「瑞希(みずき)様、旦那様がお呼びです」
 「オヤジが?」
 切れ長の目を細めた瑞希は、あからさまに面白くないという表情をして見せた。
さらさらの黒髪に、強い意志を持つ黒い瞳。
まだ大人になりきらないしなやかな若木のような肢体。
綺麗に整った容貌はどこか色っぽく、しかし、それに相反するようなきつい眼差しのせいで、瑞希は独特の雰囲気を持つ青年
だった。
仕事という名目で国内外を飛び回っている父とは、もう1年以上顔を合わせていない。それ以前も、家にいても忙しいというば
かりで、子供である瑞希と遊ぶということさえなかった父親だった。
 今年の春から大学生になり、もはや子供だという歳でもなくなった瑞希にしてみれば、今頃なんだと思ってもおかしくは無いだ
ろう。
 「何の用?」
 「ご紹介したい方がいらっしゃるようです」
 「・・・・・」
 「お待たせしてはいけませんよ。さあ」
 世話係の柳瀬宗也(やなせ そうや)に再度促され、瑞希は渋々立ち上がった。
小学校に上がって間もなく、瑞希の身の回りの世話を全て仕切ってくれている柳瀬の言葉には従わざるをえないのだ。
 「・・・・・何話したらいいんだろ」
 「お会いになったら自然とお気持ちが言葉に出ますよ」
 「そうかな」
とてもそうとは思えずに、瑞希は深い溜め息をついてしまった。



 東條院瑞希(とうじょういん みずき)。
日本でも有数の東條院財閥の直系である瑞希は、幼い頃から頻繁に命を狙われていた。
それは、今は亡き瑞希の祖父に当たる先代がかなり好色な人物で、正妻以外にもかなりの妾や愛人を持ち、子供も作って
いたからだ。
その子供達のほとんどは認知はされていなかったが、それぞれが何らかの形で東條院家と関わっている者が多かった。
莫大な財産と権力を持つ東條院家。
今の当主に何かあれば、次期当主となるのは1人息子の瑞希だった。
この2人に何かあれば、先代の血を引く人間が・・・・・と、そのせいで瑞希は父と共に常に危険と隣り合わせだ。
 また、祖父は裏の世界の人間や政治家とも繋がりがあって、かなりの闇の部分も知っていたらしい。
だからか、そちらの方面からも狙われることが多々あった。
 小学校から中学校、高校と、常に護衛が付いていた瑞希。
それでも、大学生になって少しは自由になる時間が増えかけていたが・・・・・。



 柳瀬が軽くドアをノックすると中から応えが返る。
 「瑞希様」
 「・・・・・」
柳瀬が開けてくれたドアから黙って中に入っていった瑞希は、部屋の中に見慣れぬ男を見付けて眉を顰めた。
(誰だ?)
 しかし、瑞希がその人物の事を聞く前に、ゆったりとした1人掛けのソファに座った男が声を掛けてきた。
 「元気だったか、瑞希」
 「・・・・・オヤジも」
180センチに少し足りない瑞希とほぼ同じ身長の父、正紀(まさき)。
しかし、母親に似てほっそりとした身体つきの瑞希とは違い、堂々とした体格の正紀は50前だというのに既に上に立つ者の風
格があった。
 祖父とは違って女遊びもそれほどにしておらず、瑞希の母である妻を愛してくれているが、身体の弱い母が信州で療養して
いるというのに最近はなかなか会いにも行っていないらしい。
財閥の当主として忙しいのは分かるが、寂しそうな母の横顔を見るたびに、瑞希はこの立派な父に対して劣等感を抱いてしま
うのだ。
 「お元気そうで、瑞希様」
 「・・・・・お前もな、高畑(たかはた)」
 そんな正紀に何時も寄り添うように傍にいるのが、秘書兼ボディーガードの高畑臣(たかはた しん)。
高校に入学した時からずっと正紀に付いている高畑は、今では血よりも濃い絆で結ばれているだろう。
190近い身長に、がっしりした体格。一時期自衛隊にも入って訓練したらしいという噂も聞いた。それが本当か嘘かは分から
ないが、それほどボディーガードとしては完璧だし、補佐役としても十分能力を発揮していた。
(俺や母さんより確実にオヤジといる時間が長いだろうしな)
 幼い頃は父を取られたような気がして高畑に反抗もしたが、何時も物静かで穏やかな高畑の態度に、何時しか自分の子
供らしさが恥ずかしくなって、文句も言わなくなった。
その何時もと変わらない眼差しから視線を逸らすと、そこには先程部屋に入った時から気になっていた男がいる。
(こいつは・・・・・誰だ?)
 身長は高畑よりも高かった。
少しハーフのような彫りの深い顔立ちをしているが、くど過ぎるというほどでもない。
黒いスーツを嫌味なく着こなし、長い手足もバランスが良くて、瑞希は自分の男としてのコンプレックスが刺激されるような気がし
た。
 「オヤジ、そいつは?」
 「挨拶が先だろう」
 「・・・・・」
 「瑞希」
 「・・・・・初めまして、東條院瑞希です。あなたは?」
わざと慇懃無礼に言ったが、その男は少しも動じず静かに頭を下げた。
 「安斎(あんざい)といいます。今日からあなたのガードに就くことになりました」
 「はあ?」



 ポンとテーブルの上に投げ出されたのは、いわゆる脅迫状というものだった。
印刷された文字で、

 『東條院正紀
  東條院瑞希   死』

とだけ書かれてあった。
 「バカバカしい」
今までもこの程度の脅迫状は送られてきた。
しかし、それで新たに護衛を増やす前に、それを送って来た相手を突き止め、それなりの対処をしてきたはずだった。
 「瑞希」
 「護衛は柳瀬だけで十分」
 「今回は少し厄介なんだ」
 部屋を出て行こうとした瑞希はその言葉に足を止めた。
 「厄介って?」
 「既に私の車に爆弾が仕掛けられていた」
 「・・・・・っ」
瑞希は慌てて改めて父の姿を見たが、目に見える場所には傷のようなものは無い。
瑞希のその視線に気付いた正紀は穏やかに笑った。
 「大丈夫。事前に情報が入ったからな」
 「そう・・・・・」
 「だが、まだ黒幕の正体がはっきりと分かってないんだ」
 「でも、それぐらいで・・・・・」
 「先代の女関係ならまだ簡単だが、今手を切ろうとしている相手の方が厄介だ。こちらも色々弱みを握っているし、その関係
で命を狙われている可能性もある。奴らは手段を選ばないからな、これまで以上の警戒が必要なんだ。安斎は海外で傭兵の
経験もあるし、絶対にお前を守ってくれるはずだ」」
 「そんなに頼りになるなら、俺よりオヤジが付いてもらえよ」
(これ以上、監視の目が増えるなんで我慢出来ないってっ)
 幼い頃から傍にいる柳瀬は別として、瑞希はあまり他人が傍にいることを好まなかった。
幼い頃から常に警戒し、人に守られ、友人さえも決められた人間という世界の中で、誰かに心を開くということが次第に苦手に
なってしまったのだ。
どんなに親しげに声を掛けてきても、この相手が東條院の力が目当てだとしたらと思ったりするだけで心が疲れてしまう。
それは、守ってくれる相手も同じだ。
 「瑞希」
 「悪いけど、俺部屋に戻るから。柳瀬」
もうこれで話は終わりだと、瑞希は父の書斎から立ち去った。




 「瑞希様」
 「・・・・・」
 「よろしいのですか?」
 「柳瀬はいいのか?オヤジはお前の腕を信じていないといっているのも同じだぞっ」
 ぱっと振り返った瑞希は、柳瀬の向こうにいる相手を見て眉を顰めた。
 「なんで付いて来るんだ」
 「それが私の役目ですから」
あれだけきっぱりと拒否したというのに、安斎は表情も変えずに付いてきていた。
それが、まるで子供の意見は関係ないのだと父に言われた気がして、瑞希の機嫌はたちまち地を這うくらいに悪くなる。
 「俺は要らないと言った」
 「雇い主はあなたではありません」
 「オヤジの命令にしか従わないというのか?分かった、今直ぐお前なん・・・・・っ!」
 「瑞希様!」
 父の書斎に怒鳴り込んでやろうと階段で急に向きを変えた瑞希は、その勢いのせいか足を踏み外して身体のバランスを崩し
た。
その瞬間、反射的に手を差し出した柳瀬よりも一瞬早く動いた黒い影は、易々と瑞希の身体を抱き止め、切れ長の目を丸
くして視線を向ける瑞希に静かに言った。
 「大丈夫ですか?」
 「・・・・・」
 「瑞希様」
 「あ、ああ、うん」
 柳瀬の声にやっと我に返った瑞希は、目の前にある安斎の顔をじっと見つめる。
(・・・・・少しも驚いていない)
密着している安斎の心臓の鼓動は規則正しいままだ。
 「大丈夫ですか?」
再度、同じことを聴かれた。
それに完全に気持ちを持ち直した瑞希は、自分の腰を抱く安斎の手を軽く弾く。
 「許可無く俺に触るな」
 「・・・・・申し訳ありません」
 「・・・・・」
口ごたえもせずに謝罪する安斎。
なんだか宥められている感じがして面白くない。
 「・・・・・出掛ける」
 「瑞希様?」
 部屋に戻ろうと思っていた瑞希だが、不意にこの安斎の力の程を試したくなった。あれほど父が褒めたのだ、相当に腕の立つ
ガードなのだろう。
ただ、これ以上自分よりも体格も体力も上な相手を傍に置いておくつもりは無い。
(この男から断わらせるか、粗を見付けてこっちから断わるか・・・・・とにかく、このままオヤジの思うようにはさせない)
今度は手摺を持ってゆっくりと階段を下りようとした瑞希は、ふと気が付いたように安斎に言った。
 「お前、名前は?」
 「安斎です」
 「下の名前」
 「・・・・・」
少し間が空いたので、訊ねた瑞希の方が怪訝に思う。
しかし、安斎は直ぐに短く答えた。
 「叶(かなう)です」
 「かなう?・・・・・変な名前」
 「そうですね」
少しだけ口元を緩ます安斎は、それまでの機械の様な言動に突然血が通った感じがして、瑞希はその顔をまじまじと見つめて
しまった。





                                 





ボディーガード×お坊ちゃま。リクエスト回答第12弾です。
少し前に見たV6の岡田君がやった『SP』を見て以来、その手の話が書きたかったんですよね。
一応5話完結予定です。