子犬と闘犬





                                                                    
中編





 前日、暁生に少しきつい言葉を言ったと後悔しながら事務所に出てきた楢崎は、直ぐに会長室に来るようにと呼び出しを受
けた。
来て早々の呼び出しに、何か他の組とぶつかることがあったのかと緊張しながら会長室のドアをノックした楢崎は、そこに笑いな
がら饅頭を食べている上杉と暁生の姿を見た。
 「・・・・・お前・・・・・」
 「おう、ナラ、来たか」
 さすがに気まずそうに目を伏せる暁生とは反対に、上杉はニヤニヤと面白そうに笑いながら楢崎に言った。
 「お前も隅におけねえな」
 「・・・・・そんな子供を事務所に入れてどうするんですか」
 「迷子の子犬を保護するのは大人の義務だろ。タロにも動物には優しくするように言われてるからな」
 「・・・・・」
(楽しんでいるだけのような気がするが・・・・・)
きっと、上杉は何時も自分に注意を促す楢崎の弱みを握れたと思っているのだろうが、楢崎としては暁生は弱みというものには
なっていない。
いや。
(きっと、小田切幹部に聞いたんだろうな)
楢崎としては、この先弱みにしないようにしたいのだ。
 「おい」
 楢崎が声を掛けると、暁生は可哀想なほどビクッと震えた。
 「帰るぞ」
 「で、でも、楢崎さん」
 「立て」
 「ナラ、子供を脅すなよ」
 「これは私の問題ですから。会長、この先もこいつを事務所に上げないで下さい」
 「つまらんじゃないか。むさ苦しい野郎共よりも、可愛い顔を見てた方が楽しいんだがなあ」
 「・・・・・」
上杉には何を言っても無駄だと思い、楢崎は少し強引かとも思ったが暁生の腕を掴むと、そのまま会長室を出る。
 「アキ、また遊びに来いよ」
笑いながら言う上杉の言葉に、暁生がペコッと頭を下げたのが目の端に移った。



(・・・・・怒ったのかな、楢崎さん・・・・・)
 暁生は自分の腕を掴む楢崎の横顔を見つめながら、泣きそうになってしまうのを我慢するのに必死だった。
あの日、バイト先からの帰りに、肩がぶつかっただのガンをつけられたのだの、わけが分からない因縁をつけられて路地裏に連れ
込まれてしまった。
格好こそ今風にしているが、暁生は普通の青年だった。2対1で喧嘩をしても勝てるとは思わず、理不尽とは思いながらもすみ
ませんと謝った。
しかし、相手はそれも気に入らないと、暁生の顔を殴り、何を思ったのかジーパンを剥ぎ取った。
(な、何?)
 最初は、何をされようとしているのか分からなかった。
しかし、目の前に立った男が自分のジーパンのファスナーを下ろすのを見た時、自分が女のようにレイプされるのだということを悟
り、暁生は急に全身が硬直してしまった。
 自分の容姿が男らしくないというのは自覚している。しかし、どう見ても女には見えないはずだった。
そんな自分に手を出そうとしているこの男達が薄気味悪くて怖くて、暁生は喉の奥に張り付いた悲鳴を搾り出した。
 「や・・・・・やだ・・・・・!」
 「うるせえよ!」
 「黙って便所代わりになってろっ」
 暁生の泣き声さえもバックミュージックにしか聞こえないのか、男達は笑いながらむき出しの尻を打つ。
 「ほら、力を抜かないと入んねえだろうが!」
解すことも無く、そのままそこに濡れたペニスを押し付けられる感触がする。
ギュウッと目を閉じ、引き裂かれる覚悟をした暁生の耳に、地を這うような怒声が聞こえた。
 「なにやってるっ」
 ・・・・・それからは、あっという間だった。
暁生を押さえていた男達は一瞬で逃げていき、残されてしまった暁生は呆然とその場にしゃがみこむしかなかった。
 「大丈夫か?」
 声を掛けてくれたのは、暁生の目にはまるで鬼のように大きくごつい感じがするオヤジだった。
強面の顔も、その顔に勲章のようにある傷も、鋭い眼光も、全てが怖くなってしまい、暁生は助けてもらった礼も言えずにその場
を逃げるように立ち去ってしまった。

 翌日、バイトをしているカフェレストランの同僚にそれとなく聞いてみると、昨夜自分を助けてくれた相手の素性は直ぐに分かっ
た。
年恰好と、何より顔の傷・・・・・確かに只者ではないとは思ったが、まさかヤクザとは思わなかった。
しかもこの界隈を治めている羽生会の幹部と聞き、暁生は頭の中が真っ白になった。せっかく助けてもらって、そのまま逃げるよう
に立ち去って・・・・・もしかしたら、気分を害されているのかもしれない。
(あ、謝った方がいいかな・・・・・)
 この街に住んでいる限り、絶対に会わないでいられるという保証は無い。
暁生は怖くて怖くて仕方が無かったが、とにかくお礼だけはしようと、思い切って羽生会の事務所に出掛けたのだ。

 楢崎は、厳つい顔に似合わず穏やかな人間だった。
いや、よく見ればその顔は精悍に整っていて、深い人生経験を滲ませており、体格も暁生とは比べ物にならないほどがっしりと鍛
えている感じだった。
 逃げ去ったことを詫びた暁生に、優しい目をして笑い掛けてくれた時、暁生の心臓はドクンと高鳴った。
それは、父親のいない家庭で育った暁生にとっては、ずっと追い求めていた理想の父親像に近い感じがして、暁生は自分でも
思いもよらなかった言葉を叫んだ。
 「待ってください!お、俺を子分にしてください! 」
ヤクザになろうとは思わなかった。
放任主義といっても、高校を卒業するまでちゃんと面倒を見てくれた母親のことは気になったし、弟はまだ小学校にも上がってい
ない。
それでも、楢崎の側にいたいと、まるで熱烈な一目惚れをしてしまったかのように、暁生は真っ直ぐな目で楡崎を見つめるように
なった。

 側に近寄ることは出来ず、バイトが無い時にただ見つめているだけだったが、楢崎の人間性はよく分かったような気がする。
ヤクザという肩書きを持っているが、楢崎はかなり情が厚く、一本気な性格だった。
夜の街でもそこかしこから声を掛けられ、一々それに答える律儀さもあった。
(いいな・・・・・)
 楢崎に頭を撫でてもらっているチンピラ風の若い男の姿を見ると、なぜ自分にはそうしてくれないのだろうかと悲しくなる。
確かに自分は楢崎からすれば子供も同然の年齢だろうが、それでも18歳は過ぎている。
優しい楢崎は、自分のような子供がヤクザの世界に足を踏み入れるのを懸念しているようだが、暁生としては楢崎の眼差しを
身近で感じるだけで嬉しいのだ。
(一緒に・・・・・いたいのに・・・・・)



 「・・・・・」
 人気のない事務所の裏に連れ出された暁生は、じっと自分を見つめる楢崎を必死に見つめ返した。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
しばらく見詰め合う形になった2人。
やがて、楢崎は深い溜め息をついた。
 「お前・・・・・いったいどうして欲しいんだ?」
 「え?」
 「会長はあんな方だが、実際この世界に入ればお前の想像以上の苦労が待っているぞ。それに耐えてまでこの世界に入りた
いっていうのか?」
 「お、おれは、楢崎さんの側にいたいだけなんですっ」
 「・・・・・それは、どういう意味だ?相談相手としてか?それとも父親代わりとしてか?」
 改めて聞かれ、暁生は一瞬言葉に詰まった。
確かに楢崎は父親といっていい程の年上で、最初は会ったことのない父親の影を重ねていたことは確かだった。
しかし、ずっと追いかけて見つめているうちに・・・・・ただの憧れだというだけではすまない感情が生まれてきているのも本当だ。
(楢崎さんは・・・・・オヤジじゃないしっ)
 暁生はギュッと拳を握り締めた。
 「どっちも違いますっ」
 「・・・・・」
 「俺、俺、楢崎さんの一番近くにいたいんです!」
多分、それが今の暁生の気持ちに一番近い言葉だろう。
楢崎が誰かに笑い掛けたら胸がムカムカするし、自分のいない所で怪我などしたらと思うと胸が痛くなる。
 「ずっと、楢崎さんを見ていたいんです!」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・来い」
 「な、楢崎さん?」
 「お前がどんな男にそんな言葉を言ったのか、その身体で分からせてやる」



(・・・・・どうして?)
 暁生が連れて行かれたのは、事務所から少し離れた安っぽいラブホテルだった。
建物の外観を見ても、看板を見ても、そこがどんな場所かは暁生も分かったが、暁生はなぜ楢崎が自分をこの場所に連れてき
たのか、ベットに押し倒されても、服を脱がされた今現在でも理解出来なかった。
 「・・・・・」
 自分の上から圧し掛かってくる楢崎をじっと見返していると、楢崎は皮肉気に口元を歪めて自分のスーツの上着を脱ぎ捨て、
シャツをはだけた。
 「!!」
 「怖いか?」
 肩から覗く鮮やかな朱色。
それが何を意味しているのか、呆然と目を見開く暁生に、楢崎はベットから下りると背中を向けた。
 「・・・・・虎・・・・・」
まるで楢崎の背中で生きているように、精悍な虎が今にも獲物に襲い掛かるように構えていた。
怖いと思うよりも綺麗だと思った暁生は、思わず身体を起こしてそっとその虎に触れた。
 「怖いだろう」
 楢崎が話すと、背中が僅かに揺れて、虎が動いたかのような錯覚に陥った。
 「俺のいる場所は、こんなものを背負った人間がゴロゴロいる世界だ」
 「・・・・・」
 「お前はそんなとこに足を踏み入れる覚悟はあるのか?」
 「・・・・・っ」
(お、俺は・・・・・)
ただ側にいたいという子供っぽい気持ちだけで、誰もが目を背けてしまうような世界に飛び込む勇気はあるのかと、楢崎はどんど
ん暁生を追い詰めていく。
何と答えていいのか分からない暁生に、楢崎は振り返ると同時に圧し掛かった。
 「な、楢崎さんっ」
 「・・・・・あの夜、俺がチンピラからお前を助けたのはたまたまだった。こうして事情が変われば、俺がお前を押し倒す立場になっ
ているだろう?ヤクザっていうのは、頭の先から足の先まで、清廉潔白な人間がなれるもんじゃない」
 「楢崎さんは優しいよ!」
 「その優しさも、お前を手懐ける為の芝居だったらどうする?」
 「・・・・・っ」
 一瞬、言い返すことが出来なかった暁生に、楢崎は噛み付くようなキスをする。
少し煙草の味がするキスは、こんな状態なのに暁生にとっては優しく感じるのだ。
(楢崎さんは、楢崎さんは優しいよっ)
 「・・・・・っ」
 ギュッと楢崎の背中を抱きしめ返すと、口腔内を蹂躙していた楢崎の舌が一瞬止まった。
 「・・・・・んっ」
止まってしまったその舌が寂しくて、暁生は自分からねだる様にぎこちなく舌を絡める。
(気持ち悪くない・・・・・楢崎さんとのキスは、怖くない・・・・・っ)
 あの夜、見も知らぬ2人の男に組み敷かれた時は、本当に心臓が止まってしまうほど怖くてたまらなかったのに、今楢崎にこうし
てキスをされていても怖いとは思わない。
 「・・・・・」
やがて唇を離してじっと自分を見つめる楢崎に、暁生は目に一杯の涙を溜めてきっぱりと言い切った。
 「楢崎さんを、父親みたいには思ってない!」
 「・・・・・」
 「お、俺、楢崎さんが好きだ!好きだから、側にいたいんだ!」
 「お前・・・・・」
 「だから・・・・・だから、俺を拒絶しないでよ!」
暁生にとっては殴られるよりも、罵倒されるよりも、無視され、拒絶される方が怖かった。
(お願いだから、俺を無視しないで・・・・・っ)
 楢崎は眉間に皺を寄せる。
その苦しそうな表情をさせているのが自分だと思うと辛くなるが、その目が自分だけに向けられていると思うだけで心が震えるほど
嬉しくも思う。
 「楢崎さん・・・・・っ」
 「・・・・・馬鹿が」
低く唸るように呟いた楢崎は、再び暁生の赤い唇を奪う。
しかし、今度のそのキスは先程とはまるで違う、とても優しく・・・・・熱いものだった。





                          





ワンコ、中編です。

なんだか、まだ下っ端にもなってないんですが(笑)。

多分、リクエストをくれた方々の想像とはだいぶ違うとは思いますが、とりあえず最後まで読んでもらえればと思ってます。