子犬と闘犬





                                                                   
 前編





 「止めろ」
 大東組の東京本部からの帰り、上司でもある小田切裕(おだぎり ゆたか)が突然そう言うと、繁華街を走っていた車が止ま
る。
隣に座っていた楢崎久司(ならざき ひさし)は静かに聞いた。
 「どうされました?」
 「ん?」
その問いには直接答えなかった小田切の視線を追った楢崎は、ああと直ぐに納得した。
(あいつか)
反対側の車線に止まっている一台のバイクと白バイ。何か違反をして止められたのだろうが、普通ならば気の毒にとも思わない
小田切が楽しそうな笑みを向けているのは、その白バイの男を知っていたからだろう。
(いったいどこが気にいっているのか・・・・・)
 広域指定暴力団大東組の傘下、羽生会の幹部である小田切のトップシークレット・・・・・いや、真実を知っているのは羽生
会会長の上杉滋郎(うえすぎ じろう)と自分くらいしかいないだろう。
(サツが情人(いろ)なんてな)



 楢崎は今年41になる羽生会の幹部だ。
その年頃の男としては一際身体が大きく、昔抗争の時に負った、目じりに深い切り傷がある。
元々武闘派の彼は、幹部という堅苦しい立場を嫌がったが、立場が上の方が何かと都合がいいという理由で、上杉と小田切
が強引に昇格させてしまった。
しかし、やはり大人しく人に命令するだけではすまない楢崎は、今もって上杉の護衛を一手に取り仕切っている。
 いかにも昔ながらの極道という道を歩んでいる楢崎にすれば、ここ羽生会はかなり変わったヤクザの組だった。
親分であるはずの上杉は、腕っぷしは強いし頭も切れて、もう少し上に上ろうとすれば簡単にその地位が入りそうなほどの男だ。
それなのに、どういった心境なのか、今の地位に甘んじている。
それが卑屈でもない虚無にも見えないごく自然体なので、楢崎も口うるさいことは言えなかった。
 上杉にスカウトされる形で前の組から移ってきたが、ここは蔑まれているヤクザの世界とは思えないほどに居心地がいい。
この年になってやっと、楢崎は平穏という状況を楽しめるようになっていた。



 「降りますか?」
 どういった経緯でくっ付いてしまったのか分からないが、会のNo.2である小田切の今の愛人は白バイ隊・・・・・警察官だ。
彼が男を相手にすることは知っていたが、まさか自分達とは水と油の関係の警察官に手を出すとは思わなかった。
しかし、長である上杉は黙認しているし、なにより小田切が尻尾を掴まれる様な男ではないとよく知っている。
だからではないが、楢崎も自然と受け入れてしまう形になっていた。
(大体、会長からして・・・・・だからな)
 今の上杉の愛人は、太朗という名の男子高校生だ。
一度結婚したこともあり、女には不自由しない容姿を持つ上杉がなぜそんな子供に・・・・・しかも男に手を出したのかは分から
ないが、今の上杉の感情は全てその少年に向けられているし、とても想っていることが分かる。
太朗と付き合うようになってからは無軌道な遊びはなりを潜め、真面目に仕事にも取り組むようになったし、その少年もとても子
供らしい素直な子だ。
 楢崎は心のどこかでは、こんなヤクザの世界に関わった少年を早く開放してやればいいのにと思う反面、ずっと上杉の側にいて
やって欲しいと思うという、相反する感情を抱いていた。
 「いや、行け」
 街中で思いがけず愛人の姿を見て満足したのか、小田切は直ぐ車を走らせるように言う。
そして、先程から表情を変えない楢崎にチラッと視線を向けて笑った。
 「お前の方はいいのか?」
 「・・・・・」
 「最近、可愛いのに付きまとわれているようだが」
 「・・・・・今だけですよ。相手にしなければ諦めます」
 「そうか?」
 何もかも見透かしたように笑う小田切は、とても自分より年下には見えない。
この綺麗な顔の下にはどんな思考が渦巻いているのかと思いながらも、楢崎はそれ以上口を開かなかった。



 その日の夕方。
早めに事務所を出た楢崎は、ふと顔を上げて眉を顰めた。
そんな表情をすると強面の顔が更に怖くなると上杉にからかわれたことがあるが、今の楢崎に表情を戻すつもりは無い。
それよりも更にわざと目の険を強くすると、用意させていた車には乗らずつかつかと目の前の電柱の側に歩み寄った。
 「ここで何をしてる?」
 「あ・・・・・」
 「もう事務所には来るなと言わなかったか」
 「い、言われました」
 「それなのに、また来てるのか?」
 「だ、だって、だって俺、どうしても楢崎さんの子分になりたくって!」
 「子分てな・・・・今時そんな事を言う奴なんていないぞ」
 呆れたように出た溜め息は芝居ではない。
もう何度も言った同じセリフをまた言わなければならないのかと思うと、溜め息も零れてしまうわけだ。
 「いいか、もうこれで最後だ。俺は個人の舎弟は取らないし、なにより子供に自分の身の世話をさせようとは思ってない。お前
まだ20にもなってないだろう?こんな馬鹿げたことは止めてさっさと家へ帰れ」
 「やだ!」
 「・・・・・」
 「俺、楢崎さんみたいにカッコ良くなりたいんです!」
 「お前なあ」
 「暁生(あきお)って呼んでください!」
 「・・・・・」
(どうすればいいんだ・・・・・)
一向に萎える事の無い暁生の情熱に、楢崎は二ヶ月前の出来事を呪っていた。



   -二ヶ月前ー



 「車に乗って帰ってくださいよ!いくらうちのシマだって、1人の護衛もないまま歩くなんて・・・・・!」
 「いいって、たまには歩きたいんだよ」
 午後11時過ぎ・・・・・何時もならこれぐらいの時間になれば必ず車でマンションまで帰るのだが、その日に限っては楢崎はゆっ
くり街を歩いて帰ろうと思った。
いくらシマの中でも全く危険が無いわけではないのだが、1人歩き出来ないほどに危険な街にはしていないつもりだった。
 焦る組員達を置いてさっさと帰り始めた楢崎には、そこかしこから声が掛かった。
一見とっつきにくそうな風貌の楢崎だが、顔の傷と鋭い視線を除けば、なかなか苦みばしったいい男なのだ。
滅多なことで激昂することはなく、夜の勤めに出ている女達にも、そこらへんを歩いているチンピラ達にも平等な態度で接し、相
談事にも出来るだけ答えてくれようとする楢崎は、実はとても人気がある。
 「・・・・・ん?」
 そんな声に軽く答えながら歩いていた楢崎は、ふと苦しそうな声を聞いた気がした。
(・・・・・気のせいか?)
飲み屋の雑居ビルが立ち並ぶその界隈では、雑多な声が飛び交っている。
しかし、楢崎の耳にした声は空耳だとしても余りに苦しそうで、そのまま無視して歩くことは出来なかった。
 「・・・・・」
 声は、ビルとビルの間の小さな路地から聞こえたようだ。
 「・・・・・っ」
そのまま歩いて行った楢崎は、そう進むことも無く思い掛けない場面を目にした。
(ヤキ・・・・・か?)
 そこには、3人いた。
そのうちの2人はまあまあ体格もいいチンピラ風の男達で、もう1人はまだ青年になりかけの、茶髪に染めた高校生くらいの男だ。
その茶髪の男は下半身裸にされた四つんばいの姿で、その背中からチンピラが1人圧し掛かっていた。
明らかに喧嘩ではない、これはレイプだ。
 「なにやってるっ」
 考えるよりも先に怒声が出た。
それまで笑いながら暴行をしていた男達は、いきなり現われた楢崎にかなり驚いたようだった。
 「あ、あんた・・・・・っ」
 「お前達、どこのもんだ?」
この界隈にいて楢崎の顔を知らない者などいるはずが無い。だとすれば、他から来た人間だと思って脅すように声を出せば、男
達は下半身を露出したまま慌てて逃げ出してしまった。
謝ることも、向かってくることもしない男達には追いかけることさえ無意味だ。
 「雑魚が・・・・・っ」
 吐き捨てるように呟いた楢崎は、そこに残された男を見た。
脱がされたジーパンは少し離れた所でグシャグシャになっていて、楢崎はそれを拾って男に歩み寄った。
 「大丈夫か?」
 呆然と自分を見上げるその顔はこじんまりと整っていたが涙でぐしゃぐしゃになっていて、丸みを残す頬は殴られたのか赤く腫れ
ている。
茶髪にピアス、チェーンのネックレスと、今風な格好をしているが、その表情にはあどけなさがまだ残っていた。
(中学生・・・・・じゃ、ないな?)
 「大丈夫か?」
もう一度同じ言葉を掛けると、青年はコクコクと反射的に頷いた。

 多分汚れてしまったであろう下半身を洗わせてやろうと思った楢崎だったが、青年は慌てたように立ち去ってしまった。
呆気にとられた楢崎はそのまま見送るしかなかったが、それから数日後、事務所の近くで立っている青年に気が付いた。
多分、容姿から楢崎の素性は直ぐに分かったのだろう。
 「よお」
 他にも組員がいたので、楢崎は大丈夫だったかということは言わなかった。
すると、青年はペコッと頭を下げ、手に持っていた紙袋を差し出して言った。
 「こ、この間はありがとうございましたっ。俺、慌てて逃げるみたいにしちゃって・・・・・」
 「・・・・・」
 「本当はちゃんとお礼を言わなくちゃいけなかったのに、本当にごめんなさい。あの、これ、受け取ってください」
 「子供がつまらんことを気にするな」
この間は暗闇でよくは分からなかったが、整った容貌のその青年は、崩した格好とは裏腹にはるかに純粋な目をしていた。
少し細めだが身長も標準はあるようで、格好をもっとまともにすれば今よりももっと目立つ存在になっただろう。
(勿体無いな・・・・・)
 耳にたくさん開けられたピアスの穴も、おかしな金髪に近い茶髪も、かえって青年の美貌を損なっているように見えた。
(まあ、俺には関係ないか)
たとえ夜の街をフラフラと遊び歩いているといっても、ヤクザと関わりあいを持たない方がいい。
無事な姿を見て良かったと思った楢崎は、これで終わりだとでも言うように差し出された紙袋にも手を出さずに立ち去ろうとした。
 すると。
 「待ってください!お、俺を子分にしてください!」
 「・・・・・子分?」
いきなりの言葉に、さすがの楢崎も呆気に取られたように足を止めた。
 「おい、お前・・・・・」
 「お願いします!」



   -現在ー



 それ以降、ほとんど毎日のように、暁生は楢崎の前に現われた。
忙しそうにしていればまるでストーカーのように物陰から見つめているだけで、少し手が空いたような感じになると側に駆け寄って
来て頭を下げる。
始めは全く無視していた楢崎だったが、日が経つに連れて、嫌でも暁生の素性を知るようになった。
 名前は、日野暁生(ひの あきお)。
年は18歳で、今はフリーターをしていること。
母親は未婚のまま暁生を生み、今は飲み屋で勤めていること。
下に弟が1人いること。
 「なんだ、お前達は。あんな子供をこの世界に引き込むつもりか?」
 「そんな事はないですけど・・・・・あんなに楢崎幹部の事を慕ってるじゃないですか」
 その情報は、ほとんど楢崎に付いている組員が教えてくれた。
始めは勝手に懐いてくる暁生の事を胡散臭そうにしていた組員達も、余りに暁生が必死なのと、見掛けを裏切る素直な言動
に、何とか楢崎との間を取り持ってやりたいと思い始めたようだ。
 「幹部、舎弟とまでは行きませんが、少しは優しい言葉を掛けてやったらどうでしょうか」
 見かけによらず情に厚く優しい楢崎の性格を知っている組員はそういうが、楢崎の気持ちには変わりが無い。
 「駄目だ。お前達も、今後あれに構うな」
ヤクザというものが、世間からどういう目で見られているのかは楢崎は身をもって知っている。
そんな蔑みや恐れの目を、あんなに若く素直な子供に浴びせさせたくは無い。
(このまま放っておけば諦めるだろう・・・・・)
それが暁生の為なのだと、見慣れた幼い面影を振り切ろうとする。
しかし、子供の本気は、楢崎が思っていた以上に厄介で深いものだった。





                          





リクエスト回答第8弾。今回の話は、読みたい話で準トップの、「ヤクザ幹部×お馬鹿な下っ端 馬鹿な子ほどかわいい」です。

今回は少し年の差もあるので、デロデロに甘えさせてくれると思いますよ。私も初のおじ様攻ですし、ワクワクしてます。

主人公攻は、タロジロにチョイ役で出演した方(MY SHINING STAR17参照)です(笑)。






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