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 セックスをして腰が立たないなど、どんな自堕落な生活をしているのだろうと自分自身に呆れてしまう。
 「静さん、ここで朝食を取りましょうか」
 「・・・・・」
始めはあて付けに黙り込んでいた静だったが、
 「すみません、少し箍が外れてしまいました」
全てが自分のせいだとでもいうように謝ってくる江坂の言葉に、直ぐに諦めてシーツから顔を上げた。
 「・・・・・俺だって、外れたのかも」
 合意の上でのセックスに、どちらが悪いかなんてあるはずが無い。
確かにこう見えて体力があり、経験も豊富な江坂に自分が引きずられるということはありえるものの、本当に怒っているつもりはな
かった。
むしろ、これほどに強く求められて嬉しいと思う気持ちの方が強い。きっと江坂もそんな自分の気持ちなどお見通しで、こうして先
に謝って全てを流そうとしてくれているのだ。
 「おはようございます」
 「・・・・・おはよう、ございます」
 目を合わせて朝の挨拶をすれば、軽く触れるだけのキスが落ちてきた。
昨夜の淫らな欲など全く感じさせない柔らかいそれには、さすがに羞恥は感じない。
 「朝食の仕度は出来ていますが」
 「キッチンに行きます」
 「大丈夫ですか」
 「これくら・・・・・っ」
 上半身を起こそうとした途端に、ズンッと腰の奥に鈍い痛みが走った。
乱暴にされたわけではないので、これはいわゆる・・・・・やり過ぎの結果、自業自得なのだが、
 「そのままで」
江坂は眉間に皺を寄せている静の身体を横抱きにすると、そのままリビングへと向かう。さすがに病人ではないのでこの体勢は恥
ずかしい。
 「あの、歩けるから」
 「私の責任ですからね」
 なぜか、とても楽しそうに笑いながら答える江坂に静もそれ以上は何も言えなくて、そのまま彼の手厚い世話を受けることになっ
てしまった。




 朝食は簡単なものをと洋食にした。
甲斐甲斐しく世話を焼けば焼くほど静が申し訳なさそうな顔をするのが楽しい。だが、静の心境も考えてミルクたっぷりのカフェオ
レ(砂糖抜き)を目の前に差し出してやると、江坂も自分の椅子に座って食事をとり始めた。
 「凌二さん、今日仕事は?」
 少し落ち着いたのか、静がリビングの時計を見ながら訊ねてくるが、これは予想通りの反応だった。
 「休みです」
 「お休み?」
 「使える部下がいますから。少しは楽をさせてもらうつもりですよ」
総本部長という地位はかなり忙しいものの、江坂はそれによって静との時間を削るつもりは無い。
自身が目を通さなければならない案件ばかりではないし、無能な部下を持っているつもりもないので心配はしていなかった。
 「あ」
 納得をしかけたらしいのに、静はまた声を上げる。彼の疑念は一つ一つ全て晴らすつもりの江坂は、こんなところで言葉を惜し
むつもりは無く、
 「まだ何か心配事ですか?」
そう、穏やかに問い掛けてみた。
 「忘れ物っ」
 「忘れ物?」
 「ちょっと、待っていてください」
 椅子から立ち上がった静は少し腰を庇うような姿勢にはなったものの、そのままリビングから出て行く。朝食を中断してまで気に
なる忘れ物とは何なのか、江坂も気になってしまった。
 迎えに行った方がいいだろうか。
そんなことを考えている間に、静は姿を現す。その手には小さな紙袋があった。
 「凌二さん」
 「はい」
 「あの、これ、総本部長になったお祝いです」
 「・・・・・お祝い?」
 「本当は昨日のうちに渡すつもりだったんだけど・・・・・」
 それは、江坂が強引にセックスに持ち込んだせいで叶わなくなってしまったのだろう。静は申し訳なさそうな表情になっているが、
それは江坂の自業自得なので気にする必要はなかった。
 それよりも、こうして静が自分のために就任を祝ってくれようとしていたことが嬉しい。
 「・・・・・ありがとうございます」
どれ程の祝い金よりも、高価な贈りものよりも、静の気持ちが嬉しくて江坂が言うと、その感謝の気持ちが伝わったのか静もにっ
こりと笑ってくれた。
 「開けてもいいですか?」
 「もう、凌二さんのだから」
 一体静はどんなものを選んでくれたのだろうか。彼が自分のことを考えた上でのものならば、たとえ鯵の干物でも構わないとさえ
思いながら、江坂は紙袋の中を覗いた。
入っていたのは手の平大の普通の箱だった。
 「・・・・・」
 テーブルの上にそれを出した江坂は、ゆっくりと蓋を開く。中に入っていたのは・・・・・紙だった。
 「これは?」
 「パソコンからプリントアウトしたんです」
 「・・・・・印鑑ですか」
 「これから、印鑑を使うことが多くなるかなあって思って。ネットで調べたんですけど、有名な匠が一つ一つ手彫りで掘ってくれる
らしいんです。でも、俺がこれを思いついたのは数日前で、とても注文が間に合わなくって。到着、一ヵ月後なんですけど・・・・・」
その間に江坂が印鑑を買ったら二重になるからと、仮ということで箱とプリントアウトしたホームページの紙を用意したらしい。
 「・・・・・がっかりしました?」
 心配そうに訊ねてくる静に、江坂は思わず笑った。
(本当に、私を退屈させない)
今までもらった中でただの箱と紙という組み合わせはもちろんなかったが、これほど驚かされたプレゼントは無い。ガッカリするどころ
か逆に嬉しくて、江坂はありがとうございますと心からの感謝の言葉を静に送った。




 「ありがとうございます、静さん。びっくりするプレゼントですが、凄く嬉しい」
 そう言って笑いかけてくれる江坂の顔が本当に嬉しそうで、静はようやくほっと安堵の息をついた。
上に立つ人間=様々な決済をする=印鑑が必要。
身に付けるものという発想から転換して考えた思いつきは我ながらそんなとこをと思うほどにツボをついたのだが、あまりに時間が無
さ過ぎた。
 とても注文が間に合わないと聞き、別のものをと考え直したが、それでも一度思いついたものを脳裏から追い出すのは難しくて、
静は最終手段として空の箱と予約をした店のホームページのコピーを用意してしまったのだ。
それでも江坂はとても喜んでくれ、静は本当に安心した。
 「届いたら早速使って下さいね」
 「ええ」
 「約束ですよ?」
 「せっかくの静さんのプロポーズですからね」
 「え?」
 思い掛けないことを言われ、静は思わず聞き返してしまう。
 「プロポーズって?」
 「婚姻届にこの印鑑を押してくれということでしょう?ああ、男同士ですから養子縁組になりますか」
 「え・・・・・と」
 「違うんですか?」
 まさかそこまで考えていなかったというのが本音だが、もちろん嫌だと思うはずが無かった。ただ、今すぐにというのは少し心の準備
が足りない。
 「えっと、その・・・・・おいおい」
 「おいおい、ですね?」
 確認するようにさらにそう言ってきた江坂に、静はこくっと頷いた。
ずっと江坂の側にいたいという気持ちは本当で、その先には養子縁組ということも出てくるだろう。その時はきっと頷く自分がいるだ
ろうが・・・・・。
(印鑑が届くのはまだ先だし)
少しのんびり構え過ぎているかもしれないものの、江坂もきっとそれは分かってくれているように思えた。




 江坂の仕事に印鑑が必要なものは、実はそれ程無かった。
江坂自身は出来るだけ自分が係わったという証を残さない方なので、表の企業にも自身の命を受けた者を長に据えている場合
が多く、裏の仕事では特にだ。
 それでも、きっと色々と考えた上で決めてくれただろう祝いの品を、江坂は本当に嬉しく思い、静と養子縁組をする時は必ずそ
れを使おうと誓った。
 「あ、それと、これはオマケなんですけど」
 「まだ何かあるんですか?」
 もっと自分を驚かせてくれるのかと江坂が促せば、静は今度はリビングのソファにおいていた鞄を手に取ると、その中から、
 「・・・・・パン?」
直径が五センチほどのパンの形をした飾り物を出した。
 「そう、やっぱりアンパンに見えますよね、これ」
顔が書かれてあるが、間違いなくパンだ。
 「・・・・・これは何でしょうか?」
 「ストラップです。この間ダイソーに行って見付けたんですよ。ほら、パンの匂いもするでしょう?」
 「・・・・・確かに」
甘い匂いがする。
 「凌二さん、携帯に一つもストラップ付けてないでしょう?可愛いし、どうかなって・・・・・ほら、俺はメロンパン」
 見せてくれた静の携帯には、同じ大きさの、しかし形はメロンパンのストラップが付いていた。
 「付けなくってもいいんです。お揃いのものを持ってるんだなって思うと嬉しいし・・・・・でも、百円のものとか、あまり・・・・・」
 「直ぐ付けさせてもらいます」
 「無理しなくても」
 「無理じゃありませんよ。確かにこれなら大きくて目立ちますし、仕事相手に見せて自慢しますよ、大切な恋人がくれたものです
とね」
手彫りの印鑑はきっと十万近いものだろうが、そんなプレゼントを思いついたからといって静の金銭感覚が変わったというわけでは
なく、相変わらずこんな安い物を喜んで持っているところが可愛らしい。
 携帯にストラップをつけないのはポリシーではなく、単に面倒だったからなのだが、せっかく静がくれたものだ、金額は関係なくちゃ
んと持ち歩くつもりだった。
 「それにしても、こんなふうに静さんが祝ってくれるとは思いませんでした。面倒なものを背負った男だと嫌われる可能性も考えて
いたんですが」
 「そんなこと無いです!俺にとって凌二さんは大東組の総本部長さんじゃなくって、江坂凌二っていう大好きな人だから。その凌
二さんがどんなものを背負っていたとしても、俺はずっと側にいるつもりです」
 「・・・・・静さん」
(・・・・・参った)
 こんなに明るい日差しが差し込んでいるというのに、静の身体はまだ辛そうなのに。もう一度押し倒し、その肉体を食らいたいほ
どの激しい愛おしさを感じてしまった。
 しかし、さすがにそれでは本当に理性の無い獣と同じだと、江坂は欲情を一切見せない笑顔を浮かべる。
 「私も、どんな静さんでも愛していますよ」
 「・・・・・な、なんか、さすがに恥ずかしいですね」
 「そうですか?」
 「そうですよ」
江坂の余裕が少し悔しいのか、静は綺麗な口を尖らせた。だが、直ぐに表情を緩めて言う。
 「今日お休みなら、一緒に出掛けませんか?」
 「どこか行きたい所があるんですか?」
 「今度、真琴と会う約束をしているんですけど、その時渡す海藤さんへのお祝いの品を探しに」
 「・・・・・海藤に、ですか」
 「もう、大体決めているんですけど、自分の目でちゃんと見てみたいし。凌二さんの時間が空いているなら一緒にどうかなあって
思ったんですけど」
 仕事がありますかという静の問いに、江坂はいいえと短く答えた。
しかし、その心の中を渦巻くのは嫉妬だ。たとえ静が海藤に何の思いも持っていないとしても、わざわざ考え、選んで、プレゼント
を贈るという手間を掛けているのが面白くない。
 もちろん、自身の醜い嫉妬心を見せるわけにはいかず、それ程心が狭いのだと思われるのもよしとしなかった。
それよりは、静が海藤に何をしてやるつもりなのか側で確かめなければならない。
 「身体は大丈夫ですか?」
 「午前中休めば大丈夫ですよ」
 あれだけ濃厚に抱いても、半日で体力が回復するらしい。
(もっと激しく抱いても大丈夫だということか)
それが強がりだったとしても言質はとった。今夜はゆっくりと休ませてやるつもりだったが、明日起き上がれないほどにもっと可愛がっ
てやらなければ。
静の頭の中も心の中も、自分だけがいればいい。
 「車を用意させましょう」
 「あ」
 その瞬間、部下のことも考えたらしい静に、構わないですからと伝えた。
 「仕事をしていないと落ち着かない者達ばかりですから」
 「みなさん、休めばいいのに」
 「さあ、予定が決まったら朝食を食べましょう。ああ、昼と夜は外で取りましょうね?美味しい店に案内しますから」
静が再び朝食を食べ始める姿を見つめながら、江坂は頭の中で今日の予定をたて始める。
大丈夫だと言ってはいたものの、今夜のことを考えてあまり無理はさせないでおこうと、江坂は静がどこに買い物に行く気なのかを
訊ねた。






                                            








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