光の国の恋物語





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 「・・・・・おはようございます、洸竣様。今日はいかがされますか」
 「朝は洸莱の剣を見てやる約束をしているんだ。黎は昼まで自由にしているといい」
 「・・・・・はい」
 朝、洸竣の部屋に世話をしにきた黎は、今日の予定を訊ねるなり突き放されてしまったような気がして内心かなり落ち込んで
しまった。
しかし、そんな表情を洸竣に見られるのも嫌で、出来るだけ動揺を抑えて(そのせいでますます表情が硬くなったが)直ぐに寝台
を整えに行く。
寝乱れた掛け布を整えていると、僅かに洸竣が何時も身に着けている花の匂いがした。身だしなみに気を使う洸竣が自分用に
と、特別に選んだ花の蜜を加工して作ったという匂いだろう。
 「・・・・・」
 「黎?」
 「あ、はい、直ぐに参りますっ」
 「いや、身支度は自分で出来るからいい。寝台を整えたら食事に行こう」
 「はい」

 黎の部屋から洸竣が出て行って既に数日が経っていた。
洸竣の腕に抱かれることを覚悟していたのに結局は最後まで抱かれることはなく、黎は自分でも分からないまま洸竣に辛い表情
をさせてしまった。
自分の言葉の何が悪かったのか、黎は今もって分からない。だが、明らかにあの夜を境にして洸竣が自分に対して一歩引いた態
度を取るようになったのは事実だった。
(僕は、どうしたら良かったんだろうか・・・・・)
 ただ、物のように寝台に横たわっていたら良かったのか?
それとも、町の商売女のように、足を広げて自分から洸竣を誘ったら良かったのか。
自分が何をどうしたらいいのか分からなくて、黎はただ洸竣の命じるように動いている。逆らうこともなく、聞き返すこともなく、もうあ
んな洸竣の辛そうな顔を見たくなくて・・・・・黙って従っていた。



 黎が黙って自分の言葉通りに動くのが分かる。
以前は控えめにでも自分に言い返してきたこともあったのに、今では全く逆らうことはない。
(どうしたらいいのか・・・・・)
 こんな状況がいいとは洸竣も思っていないが、黎相手に自分がどうしたらいいのか全く分からなかった。
これが何時もの遊びならば、どんなに甘い言葉も少し強引な態度も取ることが出来るのに、どうしても黎に対しては強気に出るこ
とが出来ない。
洸竣はただ毎日溜め息をつくしかなかった。
 「洸莱!」
 「兄上?」
 軽く朝食を取った洸竣は、既に食事を終えていた洸莱を呼び止めた。
 「何か・・・・・」
 「剣を見る約束をしていたな?」
 「え?」
 「さあ、参ろう。黎、それでは後でな」
 「・・・・・はい、お気をつけて」
黎が深く頭を下げて見送るのを背に、洸竣は洸莱の腕を掴んで、別棟にある兵士の訓練場へと足を向ける。
 「兄上?」
 「悪い、もう少し付き合ってくれ」
 「・・・・・黎ですか?」
 「・・・・・」
 「なんだか、寂しそうな顔をしていましたが」
 洸莱の言葉に洸竣は眉を顰めた。
黎は自分の前では出来るだけ無表情を装っているが、洸竣の視線が無いところで・・・・・見えないところで、暗い思いつめた表情
をしていることは知っていた。実際に洸竣が見ることは出来ないのだが、昨日も悠羽に問い詰められたのだ。

 「黎を追い詰めるのはおやめ下さい」

 強い口調ではなかった。
それでも、言葉以上に非難をこめた眼差しに、洸竣は何も言い返すことが出来なかった。
本当は自分こそどうすればいいのか分からないのだと悠羽に聞きたいくらいだったが、僅かな矜持がその言葉を口の中で押し殺し
てしまい、結局は黙ってしまって悠羽に溜め息をつかれたのだ。
 「兄上」
 「ん?」
 「兄上は黎がお好きなのですか?」
 「・・・・・驚いたな」
 洸竣は思わず足を止め、自分よりはまだ背の低い洸莱を見つめる。
こういった色恋事に一番縁遠そうな洸莱にそう言われたことが驚きと共に不思議に思えた。
しかし。
(ああ、洸莱も、今恋をしていたか・・・・・)
 見た感じでは全く分からないが、洸莱も悠羽の召使であるサランに好意を抱いていることを知っていた洸竣は、弟とこんな話を
するようになったのかと思わず笑ってしまった。
 「兄上?」
 「相談に乗ってくれるか、洸莱」
 「私が・・・・・ですか?」
 「話を聞いてくれるだけでいいよ。出来れば、私のどこが間違っているのか教えてくれると嬉しいけどね」



 笑いながらそう言った洸竣は、訓練場に向かっている足の向きを変え、王宮の中庭へと洸莱を誘った。その後ろを、洸莱は黙っ
たままついて行く。
莉洸以外の上の兄達と話す機会はあまりなく、改めて向き合ってもどうしたらいいのかと戸惑いはするものの、洸莱は家族皆好
きだ。
幼い頃離れて暮らしていた分、自分に愛情を注ごうとしてくれていることが良く分かるからだ。
 父洸英は鷹揚に。
長兄洸聖は生真面目に。
次兄洸竣は茶目っ気たっぷりに。
三男莉洸は無邪気に。
それぞれが自分を大切に思ってくれているからこそ、洸莱は離れていた時間を恨むことはない。



 東屋に腰掛け、洸竣は洸莱に話した。
自分が黎を好きになった切っ掛けや、黎の義理の兄のこと。そして・・・・・数日前、未遂に終わってしまった夜のこと。
弟に話すには少し情けないこともあったが、もしかしたら自分も分からない何かに気付いてくれるかもしれない・・・・・そんな僅かな
期待があった。

 「何が問題なのですか?」
 ことのあらましを話した時、洸莱が一番最初に言ったのはそんな言葉だった。
 「え?」
 「だって、黎は嫌ではないと言ったんですよね?」
 「・・・・・そう、だが」
 「それならば、嫌ではないのでしょう」
 「・・・・・それだけ、か?」
 「はい」
あっさりと頷いた洸莱を、洸竣はしばらくじっと見つめた。
(嫌ではないと言ったから・・・・・嫌ではない?)
まるで言葉遊びのようだが、洸莱の短い言葉は洸竣の胸の中に深く染み渡った。
 「・・・・・そうか。嫌ではなかったのか・・・・・」
 「兄上は、本当に黎のことを大切に想ってらっしゃるのですね」
 そう言った洸莱は僅かに微笑んだ。普段はあまり表情の変わらない弟のその笑顔は歳相応で、莉洸の笑顔にも似ているように
思える。
 「大事にしてください」
 「洸莱」
(洸莱に諭されるとは情けない・・・・・)
だが、その言葉が嬉しかった。洸莱は自分と黎のことを祝福してくれているということがよく分かるからだ。
(少し、冷静になろう)
臆病になり過ぎている自分の心を落ち着かせて、もう一度黎と向かい合おうと思う。少し頭を冷やせば、今度こそ黎の言葉を裏
読みせずに、そのまま真っ直ぐ受け取ることが出来るような気がする。
 「ありがとう、洸莱」
 「・・・・・いえ」
礼を言われて戸惑ったような表情になった洸莱の髪を、洸竣は笑いながらクシャッと撫でた。