外持雨 ほまちあめ



Afterwards……………







 綾辻は目の前の光景を見つめながら内心深い溜め息をついた。
(これって、焦らしプレイなのか・・・・・?)



 信じられない奇跡を手に掴んでから、既に一週間が経った。
あの日の夜、倉橋は再び伸ばした自分の手を拒むことは無かった。
綾辻としてはガッツクような情けないことはしたくはなかったが、せっかく自分のペニスの形を覚えた倉橋の身体をもっと慣らす為に
も、続けて身体を重ねることを望んだのだ。
痛みはまだ感じるようだったが、ペニスを最奥に突き刺せば縋るように抱きついてきた。
中で精液を吐き出した時も、細い腰を震わせて全てを受け止めてくれた。
 あの夢のような出来事が東京に帰ってからも続くとは思わなかったが、それでも以前よりは遥かに色っぽい雰囲気になるので
はないかと期待していた。
しかし・・・・・。
 「その報告でしたら、綾辻の方が。綾辻」
 「・・・・・は〜い」
 「何ですか、その気の抜けた返事は」
 眉を顰めて睨み付ける倉橋のその態度は、とても照れ隠しには見えない。セックスする以前よりも厳しくなったような倉橋に、
綾辻は大きな溜め息をつきながら海藤の前に立った。
 「・・・・・」
普段はほとんど表情の無い海藤(その辺りが倉橋と似た者同士なのかもしれない)だが、今は椅子に座ったまま僅かに頬を緩
めて綾辻に視線を向けている。
(・・・・・バレてるな、絶対)
 三日間の休みを自分達がどう過ごしたか、どんな風に関係が進展したか、自分の口から言うつもりは無かったが(言いたくて
たまらないが、倉橋の反応を考えると出来なかった)、きっと海藤には分かっているのだろう。
 「綾辻」
 「・・・・・すみません、資料を取ってきます」
すっかり仕事モードの2人に口を挟む事は出来ず、綾辻は肩を落として社長室から出て行った。



(・・・・・まったく)
 その後ろ姿をじっと見つめていた倉橋に、海藤は少し声を落として言った。
 「いいのか?」
倉橋は視線を海藤に向けた。
学生時代の自分の虚無感を湛えた目を知っている海藤は、彼なりに倉橋のことを気に掛けていたのだろう。
この世界に引きずり込んだことが結果的に良かったのかどうか・・・・・綾辻の背中を押したことが倉橋を追い詰めたりはしなかっ
たかどうか・・・・・倉橋は静かに微笑んだ。
 「はい」
 「・・・・・」
 「流されたわけではありません。最後は自分で選びましたから」
 海藤に誘われたからといって、この世界に飛び込むことを決めたのは、最後は自分だった。
同性で、自分とは正反対の性格と背景を持つ綾辻の想いを、最終的に受け入れることにしたのは、結局自分の意思だった。
その決断を、倉橋は今まで後悔していない。
 「・・・・・お前がいいならいいが」
 「社長は私の味方をして下さるんですか?」
 「あいつは、多少のことじゃ壊れないだろう」
 倉橋は目元を和らげた。
その表情を見て、海藤は苦笑を零す。
(この顔・・・・・多分、綾辻の前じゃ見せないんだろうが)
 倉橋がこんなにも柔らかく優しく微笑む姿を、綾辻が自分の目で見ることが出来るのは何時なのだろうか・・・・・もしかしたらそ
れは無いかも知れないと、海藤は綾辻を少し気の毒に思った。



 「別に、社長の前でイチャイチャするつもりはないけどな〜」
 自分のオフィスから必要な書類を持って出てきた綾辻は、つれない倉橋の態度にブツブツと口の中で文句を言う。
まあ、それが倉橋なのだといえばそれで終わりなのだが。
少し物足りない気分で社長室に向かっていた綾辻は、丁度開いたエレベーターの方へと視線を向けた。
 「あら、マコちゃん!どうしたの?」
 エレベーターの中から出てきたのは真琴だった。
選挙が終わった翌日に海藤の手料理を食べに行って以来だったが、その表情がかなり以前のように穏やかで、纏っている空気
もほんわかとしたものに戻ってきているのを感じ取った綾辻は内心ホッとしていた。
この青年には、何時でもこんな風に笑っていて欲しいと思う。
 「講義が1つ休講になったんで、差し入れに来たんです。シュークリーム、下の方達にも渡してきました」
 「喜んでたでしょう?」
 「皆さん、甘い物好きだって」
 「ふふ、そう」
 組員達の言葉は、多分に真琴のことを思ってのものだろう。皆が皆甘いものを好んでいるとは思えないが、この笑顔ではいと
土産を手渡されれば、厳つい顔にも笑みが浮かぶはずだ。
 「あ〜、マコちゃ〜ん」
 「あ、綾辻さん?」
 綾辻はガバッと真琴を抱きしめた。
腕の中にすんなり入ってしまう華奢な身体はとても抱き心地がいいが・・・・・。
(キスする時屈まなきゃいけないしな)
自分とほとんど変わらぬ目線で、細身ながらもしっかりと男の身体。今の自分はそんな相手でないと満足出来なくなっている。
真琴のことを可愛いと思う気持ちとは対照的に、欲情するのは切れ長の目を向けてくるつれないあの男しかいないのだ。
(まあ、マコちゃんに欲情するって言ったら社長に殺されちゃうけど)
綾辻はようやく何時もの調子を取り戻すと、わけが分からず途惑っている真琴ににっこりと笑い掛けて言った。
 「こんな可愛い手土産を持っていったら、社長も喜んでくれるの間違い無しね」



 「真琴?」
 社長室に真琴を連れて行くと、何も聞いていなかった海藤はさすがに驚いたようにその名を呼んだ。
しかし、その眼差しが途端に柔らかくなったのに気付き、綾辻は内心笑ってしまった。
(どこも惚れた方が負けってことか)
 「克己」
しばらくは2人にしてやった方がいいのではないかと思って倉橋に声を掛けると、同じことを思っていたのか倉橋は海藤に言った。
 「お茶を入れてきましょう」
 「す、すみません、お仕事中に」
 「いいえ」
 真琴に対して柔らかな声で言うと、倉橋はそのまま部屋を出て行く。
その後を追った綾辻は倉橋の肩を抱き寄せようとして・・・・・無造作に振り払われてしまった。
 「・・・・・克己、冷たい。私にももっと優しくしてよ」
子供の我が儘の様なことを言っているという自覚はあるものの、身も心も結ばれた、いわば蜜月状態のはずの自分達には甘い
雰囲気が足りないと思う。
少し眉を潜めて言う綾辻に、倉橋は仕方ないというように振り返った。
 「冷たいですか?」
 「冷たい」
 「・・・・・」
 きっぱりと言い切ると、倉橋はやれやれというように溜め息をつきながら綾辻を見つめる。
 「目に見えない変化を楽しむ事は出来ませんか?」
 「え?」
倉橋の言葉の意味を訊ねようとした綾辻だったが・・・・・倉橋はそんな綾辻のネクタイにそっと手を伸ばし、少しだけ曲がってい
たそれを直すと、一瞬だけ、その指先で綾辻の耳のピアスに触れた。
日中、それもこんな廊下(前科はあったが)だというのに、綾辻はゾクッとした感覚を下半身に覚える。
 「よく似合ってますよ、それ」
 一昨日から、綾辻の耳につけられている新しいピアス。鮮やかなエメラルドのお洒落なそれは、遅れてしまった誕生日プレゼン
トとして倉橋から贈られたものだ。
あまりにも普通の顔であっさりと渡されたそれが誕生日プレゼントとは最初気付かなかったし、倉橋もそうだとは言わなかったが、
綾辻は倉橋が自分の誕生石である石を使ったピアスをくれたことがかなり嬉しかった。
 「克己・・・・・」
 そのピアスに、倉橋が触れる。
それに意味があるような気がして、綾辻は思わず唇を寄せていったが・・・・・。

 バシッ

その唇は、倉橋の持っていたファイルによって遮られてしまった。
 「克己〜」
 「仕事中ですよ、綾辻」
 倉橋はきっぱりと言い切って綾辻に背を向けて歩き出す。
鼻を押さえながらその後姿を見ていた綾辻の顔に、次第に苦笑のような笑みが広がってきた。
 「目に見えない変化、か」
(・・・・・それもまあ、いいかもな)
秘密の関係も色っぽくていいかもしれないと、綾辻は少し足を早めて倉橋の背中を追って行った。




                                                                     end