14
・・・・・身体が痛い。
覚悟していた以上のその痛みに、瑞希はベッドから起き上がることさえ出来なかった。
しかし、それ以上に瑞希の心を打ちのめしていたことがある。それは、安斎に与えられ続けた快感だ。まさか、男同士のセックスで
あれほどの快感を感じるとは全く想像していなかった。
「水は?」
「・・・・・いる」
出てきた声はみっともなく掠れていて、瑞希は唇を噛み締める。
しかし、安斎はからかうことなくベッドの端に座ると、そのまま瑞希の身体を抱き起こしてくれた。
「・・・・・何ですか?」
「・・・・・口移しとか、気持ち悪いことするなよ」
悔し紛れに言った瑞希の言葉に、安斎は目元だけで笑う。
(そんな顔・・・・・見せるな)
何時もの、瑞希を小馬鹿にした(瑞希自身が感じているだけかもしれないが)慇懃無礼な態度をしていればいいのに、身体を重
ねたせいくらいで纏っている空気を柔らかくしないで欲しかった。
「・・・・・」
何時もの隙の無いスーツ姿とは違い、バスローブに濡れた髪・・・・・あの逞しい身体が自分を抱いたのかと思うと、まともに視線
も合わせる事が出来ない。
これが、セックスした後に感じる羞恥やもどかしさなのだろうか。
瑞希の途惑いがとても初々しく感じる。
どんなに口では生意気なことを言っても、瑞希を取り巻く空気は既に安斎を受け入れているのだ。
本来ならもう少しこの可愛い瑞希を堪能したい気分だが、まだ解決していない問題が残っている。それを安斎は誤魔化そうとは
思わなかった。
「どうしますか?」
「え?」
安斎の手を借りてようやく上半身を起こした瑞希は、ペットボトルを口にしようとした手を止めて聞き返した。
「このままここに泊まりますか?それとも、屋敷にお戻りになりますか」
「・・・・・」
柔らかかった瑞希の表情がたちまち硬くなった。
身体を合わせた直後に現実を突きつけることは可哀想な気がするが、これは到底避けては通れないことであるし、瑞希自身が
望むことでもあるだろう。
「・・・・・」
「瑞希さん」
「帰る」
「今から?」
「・・・・・お前から見て、今の俺は前の俺と変わったか?」
いきなり、瑞希は全く違うことを聞いてきた。
しかし、安斎には瑞希の意図が十分分るので、彼が望むであろう答えを言った。
「ええ。とても官能的で、色っぽいですよ」
「・・・・・じゃあ、やっぱり帰らないとな。今の俺を柳瀬に見てもらわなくちゃいけない」
車が止まる音がした。
「・・・・・」
いったい、どの位そのままの格好でいたのか・・・・・広い玄関先でじっと立っていた柳瀬は、ゆっくりと俯いていた視線をドアの方へ
と向ける。
自分が今どういった状態なのか、柳瀬はとうに考えることを拒否していた。
全てが瑞希に知られた今、柳瀬には隠すことも守ることも何も無かった。ただ・・・・・瑞希が自分にどんな罰を与えるのか、それを
じっと待っているしかない。
いや、既に罰は与えられていると言ってもいいのかもしれなかった。
『今から、私は彼を抱きますよ。それが、これからも側に置くあなたへの罰だそうです』
特に勝ち誇っているわけでもなく、淡々と事実だけを伝えてきた安斎の声。
きっと、あの男は言葉通り瑞希を抱いたのだろう。何も知らない、誰の手も触れられていないあの綺麗な身体を、自分よりも遥か
に優秀なあの男は躊躇わずに抱いたはずだ。
それも、瑞希の同意を得て・・・・・。
「・・・・・っ」
ずっと噛み締めていた唇からの出血は続いている。
さび付いた血の味が口の中に広がっても、柳瀬はただ黙ったまま立っている。
そして・・・・・。
「・・・・・」
ゆっくりと開かれたドアから、柳瀬にとっての唯一無二の愛しい主人の姿が現れた。
たった数時間会わないだけで、柳瀬の容貌はまるで別人のようになっていた。
端正なその頬はげっそりとやつれ、唇の端から僅かな血が滲んでいる。ただ、その切れ長の目だけはギラギラと輝いていて、真っ直
ぐに瑞希だけを見つめていた。
「・・・・・瑞希様」
そう言った後、声も無く拳を握り締める柳瀬を、瑞希はじっと見ていた。
どうしてと、まだ聞きたい気持ちは確かにある。それでも、もう自分は全てを聞いた上でも柳瀬を手放さないと決めたのだ。
「ただいま」
出来るだけ普通に言ったつもりだが、その声は情けないが震えていた。
「・・・・・」
「柳瀬、お前はこれまで通り、俺に仕えてくれたらいい。俺はお前を手放すつもりはないから」
「瑞希様・・・・・」
「でも、俺が今までとは違うというのは承知していろ。俺は庇護されるべき子供じゃない」
その言葉に、柳瀬の視線が瑞希の後ろ・・・・・安斎に向けられたのが分かった。
どういう感情を今抱いているのか分らないが、瑞希に向けるのとはまるで違う強い感情を込めたものであるのは確かだ。
もっと早く柳瀬がこういう目で自分を見ていてくれたら気付いていたかもしれない・・・・・今更ながらそう思ってしまうのは仕方ないだ
ろう。
「分かったな」
わざと傲慢にそう言うと、瑞希はそのまま柳瀬の横を通り過ぎようとした。
「!」
「・・・・・っ」
柳瀬の手が瑞希に伸ばされることに気付いた安斎は、とっさに身体を動かして2人の間に滑り込んだ。
安斎の行動に驚いたように目を見張る瑞希と、青白い顔色のまま安斎を睨みつけている柳瀬。
「・・・・・安斎?」
自分よりも先に安斎の名前を呟いた瑞希を、一瞬何か痛いものを感じたかのように目を閉じてやり過ごした柳瀬は、そのまま
瑞希に向かって言った。
「瑞希様、2つ、お聞かせ頂いてもよろしいですか?」
「・・・・・なんだ」
「瑞希様は・・・・・安斎と身体を合わせられたのですか?」
「・・・・・ああ」
瑞希は誤魔化すことなく頷いてみせる。
「・・・・・私を、解雇されるということは無いのですね?」
「お前が俺にとって必要な人間であることは確かだからな」
「・・・・・ありがとうございました。おやすみなさいませ」
「・・・・・おやすみ」
そのまま瑞希は階段を上り、安斎もその後ろに続いた。
ちらっと見た瑞希の顔は、子供のように頼りなく歪んでいた。
小さく鳴ったノックの音に、正紀は読んでいた本から顔を上げると掛けていた眼鏡を外した。
「どうぞ」
中に入ってきたのは高畑だ。
高畑はゆっくりと入口で一礼すると、そのままベッドの側に近付いてくる。
「全て、お考え通りに」
「・・・・・そうか」
「瑞希様には泣かれてしまいました」
「・・・・・仕方ない。これで瑞希も自分の立場の重さも分かっただろうし、自分の周りの人間というものにも目を向けるようになる
だろう。お前のおかげであの子もいい経験が出来た」
「・・・・・」
何時もほとんど表情の変わらない高畑が、正紀のその言葉に僅かに顔を歪めたのが分った。
しかし、正紀はそれをフォローしてやるつもりは無い。
彼が自分を・・・・・自分と瑞希を裏切ろうとしたのは事実だからだ。
高畑の様子がおかしいことを正紀が気付いたのは本当に最近だった。
常に側にいる高畑は、学生の頃からあまり感情の起伏を表情に出すことも無く、それでいて正紀は高畑の考えていることはかな
りの確率で分っていた。
正紀が高畑を欲しいと思ったのは、彼が絶対に自分を裏切らないだろうと分かったからだ。
東條院という家の御曹司としての自分の地位や、小奇麗な容姿に回りに人は集まってきたが、高畑だけはそんな自分の外見を
見ていないと感じられた。
一番近い言葉を当てはめるとしたら、それは恋という言葉が近いかもしれない。
正紀という人間に恋をしている高畑は、面白いことに自分の感情に全く気が付いていなかった。正紀がどんな女と付き合っても、
結婚しても、その愛情に揺らぎは無く、だからこそ正紀は高畑だけは信じることが出来た。
高畑に深い信頼と、ある種の愛情を抱いていた正紀だったが、息子の瑞希は特別に大切に思い、愛していた。妻となった人も
もちろん愛しているが、自分の血を引いている存在がこんなに可愛いとは思わなかったほどに愛していた。
ただ、自分がいる地位は普通とは違った。何時も側にいてやることは出来なかったし、愛しているが故にどう対していいのかも分
からない。
そんな大人の事情を分かるはずもなく、瑞希は何時しか正紀に反発するようになり、何時も側にいる柳瀬の方へと深い信頼を
向けていたが、それでも正紀は瑞希の成長を時折でも見ることが嬉しかった。
高畑が自分の目を見なくなって、正紀は頬がチリッとする違和感を感じるようになった。
その頃から脅迫状が届くようになり、愛する息子の瑞希にまで手を出すといってきた。
高畑に調べさせても、犯人の影さえ掴めない。そんな事はとても信じられなくて、正紀は思い切って高畑とは別のルートを使って
犯人の事を調べさせた。
優秀な調査会社が時間を掛けることなく正紀に答えを持ってきた時、それを見た正紀は自分の目を疑ってしまった。
絶対に自分を裏切らないと思っていた高畑が怪しい。
信じられないと思うのと同時に、正紀は心のどこかで高畑ならば出来るだろうとも思っていた。
そして、彼が何の為にそんな事をしようとしているのか分り過ぎるほど分かり・・・・・正紀はつい数日前、全ての調査結果を高畑
の前に突きつけた。
多分、彼は全てが正紀に知られたと分かった瞬間、身を引くつもりだったのだろう。
もしかして正紀が死んで責任を取れと言ったのならば、喜んで死んでいたかもしれない。
しかし、正紀は高畑を手放すつもりは無かった。これ程に自分に無償の愛情を注いでくれる相手を今更手放せるはずが無く、高
畑が罪悪感を抱いているとしたら、一生その罪を突きつけて自分に縛り付けておくつもりだ。
そして、正紀はこの機会に、瑞希を見つめる視線の色が変わってきた柳瀬を牽制し、瑞希に東條院家の長子という自覚を持
たせる為に、高畑に計画をそのまま実行するようにと言った。
もちろん、瑞希の身体に傷一つつけないという条件付で・・・・・。
「あなたが選んだあのガードは優秀でした。頭の回転も速い」
「高い金を出した甲斐があったな」
ベットの上で笑う正紀はまるで邪気が無い。
学生時代から変わらぬ穏やかな微笑み。しかし、もう彼がただの優しい男だとは思わない。
東條院家の家長として立ってからか、それとも生まれ付いて持っていたものかは分らないが、正紀はもう高畑の手におえる存在で
はなくなっている。
しかし、それでも・・・・・高畑は正紀から離れることは出来なかった。
「一週間後にはロスに行かなければならないな」
「はい」
「またしばらく瑞希と離れるのか・・・・・寂しいな」
「・・・・・」
多分、瑞希も今回はまた違った意味で正紀を見送るだろう。傷を負ったということが嘘だとはまだ知らない瑞希は、きっと正紀の
身体の心配をするはずだ。
今回の一番の犠牲者は瑞希だろうが、きっと正紀はそれを愛情ゆえだと言い切ると思う。
「高畑」
「はい」
「・・・・・お前が逃げたくなっても・・・・・私はお前を逃がしてやるつもりはないから」
正紀の束縛の言葉が気持ち良いと思っている自分は、とうの昔に正紀に全てを絡め取られていたようだった。
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ボディーガード×お坊ちゃま。第14話です。
結局、一番の策士は正紀パパだったのかも・・・・・次回最終回です。