CHANGE
30
「・・・・・ごめん」
開口一番の太朗の言葉に、上杉は苦笑するしかなかった。
濃厚な夜を過ごしてから数日後。土曜日の昼過ぎに何時もの待ち合わせ場所である公園にやってきた太朗の表情は、こちらが
可哀想になるくらい暗く落ち込んでいた。
「どうした?」
「・・・・・」
「オヤジさんに叱られたか?」
「それはー・・・・・まあ、自分のせいだし」
佐緒里の寛大な許しを得たとはいえ、太朗の父親も同じ気持ちだとは限らなかった。いや、むしろ、こちらの方が厄介で、上杉
は自分が前面に立って庇いたいとさえ思っていたくらいだ。
しかし、太朗は自分が父親に話すからと上杉の申し出を断り、結局あの日の外泊がどういった理由になったのかまでは知らない
ままだ。
(・・・・・相当、絞られたか?)
受験生にあるまじき行動だと叱れらたのではないかと心配になったが、太郎の口から出てきたのは思い掛けない言葉だった。
「・・・・・会えない」
「何?」
そこまで、父親の怒りは深いのかと眉を顰めたが。
「俺、受験勉強しなくっちゃ」
「・・・・・受験勉強?」
「うん。もう、ガッツリしないと・・・・・今からこんなこと言っても遅いんだけど・・・・・」
「今までもちゃんとしてきたんだろ?俺とも会ってないじゃねえか」
「だから、今以上に会えないんだって!」
「・・・・・」
大学受験というものはしておらず、高校受験もそれ程苦もなく通ってきた上杉にとって、こんな悲壮な表情までしてしなければな
らない受験勉強というものは理解出来なかった。
どうせ、中学、高校と、真面目にやってきた奴は合格するだろうし、遊んできたのならばそれまでだ。
上杉から見ても、太朗はかなり真面目な方だと思う。もちろん、自分との少々道を外れた恋愛はしてきたものの、それ以外は今
時の高校生以上にきちんとしてきたはずだ。
(それなのに・・・・・)
「・・・・・タロ」
「・・・・・何?」
「お前、医者にでもなる気か?」
「はあ?」
「それくらい、勉強しなきゃならないってことなんだろう?」
動物好きの太朗が獣医になるのは十分考えられた。
それならそれで、早々に病院をもたせ、太朗の好きな仕事を好きなようにさせてやるのも悪くないかもしれない・・・・・普段は上杉
にねだるということをしない太朗に、大きなプレゼントをしてやるいい機会だと思い、今から土地でも探すかなど、上杉の脳内では
既に数年先のビジョンまで浮かんだが、そんな上杉の脳内暴走を太朗の焦ったような声が止めた。
「い、医者になんかならないよ!」
「ん?」
「俺っ、そんなに頭良くないし!」
「そうなのか?」
それなら、どうしてそこまで必死になる必要があるのかと上杉は思ってしまった。
獣医は、確かに一度は夢見た職業だった。
大好きな動物を自分の手で助けることが出来るなら、こんなに素晴らしい仕事はないと思った。
しかし、残念ながら自分は医学部に行くほど勉強が出来るわけではなく、早々に諦めてしまって、今ではきちんと別の目標を立
てている。
そのために、今自分は一生懸命にならなくてはならない・・・・・一番最初の踏ん張りどころだと思うのだ。
「あのさ、俺、ジローさんと一緒にいると凄く楽しくて、ずっと、一緒にいたいなって思ってる」
「・・・・・」
「でも、俺はまだ子供で、高校卒業するまではどうしても親に守ってもらわなくっちゃいけなくて・・・・・でもっ、大学生になれば、少
しは自分の責任で動けるようになると思うんだ。その権利を持つためにも、俺も我慢しなきゃいけないことがあると思って」
「・・・・・それが、俺と会わないってことか?」
「・・・・・今までのようには、だよ。俺・・・・・弱虫だから、ずっと会わないでいるのは・・・・・寂しいよ」
太朗は小さな声でそう言うと、俯いた。
自分がどんなに我が儘で、情けないことを言っているのか自覚はある。自分から会わないと言っているくせに、それが長いのは寂し
いと言うなど、呆れられても仕方が無かった。
それでも、太朗は今から春まで上杉と会わないということは考えられない。
会わない。
それでも、会いたい。
独り立ちしたい。
でも、傍にいて欲しい。
自分の中の気持ちをどう説明していいのか分からないので、どうしても支離滅裂な言い分になってしまうし、自分の卑怯な部分
が露になってしまう怖さもあるが、それでも太朗は上杉に言っておきたい。
「・・・・・大好きだから」
「・・・・・」
「一緒に・・・・・俺と、一緒に・・・・・っ!」
太朗が全てを言う前に、その身体は大きな腕に包まれた。
「・・・・・今までのようには、だよ。俺・・・・・弱虫だから、ずっと会わないでいるのは・・・・・寂しいよ」
滅多にない、気弱な太朗のその声や姿に、上杉は思わす笑ってしまった。
俯いている太朗には見えないだろうが、自分のこの顔を見れば答えなどすぐに分かるはずだ。
「・・・・・大好きだから・・・・・一緒に・・・・・俺と、一緒に・・・・・っ!」
こんな時だ、もっと我が儘を言ってくれてもいい。
これだけ歳の離れた恋人を持ったその時から、上杉も色んな覚悟はしてきたつもりだ。その中の受験など、全く問題にはしてない。
「!」
上杉は太朗を抱きしめた。
「ジ、ジローさん・・・・・」
「電話は、毎日するぞ。メールじゃ様子が分からない」
「・・・・・っ」
「今みたいに会えなくっても、一週間に一度くらい、10分でも、5分でも会うか。キスくらいは出来るぞ」
「・・・・・っ」
背中に回った手が、強く自分を抱きしめてきた。
しっかりと抱きつく力は女より強い。身長も、出会った頃よりも・・・・・多少、伸びたようだ。
しかし、その外見の変化以上に、太朗の内面は大きく変わったと思う。もちろんそれは、今までの太朗という存在を打ち消すも
のではなく、さらに大きくするもので、上杉にとっても嬉しい変化だ。
「恋人が高校生なのもいいが、大学生ならばもっと悪い遊びも出来るしな」
「そ・・・・・な、の、しないっ、よっ」
「はは、今更しなくっても、十分か?」
「・・・・・そ、それって・・・・・っ」
「セックスは、上級者だしな?」
「スケベ!」
どんっと背中が叩かれたが、上杉は声を出して笑った。
(そうだ、タロはこうでないとな)
しおらしく、弱々しい姿ももちろん可愛いが、何時だって上杉に対等に向かってくるような元気の良さが太朗の本質だ。
「頑張れよ」
「・・・・・」
「俺をお預けさせるんだ、結果はもちろん《サクラサク》だな?」
「あ、当たり前だろ!そうでないと、我慢した甲斐がない!」
「ははっ、その通りだ」
これから長い時間を共に過ごすために、これは太朗が自分から決めた一つのハードルだ。それを越せないようじゃこの先進めない
ぞと脅せば、負けず嫌いな恋人はムッと口を引き結んで頷く。
「じゃあ、お前から」
「な、何だよ」
「・・・・・」
上杉は笑いながら唇を指す。
負い目のある太朗はキョロキョロと周りを窺っていたが、やがて思い切ったように上杉の腕を引っ張ると、そのまま下から軽く唇を合
わせてきた。
「んっ」
合わせるだけのキスでは終わらせないつもりだった上杉は、そのまま太朗の頭を手で抱きこむと、舌を絡ませる濃厚なキスを仕掛
ける。しばらくはキスは出来るかもしれないが、瑞々しい身体を味わうのは先になりそうだ。
(仕方ない、俺も真面目にしておくか)
その後、太朗の日常は変わらなかった。
いや、来年の受験に向け、飼い犬の散歩も弟に任せている状態で、今までしたことがないというくらい勉強をした。
それでも、一週間に一度、1時間ほどだが上杉と会う時間を作った。受験にかまけた自分が相手をしない間、上杉が余所見をし
たりしたら・・・・・そんな心配があったというのも一つの理由だが、何より一番なのは太朗自身が上杉に会いたいと思ったからだ。
大好きな人と会うことが受験の妨げになるなど言い訳だと思う。いや、過ぎればやっぱり困るかもしれないが、それでもその相手
のために、周りの大切な人のために、何より自分のために頑張ろうという気力が、上杉と会うことで毎回充電されるのだ。
「ごめん、ジローさん」
「ん〜?」
「俺のせいで、なかなか会えなくって・・・・・」
「会ってるじゃねえか。それに、これからずっと一緒にいるんなら、この時期なんてのはほんの一時だ。お前は今自分がしなければ
ならないことをちゃんと分かってやればいい」
嬉しくて・・・・・少しだけ、泣いた。
しかし、会う時間が限られた今の間は笑えと上杉にくすぐられ、泣きながら笑うという変な状態になってしまった。
年明けには、友人達と初詣に行き、たくさんの御守りを貰った。
みんなの気持ちが嬉しくて、久し振りに会った上杉にも頑張れと励ましてもらい、太朗は勢い込んで受験に挑んだ。
もしかしたら落ちてしまうかもしれないが、それでもやるだけはやったという気持ちがある。
「いいじゃねか、落ちたら俺んとこに来い」
それがどういう意味なのか、恥ずかしくて聞き返すことは出来なかったが、それでもそう言ってくれる気持ちが嬉しくて、太朗はドキ
ドキしながら発表の日を待つことになる。
その前に・・・・・。
「あ」
「なんだ、可愛い顔して」
「ど、どうしてここにいるんだよっ?」
3月1日。
家の玄関を開いた太朗の目の前に、笑いながら立っている男。
今日は何時もよりも若干大人しめのスーツの色にネクタイをした、それでも十分にカッコイイ上杉の登場に、太朗は唖然と開いた
口が塞がらなかった。
「大事な恋人の卒業式だ。恋人がいなきゃ様にならねえだろ?」
「う、嘘お〜っ!」
![]()
![]()