DOG DAYS
− 午後4時 −
待ち合わせの公園の前で、太朗(たろう)は飼い犬のジローを相手にボール投げをしていた。
雑種のジローはもう8歳になるが、捨て犬だった自分を拾ってくれたのが太朗だと覚えているのか、家族の中でも一番に太朗
に懐いている。
「まだかな、ジローさん」
ボールを投げていた手をふと止めて呟く太朗の顔は、不安そうに曇っている。
約束の時間は午後3時。
もう1時間も過ぎている。
「・・・・・今日は来ないのかな・・・・・」
「タロっ」
諦めかけたその時、低く響く声が太朗の名を呼んだ。
「ジローさん!」
土曜日の夕方の公園には似合わない、ダークスーツの男が大股で近付いてくる。
その姿に、太朗は自分もジローのリードを引っ張って駆け寄った。
苑江太朗(そのえ たろう)が、その男と出会ったのは3ヶ月ほど前の小雨が降る夕方だった。
「・・・・・なんでこんなとこに捨てられてんだ・・・・・」
学校の帰り道、傘を持っていなかった太朗は走って家路に向かっていた。
共働きの両親に迎えに来てもらうことは出来ず、いきなりの雨だったので友人達もほとんど傘を持っておらず、止むまでじっとし
ていられなかった太朗は、濡れるのも構わず走っていた。
そして、ちょうど抜け道になる公園に差し掛かった時・・・・・。
「あ・・・・・」
太朗の足がいきなり止まった。
「・・・・・なんだよ、こんな日にここにいるなよ〜」
入口のすぐ側に、雨で濡れてボロボロになった紙袋が置いてあり、破れかけた側面から白い小さな毛だらけの足が覗いてい
たのだ。
直感的に捨て犬か猫だと思った太朗は、気付いた瞬間から無視することが出来なかった。
「・・・・・あ、犬だ」
慌てて駆け寄って紙袋を開くと、生まれて1ヶ月も経っていないだろう子犬が1匹、雨に濡れて震えていた。
太朗はその子犬を抱き上げると、近くの滑り台の下で雨宿りをすることにした。
「おまえ、捨てられちゃったのかあ〜。こんなに可愛いのに・・・・・捨てるくらいだったら、ちゃんと手術しとけっていうの」
無責任な元の飼い主の事を考えるが、太朗はどうしようかと考え込んでしまった。
このまま家に連れて帰って飼ってやりたいのは山々だが、家には今回のように太朗が拾って連れ帰った犬が2匹、猫は3匹も
いる。
そんなに広い家というわけではないし、これ以上は母親も困ってしまうだろう。
「どうしよ・・・・・」
途方に暮れた太朗だったが、それでもとりあえずは家に帰ろうと、制服の上着を脱いで犬を包み、しっかりと胸に抱いてその
まままた走り出したのだが・・・・・。
キキーーーーーッツ
犬に気を取られ、あまり前方を見ていなかった太朗は、抜け道でよく使われている細い脇道を止まらずに横切ろうとした時、
耳をつんざく急ブレーキの音に反射的に立ち止まった。
「!!」
一瞬のことに、太朗の足は凍りついたようにその場から動かなくなった。
「馬鹿やろう!!てめえ、ガキッ、前見て歩いてんのか!」
運転席から降りてきた柄の悪そうな若い男が、小柄な太朗に凄んできた。
初めて味わう恫喝と、事故に遭うかもしれなかったという恐怖に、太朗は声が喉に張り付いてしまうほど緊張してしまい、自分
を脅すように睨み付けている男を呆然と見上げるしかなかった。
「てめえ、聞いてんのか!」
そんな太朗の様子に気付かないまま、男がまた1歩近付いてくる。
その時、
「ガキを脅してどうする」
別の男の声がしたかと思うと、車の後部座席が開いて1人の男が出てきた。
「か、会長!濡れます!」
「そいつはもうびしょ濡れじゃねえか。おい、ガキ」
ゆっくり太朗に近付いてきた男は、随分背の高い、そしてかなりいい男だった。
「おい、聞こえるか?」
「う、うん」
高そうなスーツが雨に濡れてしまうのも構わず、男は自分の肩ほどしかない身長の太朗の顔を覗き込むように身を屈めた。
「怪我はないな?」
「は、はい」
「その手に抱いてるの、何だ?・・・・・ん?犬か」
太朗が答えるよりも先に、制服をめくった男は手の中の存在に気付いたようだった。
「・・・・・おい、車に乗れ」
「え?」
急に男に腕を掴まれた太朗は、そのまま停まっている黒の高級外車(ベンツだろうか)に引っ張られていく。
「あ、あの!」
「別にとって食おうとは思ってない。その犬と同じ様にびしょ濡れで情けないガキを見捨てるほど、酷い男じゃないってことだ」
あっという間の展開に戸惑う太朗を無視したまま、男はそのまま太朗を車に乗せた。
「あ、あの、シート濡れるからっ」
「俺も濡れてるから一緒だな」
「・・・・・」
答えようもなく、腕の中の子犬をギュッと抱きしめて俯く太朗に、男は声を掛けてきた。
「中学生か?」
「は、春から高1です!」
「小さいな」
それは太朗にとって最大のコンプレックスだった。
今までの困惑した、どこか怯えた表情から一転、ムッと口を尖らせて不快さを全開にする太朗を、男は面白そうに見つめなが
ら言った。
「名前は?」
「・・・・・あんたこそ、何ていう人?知らない人に名前教えたくない」
すると、隣に座る男よりも先に、先程凄んできた運転手の若い男が怒鳴った。
「てめえっ、会長に何て口ききやがる!」
「お前は黙ってろ」
「で、でもっ」
「俺は上杉滋郎(うえすぎ じろう)」
「ジロー?」
「どうした?」
「俺の、うちの犬と同じ名前」
「犬と?はっ、こりゃ、いい」
犬と同じと言われたにも関わらず、男は笑って先を促した。
「俺は名前を言ったぞ。お前は?」
「・・・・・苑江太朗」
「タロ?・・・・・ああ、タロとジローか。ほんと、犬だな」
「・・・・・ほんとだ」
車が着いたのは都内でも有数の高級ホテルで、太朗は自分の姿と犬の存在を気にしたものの、上杉は全く頓着しないま
ま、一般の客室よりはかなり広い部屋に案内させた。
「あ、あの、ここ・・・・・」
「ああ、俺のとこでも事務所でも良かったんだがな。お前が恐がるかと思ってここにした」
「・・・・・?」
(恐がる?)
言葉の意味を尋ねようとする前に、上杉はそのまま太朗とともにバスルームに入った。
「ほら、その犬も一緒に入るぞ」
「え?あんたも?」
「俺だって濡れてるからな。それとも、親切な俺に風邪をひかせるつもりか?」
「う〜・・・・・分かったよ」
「よし、いい子だ」
再び子供扱いされてムカついたが、太朗は躊躇いなく服を脱いでいく上杉に、何時しか目を奪われていた。
(かっけー身体・・・・・)
しっかりと筋肉は付いているもののゴツイというわけではなく、手足も身長に見合って長い。腰の位置も嫌味なほど高くて、
(うわあ!)
「か、隠せよ!」
「ん?何を?」
「そ、それ、前だよ!礼儀だろ!」
顔を真っ赤にして言う太朗がどこの事を指しているのか気付いたのか、上杉はにやっと人の悪い笑みを浮かべた。
「俺のはお前みたいなウインナーじゃないからな。見られたってどうってことない」
「!」
「ほら、お前も早く脱げよ、犬もそのままじゃ風邪ひくぞ」
「あっ」
太朗は腕に抱いた犬の事を思い出すと、慌てて服を脱ぎ始めた。
しかし、服を脱ぎながら、色んなことが頭の中を駆け巡る。
(俺・・・・・何やってんだろ・・・・・)
初対面の男の車に乗り、ホテルに入って、こうして一緒に風呂に入ろうとしている。
冷静に考えれば有り得ないことだろうが、太朗はなぜか飼い犬と同じ名前の男がそんなに悪い男だとは思えなかった。
それに、男の自分が何かされるとは思えない。
(でも・・・・・大っきかったな・・・・・)
隠していなかった男のペニスは、羨ましいと思うよりも感心するほど大きく、あれならば隠すこともしないだろうと思えた。
「おい、入らないのか?」
風呂の中から男の呼ぶ声がする。
「今入る!」
太朗は急いで残りの服を脱ぎ捨てると、寒さで震えている犬を抱いて中に入った。
「うわ〜、お前洗ったらメチャ可愛いじゃん!」
シャワーで丁寧に汚れを洗い流すと、犬は白い綺麗な毛並みをしていた。
雑種のようだが、こんなに可愛い犬を捨てるとは、太朗にはとても信じがたいことだった。
「どうするよ〜。うちはジローにトメさんに、団子達がいるからなあ」
「何だ、その団子達っていうのは?」
湯船に浸かっていた男が言った。
セットされていた髪は濡れて額にかかり、先程までよりは幾つか若く見えた。
「猫だよ。白玉(しらたま)に、キナコに、小豆(あずき)。母ちゃんがつけたんだ、毛の色で」
「それはまた・・・・・単純だな」
「トメさんは、トメさんちの玄関前に捨てられてたからで、ジローさんは」
「ジローさんちか?」
「うちの前の犬がイチローだったから」
「・・・・・凄いネーミングセンスだな」
「みんな俺が拾ってきたんだ。母ちゃんは何時も笑ってしかたないねって飼うの許してくれたけど、これ以上増えたらやっぱ大
変だよなあ」
自分の家が貧乏だとは思わないが、それ程裕福な家庭ではないと思う。
何より住んでいる一軒家にはこれ以上ペットを飼う余地はなかった。
「・・・・・俺が貰おうか?」
どうしようと考え込む太朗を見て、上杉が突然切り出す。
太朗は驚いて目を丸くした。
「あんたが?どうして?」
「どうしてだろうな」
「で、でも、こいつ多分雑種だよ?あんたに似合わないんじゃない?あんたが飼うなら、なんたら犬とか、チャンピオン犬とか、
そんなのが似合ってる気がするけど・・・・・」
「そんな肩書きには興味ないな。それより、そいつを貰う代わりに、一つ交換条件があるんだが」
「・・・・・条件?」
(な、なんだ?お金・・・・・ってこと、ないよな。どう見てもあっちの方が金持ちだ)
こんな高級な部屋をポンと借りるところや、乗っていた車、着ていたスーツ、何もかもが男を太朗とは別の次元の人間に見
せる。これで口が良かったら完璧なのだが・・・・・。
(あ、そういえば・・・・・)
「あんた、会長って呼ばれてたよな?どっか会社の偉い人?」
「・・・・・会社かどうかは分からないが、偉い人というのは間違いじゃないな。羽生会(はにゅうかい)ってとこを治めてる」
「はにゅーかい?凄いね、なんか」
何の会だと分からないままに、会長なんて凄いと尊敬の眼差しになる太郎に、上杉は思いがけない条件を提示した。
「これから一週間に3回・・・・・いや、2回でいい。この犬の様子を見に俺に会いに来い」
これが、高校1年生の苑江太朗と、羽生会会長上杉滋郎の出会いだった。
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今回の話は、読みたい話でトップの、「ヤクザ 溺愛 受け動物好きで嫉妬」のつもりです。
一応、この連休に前・中・後編と書く予定。反応がよければ、連載も考えます。
でも、「滋郎」っていう名前は・・・・・どうだろ?