elite




13







 そして、襲名式から十日ほど経った土曜日。
 「真琴!」
 「静っ」
静は数日前に交わした約束通り、真琴と夕食を共にするために銀座へとやってきていた。
もちろんそれぞれの背後には心配性な恋人も付いてきていて、さらに言えばその周りには実際に静が把握しきれないほどの護衛
がいる・・・・・らしい。
 大勢で動くのは申し訳ないからと、静は今日は自分と真琴だけでと伝えたのだが、江坂はその方が心配だから同行せてくださ
いと言って来た。
 そこまで言われて、静もどうしても嫌だとは言えなかった。
どちらにせよ、自分や真琴にもそれぞれ護衛がつけられているのだろうし、皆が一緒ならばそれだけ人数も少なくて済むかもしれ
ないと思った。
 「元気そうで良かった」
 「あ・・・・・ありがとう。江坂さんにも色々とお世話になって、ありがとうございました」
 真琴は静に礼を言ってから、その後ろに立つ江坂に向かっても頭を下げている。てっきり江坂は頷くだけで終わるかと思ったが、
意外にも真琴に向かって気にすることはないと答えた。
 「こちらでも必要な処理だった。だから、礼を言われることもない」
 「・・・・・それでも、本当に助かりましたから」
 さらに言葉を続けた真琴に、江坂は少しだけ眉を顰める。照れているんだなと分かった静は、そんなふうに人に思われる江坂が
自慢で、嬉しくて、思わずその腕を掴むとこちらを向いた江坂に笑い掛けた。




 ジュウのことは海藤個人の問題ではなく大東組にも関係するものだったので手を貸した。
その気持ちの中に真琴への気遣いがなかったとは言わない。静の友人であり、自分にとっても不思議と居心地が良い雰囲気を
持っている彼に、わざわざ悲しい思いをさせることはないと考えた。
 もちろん、単に優しさだけで終わるのではなく、大東組の利益になるよう話を進めたことは当然の経過だったが。
 「創作和食だって。真琴、何を食べる?」
 「普段家で作れないものとかがいいなあ」
 店まで車で行くことも考えたが、百メートルほど手前で下りて歩くことにした。少し前を歩く2人はとても気が合い、会うとこうして
それぞれの恋人を放り出してくっつくことも多い。
これが真琴以外ならば腹立たしい気持ちも起きるが、どうにもこの2人に注意することはさすがの江坂も出来なかった。それは海
藤も同じらしく、黙って江坂の隣を歩いている。
 総本部長という組のNo.3の立場になった江坂と同様、海藤も理事という本部からも守られる地位についたので、今回の護
衛の数はかなりの人数になっていた。
 「窮屈か?」
 ふと、江坂は海藤に訊ねた。それに、海藤は生真面目に答える。
 「これも義務だと思っています」
 「義務か・・・・・なるほど」
貰った地位と同様の窮屈さは仕方ないものという海藤の発想はなかなか面白い。
 「じゃあ、その義務に見合った権利を大いに活用すると良い」
 「本部長」
 「どうして今になって理事の椅子に座ったのかは聞かないが、今のお前は以前私が使えた力を持った。海藤、その位置はゾクゾ
クするほど気持ちがいいぞ?・・・・・覚悟しろ」
 地位と権力、そして・・・・・金。自由に扱えるそれらをどう有効に使えるかは海藤次第だ。そして、それに比例するほどに苛烈な
嫉妬や危険も襲ってくるが、この男ならば間違えることなくかわしていけるに違いない。

 江坂が選んだ店に着くと、上座には江坂が静と並び、その向かいに海藤と真琴が座った。
 「静さん、好きな物を注文してください。一応、おまかせで幾つか先に用意させていますが」
 「え?どんなものですか?」
静の好みは把握しているので、選んだものを言えば直ぐに嬉しそうな顔が返って来た。そして、身を乗り出すようにして真琴と何
を食べようかとメニューを見て相談している。
 江坂は海藤に酌をされた酒を口にしながら、その相談が終わるのを待っていたが・・・・・。
 「あ」
幾つかの注文がされた後、不意に静が声を上げた。
 「真琴、明日荷物が届くと思うから」
 「荷物?」
 「海藤さんへのお祝い」
 「あ」
 真琴がパッと横を振り向くと、海藤が少しだけ困ったような表情をする。この僅かな変化を読み取れたのは多分自分だけだろ
うが・・・・・静から祝いを貰う理由がないと生真面目なこの男は考えているのだろう。
 海藤がもっと打算的な男ならば、江坂も静の行動を止めようと(馴れ合わないように)しただろうが、海藤は静を介して自分に
擦り寄る男ではないし、何より前提に真琴との友人関係があってのことだと分かっていた。
 「小早川君」
 「海藤さんは真琴の大切な恋人だし、江坂さんにとっても大切な仲間でしょう?江坂さんと一緒に選んだものだからきっと気に
入ってくれるんじゃないかなって思うんですけど」
 「・・・・・ありがとう」
 この場で断ることは出来ないと思ったのか、海藤が少し苦笑を浮かべてそう礼を言う。真琴も合わせたようにありがとうと言った。
 「気に入ってくれるといいなあ。きっと寝心地がいいって思うんだけど」
 「寝心地?」
 「うん。枕。真琴とペアの枕とパジャマを贈ったから。きっと海藤さんもこれから忙しくなるだろうし、安眠できるって評判の奴なん
だよ。気に入って俺と江坂さんも買っちゃった、ね?」
そう、静が海藤に選んだのは枕だった。インターネットで評判の店が都内にあり、それを江坂も同行して見に行った。
それを静が自分も気に入り、江坂も悪くないと思って自分達のものも買い求めた。パジャマの方は、どうやら枕に連想して買おう
と思ったらしい。
 その時、江坂は実際に枕を使って寝転び、真剣に寝心地の感想を言って選んでいる静を見てとても楽しい気分になったこと
を思い出して思わず緩んだ頬を誤魔化すために酒を口にした。




 選んだお祝いの品は意外に思ってくれたようで、驚く真琴の顔が見れて楽しかった。
続いて、改めて2人に礼を言われ、静はううんと首を振る。当初は自分からのつもりだったが、江坂も料金を半分出すといってく
れて2人からということにしたが、結果的にはそれで良かったのかもしれないと思えた。
 「俺も、江坂さんにお祝いの品を持ってきたんですけど・・・・・ここで渡してもいいですか?」
 真琴がおずおずといったように切り出せば、江坂が鷹揚に頷く。
真琴は持っていた紙袋の中から綺麗にラッピングされた袋と、風呂敷で包んだものをテーブルの上に出した。
 「これ、何?」
 静が首を傾げると、真琴は直ぐに種明かしをしてくれた。
 「お茶」
 「お茶?」
 「江坂さん、前に日本茶が好きだって聞いたことがあったから、美味しい玉露を取り寄せてみたんだ。あ、後、海藤さんが可愛
い急須と湯飲み茶碗を選んでくれたので、静の分とセットで」
 「へえ、見てもいい?」
 真琴にそう訊ね、江坂の許可も貰って風呂敷を開くと、綺麗な桐の箱が出てきた。
 「わあ・・・・・綺麗だ」
 「気に入ってくれた?」
よく見る藍色の図柄ではなく、綺麗な深緋の湯飲みを一目見て気に入った静はうんと笑った。自分が海藤だけでなく真琴のこ
とも考えたように、真琴も江坂だけでなく自分のことを考えてくれていたのがくすぐったかった。
 「ありがとう、大切に使うから、ね、凌二さん」
 思わず江坂の名前を呼んでしまうと、彼は深い笑みを浮かべてくれる。
 「大事に使わせてもらいましょう。ありがとう」
その礼は真琴に向けられたものだ。
慌てたようにいいえと言う真琴の言葉を聞きながら、静は大切に湯飲みを箱の中に戻す。これでまた一つ、江坂とのお揃いなも
のが出来て嬉しかった。

 出てくる料理はどれも美味しいもので、普段はそんなに食べる方ではない静はデザートを食べるまでに腹が膨らんでいた。
それでも、美味しそうな特製抹茶プリンは口にする。
 「おいし〜」
 「うん、あんまり甘くない」
 「これくらいがいいよ」
 「俺は、プッチンプリンも好きだけどな」
 「あ、俺も」
 真琴とは好みも考え方も似たものが多くて、今の言葉にも直ぐに同意してしまう。
そんな中、真琴が、
 「あ、静、あれ買ってる?」
と、聞いてきた。
あれと言われて、思いつくのは一つしかない。
 「うん。当たるまで頑張ってみようかと思って、毎週1つ。真琴は当たった?」
 「まだ。当たったら、絶対みんなに奢るんだけど」
 「なかなか当たらないよな」
 「静さん?」
 2人には共通する話題でも、江坂には《あれ》というのが何を指しているのか分からないらしい。いったい何のことですかと訊ねて
きた彼に、静はふふっと笑ってみせた。




 始終、楽しそうな静を見ていて、江坂も心地良い時間を過ごしていた。
物静かな海藤と、にこにこと笑っている真琴も江坂を苛立たせることはないし、この面子ならば定期的にこんな席を設けてもいい
かもしれないなどと思っていた時に耳に届いた言葉。
 「あ、静、あれ買ってる?」
 それが何なのか全く分からず、しばらく2人の会話を聞いていた江坂は、その途中で会話を遮った。
 「静さん、一体何のことですか?」
静が自覚している以上に彼の身辺のことは何でも把握している江坂だが、今の会話の中に出てくるものは全く思い当たらない。
その言葉に、静は近くに置いてあった自身の鞄を引き寄せると、その中から財布を取り出した。
 「これ」
 「・・・・・なんです、これは?」
 幾つもの数字が印刷されている小さな紙。それが何なのか分からない。
 「ロトです。ロト6」
 「ロト6?」
やはり、聞いたことがなかった。
 「宝くじなんです。毎週当選発表があって、一番多い時は4億も当たるんですよっ、ね?」
 「うん、でもキャリーオーバーしたらですけど」
 「俺達何時も1つだけ買ってるけど、千円も当たらないんだよね」
 「千円くらいはって思うんだけど、でも買わないと当たらないし」
 どうやら予想をした6つの数字が当たった数ごとに当選金が決まるシステムらしい。普通の宝くじのことはさすがに知っていたが、
こういったものに興味が無かった江坂は初めて見る紙に感心した。
(こんな紙切れが4億になるのか)
 国に認められたギャンブル。
ヤクザの資金源になる類のものではないし、確かになかなか当たらないのでは確率が悪すぎる。それに、4億といえば確かに小さ
な金額ではないが、江坂や海藤の日常に無い数字では無かった。
 「当たったら、みんなで美味しい物を食べに行きましょうね」
 「当たったら、ですか?」
 「でも、千円じゃハンバーガーくらいかも?」
 「四等が当たるように頑張ればいいよ」
 「そっか、どっちが当たるか競争する?」
 2人は顔を付き合わせながら、4億当たったら何をしたいかと話し出した。
家を買ったり、旅行をしたり、美味しい物を食べたり。そのどれもに、一応パートナーである自分や海藤の名前が出てきた。
 静が願えば、そんな不確かな宝くじに頼るよりも確実に夢を現実にしてやれるのだが、ねだるということを初めから考えていない
らしい。
(全く・・・・・変わった2人だな)
 現実主義の江坂にとってはなかなか理解出来ないことだが、これだけ静が楽しみにしているのならばせめて千円くらいは早く当
たって欲しいと思ってしまった。




 楽しい時間はあっという間に過ぎ、店の前にはそれぞれの迎えの車がやってきた。
もっと真琴と話したい気持ちはあったが、それは次回の楽しみに取っておこうと車の中から真琴に手を振る。
 「また、連絡するから」
 「うん!」
 「じゃあね」
 未練を断ち切るように走り出した車中で、江坂がシートに置いていた手を握ってきた。
 「どうでしたか?」
 「楽しかった!プレゼントも嬉しかったし・・・・・早速、家に帰ったら飲みましょう?」
 「ええ」
江坂も同じようにこの時間を楽しんでくれたのだと、ずっと穏やかな雰囲気だったので静も感じていた。
(今なら・・・・・言えるかな)
 今日の食事中、真琴が税理士の資格を取る勉強をしていることを聞いた。海藤の役に立ちたいと言った友人の言葉の中に、
静は今までモヤモヤとしていた自分の気持ちが見えたような気がして、それを今、江坂に伝えなければと思った。








 「凌二さん」
 改まったような静の声に視線を向けると、彼は少し考えるように時間を置いてから口を開いた。
 「俺、凌二さんの役に立つような仕事がしたい」
 「静さん?」
 「真琴が海藤さんの役に立ちたいって頑張っていることを聞いて、なんだか凄く羨ましかったけど・・・・・それで分かったんです。
俺が何時までも進路が決まらない理由、凌二さんのために何をしたらいいのか分からなかったんだって」
江坂は息をのんだ。まさか静が自分からそんなことを言ってくれるとは思わなかったからだ。
外に出て、新しい何かを見つけたい。きっとそう言うであろう彼をどんな風に篭絡しようか、そんなずるいことしか考えなかった自分
のために、静は自らの未来を決めようとしてくれている。
 「・・・・・」
 「だから、一緒に考えてくれませんか?ちゃんと2人で考えたいから・・・・・っ」
 こみ上げてきた愛おしさのまま、江坂は静を抱きしめた。
 「凌二さん?」
 「ええ・・・・・2人で、決めましょう」
こんなにも自分のことを考えてくれている静とは違い、自分はきっとエゴの塊で物事を運んでしまうが・・・・・それが、静のためにも
なるのだと信じさせて欲しい。
(出来ればあなたを・・・・・籠の鳥にしたい)
 誰にも見せず、誰とも話さないように、ずっと閉じ込めて自分だけを見ていて欲しい。しかし、それが出来なくても、静の視線の
先に自分がいるのならば・・・・・。
 「時間はまだ、たくさんありますから」
 いっそのことプロポーズをし、結婚して花嫁になって欲しいと言ってみようか。
結婚もある意味永久就職だろうと考えていることを、腕の中の愛しい人はきっと想像もしていないはずだろうと思いながら、江坂
は笑みの形のままの唇を静のそれにゆっくりと押し当てた。




                                                                     end