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 警察に捕まってもいいと言ったくせに、結局は取り締まりのなさそうな場所を選んでバイクを走らせた自分の気弱さが恥ずかし
い。
しっかりと腰に手を回して自分の後ろにいる最愛の恋人、小田切裕(おだぎり ゆたか)も、きっとそんな自分のずるさを分かって
いると思った。
 同棲しているマンションに到着し、地下駐車場にバイクを乗り入れ、何時ものスペースに停めると、小田切は無言のままバイ
クから降り、被っていたヘルメットを取る。
少し長めの艶やかな髪がはらりと揺れ、眼鏡越しの切れ長な目が真っ直ぐに自分を見つめた。
 「ゆ、裕さん」
 小田切の眼差しは無表情といってもいいもので、宗岡哲生(むねおか てつお)は次の言葉がなかなか切り出せない。
そんな哲生を見てどう思ったのか、小田切はそのまま専用エレベーターの方へと歩き始め、宗岡も置いていかれないようにと慌て
てその後を追った。




 ひんやりとしたリビングのソファに小田切がゆったりと腰を下ろしている。
すんなりとした足を組み、膝に当てた手で顎を押さえ、今は少しだけ微笑を浮かべながら、目の前に立つ宗岡を見上げていた。
(な、何を考えてるんだろ・・・・・)
 小田切が普段話さない過去が知りたくて、強引に東條院に会おうとしたのは申し訳ないと思う。それでも、謝罪するつもりは
無かった。
好きな相手のことを知りたい。それが恋人ならば尚更。
もちろん、彼の過去の男の影が見えてしまえば嫉妬もするかもしれないが、それでも宗岡は少しでも多くの小田切を知って、自
分のものにしたかった。
 「哲生」
 「は、はい」
 どのくらい経ったか、小田切が名前を呼ぶ。
緊張して、背中に冷や汗が流れる思いがした。
 「私の言葉を覚えているか?」
 「・・・・・」

 「先ずは同居を解消しよう」

 もちろん、忘れるはずがない。その言葉は鋭い棘となって宗岡の胸を貫き、今も赤い血を流している酷い言葉だ。
自分の行動のどこがそこまで小田切の琴線に触れたのかは分からない。そう言えば、きっと駄犬だと揶揄されてしまうのが分かる
から、宗岡はただ黙って小田切を見つめ続けた。
 「私は飼い犬を大切にする性質だが」
 「・・・・・」
 「逆らう犬を飼い続けたことはない」
 もっとも、どの犬も私に従順だったから、お前がその最初で最後の一匹だろうなと笑いながら言っていても、小田切の眼差しは
笑っていない。
 「裕さん、俺はっ」
 「私がどうしてそこまで怒っているか、理由が分からないか?」
 「お、俺はっ」
 「どんな些細なことでも、裏切りを許してしまえば何時命を狙われるか分からなくなる」
 「俺が裕さんを狙うはずないだろ!」
 いくら自分が警察官で小田切がヤクザでも、立場を超えて愛した人の命を奪うことなど出来ない、いや、絶対にしない。
そんなことで疑わないで欲しいと拳を握り締めて言ったが、小田切は僅かに口元を緩めただけだ。
 「お前が暴走した後始末をしてやるほど私は暇じゃない。今回は太朗君まで危険な目に遭わせて・・・・・私は彼を気に入っ
てるんだ、とても」
 分かっている。小田切は常にない優しさを持ってあの少年に接している。
それが恋愛感情を含んだものでないと分かっているのに、宗岡はあの素直な少年にまで嫉妬してしまった。




 目の前のうな垂れた男の姿は、耳を垂れて飼い主の言葉を待つ飼い犬だ。
(でかい図体をして・・・・・可愛い)
今回のことについて、小田切は確かに自分の言葉を聞かなかった宗岡を煩わしいと思っているが、それでも首輪を外そうとまで
は考えていない。今男に向かって言っている言葉は大げさなものなのだが、それくらい骨身に沁みて反省してもらわなければ、こ
の先ますます反抗心を抱いてしまいかねないだろう。
 「・・・・・」
 勝手にあの男に会いに行き、勝手に妄想だけを膨らませた馬鹿な飼い犬。
それでも、あんなにも焦り、怒ったのは久し振りだったし、実際に無事な姿を見てホッとしたのも事実だ。
 「・・・・・」
 ただ、今後同じようなことがあっても困る。
(躾は始めが肝心だ)
共に暮らして数年。それでもまだ躾は終わっていなかった。




 「私は一度口に出した言葉を撤回する気はない。明日というのは無理だろうから・・・・・」
 「俺は出て行かない!」
 「哲生」
 「俺はっ、ここにいる!」
 我が儘な子供のように叫べば、小田切はふっと苦笑を零した。
 「出て行かなくてもいいぞ。私が帰って来なければいいだけの話だ」
 「!」

 このマンションは小田切が選んだ、小田切の持ち物だ。知り合って直ぐに心底溺れきって、何度も何度も同棲することを懇願
して、やっと許してもらって暮らし始めた場所だ。
 もちろん、自分もきちんと働いている宗岡は家賃の折半を申し出たが、

 「ここは私の持ち物だ。家賃は要らない」

そう、言われてしまった。
それでもと言い募って金額を聞けば、とても自分が払えるとは思えない金額で、呆然とした宗岡の顔をそっと撫でながら、小田
切はほらなと笑っていた。

 ヤクザの社会の中でも相当上の地位にいるらしい小田切の財力には、宗岡は足元にも及ばない。
男のプライドもあって、この辺りの相場の家賃は渡しているが、きっと小田切はたいしたことではないと思っているだろう。
 「汗を流すか」
 「・・・・・」
 沈黙をものともせず、立ち上がった小田切はその場で背広の上着を脱いだ。続いて細い指がネクタイを解き、ベルトを緩めて
そのまま床に落とす。
 眩しいほどに白い肌が目の前に現れ、宗岡はただ視線を奪われた。
(・・・・・綺麗・・・・・)
自分の気持ちを分かってくれないもどかしさを感じ、今日こそちゃんと話し合いたいとも思っていたのに、こうして肌を見せられると
何も言えなくなってしまう。
 「哲生」
 振り向いた小田切が身動ぎすると、腿を隠すワイシャツの隙間から青白い内股が見えた。
 「肩」
何をしたいのか、その言葉だけで分かる。宗岡は小田切の前に片膝をつき、小田切が自分の肩に手を置くとそっと足を取り、
靴下を脱がした。
 「・・・・・」
 もう片方も同じように脱がしたが、今度はなかなか握っている足から手が離せない。
 「哲生」
小田切の声は、非難しているのかもしれない。それでも、哲生の耳にはまるで愛撫を誘う甘えた声に聞こえて・・・・・。
 「裕さん・・・・・」
 今日は、色んなことがあり過ぎた。
様々な思いは、全て小田切への思いに集約し、それは欲情となって、宗岡はそのまま小田切の爪先を口に含んだ。

 どうして、この人の身体はこんなに甘いのか。
宗岡は指の一本一本に舌を絡めながら、そう思った。

 チュク クチュ

 普段はその眼差しも口調も、鋭い針のように相手を突き刺すのに、それを包む肉体はこんなにもあまやかだ。
まるで蜂・・・・・女王蜂のような人だと思いながら宗岡は指先を愛撫し続ける。風呂に入っていないとかなど関係ない。
いや、もしも小田切が犬の糞を踏んだとしても(小田切がそんなヘマをするはずがないが)、宗岡は全て自分の舌で綺麗に舐め
取る自信がある。
 「・・・・・ふっ」
 「・・・・・」
 唾液が滴るほどに爪先を舐め濡らしていた宗岡は、チラッと目線を上げた。
片足を上げているせいで小田切の足の付け根、ビキニタイプの下着も見えたが、そこは僅かに膨らんでいた。
(感じてくれてるんだ、裕さんも・・・・・っ)
 しかし、身体はそんな風に反応を示しているのに、頭上の小田切の表情は何時もと変わらない。
心と身体をこんなにもはっきりと分けることが出来るんだと思うと胸が痛くなるが、それでも宗岡は小田切を求めることを止められ
なかった。




 舐めていた足を床に下ろさないまま、宗岡は小田切の身体をソファに座らせた。
 「何をする気だ?」
 「裕さん」
 「哲生」
 「裕さん・・・・・っ」
切羽詰ったような表情で自分を見つめてくる宗岡の眼差しは熱を帯びていて、下を見ればその股間も膨らんでいることが分かっ
た。
自分の爪先を舐めるだけで感じるのかと思わず目を細め、そのペニスの味を思い出すかのようにゆっくりと唇を舐め濡らし、小田
切は足を組んでやる。
 「見るな」
 そう言えば、素直に目を閉じて今度は膝や腿にまで舌を這わせてくるのでくすぐったくて仕方がなく、一度その胸を足で押し返
した。
 「勝手に私に触れるな」
 「・・・・・」
 「私はシャワーを浴びたいんだ」
 それならば、なぜこんな場所で服を脱ぎ始めるのだと言い返せばいいものを、既に宗岡の頭の中は自分を求めることだけしか
ないようで、直ぐに身体を抱き上げられた。鍛えられた身体は、細身だとはいえ男の身体である自分を軽々と持ち上げ、そのま
ま歩き始める。
 「哲生」
 「俺も一緒に入る」
 「・・・・・」
(許した覚えはないけれどな)




 ワイシャツのボタンを外し、下着を脱がして。
小田切を全裸にした後、宗岡は自分も急いで服を脱いだ。このまま鼻先でドアを閉められてはたまらないからだ。
 「・・・・・っ」
 下着を脱いだ時、眼下では既に半勃ちになった自分のペニスが視界に飛び込んできたが、それを恥ずかしいと思っている余
裕は無かった。
小田切が欲しいから、身体は自然に反応するのだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 細い腰を抱くようにしてバスルームに入り、シャワーの温度を適温にして、小田切の身体にかけてやった。
その間、湯船に湯を溜めるのも忘れない。小田切はシャワーだけよりも、ゆったりと湯に浸かることを好むからだ。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 そのまま、手にボディソープを垂らして、手の平で小田切の身体を洗っていく。
既に30も半ばを越している男だというのに、彼の身体は白く、張りがあって滑らかで・・・・・、少年といってもいいはずの瑞々しさ
なのに、大人の艶やかさも同時に併せ持っている。
 何度抱いても、抱き足りない。
抱くほどに、飢えてしまう恋情。
 こんな風に誰かを、それも自分よりも年上の男を欲するとは思わなかったが、今となってはその運命に感謝だ。どんなに苦しくと
も、辛くとも、小田切の存在を知らなかった安寧な日々に戻りたいとは思わない。

 首筋から、背中。鎖骨から、胸元。赤く立ち上がった乳首を指で摘み、何度も捏ねて・・・・・すると、しつこいと冷静な声が響
いた。
(立ち上がっているくせに)
 明らかに感じているのに、どうしてそれを認めないのだろうか。
宗岡はそんなことを思いながら、細い腰から形の良い尻に手を移動する。少し荒々しく揉みしだいて、時折その狭間に指先を
滑らせて、自分を受け入れてくれるその場所を何度も解そうと動かした。
 「哲生」
 「いいだろ」
 「・・・・・」
 「欲しいんだよっ」
 首筋に歯をあてるようにして言っても小田切は何も答えてくれない。
いや、そればかりか宗岡の胸を押し返すと、自分でシャワーを浴びて泡を洗い流し、さっさと湯船の中に入ってしまった。
 「・・・・・」
目線を落としてしまうと、自分の半勃ちのペニスが虚しく揺れている。このまま強引にでも押し倒し、その甘い身体にペニスを突
き刺してやろうと思うのに、その眼差し一つで拒絶されてしまえば・・・・・。
 「裕・・・・・さ・・・・・」
 「・・・・・」
 「裕さん・・・・・」
 小さくても、バスルームの中では自分の声が響く。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・入らないのか?」
 「!」
それは、誘うというよりはただ聞いただけといった口調だったが、宗岡は直ぐにブンブンと頭を横に振ると、身体に残った泡をシャワ
ーで洗い流し、そのまま小田切の身体を背後から抱くように湯に身を沈めた。
 「湯が零れる」
 「ご、ごめんなさい」
直ぐに謝るが、それでも抱き込んだ身体からは手を離さない。
 「・・・・・」
 激しく高鳴る自分の胸の鼓動は、小田切の綺麗な背中に伝わらないだろうか?
ただ、こうして一緒にいることを許してくれるというのは、もしかしたら別居という罰は許してくれたのだろうか・・・・・そんなことを思っ
ていた宗岡の耳に、楽しそうな小田切の声が届いた。
 「お前の肉座布団は心地良かったが、今日で最後だと思うと名残惜しいな」