toshiya side
「何だ、まだキスもしてないのか」
「・・・・・」
「遊び人のお前がなあ」
「煩いですよ」
さすがに手を出せなかったが、沢渡は憮然とした表情でコーヒーを口にした。
沢渡俊也に久しぶりに恋人といえる存在が出来て1ヶ月ほど経った。
杉野和沙・・・・・相手はまだ18歳で、来月大学に入学する予定だ。
行き付けの喫茶店のマスターの甥で、大人しく、引っ込みじあんの和沙をやっとの思いで手に入れたのだが・・・・・。
(本当に付き合ってるって言えるのか?)
この店以外で会うことは無く、会話さえ仕事の合間にといった具合で、恋人らしいことは何一つしていないという事に、さす
がの沢渡も焦りを感じていた。
確かに和沙の希望で『お試し期間』をもうけたが、沢渡にしてみればそれは事実上のお付き合いスタートだった。
どんなに言葉で距離をとられても、沢渡には確固とした自信があった。
(あった・・・・・んだがなあ)
「和沙を褒めてやらないとな。お前を振り回すとは立派なもんだ」
「・・・・・」
ニヤニヤと笑いながらマスターに悪戯っぽく言われても、今の沢渡に言い返す気力はなかった。
「和沙、今度外にデートに行かないか?」
「で、デートですか?」
突然誘われたデートに戸惑った表情を浮かべる和沙を、沢渡は辛抱強く待った。
「・・・・・お店の中で、話すだけじゃ駄目ですか?」
「・・・・・」
(ああ、やっぱりな)
悪い意味ではないのだろうが、和沙はまだ沢渡と2人きりになるのを恐がっているようだ。自分の叔父という絶対的に安心な
存在が傍にいなければ、彼は安心して呼吸も出来ないのだろう。
「和沙」
「ご、ごめんなさい」
それでも、和沙が少しは自分を想ってくれているのが分かるので、それ以上強引なことが出来ないのだ。
「謝らなくていいよ」
「・・・・・」
(またこんな顔させたな・・・・・)
慰める言葉にも詰まって視線を逸らせば、それまで2人を見ていたらしい複数の視線が慌てて逸らされていくのが分かる。
沢渡は眉を顰めた。
沢渡と付き合うようになってから、和沙に邪な想いを寄せる男が更に増えた感じがする。
「和沙」
「は、はい・・・・・え?」
恐々近付いてきた和沙の手を不意に掴むと、沢渡の横顔に注がれる視線が強く剣呑なものになった。
(やっぱり・・・・・)
沢渡が隠そうとはしないので、この店の常連客は沢渡と和沙が付き合い始めたことを知っている。沢渡としてはそれは牽制の
つもりだったが、かえって男もいいのかとうがった取り方をする者も確かにいるのだ。
マスターに確かめてみても、最近客が増えたということや、和沙に話し掛ける者が多くなったと言っていた。
「・・・・・」
「さ、沢渡さん?」
「・・・・・」
「ど、どうしたんですか?」
心配そうに顔を覗き込んでくれるのは、以前なら絶対になかったことだろう。
和沙も確実に変わってくれているのだが、その速度が沢渡の望むものよりは少しゆっくりで、待つつもりだった沢渡も最近少し
だけイラついていた。
一ヶ月で1センチ近付いてくれたかどうかの和沙にイラつく。
自分の存在の為に変わったはずの和沙に邪な想いを持つ男達にイラつく。
そして、そんな余裕のない自分に、何よりイラついていた。
「明日から出張なんだ」
気付くと、そんな嘘が口から零れていた。
「しばらく来れないよ」
「・・・・・そうなんですか・・・・・」
俯いて目を伏せる和沙に罪悪感が湧くが、沢渡はその言葉を撤回することはなかった。
出張はなかったが、都合よく・・・・・というか、沢渡の部署は急に決まった取り引きの為に突然忙しくなってしまい、気付けば
2週間近く店に行っていない事に気付いた。
住所や、せめて携帯の番号でも知っていれば直接連絡も取れるのだが、自分達の接点はあの店しかなく、沢渡が店に行か
なければこうして声さえも聞けないのだ。
(恋人とは言えないかもな・・・・・)
ハァ〜と溜め息をついた沢渡の足は、それでも情けないことに店に向かっていた。
「お、いらっしゃい」
久しぶりに顔を見せた沢渡にマスターは何時もと同じ様に笑い掛け、そのまま奥に向かって叫んだ。
「おいっ、和沙!お待ちかねの沢渡が来たぞ!」
「え?・・・・・あ!」
声と共に、何かが割れる音がした。
ハッと厨房に駆け込んだ沢渡の目に、床にしゃがみこんでいる和沙と割れた皿が目に入った。
「怪我はっ?」
和沙の手を取ろうとした沢渡は、そこで初めて和沙が涙ぐんでいるのに気付いた。
「和沙っ?痛いのかっ?」
てっきり怪我をしたと思った沢渡は、そのままマスターを呼ぼうと立ち上がろうとした。
しかし・・・・・。
「・・・・・た」
「え?」
微かに聞こえてきた声に沢渡の身体が止まった。
「き、きらわ、嫌われたと・・・・・思った・・・・・」
「和沙?」
「ぼ、僕が、何時も、沢渡さんの誘い、断わって・・・・・だから、もう、僕に会いたくないとおも・・・・・っ」
「和沙・・・・・・」
沢渡が半ば自棄になって会いに来なかった間、和沙の方も色々悩んでいたのだ。
「ごめんっ」
沢渡は自己嫌悪に陥った。
和沙がどんな子か分かっていたつもりだったのに、まるで恋を覚えたての子供のように気が焦ってしまった。
和沙の気持ちの変化を待とうと思ったのに、自分の気持ちが優先してしまって、突然現れなくなった自分を和沙がどう思うか
まで考えなかったのだ。
思わず和沙を抱きしめた沢渡だったが、その細く小さな身体は逃げようとしない。
かえって、ギュッと背中にしがみ付く手の力が強くなったかと思うと、いきなりぶつかるように和沙が顔を近付けた。
「痛っ」
「!」
まるで冗談のように鼻と鼻がぶつかってしまった。
「かず・・・・・」
「・・・・・っ」
和沙はそのままポロポロと涙を零して身体を離そうとする。
しかし、沢渡はそれを引き止めた。ここで逃がしてしまえば、また和沙との距離が遠くなると思ったのだ。
「キス、してもいい?」
「・・・・・」
「好きだ、和沙」
「・・・・・僕・・・・・も・・・・・」
その言葉だけで十分だった。
沢渡はそっと和沙の頬にキスし、そのまま唇にキスを落とす。恥ずかしいぐらい可愛らしいキスだったが、沢渡は今はこれで十
分だった。
「和沙、今度デートしよう。外で、2人きりで」
「・・・・・」
コクンと頷くと、和沙は再び沢渡の肩に顔を埋める。
まだまだ恋は始まったばかりなのだ。
end
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