CHANGE




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 驚いたのは太朗だけではなかった。
この日のために休暇を取り、昨日散髪にまで行って卒業式に備えた太朗の父、苑江は、玄関先で上杉を見るなりにこやかな笑
みが引き攣っている。
 その顔も見るのが楽しみだった上杉は、苑江の後ろから呆れた笑みを浮かべて現れた佐緒里に、よおと軽く片手を上げた。
 「まさか、朝から現れるとは思っていなかったけど」
 「大切な恋び・・・・・」
 「ゴホッ、ゴホッ」
上杉の言葉を遮るように、苑江がわざとらしく大きな咳払いをする。
父親の立場としては暗黙の了解という立場でいるはずだが、それでも出来れば認めたくないという思いの方が強いだろうし、上杉
が感心するほどの太朗バカ(人のことは言えないが)な苑江なら、きっと自分の登場を苦々しく感じているはずだ。
 それでも、上杉は今日高校を卒業する太朗に会っていたかった。
初めて出会ったのが高校1年生で、それから今日、卒業するまで。太朗にとって大切な高校時代を共に過ごしたことへの感慨が
あったし、新しい第一歩を自分の目で確かめたいとも思っていた。
 太朗本人にまで今日来ることを秘密にしていたのは、きっと恥ずかしさからか反対されるだろうと思ってのことだが、先ずはこの大
きな障害物と対決しなければならないらしい。
 「今日はおめでとうございます」
 上杉の口から案外まともな挨拶が出たので、苑江は少し驚いたように目を瞬かせたが、微妙に視線を逸らしながもありがとうご
ざいますと答えてくる。
面白くないはずなのにこういう律儀な反応をするところは、本当に良く似た親子だなと思わず笑った。
 「心配しなくても、卒業式には出ませんよ」
 「・・・・・」
 「今日も、連れ出す気はないです」
 「ジローさん?」
 太朗の不安げな顔に向かって笑って見せると、上杉は綺麗に整えられた髪を軽く撫でた。
 「今日は大事な家族と祝うんだろう?俺は次でいい」
 「・・・・・」
 「その代わり、高校まで俺が送っていいでしょう?」
許しを乞う言葉だが、その響きは決定事項だ。そして、苑江がそれを許すことは上杉には分かっていた。




 「ホント、びっくり」
 「驚かせるつもりだったからな」
 笑いながら運転する上杉の横顔を見ながら、太朗は唇を尖らせる・・・・・いや、結局、怒った顔など出来るはずがない。
太朗自身も、卒業式のこの日に上杉と会えたのが嬉しいからだ。
 「電話で言ってくれたら良かったのに」
 「合格発表まで会わないって、お前が俺を焦らすからだろ」
 「理由になってないよ」
 「嫌だったか?」
 「・・・・・嬉しいから、困る」
 父の手前、あまり上杉にベタベタとは出来ないし、太朗自身、いくら試験が終わったとはいえ、合否がはっきりするまでは落ち着
かない状態で、そんな中上杉と会ってしまうと今までの飢えだけを満たそうとしてしまいそうになる。
(だっ、ダメダメッ、今から卒業式なんだし!)
 恋人同士の時間はもう少し先だと自分に言いきかせていると、上杉がなあと訊ねてきた。
 「お前、何になるつもりなんだ?」
 「え?」
 「お前が受けた所を聞いても全く分からねえ。もういいだろ?教えてくれても」
 「・・・・・」
本当はちゃんと合格してから伝えたかったが、上杉はなあと子供のように催促をしてくる。焦らすほどに凄いものを目指しているとは
思わないので、太朗は自分の将来の夢を口にした。
 「公務員」
 「・・・・・公務員?」
 「・・・・・」
(あ、驚いてる)
 あまりにも普通過ぎる職業に、どうやら上杉は驚いたようだ。
 「・・・・・父親と同じ仕事をしたいのか?」
 「それもちょっとは考えたけど、俺の体格じゃきついかなあって。もちろん、決めたら頑張るつもりだったけど、他にしたいことがあった
からさ」
 「なんだ、それ」
 「俺ね、保健所か、動物愛護センターに勤めたいんだ。ジローさんが言ってたみたいに、獣医になることも考えたけど、ちょっと自
信ないし、ペットショップとか、動物園とかも考えたけど、そこって、もう無条件にみんなに可愛がられる動物しかいないだろ?俺は
そうじゃなくって、捨てられたり、殺されそうになった犬とか猫を助けたい。俺1人じゃ出来ることは限られているけど、それでも、1匹
でもいい飼い主を見つけてやりたい。本当は、そうなるためにどんな勉強をしたらいいのかっていうのはまだよく分からないんだけど、
俺・・・・・頑張ってみたいんだ」
 「・・・・・辛いことの方が多いんじゃないか?」
 上杉は出来るだけ何気なく言ってくれているが、太朗もそれは十分に分かっているつもりだ。捨てられた動物達の命を全て救っ
てやるという綺麗ごとなんてきっと言えない。
多分、泣くことだって多いだろう。
それでも、決めたのだ。




 太朗の言葉に上杉は驚いたが、それでもすんなりと納得出来た。
動物の好きな太朗は、否応無しに処分されてしまう動物達を思って泣くだろうが、次には1匹でも多く命を救うという、前を向いて
歩むことが出来るくらい強いはずだ。
(ペットショップはお預けか)
 太朗が好きな動物に囲まれて何時でも笑っていられる場所をつくってやろうと思っていたが、どうやらそれはもっと先、自分達がい
い歳になってしまった頃でもいいかもしれない。
 「・・・・・ジローさん」
 太朗の眼差しに、上杉は笑った。
 「サツにならないんならいいんじゃねえか」
 「え?」
 「俺は、お前を俺の思うとおりにしたいとは思ってない。お前が自分で考えて選んだんなら、政治家になるって言ったって応援して
やる」
ただし、それは太朗が自分から離れないというのが唯一の条件だが。
 「ま、4年も大学に通ってりゃ、お前の夢も変わるかもしれない。それでもいいんじゃねえか?子供は日々変化していくもんだ」
 「・・・・・ジジイみたいなこと言うなよっ」
 子供という言葉に引っ掛かったのか、太朗はそう言い返してくるが、上杉は笑いながらまだ子供だろと言った。
それは、まだ子供であって欲しいという願望から言っているのだが、ずるい大人である上杉は太朗に自分の弱みなどは見せたくな
かった。




 学校の少し手前で上杉は車を停めてくれた。
その後ろをタクシーでついてきていた両親も車を下り、太朗のもとへと近付いてくる。
 「ジローさん」
 「ああ、思いっきり泣いて来い」
 「泣かない!」
 せっかく、ここまで送ってくれた礼を言おうとしたのに、上杉はすぐにそう茶化してきて、太朗は反射的にそう言い返してしまった。
 「太朗」
 「あ、うん」
父が名前を呼んだ。道を行き交う者の中には明らかに卒業式に出席する父兄といった人影も多くなり、太朗もそろそろ教室に向
かわないといけない。
ここで上杉とだけ別れるのは申し訳ないなと思っていると、
 「上杉さん」
 突然、父が上杉の名を呼んだ。
 「・・・・・今日は、家族で卒業を祝うんだが・・・・・その、良かったらどうぞ」
 「父ちゃんっ?」
まさか、父が上杉を家に招待するとは思わなくて、太朗は2人の顔を交互に見る。上杉は面白そうに表情を緩めているが、父は
自分から言い出したのに憮然とした表情で。
(母ちゃん)
 母を見れば、上杉と同じようにこの状況を楽しんでいるといった感じだ。タクシーの中で両親がどんな会話をしたのか知りたいと
思ったが、一方で父はそんな姿を自分には見せたくないかもしれないとも思った。
 「いいの?父ちゃん」
 「・・・・・人数が多い方がいいだろう」
 「じゃ、じゃあ、他の人もいい?」
 「他の人?」
 「小田切さん。今朝、メールで卒業おめでとうって連絡くれたんだ」
 去年の出来事からしばらく、小田切は何度も自分の不手際を謝ってくれたが、なかなか会うことが出来なかった。
太朗も小田切と宗岡のことが気になったものの、電話やメールで聞くことではないかと思っていたし、上杉にそれとなく聞いてもさあ
なと笑って誤魔化されて、その後自分は受験に没頭したのでうやむやな感じになってしまったのだが、今朝のメールには、

 【卒業おめでとうございます。今後もどうか、今の太朗君らしくいてください。
  それと、もしかしたら気にしているかもしれないので。犬は、今も飼っています】

 犬という文字を見て一瞬首を傾げたが、それが宗岡のことだとようやく思考が追いついて、太朗は卒業式の朝にいいことを聞い
たと嬉しく思った。
 「いい?」
 「好きにしなさい、お前の祝いだ」
 「ありがと!」
 嬉しくて思わず父に抱きつくと、こらと言いながらも抱きしめてくれる。なんだか嬉しいことばかりだと、太朗はますます強く父に抱き
ついた。




 苑江の譲歩に上杉は苦笑を零す。本当は、親子水入らずと思っていたのだろうが、もしかしたら佐緒里に言い含められたのかも
しれない。
それでも、それを承知しなければこの言葉は出てこなかったと思うので、上杉ももちろんありがたく受けるつもりだ。
 目の前では、太朗が小田切も呼ぶと言い出し、小田切の本性を知らない苑江は簡単に頷いている。嬉しそうに笑いながら苑
江に抱きつく太朗はとても今日卒業を迎える高校生には見えないが、それも今日までだと思っておこう。
 「タロ」
 名前を呼ぶと、苑江の腕の中から太朗が視線を向けてきた。
太朗を抱きしめている苑江の表情が可笑しかったが、ここは笑わない方が賢明だ。
 「後でな」
 「うん」
 それは、夕方の祝いの席とは別の意味なのだが、ちゃんと分かっているだろうか。
(まあ、待っていれば分かるだろうし)
その時こそは、久し振りの太朗の唇をゆっくりと味わおう。そして・・・・・。
 「それと」
 「・・・・・」
これだけは顔を見て言いたいと、上杉は太朗の目を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
 「卒業、おめでとう」
 「・・・・・あ、ありがとう!!」
目を瞬かせた後、その場に響くような大きな声で答える太朗を見て、上杉は目を細めて笑った。









 卒業式。

太朗達が泣く前に、担任の紺野が目を真っ赤にしていて、皆それが可笑しいと笑い、紺野はムキになって寂しいから仕方ないと
怒鳴った。
 今日もこんなふうに笑って、友達とも馬鹿馬鹿しい話をして。
今日で本当に別れてしまうのかとはとても思えなかったが、並んで体育館に向かい、音楽が流れる中、在校生や父兄の間をぬっ
て入場すると、やはり今日が高校生活最後の日なのだと思い知る。
 「タロ」
 「え?」
 「俺達は今日で最後じゃないからな。これからもよろしく」
 「こっちこそ」
 小さな声で話し掛けてきた一番の親友である大西とは同じ大学で、これからも頻繁に会うことは出来る。それでも、高校時代
とは違い、お互いグッと交友関係は広がるだろう。
(本当は、大学の合格が分かってから卒業したかったけど)
 日程的に仕方がないとはいえ、多少ムズムズした感じは残っていたが、それでも太朗は今日この日を一つの区切りとして、また
新たに自分を変えたいと思った。回りは今のままでいいと言ってくれるが、それでは何時まで経っても成長しない。
(ちゃんと、胸を張ってジローさんと向き合えるようにしないとな)
 上杉の生業など関係なく、自分を大きく包み込んでくれる彼を、自分も包み、守りたいと思う。
 「苑江太朗」
 「はい!」
名前を呼ばれ、立ち上がる。
壇上に向かうその一歩一歩が、大変で、苦しくて、それでもきっと未来への確かな一歩なのだと思いながら、太朗は父兄席で見
てくれる両親のために、そして、きっと外で待ってくれている上杉にも届くように、胸を張って壇上への短い階段を上がった。




                                                                      end