紺野雅人編






 都内の公立高校、瑛林(えいりん)高校の日本史の教師、紺野雅人(こんの まさと)は、はぁと空を見つめながら溜め息をつ
いた。
 12月24日。今年は24日が土曜日なので、23日の祭日前、既に22日に二学期の終業式は終えている。

 「コンちゃんっ、モチ食べ過ぎるなよ〜!」
 「お年玉貰いに行っていいっ?」

生徒たちは既に休み気分で、笑いながら雅人にそう投げかけながら教室から出て行った。体格は平均より小さく見えるし、顔も
童顔なので、まるで友人に対するように口調も軽い。
 これからクリスマス、正月とイベントが続くので浮かれるのもわからないでもないが、この時期夏休みと変わらずに危険に足を
踏み込む生徒もいるので気を抜くことなど出来なかった。
 「・・・・・絶対、わかってないよな」
 生徒たちはきっと、教師も学校が休みの間は当然のように休みだと思っているだろうが、意外に休みであるほど教師がするこ
とは多い。
今日も雅人は何時もと同じ時間に出勤し、午後四時近く、ようやく本日しなければならない仕事を終えて溜め息をついたのだ。




 「終わった?」
 「あ、はい」
 先輩の教師が声を掛けてきたので、雅人は顔を上げて苦笑を向けた。お互いの仕事量はわかるので、自然にご苦労様ですと
言ってしまう。
 「今日はどうするんだ?彼女とクリスマスを過ごすんだろう?」
 「ま、まさか。そういう付き合いの相手はいませんから」
 「そうなのか?」
 「寂しいんですよ。先生はご家族と過ごされるんでしょう?家族団欒が一番ですよね」
 「そうでもないよ。帰りにプレゼントを買いに行かなきゃいけないんだけどさ、最近の子は注文はうるさいし、比例して金額もはる
ものを注文してくるんだよ。父親の小遣いがいくらなのか教えてやりたい気分だ」
 愚痴をこぼしながらも、楽しそうに緩んでいる頬を見ているのが微笑ましかった。そんなに煩い注文でも、出来るだけ叶えてやろ
うとしているのがすごく偉いと思う。
(俺は・・・・・どうするかなあ)
 今、先輩教師に言ったように付き合っている相手はいないし、実家は遠くないが、わざわざ帰ってプレゼントを渡すような相手は
いない。それよりも、早々にベッドにもぐりこんで寝るといった寂しいクリスマス、大歓迎だ。
 だが、そんな自堕落なクリスマスを送りたいと言う願望はあっても、そう事は簡単には運ばなかった。今の雅人には同居人がい
るからだ。
(今日も遅いのかな)
 職種は違えど、雅人と同じ公務員の同居人は、かなり忙しい身らしく毎日帰宅は遅かった。
それでも、週の半分は夕食を共にしている。一度、

 「一人で食べる飯って空しいですよね」

 夕食を食べ終える頃に帰ってきた同居人に向かってそう言った言葉を、彼は気にしてくれたのだろう。
見掛けは端正な容貌で、ほとんど変わらない表情は冷たい印象を与えるが、一緒に暮らしてみてそれは、単に感情表現が下手
なんだと感じた。
 言葉づかいも硬く、言うことも厳しいのに、言った後に必ず後悔しているように眉間に皺を寄せる彼が気の毒で仕方がない。
こう見えて、雅人は扱いにくい高校生を相手に日々奮闘しているのだ、少々のことではへこたれない自信があった。
 「あ」
 「どうした?」
 「い、いいえ」
(今日、宇佐見さんどうするんだろ)
 彼のことだ、もしかしたら今日がクリスマスだと気づいていないかもしれない。
雅人自身、12月はとにかく忙しくて、クリスマスのために何かを用意することも思いつかなかった。
 だいたい、今暮らしているのは宇佐見のマンションだ。一応、雅人も家賃を入れさせてもらっているが、多分それは三分の一に
も満たないような気がする。
 警視庁組織犯罪対策部第三課、警視正、宇佐見貴継(うさみ たかつぐ)。
同じ公務員でもかなり特殊な職業で、雅人は彼がいったいどんな仕事をしているのかほとんど知らない。多分だが、大変な仕事
だろうし、日々疲れている彼には、この部屋で休んでもらいたいと思っている。
 だから、ではないが、住んで数カ月経つというのに、やはりどこか遠慮する気持ちは消えなくて、勝手に部屋の中にツリーを飾る
ことさえも躊躇われたのだ。
 「えっと、じゃあ、お先に」
 「ああ、お疲れ」
雅人は手早く帰り支度を整え、周りに挨拶をして職員室を出る。このまま深く突っ込まれることを避けるためでもあった。




 何時ものようにマンションの近くにあるスーパーにより、夕飯の買い物をした。
クリスマスイブのせいか、惣菜にはオードブルが並び、子連れの主婦たちがそれを買い求めている。ケーキもチキンも揃っていて、
店内にはクリスマスソングが掛かっていて、本当にクリスマス一色といった感じだ。
 「・・・・・」
 雅人はチキンを見つめる。やはり、気分だけはクリスマスを味わいたいし、これを買って帰ろうと思ったが、それを1人分にするか
2人分にするか悩んだ。
(今朝、特に何も言ってなかったな)
 早く帰るかどうか、雅人もあまり気にしてなかったので聞かなかったし、宇佐見もまるで何時もと変わらなかった。そんな中、自
分だけ浮かれたようにクリスマスの食事を準備して・・・・・おかしくないだろうか。
 「・・・・・あれ?」
 ふと、こんなふうに何時も宇佐見のことを考えてしまう自分に、雅人は最近戸惑っていた。
偶然に出会い、その偶然が何回か続いて、(雅人の感覚では)あっという間に同居をすることになってしまった。そのことを今さら後
悔はしないし、さらには彼の母親と会って、引き離した方がいいのではないかと思えた。
 自分よりも年上の彼が、教え子よりも子供っぽい所があるのを知って微笑ましく、普通の暮らしというものに慣れていない彼との
距離を縮めるのも楽しかった。
 しかし、宇佐見はどう思っているだろうか。
雅人はじっとチキンを見ながらしばらく考え込んでいた。




 「ただいま〜」
 自分で鍵を開け、中に入ったが、案の定宇佐見はまだ帰っていなかった。
雅人はまず電話を見て、留守電が入っていないか確かめる。案外まめな宇佐見は、かなりの頻度で予定を吹き込んでくれてい
るのだ。
 「あ、入ってる」
一件入っていた留守電をさっそく再生してみた。

 【七時には帰れる】

本当に用件だけの内容だが、これを掛ける手間を取ってくれたのが嬉しい。
 「後一時間半か」
 それなら、今日は一緒に夕食を食べられそうだ。
雅人は気づかないうちに浮かれた気分になり、そのままリビングに置いた水槽へ足を向ける。
 「ただいま」
 返ってくるわけがないのに、思わずそう声をかけた。広い水槽の中で優雅に泳いでいるのは金魚だ。本当は熱帯魚を買おうとし
たのだが、一緒にペットショップに行った時、宇佐見が長い間足を止めて見ていたのは、ピンポンパールという、小さくて丸い金魚
だった。
 可愛い形のものがふわふわと、泳ぐというよりも水の中を浮いているように見えるのは不思議で、雅人はこれにしますかと宇佐
見に聞いた。
 初めは熱帯魚の予定だったので宇佐見は直ぐには頷かなかったが、それでもどうしても気になったようで、結局それを10匹ほど
購入することになった。普通の金魚よりも少し育て方は難しかったが、雅人も宇佐見も互いに勉強して、今のところ一匹も死ん
ではいない。
 自分たちにとって、大切な同居人たちだ。
 「また、今日も眺めるんだろうな」
泳ぐ金魚を見ながら、宇佐見はどんなことを考えるのだろうか。
雅人は餌をやる役目は宇佐見に譲ることにして、さっそく夕飯の支度に取りかかった。