光の国の御伽噺
14
姿を現した莉洸を、家族は温かな眼差しで出迎えてくれた。
ここは蓁羅の国。それでも、光華国の家族が皆ここにいることが不思議で、莉洸は面映い思いをしながら父に言った。
「どうして起こしてくださらなかったのです?花嫁がねこけてしまうなど、とても恥ずかしくて表に出ることが出来ませんっ」
「ははは、すまないな。少し疲れた顔色がしたので稀羅王に無理を言ったのだが・・・・・うん、今の顔色はとてもいい。幸せそのも
のの花嫁の顔だ」
「な、何を仰っておられるのですか」
確かに自分は稀羅の花嫁となったが、男である身体は変わらず、それなのにその形容詞はとても恥ずかしい。
俯いた莉洸の肩を抱き寄せたのは稀羅だった。
「いくら莉洸の困惑した顔が可愛らしいからといって、不用意な言葉を言わないでもらいたい、義父上」
「・・・・・稀羅様・・・・・」
(義父上・・・・・)
もちろん、莉洸と結婚したからには、その父である洸英が稀羅にとっても義父になるのは間違いが無い。ただ、やはり何度聞い
ても少し違和感がある。
父もそう思ったのか、一瞬口を噤んで複雑そうな顔をしたものの、直ぐに口元を緩めて、稀羅の肩をポンポンと叩いた。
「確かに、これからの莉洸のことはお前に託さねばならないな、稀羅」
「・・・・・」
「安心した。これで心置きなく国に戻れる」
「え・・・・・」
「ん?どうした?」
「もう、帰られるのですか?」
もう少しゆっくりとしていけると思ったのに、こんなにも早く帰国してしまうのだろうか。
無意識のうちに父の服を掴んでしまった莉洸の手に軽く手を重ね、父は優しい眼差しを向けてくれた。
「お前にはもう、私たちよりも大切な者がいるだろう?」
それが誰なのか、口に出されなくてももちろん分かっていた。莉洸はその愛する人の手を取って、守ってくれる家族の腕の中から
飛びたったのだ。
(いて欲しいと・・・・・ねだる方が我が儘なのかもしれない)
「莉洸」
「・・・・・分かっています」
「・・・・・」
「でも・・・・・」
寂しいと、小さく零れてしまった言葉。でも、どうか誤解しないで欲しい。この感情は、きっと稀羅の溢れる愛によって癒されるは
ずだ。
「残念です」
少し落ち着かせた方がいいだろうということになり、稀羅が莉洸の背中を押して部屋から出て行くと、悠羽はふうっと溜め息をつ
きながら言った。
「どういうことだ?」
「せっかく蓁羅にやってきたというのにもう帰国することが、です」
悠羽にとって、王宮の中でおとなしくしているよりも、未知の世界を自分の目で確かめるという行動をする方が好きだ。
自分が光華国の皇太子妃だという自覚はあるものの、それでもじっと受身でいるのはいささか堅苦しい。
(謎の国蓁羅を、もう少し見てみたかったけれど・・・・・)
縁戚になり、ある程度はこちらの存在も受け入れてもらえているのではないかと思うからこそ、この早々の帰国は残念という思い
が先に立ってしまうのだ。
「仕方ない。何時までも国をあけていることは出来ないからな」
「・・・・・はい」
国王と皇太子以下、他の王子達やその伴侶さえも、皆国をあけているのだ。一刻も早く帰国し、滞っただろう政務を片付けな
ければと思う洸聖は本当に生真面目な人だ。
そんな堅苦しさも洸聖らしいところだしと、悠羽は苦笑を浮かべて頷いた。
「少し、我が儘を言っただけです」
「・・・・・」
「洸聖様?」
眉間に皺を寄せた洸聖を見て、少し我が儘が過ぎたかと思い謝ろうとしたが、
「蓁羅は隣国、それも我が弟が嫁いだ国だ。その気になれば何時でも訪ねてくることが出来るだろう」
少し早口にそう言われ、悠羽は問い掛けるようにその顔を仰ぎ見た。
「もちろん、その時は私も同行する。くれぐれも一人で無茶なマネをしようとは思うな」
「・・・・・はい」
(優しい・・・・・)
悠羽の思いをしっかりと受け止めてそう言ってくれた洸聖の優しさに、何だかポカポカと胸の中が温まる。
それと同時に、悠羽は絶対に馬鹿な単独行動はしないでおこうと強く心に誓った。以前、洸聖から逃げ出そうとして奏禿に帰っ
た時、迎えに来たくれた洸聖が浮かべていた悲壮な顔は見たくない。
それに、一人ではなく、やはり二人だからこそ楽しいはずだ。早くその日が来るよう、自分も出来うる限り政務を手助けしなけれ
ばと考えた。
莉洸の本当に幸せそうな姿を見て、洸莱もようやく己が莉洸の保護から離れたのだと自覚した。
本当の母のように優しかった兄。それなのに、自分よりも小さく、弱くて、守ってあげなければと思っていた。だが、その兄には今は
立派な伴侶がいる。逞しく強いあの男ならば、莉洸を絶対に守ってくれるはずだ。
「・・・・・」
「寂しいのですか?」
チラッと隣にいるサランを見ると、何を思ったのか彼はそう言ってきた。まるで子供扱いだが、年齢も精神的にも彼の方が遥かに
年上なので、洸莱は反感というのを感じない。
「寂しくは無い」
「本当に?」
「私にはサランがいるから」
本心だからこそ、何の躊躇いも無く出てきた言葉だった。
「それは・・・・・そうですか」
何かを言いかけようとしたらしいサランは、話を打ち切って俯いた。表情や顔色に変化がないのに、彼が少し照れているというこ
とが洸莱には分かった。不思議だが、サランのことならば分かるのだ。
「サランがいるから、少しも寂しくは無い」
「・・・・・何度も言わなくて結構です」
こんなふうに憎たらしいことを言っても、ほら、やはり雰囲気がとても柔らかく、甘くなっている。
自分だけが分かるサランの変化に、洸莱は少しだけ口角を上げた。
「また、堅苦しい生活が始まるのかあ」
「こ、洸竣様っ」
莉洸と離れてしまう寂しさを誤魔化すために言ったのだが、どうやら黎は本気に取ってしまったらしい。焦ったように洸竣の口を塞
ごうと手を伸ばしている様が可愛らしくて、そのまま腰を抱きしめてしまった。
「な、何をなさるんですかっ」
自分の身の危険など全く考えていなかったらしい黎は、その時初めて慌てて身を捩ろうともがいたが、その姿は洸竣にとっては可
愛いと感じるだけだ。
「でも、黎が傍にいるから少しも寂しくないな」
「は、離してくださいっ」
「黎は?莉洸と離れて寂しい?」
悠羽や莉洸に懐いていた黎にとっても、またしばらく莉洸と会えないのは寂しいことだろう。それでも、自分といるから少しは平気
だと思ってもらえるのならば嬉しい。
(健気じゃないか)
「ほら、黎。帰国も迫っているし、もう少し異国の地で甘い時を過ごそう。お前は光華国に戻れば直ぐに、召し使いとしての仮面
を被ってしまうからね」
「・・・・・っ」
ここでならば光華国の民の目は届かない。
滅多に会わない異国の王族達にどんな姿を見られようと、恥ずかしく思うはずが無かった。
「落ちないように」
黎を抱き上げ、そのまま部屋を出る。すると、細い腕がそろそろと首に回る。
(本当に可愛い)
ようやく、誰もいないところでは甘える素振りも見せてくれるようになった黎の身体をさらに強く抱きしめると、洸竣は二人きりになれ
る場所を探した。
「誰も彼も、親の前で甘い雰囲気を見せ付ける。和季、私達も子供達に負けずに見せ付けるか?」
既に式を挙げている洸聖はまだしも、洸竣も洸莱も自身が愛する者だけに目がいっていて、さすがの洸英もただ冗談めかしてそ
う言うしかなかった。
「何をおっしゃっておられるのですか」
椅子に座っている洸英の背後に立った和季は、淡々とした口調で返してきた。
「お前はそう思わないのか?」
「親の秘め事は子供には見せないものです」
「秘め事・・・・・なるほど」
(和季が言うと淫靡な響きになるな)
自分達がどういう関係なのか子供達もとうに知っているのだが、あくまでも隠そうとする和季は本当に親の鏡かもしれない。
洸聖や洸竣が幼い頃に王妃が亡くなり、その後生まれた莉洸や洸莱と共に和季が育てたようなものだ。いくら年頃になってその
手を離し、独り立ちをさせたとしても、その時の母親のような思いはずっと抱き続けているのだろう。
「帰国に異論は」
「ありません。早い方が良いでしょうし」
「・・・・・」
「既に莉洸様は蓁羅の王妃になられたのですから」
「そうだな」
まだ我が子だと思っているこちら側とは違い、世の目は莉洸を蓁羅の王妃としてその一挙一動を見るはずだ。何時までも逃げ
込むべき場所が傍にあってはならない・・・・・和季はそう思っているし、自身も同じ思いだった。
「寂しくなるな」
「私がいます」
「慰めてくれるのか?」
「本来なら、子を送り出した妻を宥めるのは、夫の役割だと思いますが」
そう言って、ようやく和季は目を細めて笑う。
「ですが、特別に私が胸を貸しましょう。存分に泣いても構いませんよ」
「・・・・・啼かせたいのはお前だが」
洸英はそのまま和季を抱き寄せた。洸聖が呆れたように、悠羽は慌てて視線を逸らして。洸莱とサランは相変わらず読めない
表情でこちらを見ているが、和季が怒らないのでこの手を止めるつもりは無い。
莉洸が幸せになるという確信を持って帰国するのだ。
寂しいなどと言ってはいられぬと、それでも洸英は甘えるように和季の胸に顔を埋めた。
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