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『』内は外国語です。





 翌朝、アレッシオは寝室へと足を向けた。
まだ眠っている5人の寝顔は子供のようにあどけなく、どこか笑みを誘われてしまう様子でもあるが、何時までもそれを見つめて
いるような時間は無かった。
 「・・・・・トモ」
 真琴の肩に顔を埋めるようにして眠っている友春の頬にそっと触れる。
もう、この手に触れている存在は、今日には自分を置いて帰国してしまうのだ。
 「・・・・・起きなさい」
 「ん・・・・・」
 「起きないと、最後のピザが食べられないぞ」
タイムリミットは、午前11時。自家用ジェットを使うので前後の時間拘束はないものの、望む時間に日本に帰るのにはその時
間にイタリアを出なければならない。
それならば、今起きなければ、起きて直ぐ空港へ直行となりかねないのだ。
 一緒にいる時間があまり無いのならば、少しでも友春の色々な顔を見ていたい。それが自分に向けられるものでなくても、だ。
 「・・・・・」
 友春には濃厚なキスをすればいいだろうが、後の4人はどうするか。まさか叩き起こすというようなことは出来ないなと思ってい
ると、来訪を告げるベルが鳴る。
 「・・・・・」
時刻は午前7時半。
アレッシオはそのままドアに向かい、監視カメラを覗いて(宿泊することが決まって取り付けさせた)思わず唇の端を上げた。
 「ご苦労だな」



 「タロ、おい、起きろって!何時までも涎垂らして寝てんじゃねーって」
 「真琴、ほら、起きないともう時間が無くなるぞ」
 「楓さん、楓さん、時間ですよ」
 「静さん・・・・・目が覚めましたか?」
 どれだけ過保護な男が揃っているのか・・・・・そうは思いながらも、自分もそんな中の1人だと思うと苦笑が零れてしまう。
それぞれに起こしている声を聞きながら、アレッシオは自分も友春の身体をそっと抱き寄せた。
寝ているせいで温かく、少し重い感じのする身体を抱きしめ、アレッシオはその耳たぶを噛むように唇を近づけて囁いた。
 「トモ、このまま起きないと、ベッドで時間を有意義に過ごす事になるぞ」



 最後の数時間、やはり一行は観光ではなく食べ歩きを選んだ。
小さな屋台で売られている物も、古びた店の物も、大きく賑やかな店も。
どこも美味しく、食の街と言っても過言ではないなと真琴は思う。
 「カッサーノさん、ありがとうございます」
 時間的にもう最後だろうという店から出ながら、真琴は前を行くアレッシオに向かって頭を下げた。
 「こんなに良くしてもらって・・・・・本当に感謝しています」
 「・・・・・礼など必要ない。イタリアを気に入ってもらえればいいのだから」
そう言って、少しも表情を動かさないアレッシオの横顔を見つめながら、真琴はそれでもありがとうございますと口の中で呟いた。
友春以外興味を持たない感じのアレッシオだが、真琴が気に入ったという店のチーズやソースを日本に送ってくれる手筈を全て
整えてくれた。
 真琴は海藤にその費用の事を言ったのだが、海藤はしてくれていることに関してそういう事は言わない方がいいだろうと言った。
海藤の方から改めて、別の方法で感謝の気持ちを示すからと。
 自分の安易な気持ちが思いがけず大事になってしまったが、それでもアレッシオがこんなに優しい人間だと分かって良かったと
思う。
友人でいる友春を欲しているその気持ちが、本当に真剣なのだとよく分かった。
2人の関係の進展は2人次第だろうが、自分が今回見知ったアレッシオならば心配することは無いのではないかと思えた。



 「もう帰っちゃうなんて嘘みたいだよな〜」
 お気に入りのジェラードをまだ頬張りながら、太朗はグルッと周りの景色を見回した。
初めて見た時はまるで映画のセットのような感じがしたのだが、今ではごく自然な風景として目に入ってきている。
 「もっと色々見たかった〜」
 「食べたかったの間違いだろ」
 「あ、ジローさん、それ偏見!俺だって食べ物以外の事にも目が行くんだぞ!」
 「今回お前が食べた量考えてもか?」
 「う・・・・・」
 「タロ、それってセクハラ発言だって言えばいいんだぜ」
 そんな2人の会話に入ってきたのは楓だった。
 「え?だって、俺男だぞ?」
 「男でもカンケーないの!ね?」
楓が隣にいた静に相槌を求めると、静もうんと頷いた。
 「多分、今のはセクハラだよ。太朗君が言われて嫌なことだったらね」
 「ほら」
 「そっかー、じゃあ、ジローさん、それってセクハラ!」
 「おいおい、恋人同士の他愛無いじゃれあいがセクハラか?」
上杉は肩をすくめたが、その顔は楽しそうに笑っている。
言い負かした側の楓も、太朗も、静も笑っている。異国の地という気安さがそこでもあるような気がして、太朗はやっぱりあ〜あ
と大きな声で叫んだ。
 「物足りない〜!イタリアぁ〜!!」





 そして。
午前10時半には、ナポリ・カポディキーノ国際空港に一行の姿が合った。
 「お土産忘れた!!」
空港に着いてから母親の買い物の事を思い出してしまった太朗は、どうしよどうしよと慌てたように騒ぐが、上杉が黙ったまま居
並ぶ店舗の方へと引っ張っていった。店の数はそれほどに多くないが、太朗の母親が太朗に頼んだのだ、それほど高額でもな
いだろう。

 「恭祐、父さんと兄さんにお土産どうする?」
 「一応酒を買っていますよ」
 「さすが。あ、でも、俺からも何か買った方がいいだろうな、喜ぶだろうから」
 「それはそうでしょう。楓さんからの土産の方が組長達も喜ばれますよ」
 「チーズか冷凍ピザが無いかな〜」

 「江坂さん、何かお土産買います?」
 「渡したい唯一の相手がここにいるのに?」
 「あ・・・・・で、でも、せっかくの記念だし」
 「そうですね。静さんと初めての海外旅行ですし、お揃いのキーケースか財布でも買いますか?」
 「あ、革ですよね?いいかもっ」

 「え?俺の家族にも送ってくれたんですか?」
 「皆さん酒が強いからな。ワインが口に合えばいいが・・・・・」
 「でも、きっと海藤さんが行った時しか開けないと思いますよ?今度またみんなで帰りませんか?」
 「・・・・・そうだな、帰るか」

 「も〜!!母ちゃん、何たらブランドのバックなんって買えるわけ無いだろ!」
 「・・・・・その後ろに、なんちゃってって書いてるぞ」
 「!くっそー!!もうっ、すっごく変なお土産買ってやる!!」

 「克己、お揃いのブルガリのリング買う?」
 「・・・・・そんなお金は勿体無いですよ。貯蓄に回しなさい」
 「倉橋さん、せっかく買ってくれると言うんなら買ってもらった方がお得じゃないですか?いらなくなったら売ればいいんですし、あ
あ、私にもついでに買ってくれても全然構いませんけど」
 「そんなことしたら小田切さんのワンちゃんに怒られちゃう。あ、ワンちゃんにお土産買ってあげたんですか?」
 「ええ、丁度いい革の首輪がありましてね。あれによく似合うと思って買ってやりましたよ」



 しんみりとした別れの時間のはずなのに、一同は出発までの短い間に最後の買い物をしようと慌しく動いていた。
そんな中、友春は1人アレッシオの側にいて、自分は土産を買おうと動かなかった。
 「トモはいいのか?」
 アレッシオはそう言ってくれるが、今回のイタリア旅行は家族以外には言っていないので土産を買う相手はいない。
本来なら土産を渡すであろう友人達は、今回の旅に同行しているのだ。
 「・・・・・あの、ケイ」
 「・・・・・」
 「今回は、ありがとうございます。全部、みんなの分までしてもらって・・・・・僕、感謝しています、本当に」
 友春は回りに人がいなくなってからだが、ちゃんとアレッシオに礼を言った。
 「みんな、ケイのこといい人だって言って・・・・・」
 「トモの友人でなければ、私が自ら動くことなど有りえなかった」
 「ケ、ケイ」
 「私は、万人に優しいという人間ではない。分かるな?トモ」
 「・・・・・」
 「今後、もしも彼らが私とトモを阻む側になったとしたら、躊躇うことなく敵と認識する。彼らにとって私がいい人間であって欲し
いのならば、お前が私から離れないことだ、トモ」
 友春は心臓が凍りそうな恐怖というものを感じていた。
この旅の間、ずっと優しい顔しか見えなかったアレッシオの本当の姿・・・・・イタリアマフィアの首領としての顔を改めて見せ付けら
れ、彼が優しいだけの男ではないと思い知る。
(僕は・・・・・忘れてはいけなかったんだ・・・・・)
たとえ日本にいたとしても、自分はアレッシオに囚われている立場なのだ。
友春は漠然とした穏やかな雰囲気に浸りそうになっていた自分の心を戒めた。



 『よろしかったのですか?』
 静に呼ばれて向かう友春の後ろ姿を見送りながら、香田は素直でない自分の主人の行動に苦笑を零した。
あのまま別れていたならば、きっと友春の中でアレッシオの存在の意味は変わっていただろうに、わざわざ今までの関係を思い起
こさせるようなことを言わなくても良かったのではないか。
 『私の立場は変わらない』
 『・・・・・』
 『私が変わることが出来ないのならば、トモに変わってもらうしかない』
 マフィアの首領という立場は変われない自分は、今回のようにずっと穏やかな顔をしていることは出来ない。
それならば、裏の冷酷な顔の自分も愛してもらわなければならないのだ。
(私が優しくしたからといって、トモの気持ちが変化しても仕方が無い)
 『・・・・・困った方ですね』
 『・・・・・』
 『わざと自分が追い込まれなくてもいいのに・・・・・』
 確かに、表面上どんな風に取り繕ってでも、愛する友春からの想いは返して欲しいと思う。それでも、そんな甘いだけの愛で
は足りないのだ。
 『次から会ってくれなくなるかもしれませんよ?』
 『トモの気持ちは関係ない。私が欲しくてたまらなくなったら奪いに行くだけだ』
 これからも、アレッシオは友春に会いに日本に行く。
そして、あの甘い身体を抱くだろう。
怯えながら、恐れながら、それでも自分から逃げることの出来ない友春が、いずれ自分の全てを愛してくれることをアレッシオは
願うしかなかった。



 「本当にありがとうございました。今度日本に来られた時は俺の方がご馳走しますから」
 「ご馳走さまでした!イタリアって全部美味しかった!」
 「世話になりました。良かったらうちにも来てくれていいよ」
 「ありがとうございました。また、日本で会いましょうね?」

 いよいよ、飛行機へと乗り込む時間になった。
それぞれから挨拶を受け、アレッシオは鷹揚に頷きを返す。
保護者の男達が改まって何も言わないのは、それなりに昨夜の内に挨拶を済ませたからなのだが、太朗などは上杉に礼くらい
言えと怒っていた。
 「無事日本に帰りつくよう、祈っている」

 「「「「はい!」」」」

 4人の年少者達が自家用ジェットに乗り込み、その後に7人の男達が続く。
最後に残った友春は、じっとアレッシオを見上げた。
 「ケイ・・・・・」
 「トモ、また日本へ行くからな」
 「・・・・・」
 「大人しく待っていなさい」
 「・・・・・はい」
友春が小さな声で答えると、アレッシオは目を細めて笑った。この旅行中に見慣れた優しい笑顔、しかし、今は素直にそれを見
ることが出来ない。
それでも・・・・・。
(多分僕は・・・・・ケイからは逃げられないんだろうな)
目を伏せようとした友春の顎を掴んだアレッシオは、そのまま深い口付けを友春に与えた。







 飛び立つ飛行機を見送ったアレッシオは、そのまま黙って踵を返す。優秀なガードを友春に付けているので無事家まで送り
届けるのは当然だったし、友春の姿が見えない飛行機を何時までも眺めているほど、アレッシオはロマンチストでもない。
香田がドアを開けると、廊下にはずらりと部下やガードが並んでいた。
(これが私の現実だ)
この生活を当たり前に受け入れている自分にとっては、昨日までの三日間こそが夢物語だった。
(夢は必ず覚めるものだ)
 『首領』
 『行くぞ』
いずれ再び友春に会いに日本へ行くまで、アレッシオの孤独で張り詰めた日常はずっと続いていくのだ。










追記ー





 「タロ!!このピサの斜塔のペン立てってなによ!お小遣い返しなさい!!!」
 「そんなの、全部食べ物に使っちゃって残ってるわけないじゃん!!」
太朗の日常も、直ぐに元に戻っていた。




                                                                     end




                                       






イタリア旅行、無事完結です。

最後はタロと佐緒里ママで締めました(笑)。