『』内は外国語です。
「はい、どうぞ」
目の前に差し出された缶ビールに、宗岡は戸惑って小田切を見た。
とうに成人を過ぎてビールを飲むこと自体に支障はないものの、周りは子供達ばかりで(とてもそうは思えない高校生達を含めて)
だし、保護者的な立場の自分が酔っている場合ではない。
「あ、ありがとう、でも」
「1本くらいじゃ酔わないでしょう?それとも弱いんですか?」
見掛けによらず可愛いですねと笑みを向けられると返って反抗したくなってしまい、グイッと勢いよくあおった。
(・・・・・どうも、調子狂う)
女ではないのに、何だか胸をドキドキさせる雰囲気を持つ小田切とこうして2人でいるのは苦痛なのに、心のどこかではもう少し一
緒にいたいとも思う。
それがどういう思いからなのか、宗岡はチラッと顔を上げると、ずっと自分を見ていたらしい小田切と視線が合った。
「・・・・・っ」
(目、だっ)
多分、小田切の目がいけない。色っぽくて、真っ直ぐで、何かを感じさせるあの色を見るから、自分はこんなにも落ち着かないの
だ。
「哲生さん」
「・・・・・っ、な、何だ?」
なぜ、今に限って名前で呼ぶんだと訊ねることも出来ずにいると、恋人はいるんですかと問われた。
大学を卒業すると同時に別れて以来、今は恋人はいないものの、それを正直に小田切に告げていいものかどうか悩み、
「な、内緒だ」
大人の男のプライドもあってそう答えた。
すると、小田切は楽しそうに笑い、構いませんけどと続ける。
「傍に誰がいようと、私は欲しいものは手に入れますから」
「・・・・・!」
それが何なのか、聞くのは少し怖い。
ただ、宗岡は顔ばかりか全身まで熱くなったような気がして、これはビールのためなのだと必死に頭の中で言い訳をしていた。
楽しい時間はあっという間に終わり、遊び疲れた子供達が目を擦りだす午後8時過ぎにはバーベキューはお開きとなった。
最後の夜くらいはゆっくりと。そう思った保護者達も早々に休み、やがてこの別荘を発つ最後の夜が明けた。
楽しい時間をくれた別荘を皆で掃除をして(さすがに江坂もアレッシオも手伝った)、帰り支度を万端に整えた頃、見送りと称し
て隣の別荘から4人がやってきた。
「ひよー!」
「あっきー!」
もう、何年も前からの友人のように、7人は抱き合って別れを惜しむ。
東京に帰っても連絡は出来るのだが、そんなふうに冷静に考える者はこの場にいなくて、ただ別れの寂しさで涙をポロポロ流しな
がら抱き合っていた。
「ひよたちも、いっしょにかえろーよ!」
「たろーくん・・・・・」
「そうだよ、ばす、いっぱいのれるよ」
真琴が嗚咽を我慢しながら言う。
「いえには、けーたいかられんらくすればいーじゃん」
泣き顔を見せたくないらしい楓も、目元を真っ赤にして、
「さびしーよ・・・・・」
端的な静の言葉に、友春は涙を拭いながらうんうんと頷いた。
(本当に、あっという間に仲良くなったんだな)
楢崎はこんなふうに別れを惜しむ子供達を微笑ましく思いながら、それでもこれ以上泣かすのは可哀想で、子供達と同じ目
線に屈んで笑い掛ける。
「今日はここでバイバイだが、きっと次がある。またねって、笑って別れないか?」
「な、ならさん・・・・・っ」
ふにゃっと顔を崩した太朗が首にしがみ付き、それを合図のように6人がわらわらと楢崎の身体に纏わり付いてしまった。
嬉しいが、少し重い。それに・・・・・。
(なんだか、凄い目で見られている気がするんだが)
どんな意味かは分からないが、強い眼差しで自分を見つめてくる12の目に、さすがに困ったなと楢崎は助けを求めるように上杉
の顔を見返した。
「ターロ、こいつが潰れるだろ」
ひょいと太朗の身体を楢崎から引き離すと、太朗は今度は上杉の首にしがみ付いて顔を押し付けてくる。子供特有の高い体
温がさらに興奮して上昇したのか熱いくらいだ。
「タロ」
「・・・・・っ」
ここで涙を見せまいとするのはなかなか男らしいと思うが、既に上杉のシャツは濡れ始めて、顔を隠している意味が無くなってきて
いる。だが、ここでそれを指摘するのは少し可哀想かもしれない。
「・・・・・鼻水、つけるなよ」
からかうように言うと、背中をバシバシと叩かれる。痛いなあと笑った上杉は、お返しに抱き上げた太朗の尻をポンと軽く叩いた。
ポロポロと真琴の丸みがある頬に流れ落ちる涙を指先で拭ってやり、海藤は手を引いてバスに乗り込んだ。
「ばいばいって・・・・・やだ」
「また会える」
真琴が望んだので楢崎と連絡先を交換したが、思ったよりもずっと近くに住んでいたので会いたいと望めば直ぐにでも会える。
そう慰めれば、真琴は真っ赤な目で海藤を見上げてきた。
「ほんと?すぐ?」
「ああ。直ぐに」
「・・・・・うん」
真琴の中では海藤は嘘をつかない、何でも出来るスーパーマンらしい。もちろん、出来ないことはたくさんあるものの、そんな目で
見てくれる真琴の希望には応えてやりたい。
まだ夏休みは残っている。その間にもう一度会う機会を作ってやろうと思いながら、海藤は真琴の背中を押した。
「・・・・・随分、あの人を気に入ったんですね」
楓がかなり楢崎に懐いていた様子を見ていた伊崎は、多少胸の中がモヤモヤとしていた。それを楓にぶつける気はないものの、
口調は自然に皮肉めいた響きになる。
「だって・・・・・」
戻ってきた返事は、父や兄に似ているからというもので、楓の好みは本当にあの手のタイプなんだなと伊崎は溜め息をついた。
今更自分の容姿を変えることなど出来ないが、出来れば内面でもっと楓に好かれたい。我が儘なこの子の一番傍にいるのが自
分なのだと自信をもちたいと思った。
友春を泣かす者は何人も許さない・・・・・が、相手が同じ子供ならば、さすがにアレッシオも手が出せない。
別れを惜しむ友春に、次に遊ぶ約束を口にしても涙はなかなか止まらなくて、アレッシオは子供の心というものの扱い難さをしみじ
みと感じた。
だが、それを面倒などとは思わない。するりと心の内に入り込んできた友春を手放すつもりの無いアレッシオは、さらに慰めるため
に言葉を継ぐ。
「トモ、そんなに会いたいのならば私が呼び寄せてやる」
「・・・・・ホント?」
「簡単なことだ」
友春を必要以上に他人に近付けさせたくはないが、自分の目の届く範囲ならばどうとでもしようがあるだろう。
アレッシオは後で海藤に連絡先を聞いてやるからと、まだしゃくりを上げている友春を宥めた。
静は名残惜しそうに何度も振り返っている。
「静さん」
「う、うん」
そんなにも楽しかったのかと、江坂はじっと静を見下ろした。こんなふうに別れがたくなるほどに彼らと濃密な時間を過ごしたわけで
はないと思うが、もしかしたらそれは時間など関係ないのだろうか。
「・・・・・」
(ずっと傍にいたって意味は無いのか・・・・・?)
何だか悔しくて眉間に皺を寄せた江坂の手を、静が不意にギュッと掴んできた。
「静さん?」
「りょーじおにいちゃんは、ばいばいしないよね?」
「当たり前でしょう」
「よかった。おれ、りょーじおにいちゃんがいっしょにいてくれるならさびしくないもん」
小さな手が確かめるようにさらに力を込めて握ってくる。その強さの中には静の自分への好意が明確に見えて、今ここにいる誰より
も自分の傍がいいのだという思いが伝わってきた。
「さあ、行きましょうか」
促すと、静は素直にバスに乗り込む。その姿を見下ろす江坂の眉間からは、何時の間にか皺は消えて無くなっていた。
日和と暁生はギュッと手を繋いでバスに乗り込む友人達を見ている。
会ってまだ2日。それなのに、強い友情を感じたらしいその心は、別れる寂しさに必死に耐えているようだった。
「日和」
「・・・・・」
日和は秋月を見上げた。
「ほんとに、ここでバイバイ?」
「ああ。東京に帰ればまた会えるって」
本当はこんなことを言いたくはなかったが、秋月はそう口にしていた。日和があの男達に笑顔を振りまくのは面白くないが、こんなふ
うに悲しそうな顔を見たいわけじゃない。
「そうだよな?」
確かめるように楢崎に視線を向けると、彼は暁生の髪をクシャッと撫でてやりながら頷いた。
「ああ、連絡先は分かっているから、ちゃんとさよならを言おうな?」
「ばいば〜い!」
「またなー!」
「ぜったい、あそぼーねー!」
バスの中から小さな身体を乗り出すように手を振る5人と、
「ぜったいねー!」
「またあおうねー!」
外で、必死に手を振り返す2人。
「何だか、恋人同士の別れみたい」
綾辻はその様子に苦笑した。
この5人が感情豊かだということは分かっていたつもりだが、今回はさらに2人をプラスしてグレードアップしたようだ。
「いいじゃないか、子供らしくて」
「・・・・・」
「何?」
「何だか、親父くさいわよ」
「大人と言え」
小田切は笑って言い返すが、ついでのように綾辻の頭を小突いた力はかなり強かった。この一筋縄ではいかない従兄弟も、親
父扱いは面白くないのだと変な発見をしてしまう。
「で、どうだった?」
「・・・・・」
「堕としたの?」
何をという主語をつけなくても、綾辻が言いたいことは小田切に正確に伝わったようで、その口元に浮かんだのは本当に楽しそう
な笑みだった。
「堕ちないと思ったか?」
「ん〜、半々ってとこ?今までとは毛色が違うように見えたし」
「雑食なんだよ」
「・・・・・怖い」
この男に狙われたら、どんな男でも女でも堕ちてしまうのだろうなと思える。そして、狙われてしまったあの男は気の毒だなと思いな
がら、綾辻は気になっていたことを聞いた。
「で、どこまでいったわけ?」
「どうぞ」
目の前に差し出された紙コップに慌てて顔を上げた宗岡は、そこにいる倉橋の姿にホッとした。
バスの中という密室で、彼に近付かれたら平静でいられる自信がなかった。
「あ、ありがとう」
「いいえ」
「・・・・・」
(本当に、つるんでいるとは思えないな)
倉橋の容姿も高校生離れした大人っぽく、綺麗なものだが、その性格はとても慎ましやかだし、取っている行動も控えめだ。
(彼もこんな感じだったら・・・・・っ)
頭の中に浮かんだ姿にハッとした。こんなふうに考えること自体毒されている。
(し、仕方ないだろ、お、襲われたら・・・・・っ)
昨夜、2本のビールのせいで早々にベッドに入った宗岡の胸を襲った圧迫感。
目を開けば、そこに綺麗で蠱惑的な表情の小田切がいて・・・・・2人きりで会うことを約束するまで、散々嬲られてしまった。どう
いうことなんて人にはとても言えないが、これが旅行の最後の夜でなければ最後まで食べられたかもしれない。
(この子はそんなことしないだろうな・・・・・)
「宗岡さん」
「あ、ご、ごめん」
何時の間にか、じっと倉橋を見つめていたらしい。
困ったように首を傾げる彼に謝ると、宗岡は全ての記憶を抹消するかのように激しく首を振った。
バスは快調に走っている。渋滞もしていないようなので、順調に行けば昼過ぎには学校に着くだろう。
(・・・・・それじゃつまらねえな)
「タロ、少し寄り道するか?」
「よりみち?」
グジグジと目を擦っていた太朗は、上杉の言葉にパッと顔を上げた。
「どこっ?」
「ここからだとどこがいいだろうなあ。おい、綾辻」
「調べ済みで〜す!」
どうやら有能な男は、自分の行動まで先読みしているようだ。それもまあいいかと、上杉は太朗に笑い掛ける。
「行くか?」
「うん!」
どうやら、自分もまだもう少し旅行気分を味わっていたかったようだなと思いながら、上杉は立ち上がって一同を見渡した。
「おい、気を抜くのはまだ早いぜ」
そしてー
「なあなあ、こんどとまりっこしよーよ!おれんちでみんなおとまり!」
「うわ、たのしそう〜、ね?」
「でも、たろんちのふろ、ちっちゃいじゃん」
「せんとーにいこ。おれ、おっきいおふろだいすき!」
「ぼく、いったことない」
「あ、おれはある!いろいろとあそべるんだよな」
「そうなの?」
「じゃあ、けってい!」
「・・・・・煩い」
上杉はこめかみを押さえた。
夏休みの生徒会室。緊急の呼び出しを面倒臭いと思いながらもやってくると、なぜかそこには太朗を含めた何時もの5人と、先日
の夏の別荘で知り合った2人の子供・・・・・だけではなく、苦笑する楢崎と仏頂面の秋月もいた。
「おい」
理由を求めるように海藤を見れば、海藤もここにきて現状を確認したらしい。ではと視線をめぐらすと、不機嫌そうな表情を隠さ
ない江坂とアレッシオに、困惑ぎみの伊崎と倉橋。後は・・・・・。
「お前らか」
場違いなほどにこやかな小田切と綾辻を見て上杉は溜め息をついた。
「仕方ないでしょう?ちょうどここがみなの家から平均の距離だし、学校なら保護者も安心でしょうし。それとも、あなたの目が届
かない所で話が進んでもいいんですか?」
「・・・・・」
上杉は舌を打つ。反論出来ないように言う小田切が憎らしい。
「またみんなで集まって楽しみましょうよ。あ、保護者ならいるから安心してね?」
綾辻の言う保護者の顔を思い浮かべた上杉は、人事ながら気の毒になと思う。
(まったく・・・・・面倒だな)
そうは思っても、誰1人この生徒会室から出ようとしないことこそが、誰が一番有利なのかというのが見える気がして、
「じろー!ちょっときて!」
「面白い話じゃないとのらねえぞ、タロ」
満面の笑顔で自分を呼ぶ太朗に、上杉はそう言いながらも素直に椅子から立ち上がった。
おしまい
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終わりました(汗)。夏に間に合いましたね。
今度は冬のレジャーに連れて行ってやりたい気分です。