光の国の御伽噺





15









 光華国の一行が国に帰る日がやってきた。
まだ王宮内には他国の使者や王族がいる中、一番最初に帰宅する形にはなってしまったものの、王と皇太子を含め主要な者
達が揃っている一向が早々に帰国することは十分考えられるので、仲違いゆえの帰国だとは思われていないようだった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 稀羅は目の前の莉洸を見て苦笑を零した。
家族が帰国すると聞いた時から元気がなくなってしまったが、その当日の今日はさらに塞ぎこんでいる。稀羅も何とか慰めようとす
るのだが、こういったことに慣れていないのでどう言っていいのか分からなかった。
 「莉洸」
 私がいるではないかと言いたい。だが、家族と伴侶は違うと言われたら、それに反論出来るほどの話術は無い。
 「莉洸」
それでも、愛しい相手のこんな寂しげな姿は見ていたくなくて、稀羅はもう一度名前を呼ぶと小さな身体を抱きしめた。
 「・・・・・稀羅様」
 ようやく、莉洸が自分の存在に気がついてくれた。情けないが、それだけで嬉しいという気持ちが湧き上がる。
 「今日は洸英王のお発ちだ」
 「・・・・・」
 「笑って見送らないか」
 「・・・・・それは、分かっているのです」
 「・・・・・」
 「ですが、どうしても寂しいと思って・・・・・」
肉親というものに対する愛情を感じたことが無い稀羅にとって、莉洸の今の気持ちを全て理解しろというのは難しい。
ただ、莉洸の悲しむ顔はどうしても晴らしてやりたいと、洸英に今しばらくの滞在を願おうかと考えた。
(・・・・・いや、それでは駄目だ)
 莉洸はもう、この蓁羅の王妃になった。莉洸にとっての祖国はここで、一番身近な肉親は夫である己だ。莉洸の悲しみのまま
洸英の滞在を願えば、これから先しっかりと2人の足で立つことが出来なくなるかもしれない。
 「莉洸、後でいくらでも泣いていい。お前の涙が涸れるまでこの胸を貸す」
 「・・・・・」
 「だが、今日は笑って見送ろう。皆がお前の心配をしないよう、私達は2人で大丈夫だと安心していただこう」
 拙い言葉を尽くせば、腕の中で莉洸が頷いてくれた。納得が出来ないだろうに、それでも頷いてくれた莉洸の勇気に感謝して、
稀羅はますます強く莉洸を抱きしめる腕に力をこめた。



 「本当に帰るんですね」
 「うん・・・・・寂しいけれど、蓁羅は隣国なのだし。会いたいと思えばこれからは何時でも来れるはず」
 悠羽の言葉に頷く黎。
しかし、そう言う悠羽も隣国とはいえここに来るのはそう簡単なことではないと分かっていた。
何しろ、これまで国交が無かった蓁羅との道はまだ完全に開かれたわけではなく険しい道程だし、王族ともなると単独で動くこと
もままならない。
(それでも、多分ずっと近いはず)
 何も分からずに恐れていた隣国は、愛しい兄弟が嫁いだ国となった。それだけでも心はかなり軽い。
 「・・・・・」
その時、扉が叩かれた。返事をすれば、艶やかな笑顔を浮かべた洸竣が立っていた。
 「やっぱり、ここにいた」
 「洸竣様っ?」
焦ったように黎が叫んで駆け寄る。
 「どうなさったんですか?」
 「ん?大事な召し使いが私の帰国の仕度も手伝わずに姿を消したから・・・・・どうしたのかと思ってね」
 「あ」
 召し使いに《大事な》という言葉を付けたことも洸竣の愛情ゆえだろうが、当の黎にはその言葉よりも言われた事実の方が気に
なったらしく慌てて頭を下げて謝罪している。
 「すみませんっ、洸竣様っ」
 「洸竣様、私が黎に声を掛けてしまったのです、申し訳ありません」
 黎の言葉に付け足すように悠羽も頭を下げると、さすがに洸竣は苦笑をしながら悪かったと謝った。
 「少しからかっただけだから。悠羽殿は気にしなくてもいいんですよ」
 「洸竣様・・・・・」
どうやら黎が自分を放って悠羽の元に来たことで少し拗ねてしまったようだ。
出会った当初は兄である洸聖よりも大人びて精神的に余裕がある人だと思っていたが、黎への素直な気持ちを認めてから随分
と子供っぽくなったような気がする。それだけ黎には全てを見せているのかもしれないが、見ているこちらは何とも面映ゆい気持ち
になってしまうのだ。
 「それでは黎、一緒に出ましょうか。私の仕度は整ったし、サランの様子を見たいので」
 「サラン?ああ、洸莱の所に行っているのかな?」
 「ええ。本当は私を手伝ってくれると言ってくれたんですが、今のサランにとって大切な存在は洸莱様ですし、私に遠慮をしなく
てもいいのですけれど・・・・・」
 いくら自身の召し使いという名目があったとしても、既にサランと洸莱の仲は周りが認めているのだ。
少し困ったように溜め息をついた悠羽だが、それは違うよと洸竣が笑いながら否定してきた。
 「たとえサランが洸莱と結婚したとしても、サランにとって悠羽殿は特別な存在ということだ。甘えることが出来る、愛する人とは少
し違う存在かな」
 「甘える・・・・・」
 「洸莱にとってそれは莉洸だし、莉洸にとっても洸莱は私達とは少し違う存在だろうね」
 「・・・・・あ、あの、洸竣様にとっては、どなたなのでしょうか?」
 気になったのか、おずおずと訊ねた黎に、洸竣はその髪をゆっくりと撫でながら少し考えている。
 「私にとっては・・・・・やはり兄上かな。黎には少しでも頼りになる自分を見てもらいたいし」
 「・・・・・っ」
 「兄上は・・・・・うん、兄上はやはり悠羽殿だ」
 「私、ですか?」
洸竣の言っている者がごく近い身内、親や兄弟間のことを言っていると思ったが、いきなり自分の名前が出てきたので驚いてしまっ
た。
 「兄上は父上にも、そして私達兄弟にもけして甘えない方だった。その兄上が唯一心の内を曝け出せるのはやはり悠羽殿しか
いないと思うよ」
 「・・・・・」
 とても気恥ずかしいことを言われたのに、何だかとても嬉しくてたまらない。
その面影を思い描いているうちに早く洸聖の顔が見たくなってしまい、悠羽は少し早足で2人よりも先を歩いてしまった。



 泣かれたら、何と言って宥めればいいのだろう。
そんな風に考えていた洸聖の思いとは裏腹に、王宮の門まで見送りに出て来てくれた莉洸の頬には幸せそうな笑みが浮かんで
いた。
 「このたびは私達のために、本当にありがとうございました」
 そう言って、稀羅と共に頭を下げる。
なんだか感慨深く、そして少し寂しくなって、洸聖はそんな莉洸に歩み寄ると細い身体を抱き締めた。
 「こ、洸聖兄様?」
 「莉洸、結婚してもお前が私の弟であることには変わりない。何かあったら直ぐ知らせて来い、いいな?」
 「兄様・・・・・」
 するとそんな2人ごと洸竣が抱き締めてくる。
 「私達を安心させるために、とりあえず頷いてくれないか、莉洸」
 「洸竣兄様」
 「ほら、洸莱もおいで」
 「・・・・・」
洸竣に呼ばれた洸莱は意外にも素直に歩み寄ってくると、自分達に抱きつかれて見えなくなってしまった莉洸の服の袖を掴んで
言った。
 「莉洸」
 「・・・・・っ」
 それまで、何とか顔から笑みを消さずにいた莉洸が、子供のように表情を歪めて涙を流し始めた。
自ら望んで稀羅の花嫁となったこととは別に、これで完全に親兄弟と離れてしまうのを寂しいと思ったのだろう。
(莉洸・・・・・)
 これから莉洸は、光華国の王子ではなく、蓁羅の王妃として表に立つ。
いくら稀羅が国を改革し、他国とも交流を盛んにしようとしても、これまでの沈黙してきた時間が長かっただけにすんなりとした国
交は直ぐには無理だろう。
 稀羅も人に頼るというような性格をしておらず、莉洸はこれからが大変だろうが、その時にどうか自分達兄弟のことを思い出して
欲しいと思った。愛しい兄弟の為ならば、洸聖は光華国という名前を使って周りを動かして見せる。
それはきっと、父も、兄弟達も同じ思いだ。
 「・・・・・ふっ・・・・・く・・・・・」
 「・・・・・莉洸」
 莉洸の唇から泣き声がもれた時、気遣わしげな声がその名を呼ぶ。
(普段はもっと、堂々としているだろう)
これ以上、この可愛い弟を独占させてはくれないらしい。洸聖と同様のことを思っていたらしい洸竣と目を合わせて互いに苦笑を
零すと、洸聖は莉洸の頬を伝う涙を拭ってそっと腕の中から解放した。
 「待っているそ、お前の伴侶が」
 「に、兄様・・・・・」
 「私達のことを忘れないで、莉洸。でも、一番に頼るのはそこにいる強面の義弟だよ」
 からかうように言った洸竣の言葉に、莉洸の眼差しが背後に向けられ、そしてまた、自分達の方へと向けられる。
 「莉洸、また会いにくる」
 「・・・・・きっとだよ、洸莱」
 「・・・・・」
頷いた洸莱に、また泣きそうに顔を歪めた莉洸だが、今度は自分達に抱きついてくること無く、後ろにいる自らが選んだ男のもと
へと駆け寄った。



 正式な式を挙げたからといって、莉洸の心まで縛ることが出来たとは思わなかった。
もしも強くあの兄弟達が望めば、もしかしたら自らの手を振り払って行ってしまうかもしれない・・・・・そんな恐れを抱いていた稀羅
の腕の中に、莉洸は泣きながら戻ってきてくれた。
 「・・・・・莉洸っ」
 「稀、稀羅、様っ」
 「・・・・・」
 しっかりとその身体を抱きしめた稀羅は、そのまま眼差しを新しく家族となった一行に向ける。
 「稀羅、我が弟を泣かすようなことがあれば、即刻攫いに来るからな!」
長兄が言い、
 「妾妃など、絶対に考えることが無いように」
と、次兄が笑いながら言って、
 「・・・・・莉洸を、頼みます」
末弟が頭を下げた。
 「はははっ、私達光華国の王族は親子の情が厚い。稀羅、当然お前もその中に入っているからな」
義父の言葉に、稀羅はしっかりと頷いた。
 「承知致しました!」









 華やかな華の国の一行が旅立っていく。
今だ自分の腕の中で涙ぐんでいる莉洸も、寂しさを堪えてしっかりと手を振っていた。
 「手放すはずが無いだろう」
ようやく手に入れた愛しい人を喜びの涙を流させるならばともかく、悲しみで泣かすことは絶対にありえない。
 「莉洸、必ずや幸せにするからな」
 莉洸に伝えるというよりも自身に言いきかせるように呟いた稀羅は、だんだんと小さくなっていく一行の背中を莉洸と共に何時ま
でも見送っていた。




                                                                      end