海上の絶対君主




第六章 亡霊の微笑






                                                          
※ここでの『』の言葉は日本語です






 「だいじょぶ?」
 ギシギシと鳴る木の階段を登った珠生は、先を行く父に小声で訊ねた。もしも体調が良くないのならば、帰国の挨拶は後にし
たって構わない。
 「エーキ?」
 しかし、そんな珠生の声が聞こえたらしいベッドの住人の柔らかに父を呼ぶ声に、珠生は何だか親のいけない部屋に踏み込ん
だような錯覚を感じてしまった。
 「ミュウ、待ちかねた相手の帰還だよ」
 「え?」
 「おーじ」
 父の背中から顔を見せ、珠生はミシュアに声を掛けた。未だに名前ではなく王子と呼ぶのは少しだけ意地悪をしたい気分から
だったが、そんな珠生の思惑など一切気づかないような素直なミシュアは、その声に白い顔を綻ばせた。
 「お帰りなさい、タマ」




       



 ジアーラ国、元皇太子、ミシュア・レイグラーフ。
先王亡き今、本来なら王位に就いていたはずのミシュアは、5年前に異世界からやってきた珠生の父、瑛生と出会い、彼に恋
をして皇太子の地位を追われた。

 4年前、当時の皇太子だったミシュアをその地位から引きずり落としたのは、ミシュアの腹違いの弟だった。
ミシュアより1歳だけ年下のその義弟は、正妃の子ではないからと離宮で育てられ、父親である王とも数えるほどしか会えず、義
兄であるミシュアに妬みの思いを募らせていたのだ。
 ミシュアの失脚に気を落とした当時の王、自分の父親を無理矢理その座から下ろしてその義弟が自らが王となったのは、ミシュ
アがいなくなってから半年も経たない時だった。

 国を治め、もっと発展させたいというよりも、それまで日陰の身だった自身が脚光を浴び、崇められることを望んだ義弟の国政は
帝王学も学んでいないせいか失政も多く、ジアーラ国は見る間にその力を失っていった。

 辛うじて今も4大大国の一国と言われてはいるが、数年前までは花の国とも言われていた緑豊かなジアーラ国は、今では荒れ
果てた貧国に成り果てていた。




 ミシュアも、カノイ王国でその噂を耳にしたが、国よりも愛する者を選んだ自身に何も出来ないと、ただ国民の幸せを祈るしかな
く、元々身体が弱かったミシュアは心労と隔離された厳しい生活によって重い病に苦しむことになってしまった。

 そんなミシュアのもとに、元の自分の国に帰ったはずの瑛生が再び現れてくれたのは一年ほど前。
愛する者に看取られ、そのまま死ねるのだという暗い喜びに支配されたミシュアの前に新たに現れたのは、愛する瑛生の口から頻
繁に出てきた彼の息子、珠生と、陽気で雄々しい海賊の頭領だった。

 彼らのおかげで、ミシュアは今・・・・・生きている。
未来のことを考えることが出来るようになった途端に思ったことは、不可抗力ながら捨てることになってしまった祖国のこと。
 義弟は、ちゃんと国を、国民を守ってくれているのだろうか。
出来ることならばこの目で確かめたいと思うものの、今更自分が出て行ってどうなるものでもないと諦めて・・・・・回復する身体と
は裏腹に、ミシュアの心は深い悩みに支配されていた。



       


 金髪に碧の瞳の、まるで人形のように綺麗な顔に浮かぶ微笑はさらに綺麗で、珠生は無意識のうちに焦ってしまう自分に気
づかなかった。
 「た、ただ、いま!」
 「タマ、こちらに」
 ミシュアに呼ばれ、珠生はオズオズと足を進める。簡素なベッドの脇に立った時、ミシュアはしっかりと珠生の手を両手で掴んで
言った。
 「無事に帰ってきてくれて・・・・・嬉しい」
 「う、うん」
(力・・・・・少し、強くなった?)
 少し前までは、あまりにも細い手に、握ることさえ恐々だったと思うが、今自分の手を握るミシュアの手の力は以前よりは随分と
力強くなっている。
そう思って見ると、真っ白だった肌も少しだけ色付いて、今はちゃんと生きているんだと感じることが出来た。
 ここまでになったのはミシュアの努力ももちろんだが、きっと父の存在も大きいはずだ。2人の強い繋がりを見せられて、珠生は思
わずミシュアの手の中から自分の手を引いてしまった。
 「タマ?」
 どうしたのだと、不思議そうに自分を見つめるミシュアに、珠生は今の自分の行動を後悔してしまう。
それでも、改めて自分からミシュアの手を握るのもおかしいだろうし、謝ってしまったらさらに気を使わせてしまいそうで、珠生はどうし
たらいいのだと背後のラディスラスに思わず助けを求める視線を向けてしまった。




(全く・・・・・)
 子供のような珠生の行動に苦笑が零れるが、あれだけ父親を慕っている珠生にもう少し考えろと言うのは可哀想だろう。
ここは自分が助けてやるしかないかと、ラディスラスは珠生の隣に立ち、自分の手でミシュアの手を握り締めた。
 「ただいま、ミュウ、元気だったか?」
 「お帰りなさい、ラディ。この通り、随分元気になりました」
 珠生から自分に視線を移してきたミシュアの笑顔に、ラディスラスは納得して頷く。本人の言葉もそうだが、顔色や握り返してく
る手の力だけでもその言葉が真実だと分かるからだ。
 「皆さん、怪我は?」
 「うちの奴らは少々のことじゃ壊れないって。タマも含めてな」
 「ラ、ラディ!」
 「ふふ、でも、良かった。無事にこうして戻って来られて・・・・・」
 安堵の溜め息とともにそう言ったミシュアは、その次の言葉をなかなか切り出さない。きっと、祖国はどうだったのだろうかと訊ね
たくて仕方が無いだろうに、たった1人の男のために国を捨てた王子の意思はかなり強いらしい。
もっとも、ラディスラスは珠生のように表情に簡単に表れ、考えもなしに言葉を口にする方が緊迫感があって楽しいと思っている。
 「ヴィルヘルム島には、イザークも同行した」
 「え?」
 唐突に出てきた自分の元親衛隊の名前に、ミシュアは弾けるように顔を上げた。
 「どうして、イザークが?」
 「航海の途中会ってな。誤魔化したつもりだったんだが、怪しまれて後をつけられた」
 「・・・・・」
 「あの地図が本物だったかどうか、聞きたいか?」
全てに目を閉じるつもりか、それとも現実に向き合うか。
まだ本調子でないミシュアに突きつけるにしては問題は大きすぎたが、ラディスラスはその口からはっきりとした本人の意思を聞いて
おきたかった。
 いくらイザークやラシェルが、ミシュアの復権を願ったとしても、本人にその気がなければ絶対に失敗する。余計な火種で現体制
を混乱させ、結果、今よりももっとジアーラ国を衰退させてしまうかもしれない。
 「ラディ」
 「ん?」
 その時、珠生が服を引っ張った。
 「イジワルだ」
 「そうか?俺はミュウの本当の気持ちが知りたいだけだが?」
 「だって」
 「いいのですよ、タマ」
自分達の言い合いに割って入ってきたミシュアは、珠生に向かって一度ありがとうと言葉を掛けると、自分の方へと真っ直ぐな眼
差しを向けてきた。
 「知りたいです、ラディ、私の祖国のことを」
 「・・・・・知ってどうする?」
 「・・・・・分かりません。ですが、私はまず、今を知らなければならないと思っています」
 自分がいなかった数年間の祖国のことを聞く気持ちがある。
はっきりとそう言ったミシュアの頭を軽く撫で、ラディスラスはさすが王子様だなと言って笑った。




 「せっかくその気になったのに悪いが、全てはイザークが来てからだ。ミュウ、真実はお前にとって厳しく重いものかもしれないが、そ
れで諦めてしまうことは無いんだぞ。お前は幸運なんだ、なにせ、俺と、このタマがついているんだからな」

 どう話をするのだとドキドキしていたのに、ラディスラスは結局イザーク待ちだということをミシュアに伝えた。
珠生だったら、

 「それだったら、始めから気を持たせるな!」

と、怒鳴っただろうが、ミシュアは静かに分かりましたと納得をしていた。
 「ラディ、どうしてミュウにああ言った?」
 自分達と入れ替わるようにラシェルが階段を上がっていくのを見送りながら、珠生は言うだけ言って待てをしたラディスラスに詰め
寄るが、本人は笑いながらあれでいいんだよと嘯く。
 「あれで、少なくともミュウの意志ははっきりした」
 「え?」
 「外見はあんなに儚げに見えても、さすが一国の王子だな。腹が決まれば動くぞ」
 ミシュアのことを儚げだと褒めるラディスラスの言葉にムッと眉を顰めたが、その次の動くと言う言葉に首を傾げた。まだベッドから
起き上がるのさえ大変だというミシュアが、いったいどこに行くというのか。
 「お前、何か勘違いしてるだろ」
 まるで、珠生の考えを読んだかのように、ラディスラスはピンッと指で額を小突いてきて珠生はまた腹が立ってしまったが、ラディ
スラスは宥めるかのようにギュッと抱きしめてきた。
 「く、くるし~っ!」
 「動くっていうのはな、タマ。自分が真実の王だと立つということだ」
 「むぅ・・・・・あぁっ?」
 「俺達がやる気になっても、本人が嫌だと言えば全ては無駄な動きになってしまうだろう?だが、ミュウは現状を知りたいとはっき
りと言った。あの子の性格で、聞きっぱなしにするということはないだろう」
 「・・・・・」
(王子が、王様になる決心をするって・・・・・)
 あんな短い会話でそこまで理解出来るのかと疑いたくはなるものの、あの時のラディスラスとミシュアの態度はとても真剣で、絶
対に違うということも言えないような気もした。
(じゃあ、父さんも・・・・・行くよな)
 優しい父は、ミシュア1人を厳しい世界に送り出すようなことはしないだろう。
 「・・・・・そっか」

 「だって、おーじと父さんがもどっても、ジアーラは大変なんだろ?それなら、2人が安心してくらせるように、俺たちが何とかしてあ
げないといけないじゃん!」


あの時・・・・・ラシェルやイザークの言葉に、父とミシュアの幸せは応援するというようなことを言ったものの、本当にそうなった時、自
分はちゃんと2人を応援してやれるだろうか。
(父さんがミシュアと・・・・・そう、なったって、俺の父さんには変わりないけど・・・・・)
 「タマ?」
 「う~・・・・・わかんないよ~っ」
 頭がグラグラしてしまう。
珠生はこれ以上考えないようにしたくなって、わざとラディスラスの胸に頭をグリグリと押し付けてしまった。






                                              






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