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「お腹いっぱ〜い!!」
苑江太朗(そのえ たろう)は店を出た途端そう叫んだ。
本当に満足そうにそう叫ぶ太朗を笑いながら見ていた上杉滋郎(うえすぎ じろう)は、自分よりも遥か下の太朗の頭をクシャッと
撫でる。
「そりゃ、替え玉3玉も食えばな」
「だ、だって、豚骨美味しかったんだからしかたないだろ!ねっ?」
太朗が同意を求めたのは西原真琴(にしはら まこと)だ。真琴も細い身体には似合わずにお代わりをしたのだが、太朗の言葉
にもうんと直ぐに頷き返した。
「やっぱり本場って感じだよね。本当は夜の屋台も行ってみたかったんだけど・・・・・」
「あ、それは俺も行ってみたかった。前に一度だけ来たんだけど、時間が無くてたくさんは回れなかったんだ」
真琴の言葉に反応したのは、小早川静(こばやかわ しずか)だった。静もお代わりはしなかったものの、スープまで綺麗に飲み
干していた。
「替え玉もしたかったんだけど、ちょっと無理だった」
「静さんも?美味しかったもんね〜」
3人は豚骨最高と言い合っていたが、それに異を唱える者もいた。
「俺はもうちょっとあっさりしていた方がいいな。やっぱり一番は醤油だって」
日向楓(ひゅうが かえで)は綺麗な眉を顰めながら言う。そう言えば、楓は途中で伊崎恭祐(いさき きょうすけ)に残したものを
食べさせていた。
「楓は江戸っ子だよな。友春さんは?どうだった?」
「美味しかったよ?でも、僕はどっちかっていうとうどんの方が好きかも」
大人しい笑みを浮かべて言った高塚友春(たかつか ともはる)の言葉に、太朗の頭の中はモヤモヤとした妄想が膨らんでいく。
昔家族で四国に旅行に行った時食べた釜揚げは美味しかった。
「うどん・・・・・うどんもいいよな〜」
「お前は口に入るもんは何でもいいんだろ」
「失礼な」
半分はそうかもしれないと自覚はしているものの、面と向かってそう言われるのは面白くない。太朗は楓の言葉に頬を膨らませた
が、ふと今店から出てきた2人を見て、またコロッと意識を変えたらしい。
「あ、ねえ、アッキーは豚骨派?それとも醤油?うどん?」
アッキーと呼ばれた日野暁生(ひの あきお)はいきなり太朗に詰め寄られ、戸惑いながらも何とか答えた。
「え?あ、お、俺は、醤油派、かも」
「え〜っ、あ、じゃあ、ひよは?」
「・・・・・え?」
(ひよ・・・・・って、俺のこと?)
何時の間にか秋月甲斐(あきづき かい)によって旅行に連れ出され、全く見も知らない相手とこれから温泉旅行に行かなけ
ればならない沢木日和(さわき ひより)は、いきなりあだ名のような呼び方で声を掛けてきた太朗に戸惑った視線を向けた。
列車の中で話をしたが、この太朗とはどうやら同級生らしい。
他は皆自分よりも年上ばかりだったし、見惚れるほど綺麗な顔の主もいて、自分だけが浮いているような気もしていたのだが、ど
うやら自分の複雑な思いは、目の前の小柄な同級生には全く感じ取れていないらしかった。
「お、俺は、味噌?」
「うわっ、空気読んでない!!」
「え?」
何だか責められている様な言葉なのに、太朗は大声で笑っている。
その姿を見ると日和もつられて楽しくなってしまった。
「味噌、変かな」
「ううん、俺も味噌味好き!インスタントは味噌ラーメンよく作るし!」
「あ、俺もっ」
同級生の気安さからか、日和も思わず声を弾ませてしまう。
すると、周りでは自分は何派だという言い合いが賑やかに始まっていた。
「可愛い子達が集まっている姿を見るのは楽しいわね〜」
少し離れた場所から年少者達の会話を楽しそうに見つめていた綾辻勇蔵(あやつじ ゆうぞう)は、ちらっと腕時計に視線を落
とした。
そろそろ駅前に予約をしたサロンバスがやってくる時間だ。
観光というよりは温泉でゆっくりと過ごす事が主な目的であったし、大体こんなに目立つ一行を連れて天神なんか歩けない。
(健康的にマリンワールドって感じじゃないし)
お子様達は水族館も楽しむだろうが、この保護者達はとても・・・・・無理だろう。
「綾辻さん」
「あ、何?」
最後に会計を済ませて店から出てきた倉橋克己(くらはし かつみ)に声を掛けられ、綾辻は満面の笑みを浮かべて振り返った。
「これからどうするんですか?」
「ああ、今日は克己も接待される側にいていいんだから気にしないの」
「そういうわけにはいきません。大体、財布を私に預けるなんて・・・・・」
「だって、私がお財布持ってたらかなり大雑把になりそうだし、伊崎だったら切り詰めそうでしょう?小田切さんは金に糸目は付け
ないタイプだし、ナラさんは案外計算遅そうだし。後は大御所ばっかりだから・・・・・ね?結局は克己しかいないでしょう?」
「・・・・・どういう理屈ですか」
「まあまあ」
(こんなに言っても、どうせ克己は気を遣うだろうし)
何を言っても、先ず自分が率先して動くタイプの倉橋には、初めに役割を与えていた方がいい。
会計は一見気を遣うように見えるが、今回は誰の腹も痛まない魔法の財布で、何かを考えながらというわけでもないのでかなり
気は楽なはずだ。
「そういうことでよろしく」
綾辻はそう言ってポンポンと倉橋の肩を叩いた。
江坂凌二(えさか りょうじ)は、憮然とした表情で腕を組んでいた。
別に、昼飯がラーメンだから怒っているというわけではなかったが、店の中でも静は他の少年達と楽しそうに話していて、江坂と話
す時間はほとんど無かった。
狭い店内、一応貸切にはしていたらしいが、それでも江坂は落ち着けなかった。
(全く、誰がスケジュールを考えたんだ)
自分もだが、ここにはイタリアマフィアの首領のアレッシオ・ケイ・カッサーノもいるし、それぞれが組を担っている実力のある者達ば
かりだ、昼食もそれなりの場所を選べば良かったのではないかと思う。
「ねえ、江坂さんも美味しかったですよね?」
「・・・・・ええ、もちろんですよ。やはり本場の豚骨ラーメンは美味しいですね」
不意に話し掛けてきた静に、江坂は穏やかな笑みを投げかけたが、静はそうでしょと頷いて太朗を振り返ってしまった。
「ほら、太朗君、江坂さんも豚骨派だよ」
「葱も紅生姜もサービスなんて、得した気分になるし!」
「・・・・・」
(子供か・・・・・)
静の高校生の頃はもっと大人っぽかったと思うが、どうも太朗を見ていると小学生・・・・・いや、せいぜい中学生のようにしか思
えない。
上杉はよくもこんな子供に手を出したなと、江坂はもう何度目になるかも分からない疑問を再び抱きながら、それでも視線だけは
ずっと静を追い掛けていた。
ラーメンを食べるのは初めてではないが、これほど濃厚なスープの物は初めて食べる。
不味いとまではいかないがクセがあるなと思ったアレッシオは、口元を押さえてしまった。
「ケイ」
「トモ?」
「こ、これ、どうぞ」
先程まで向こうで友人達と話していると思っていた友春が側に来て手渡してくれたのはペットボトルの水だ。
一瞬、友春とそれを交互に見つめてしまったアレッシオは、やがてにっと口元を緩めた。
「ありがとう、トモ」
「い、いえ」
自分の様子をじっと見ていてくれたからこそ、口直しの水を手渡してくれたのだろうと思う。アレッシオは嬉しさで頬が緩んでしまい
そうになったのを、水を飲む事で誤魔化してしまった。
「小田切さん、何か手伝うことはありませんか?」
「・・・・・いいえ、伊崎さん、あなたも招待されている側ですからゆっくりされてください」
声を掛けてきた伊崎に向かい、小田切裕(おだぎり ゆたか)はにっこりと笑って遠慮をした。
規模が小さいとはいえ、組の若頭という立場の伊崎は相変わらず気遣いの人で、小田切や綾辻以上に自分が動こうとしてくれ
る。ありがたいとは思うが、そろそろ自分が上に立つ立場の人間だということを自覚した方がいいのではないかと思った。
「しかし」
「あなたは若頭なんですから、私に向かって命令される立場なんですよ?」
「え・・・・・え、それは分かりますが・・・・・」
「それに、あなたを使ったりしたら、お姫様に睨まれてしまいますから」
「・・・・・そう言う方が睨まれると思いますが」
「綺麗な子に見つめられるのは気持ちがいいものですしね」
楓の睨みなど、小田切からすれば飼っているハムスターの大きな眼差しと変わらない。
笑いながらそう言った小田切に返す言葉が無かったのか、伊崎はただ苦笑を浮かべていた。
海藤貴士(かいどう たかし)は小田切の後ろを歩いている大柄の男をじっと見ていた。
初めて会うわけではないが、こうして見ていると眼差しの鋭さが気になった。
「綾辻、あれは」
海藤の眼差しがどこに向けられているのか確認した綾辻は、すぐにああと笑いながらその疑問を解いた。
「彼は小田切さんのワンちゃんですよ。今日は非番なんですね」
「非番・・・・・じゃあ」
「オフレコですよ、会長」
あの小田切が今更男と付き合っているからといって驚くことはなかったが、さすがにそれが自分達と敵対する組織の人間だと思う
と驚いてしまう。
だが、あの小田切ならばと、どこかで納得も出来るのだが。
「大丈夫なのか?」
「ええ、飼い主さんに忠実ですから」
「・・・・・その例えは分かりにくいな」
しかし、幾らそっちの組織に属しているとはいえ、プライベートで何かをすることも無いだろう。それに、あの小田切が手綱を握って
いるのならば心配することもないかと、海藤は何とか自分を納得させた。
(俺・・・・・ここにいていいのか?)
宗岡哲生(むねおか てつお)はヤクザだらけのこの旅行に自分がいることがどうしても違和感を感じてしまい、ロータリーに横付
けになったバスに早々に乗り込んだ。
小田切との旅行に浮かれていたのは確かなのだが、時間が経つに連れていいのかという疑問も大きくなってくる。しかし、このまま
小田切を置いて先に帰るということは絶対に出来なかった。
「俺いちば〜ん!!」
そんな宗岡の耳に、元気な少年の声が聞こえてきた。
とてもこのヤクザの温泉旅行の同行者には見えない、綺麗で、普通で、元気な少年や青年達。
どうやらここまで競争で走ってきたのか、バタバタと中に乗り込んでくる。
「あっ、一番じゃなかった〜」
小田切が可愛がっている少年、確か太朗という名の少年が、既にバスに乗っていた宗岡を見て残念そうに呟いた。その表情を
見ると何だか申し訳ない気がしてしまう。
「あ・・・・・ごめん」
「いいですよ、2番でも」
謝った宗岡に太朗は笑い掛けた。そして、年少者の次に倉橋が乗り込んでくる。
「席を考えないといけませんね」
どうやらヤクザのトップ達はゆっくりと歩いてきているようだ。出発までもう少し時間があるのかと思った時、
ブー!!
いきなり開いていた扉が閉まり、バスが走り出した。
「え?」
「ちょ、ちょっと、まだみんな乗ってないんですけど!」
慌てたように太朗が叫んだ時、運転席の直ぐ後ろの座席に潜んでいたらしいまだ若い男が2人立ち上がり、乗っている宗岡達
の顔をずらりと見回しながら言った。
「悪いが、しばらく俺達に付き合ってもらう」
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第二部、ヤクザ部屋の面々の温泉旅行です。
リクエストの中にもありましたが、少しサスペンスをプラスしました。あくまで少しです(笑)。