DOG DAYS







 「会長、高山の顧問弁護士から連絡が入りました。以前の土地の売買の件で・・・・・」
 「それは小池に任せろって言っただろうがっ」
 「会長、箱崎の株の件ですが」
 「一々俺に聞くんじゃねえ!先ずは自分達で何とかしようと思わないのかっ?」
 日常のように繰り返される怒号の声だが、側にいる人間は慣れているのか怯えた様子はない。
それでも、その怒鳴った相手に対しては皆服従し、直ぐに言われた通りに動いているが。
それがここの常識だった。



 上杉滋郎・・・・・この少し古めかしい名前をした男の肩書きは、最大指定暴力団大東組系羽生会の会長だ。
今年35歳になったばかりの会派の会長と言うのは若い方だが、大東組は生き残る為に年功序列というよりも実力を重んじ
ており、上杉と同年代の若い会長は何人かいる。
 その中で一番有名なのは上杉よりも3歳年下の開成会の会長、海藤貴士だろう。
かなり頭の良い彼は、合法で設立している表の会社で随分儲かっており、若いながら今は発言力も持っている。
上杉は自分が海藤に劣っているとは思わないが、同等に話が出来る相手として認めていた。
 「会長、渡辺相談役が今夜会いたいと言って来ましたが」
 「今夜?断われ」
 「しかし、もう何度も断わってるんですよ?そろそろゴネてくると思いますが」
 「どうせ娘を押し付けようとしているだけだ。その気も無いのに会うのは時間の無駄だろう」
 まだ10代の頃、上杉は初めてといっていいほど好きになった女と結婚した。
しかし、その結婚生活は女の浮気という最悪な結果で、3年という短い期間で終わってしまった。
この世界で・・・・・と、いうより、今は1度や2度の失敗などは珍しいことではなく、会長になる前後から上杉のもとには色んな
方面からの縁談の話が舞い込んできていた。
 ほとんどが義理絡みであるその話は、本来自由奔放でしがらみが嫌いな上杉にとって歓迎するものではなく、幹部の小田
切裕(おだぎり ゆたか)にずっと断わらせていた。
 その中でもかなりしつこかった渡辺は、今も頻繁に上杉と接触して自分の娘との縁談を進めようとする。
大東組の古参ではあるが、古い考えの渡辺は組の中での発言力もあまり無く、復権の為にも有望な若手である上杉を身
内に取り込もうとしているのだろうが、そんな思惑が透けて見えるような話に上杉が乗るはずも無い。
 「お嬢さんの方はノリ気みたいですね」
 「会ったことあるか?」
 「義理事で大東の総本部に行かれた時に会っているみたいですよ」
 「あんなとこに娘を連れて行ったのか?常識知らずだな」
 「そうですね。だから気が利かない奴だと言われるんですよ」
 女のような美貌を誇る小田切の口は、上杉とは別の意味で悪かった。
 「結婚なんて面倒くさい。女は履いて捨てるほど寄ってくるんだ、抱くだけだったら何の不自由も無い」
そう傲慢に言い放つ上杉を、小田切は感心したように見つめた。
確かに、ただの性欲処理ということを考えれば、上杉は全く不自由することは無い。
180を遥かに超す長身と、それに見合ったバランスの良い身体。
容貌も男らしく整っていて、彫りの深いその美貌はどこかエキゾチックにも見える。
 そんな上杉は女達の間でも取り合いになるほど人気で、1日に1人相手をしたとしても何年も身体が開くことは無いだろう
程だった。
 「・・・・・っと」
 ふと、思い立った上杉は、腕徒計に目を落として眉を顰めた。
 「くだらない話に付き合ってたら3時半過ぎたじゃねえかっ。タロとの約束の時間を過ぎてる!」
そう言いながら机の上をそのままに脱いでいた上着を着込む上杉に、小田切は呆れたような溜め息をついた。
 「よく続きますね。もう、3ヶ月程ですか」
 「87日だ」
 「・・・・・よく覚えてますね」
 「初対面で俺を犬と一緒だと言いやがったのはあいつが初めてだしな。面白いぜ、一緒にいると。俺が隣にいるのに、あいつ
すれ違う散歩犬に目が行って飼い主と話し始めるし」
 自尊心の強い上杉が、そんなないがしろのような態度を取られても会い続けるという事実が不思議で、小田切はまだ見た
ことのないその相手に興味を持っていた。
 「高校生でしたっけ?」
 「ああ。でもちっちゃいからな、中学生と思ってそう言った時は睨まれた」
 初対面の時を思い出し、上杉の頬に笑みが浮かぶ。
 「私も一度会いたいんですが」
 「駄目だ」
 「どうしてです?会長が今お付き合いしている相手に、一度くらいは挨拶をしたいと思うんですがね」
 「相手はまだ子供だ。それに、俺の事をどっかの会社の会長だと思ってるし」
 「会社の・・・・・まあ、基本は似たようなものですね」
 「とにかく、タロとはただの上杉滋郎として会ってるんだ。邪魔するなよ?」
 「今日こそ聞かれるといいですね」
 「うるさいっ」
そう言い放つと、上杉は後は振り返らずに部屋を飛び出していった。



 約束の公園の前に着いたのは午後4時。
約束の時間からは1時間も過ぎていた。
それでも、車から降りて足早に中に入るとベンチに座った太朗の姿が直ぐに目に入る。
 「タロっ」
名を叫ぶと、反射的に顔を上げた太朗が上杉の姿に気付いて駆け寄ってきた。
 「ジローさん!」
 「悪い!遅くなった」
 「そうだよ、俺、もう少しで帰ろうかって思ってたんだから!」
 嬉しそうに駆け寄ってきたくせに、今は怒ったようにプンッと頬を膨らませている。
その表情がころころ変わるのが面白くて、上杉は思わず笑ってしまった。
 「あー!何笑ってんだよ!」
 「いや、タロの表情が可笑しくて」
 「・・・・・フン!どうせ俺はジローさんみたいにカッコよくないからね!」
怒っているつもりなのだろうが、その言葉は自然に褒め言葉になっている。太朗の言葉にはお世辞などが一切ない響きがして、
上杉の笑みはますます深いものになっていった。
 「今日はメシ食えるか?」
 「今日は駄目」
 「どうして。遅れた詫びに、何でも食っていいぞ?」
 「今日は本当に駄目なんだよ。夜、キナコが出産するかもしれないから」
 「キナコって、猫か?」
 「うん。初めての出産だからね、ついててやりたいんだ」
 「・・・・・」
 自分との食事よりも飼い猫の出産を優先する太朗に、さすがに上杉の眉も潜まってしまう。
しかし、上杉と全く目線の違う太朗に、その不機嫌さはなかなか伝わらなかった。
 「ね、大福(だいふく)元気?」
 「・・・・・ああ、やっとお手とお座りを覚えた」
 「嘘っ?見たかったあ〜、4日前は出来なかったのに・・・・・」
 《大福》とは、上杉が太朗と出会う切っ掛けになった捨て犬の名前だ。入れられていた紙袋が大福屋のものだったという、ご
く単純な理由で決められた名前だった。
捨てられたことがよほど恐かったのか、なかなか懐かなかったその子犬は、定期的に会いに来て可愛がる太朗の愛情のせいか、
今はワンパク盛りの元気な犬になっていた。
 会って直ぐに動物の話になり、上杉の機嫌はどんどん下降線をたどっていく。
動物の話をしている時の太朗は大きな目が輝いてとても可愛らしいが、上杉としては少しは自分の事を気に掛けて欲しいと
思う。
今日遅れたことも、その理由も聞かないとは、自分に興味がないということのように思えてしまうのだ。
 「タロ、今日は俺に付き合え」
 「え〜?だから駄目って言ったろ?・・・・・あのさ、ジローさん、ほんとは仕事忙しいんだろ?」
 「・・・・・暇じゃないな」
 「・・・・・会うの、止める?」
 「タロ?」
 「大福もジローさんに慣れてきたみたいだし、ジローさんだって俺なんかに会いに来る時間もったいないだろ?」
 「・・・・・俺を切る気か?」
 「え?」



 最初に太朗と関わろうと思ったのはほんの気紛れだった。
毎日毎日ごつい男達の顔を見、夜は夜で上杉の顔と身体と金が目当ての女達がまとわりついてくる。
女を抱きたくて堪らないという時期はとっくに過ぎ、今は自由で気ままな時間が欲しかった上杉は、偶然関わった普通の少年
とのやりとりを気晴らしに始めたのだが、これが意外と面白かった。
 太朗の話は飼っているペットと、学校、友達、家族と、ごく普通の15歳の少年にしては少し幼いぐらいのものだったが、よく
動く表情と、何時も連れてくる飼い犬に対する優しい眼差し、そして笑った時に出来る片エクボが可愛くて、何時しか上杉は
自分の方が会ってやるといった立場から、会いたいという気持ちに変化しているのに気付いた。
言葉を変えれば、この面白く可愛い存在に嵌ったのだ。
 だからこそどうにか時間をやりくりして、週2回の午後、太朗と会い続けていたのだが・・・・・。
(止めるだと?・・・・・生意気な)
自分が思っているほど、太朗にとってのこの時間が価値の無いものかもしれない・・・・・そう思うと上杉の胸の奥にどす黒い感
情が生まれた。
 「・・・・・ジローさん?」
 上杉の雰囲気が微妙に変わったのを感じ取ったのか、太朗の声は不安そうに揺れている。
 「俺・・・・・」
 「俺のマンションでいいな」
 「あ、あの、でも・・・・・」
嫌な予感がするのだろう。太朗は何時ものように直ぐには頷かなかった。
 「今日は、止めとく」
 「どうして」
 「だって、ジローさん怒ってる。何か、俺、悪いことした?」
 「怒っているのは分かるのか」
 「・・・・・」
 「したな」
 「えっ?何時?何時した?」
 「俺を嵌めた責任はとってもらおうか」
今の自分はどんな悪辣な顔をしているだろうか。
上杉は自嘲すると、グイッと太朗の腕を掴んで歩き出した。
 「ジ、ジローさんっ?」
 「俺が何者か、よくその頭に叩き込んでおけ」
このまま手を離せば二度と近付いては来ないだろう。
上杉は掴んだ手に更に力を込めると、そのまま公園の入口に横付けした車に太朗を押し込んだ。
ジローをそこに残したまま・・・・・。



 事務所の前に車を止めた時、さすがに太朗は警戒してなかなか降りようとはしなかった。
見掛けは普通のビルだが、時折出入りしている男達は厳つく一癖ありそうな者達ばかりだ。何か変だと空気を感じ取っている
のだろう。
 「ジローさん・・・・・ここ・・・・・」
 「俺の事務所だ」
 「ジローさんの会社?」
 「羽生会の本部だ。ほら、降りろ」
 上杉の車に気付いた何人かの若い男達が駆け寄って来て、1人がドアを開けた。
他の者は一列になって頭を下げている。
 「お疲れ様です!」 
 「ああ」
揃って言う挨拶に短く答え、上杉は太朗の腕を掴んだままビルの中に入った。
長身の上杉に小柄な太朗が引っ張られていくのに、男達は声には出さないが訝しげな視線を向ける。
大体、ヤクザの事務所に子供が来ることはまず有り得ないのだ。
 「戻った」
 そのままエレベーターに乗って3階に着くと、上杉はドアを開けるなりそう言い放った。
中に数人いた男達の中で、一際ほっそりとした男が立ち上がって近付いてくる。
 「お帰りなさい。随分早いお帰りで・・・・・ああ、お客様が一緒ですか。いらっしゃい」
 「ど、どうも」
色白で細身の、一見女のように見える美貌の小田切を、太朗は驚いたように目を丸くして見つめている。
その姿は本当にまだ子供で、皮肉屋の小田切の頬にも思わず笑みが浮かんだ。
 「こんなとこに連れてきて・・・・・驚いてますよ、この子」
 「そろそろ俺の正体を教えてもいいと思ってな」
 「今日も言わなかったんですか?」
 「聞かれなかった」
 自分と太朗の力関係を見せるようであまり言いたくなかったが、わざわざ誤魔化すのも面倒くさかった。
聡い小田切は直ぐにその意味に気付き、面白そうな笑みを浮かべる。
 「なるほど、大物ですね」
 「・・・・・あ、あの、ジローさん・・・・・」
 「ジローさん?羽生会会長にしては可愛らしい呼び名ですね」
 「え、あの、ジローさんはどっかの会社の会長さんなんじゃ・・・・・」
じわじわと不安が襲ってきているのだろう。太朗は側に立つ上杉の上着を掴んで、助けを求めるように見上げてくる。
上杉はそんな太朗を上から見下ろしながら静かに言い放った。
 「俺は会社の会長なんかじゃねえ。広域指定暴力団大東組傘下、羽生会の会長を務めてる」
 「ぼ、暴力団?・・・・・って、ヤクザってこと?」
自分を見つめる太朗の目の中に怯えの色が走る。
上杉は自分の上着からゆっくりと離れていく太朗の指を、なぜか胸を痛くして見つめていた。






                    






上杉の職業がバレてしまいました。
この後の太朗の反応はどういうものか、上杉は太朗に何をしようとするのか?
次で終わるかな?