付かったのかい?」
 「ああ、とてつもないものがな」
 「・・・・・」
 「2、3日の間に、ここにイザークもやってくるはずだ。あいつが来たら、エーキも一緒に、俺達の話を聞いて欲しい。これはあんた
達にとっても大きな分岐点になる話だ」
 このまま、身分も何も無く、貧しいながら静かに暮らしていくか。
国王として多くの国民の生活や命をその背に背負いながら、華やかで厳しい世界を生きていくのか。
それはミシュアと瑛生、2人が決めることだろう。




 話はイザークが来てから。
そう言われた珠生はうんと頷いた。今から話すことは自分やラディスラスが中心というより、ラシェルやイザークが前面に立って説明
しなければならない問題だ。
(でも・・・・・ミシュアが王様かあ)

 「だって、おーじと父さんがもどっても、ジアーラは大変なんだろ?それなら、2人が安心してくらせるように、俺達が何とかしてあげ
ないといけないじゃん!」

 ラシェルとイザークの話を聞いた時、そう思ったことは本当だ。
しかし、よく考えれば自分と父が離れて暮らすというのはあまり想像出来ないし、かといって自分がジアーラの王宮の中にいる姿
はもっと想像出来ない。
 さらに、ラディスラスと離れるということも嫌で・・・・・我が儘な自分の思いに何だか落ち込みそうだ。
 「珠生?」
 「・・・・・」
 「珠生」
 「あっ、うん、何?」
階段を上がっていた珠生は、先を行く父が振り返っているのに気づいた。
 「どうした、帰ったばかりで疲れているのか?」
 「ううん、だいじょぶ」
 「・・・・・そうか」
(もっと、元気良くしておかなきゃな)
 自分達の旅をとても心配していたというミシュア。こうして無事に帰ってきたのだと安心させてやらなければならないと思う。
そうでなくても、ミシュアの身体はまだ本調子ではないのだ。
 「父さん、おーじの身体、だいじょぶ?」
 「ああ。後はゆっくりと滋養することが大切だと先生に言われたよ」
 「そっか、良かった」
 少し悔しい気もするが、ミシュアにとっては父といることが精神的にもとても良いことなのだろう。追われることも無いだろうし、病
気もこの時代では最先端の治療を受けている。
 この身体で祖国に帰り、自分と敵対する人物と王位を争うことが出来るのかと心配にはなるが、これは珠生が幾ら考えても分
からないことだ。
 「あ、おみやげ」
 「ん?」
 「これ、おーじにおみやげ」
 珠生はふと気づいて、服のポケットから拳よりも一回り小さな石を取り出して見せた。もちろんそれはただの石ではなく、緑色に
光っている物だが。
 「・・・・・珠生、これは」
 「きれーだろ?くし焼き、何本食べれるかな?ラディ」
 この世界での宝石の価値は分からないので、珠生は自分が一番想像しやすい例えを出して後ろのラディスラスを振り返る。
すると、ラディスラスは呆れたように笑いながら、
 「少なくとも、お前が飽きるほどには食べられるぞ」
と、言ってくれた。
 「あきるほど・・・・・」
(1000本くらいかな?)
そんなに食べられるはずは無いのだが、タレがたっぷりと絡まった熱々のくし焼きは1000本食べても飽きないかもと、緊迫した雰
囲気の中、珠生は想像して思わず唾を飲み込んだ。