縁と月日は末を待て




プロローグ







 キャンパスの中の目立つ一団。
日本の最高学府とはいえ、今時の若者達はその服装も華やかなものが多く、この集団は特に容姿も良い者達が揃って
いた。
 ほとんどは男で、彼らの視線は中心にいるただ1人の青年に向けられている。
その中心にいる青年は困ったように笑いながら言った。
 「ごめん、今日はコンパに行けないんだ」
 「えーっ、楓(かえで)がこないと盛り上がらないって!」
 「そうだよ、楓は華なんだからさ!」
 口々にそう言うと、青年・・・・・楓は、最後に発言した男を真っ直ぐに見つめる。
 「ありがとう、誘ってくれて。でも、本当に今日は家の用があるんだ。また今度誘って、ね?」
 神々しいまでに綺麗な笑みを向けられた男は、たちまち顔を真っ赤にしながら分かったとどもって頷いた。
美しい笑みを向けられた男を、周りが囃し立てているが、その実嫉妬にかられていることを楓は知らない。いや、知ってい
たとしてもいつものことなので気にすることは全くなかった。
 「じゃあ、ここで。また明日ね」




 日向楓(ひゅうが かえで)は、今年大学2年生に進級した19歳の青年だ。
日本の最高学府に進学していることだけでも優秀な頭脳の持ち主だと分かるが、それ以上に楓には特筆すべき特徴が
あった。
それは、その美貌だ。
 楓は女以上似華やかで美しい容姿を持っていた。
切れ長の目に、通った鼻筋、丸みを少し残した頬に、小さめの赤い唇。肌の色は真珠のようで、身体付きも華奢ながら
しなやか。
 もう20歳を迎えようとしているにもかかわらず男くさいという雰囲気は全く無いものの、女のように儚げだというにはあまり
にも強い目の光を持っていた。

 美しい容姿に、明るく素直な性質。
そんな楓は男女共に人気があり、学内でも1人になることが無かったが、人に言えない背景も背負っていた。
 それは、彼の生家が大東組系、『日向組』というヤクザの家だということだ。
今の組長である日向雅行(ひゅうが まさゆき)は兄で、父は相談役として後ろに退いる。
普通ならば煙たがれ、避けられる立場にあるはずだったが、かなり昔から地元で地域と共存してきた日向組を悪く言う者
は少なく、その上、楓自身の魅力が否が応でも人を惹きつけていた。

 そんな、完全無欠の楓が唯一敵わない存在が、恋人である伊崎恭祐(いさき きょうすけ)だ。
日向組の若頭でもある彼は、楓がまだ小学校の頃から世話係として仕えてくれていた。
本来はかなり家柄のいい生まれの伊崎だが、一目惚れといってもいい感情をまだ幼い楓に抱き、普通の生活を切り捨
ててこの極道の世界へと飛び込んできた。
 楓に対して、深い愛情を与えてくれる彼に、楓も独占欲から愛情へと感情が変化し、今ではかなり年齢差があるもの
の、熱い恋人同士だった。








 「お疲れさまでした」
 学校の門を出ると直ぐに、まるで影のように1人の男が楓の背後に立った。
他の人間が見たら目を反らしてしまいそうなほどに冷たい、表情の無い目をしていたが、楓は自分の身長を上回る痩せ
ぎすのその身体を背後にしても全く気にすることも無かった。
 「全く、どいつもこいつも遊ぶことしか考えていない。この学校だったら思う存分勉強が出来ると思ってたけど、これだった
らどこにいったって同じだったかもしれないな」
眉を顰めて苦々しく吐き捨てた楓に、男が少しだけ笑う気配がした。
 「仕方がありません。今の若い者は苦しみよりも快楽の方を優先するのでしょうし」
 「・・・・・津山(つやま)、お前だってまだ十分若いだろう」
 「私はもう若いという年じゃありません」
 「お前がそうだったら、恭祐はどうなるんだよ」
 楓が唇を尖らせて反論すると、津山はさらに笑いを深めたようだ。
声を出して笑うわけではないものの、普段が物静かな男だけに雰囲気の違いは良く分かる。
(津山だって、こういうチャライ若者って嫌いだと思うんだけど)
 津山勇司(つやま ゆうじ)は伊崎が若頭に就任した際、新しい楓の守役として抜擢された男だ。
普段はほとんど無表情なこの男は前科持ちだったが、腕がたち、頭の回転も速いので伊崎本人が選んだのだ。
 当初は伊崎が自分の傍から離れることを面白く思わなかった楓は随分冷たく当たってしまったが、今は伊崎の次に信
頼できる相手だと思うほどには気持ちを許している。
 時折、津山が熱っぽい目で自分を見つめることは分かっていたが、伊崎しか愛せない楓は見て見ぬふりをするしかな
い。
そんなふうな曖昧な態度を取ってしまうしかないほど、楓は津山を手放すことは考えられなかった。
 「若頭はお若いですよ」
 「頭は年寄り並みに硬いけどな」
(イチャイチャしようって言っても、先ず組の仕事を優先するし)
 それでも、その後に楓の言葉に従ってくれるので、反対にこちらの方が伊崎の身体が心配になってしまうのだ。
 「これからどうされますか?」
眉間に皺を作ったままの楓に、津山はそう訊ねてくる。
いつも図書館に行ったり、本屋に行ったりと真っ直ぐに自宅に帰ることは少なかったが、今日は絶対に早く帰るつもりだっ
た。
 「帰る」
 「真っ直ぐに?」
 「ああ」
(今日は恭祐がやっと帰って来る日だし)
 五日前から九州と大阪に出掛けていた伊崎がようやく帰って来るのだ。早く顔を見て、せめてキスの一つでもしたい。
 「嬉しそうですね」
 「え?」
楓は思わず立ち止まって津山を振り返った。
多分、伊崎と同じように、自分のことだけを狂おしいほどに愛してくれている男。思いを返すことは出来ないものの、楓の
中でも十分大きな存在になっている津山のこの言葉にどう答えればいいのか。
(何を言ったって、津山の気持ちには応えられないのに・・・・・)
 「急いで帰りましょうか」
 楓の感情をその表情で読み取ったのか、津山が淡々とした口調で言う。
一瞬、何かを言おうとしたが結局何も言うことは出来なくて、楓はコクンと頷くと再び足を速めて待っている車へと歩き始
めた。




 迎えの車に乗って家に帰ると、楓は直ぐに離れの組事務所に顔を出した。
まだ夕方には早い時間で皆外回りから戻ってきていないのか、事務所には5人の組員だけしかいない。
 「恭祐帰ってきた?」
 事務所に入った時点で伊崎の姿が無いのは分かっていたが、もしかしたら組長である兄に挨拶をしているのかとそちら
に視線を向けながら聞いてみる。
 「坊ちゃん」
 「お帰りなさい」
 「うん、ただいま。それで?恭祐は?」
楓の恭祐に対する盲心的な依存を知っている組員達は苦笑をして楓を出迎える。その中の壮年の男が代表するように
言った。
 「40分ほど前に駅に着いたと連絡がありました」
 「駅って東京駅?」
 「そうです」
 その言葉に楓は壁の時計が指す時刻を見る。
 「じゃあ、もう少し時間が掛かっちゃうかあ」
せっかく慌てて帰ってきたのに、当の本人がこの家に戻って来るのはまだもう少し先のようだ。あ〜あと大きな溜め息をつい
て見せた楓は、古参の組員である渋井に向かって唇を尖らせた。
 「つまんない」
 楓が生まれる前からこの組にいて、今年60歳になる彼は楓を孫のように可愛がってくれている。
いや、あまり大きくないヤクザの組日向組は、今時珍しく組員も同じ屋根の下で暮らしている組だった。
 「組長は奥にいらっしゃいますよ」
 「分かった」
 事務所に顔を出したので、兄には挨拶をしておかなければならない。
楓はそのまま奥に向かうと、ドアを軽くノックしながら言った。
 「兄さん、俺」
 「入れ」
 「お邪魔しま〜す」
 中は六畳一間に机とこじんまりとした応接セットがある。組長である兄は1日の大半はここに居て、日向組のシマの中
の様々な問題を処理していた。
最近はどうやら株の勉強もしているらしい。大東組本部に頻繁に出かけて、そのノウハウを学んできては日向組の中でそ
れを活用するようになっていた。
 今日もどこかに出掛けていたのか、兄の雅行はスーツ姿だった。長身でがっしりとした体格の兄はスーツも良く似合って
いる。兄は楓にとって、伊崎の次にカッコイイと思える大人の男だった。
 「ただいま、兄さん」
 「お帰り、今日は早かったな」
 「うん」
 楓が満面の笑顔で答えると、兄はチラッとカレンダーを見てから溜め息をつく。今日が何の日かそれで直ぐに分かったよ
うだ。
 「お前は本当に・・・・・」
 「何?」
 楓は笑いながら兄の傍に行くと、その大きな背中にガバッと抱きついた。
こんな風に甘えるのは良くあることなので、兄も苦笑しながらポンポンとまきついた手を叩いて言う。
 「こんな場所で甘えるな」
 「いいだろ、誰もいないし」
 「もう20歳になるんだぞ」
 「分かってるよ、待ち望んでたんだもん」
 「・・・・・楓」
 どういう思いでこの日を待っていたか・・・・・楓は消そうとしても浮かびあがってくる笑みを頬に浮かべ、複雑な表情の兄
の首にしがみついた。
 「ね、兄さん」
(俺がどんなにこの日を待っていたか、兄さんは分かってくれてるよな)

 「楓が成人するまで、俺や親父やお袋、そして組員の前でも、一切デキている気配を見せるな。・・・・・目に見えないも
のは、どうとでも誤魔化すことが出来る」

 その言葉を信じて、楓はずっと待っていた。大好きな人と誰の目をはばかることなく見つめ合い、手を繋げる日を。
幼い頃からしていた行為でも、今の自分達には全く意味の違う行動なのだ。
 「・・・・・ったく、大学にはいい女はいなかったのか?」
 「少なくとも、俺が良いなと思う相手はいないよ。あ、兄さんの彼女になりそうな女もいなかったから」
 自分が伊崎を選んだからというわけではないが、楓は兄にはちゃんとした結婚をし、子供も作って欲しいと思っている。
しかし、大好きな兄の隣に並ぶ相手はどうしても厳しい目を向けることになってしまい、実を言えば過去兄が連れ帰った
何人かの恋人らしき女を追いだしたこともあった。
 「お前がOKを出す女なんているのか?」
 「さあね。でも、今は俺が傍にいるからいいでしょ?」
 「・・・・・馬鹿」

 トントン

 その時、ドアを叩く音がした。
 「失礼します」
続いて聞こえてきた一番好きな人の声に楓はとっさに兄から離れて入口のドアを開け、そこにいた少し驚いた表情をして
いる相手に向かって最上級の笑顔を向けて言った。
 「お帰りっ、恭祐!」