子犬と闘犬2
8
下半身のズキズキとした鈍い痛みで、暁生はゆっくりと眠りから覚めた。
(俺・・・・・寝ちゃったのか・・・・・)
うつ伏せの状態のまま、はあと深い溜め息をつく。
昨夜のことは、ちゃんと覚えていた。いや、途中記憶がとんでいるところがあったが、それでも自分がどういう態度を取ったか、楢崎
がどんな風に抱いてくれたのか覚えている。
「・・・・・っ」
何だか、恥ずかしくてたまらなかった。擬似セックスを何度もしたというのに、最後まで身体を繋げるということがこんなに恥ずかし
いことだとは思ってもみなかった。
そして、そんな羞恥と同時に、楢崎はどうだったのだろうかと心配になる。少しは、自分の身体で楽しめただろうか?それともセッ
クスの途中で気を失ってしまう相手など、つまらないと思ってはいないだろうか・・・・・。
「・・・・・・はぁ」
今が何時か分からないが、楢崎はもうとっくに起きているだろう。もう少し、ここで1人で反省した方がいいかもしれないと思った
暁生が少し身体を動かした時、
「起きたのか?」
「!」
優しい声がそう訊ねてきた。
(い、いたんだ)
既に起きて隣の部屋に行っているのではないかと思っていたのに、楢崎はまだこの場にいたらしい。暁生はどんな顔をしたらいい
のか分からずに、そのまま顔を枕に押し付ける。
そんな暁生の気持ちを分かってくれているのか、大きな手がそっと髪を撫でてくれて、大丈夫かと問い掛けてくれた。
「う、うん」
「そうか。中には出さなかったから、それ程辛いことはないと思うが・・・・・」
「・・・・・」
(だ、出さなかったんだ)
その言葉に、少しだけ寂しいと感じてしまう。女ではないので妊娠の心配などないのだし、暁生としては身体の中を楢崎で一杯
にして欲しいと思っていたのだが、優しい恋人は暁生の身体のことを一番に考えてくれたようだ。
(ちゃんと起きてたら・・・・・頼んだのに・・・・・)
今度は、ちゃんと意識を保って頼んでみよう・・・・・そんな風に思ってしまった自分が、もう次に抱かれることを期待しているのだと
分かって、さらに恥ずかしくなってしまった。
「暁生」
自分の中で様々に葛藤していると、楢崎が名前を呼んだ。恥ずかしいが、やはり顔が見たくて少しだけ顔を横にすると、楢崎
は目を細めて笑ってくれた後、ゆっくりと口を開いた。
「お前を抱いたからではないが、俺もちゃんと覚悟を決めようと思う。俺はこんなヤクザな生業だが、お前を生涯愛し、大切にす
ると誓う」
「な・・・・・らざき、さ・・・・・」
突然の真摯な告白に、暁生は思わず身体を起こした。
真正面から自分の顔を見る暁生の顔色はそれ程悪くない。やはり一度で止めて良かったと内心で思いながら、楢崎はずっと
考えていたことを暁生に伝えた。
「俺の仕事のせいで、もしかしたらお前にも危険が及ぶかもしれないが、お前のことは・・・・・いや、お前の家族も、俺は絶対に
守るつもりだ」
ヤクザという立場の自分はどこから敵意を向けられるか分からない状態で、事務所にも出入りする暁生に照準が向く可能性は
ゼロではない。ただ、今更距離をおけと言うことは出来ないし、楢崎自身、暁生を側に置いておきたかった。
それでも、今の自分の歳と、暁生の若さを考えて、言っておかなければならないことがある。
「暁生、一つだけ約束をしてくれ」
「な、に?」
「お前がこの先、俺以外に好きな相手が出来た時、俺の側から離れたいと思った時は、隠さずにきちんと話してくれ」
「そっ、そんなことない!俺っ、楢崎さんから離れるなんて!」
「分かっている。お前が俺のことを想ってくれていることはちゃんと分かっているつもりだ。だが、お前はまだ若い。絶対ということは
ないんだ」
自分で言っていて、情けないなと自嘲してしまう。せっかく身体も結ばれ、これから本当の恋人として過ごすという時に、出鼻を挫
く話だとも思っている。
それでも、楢崎は始めにきちんと言っておきたかった。
(人生に絶対ということはないんだ、暁生)
まだ20歳そこそこの暁生の人生はこれからで、自分以上に彼に相応しい女も男も多くいるはずだ。もしも、もしも最初に身体を
繋げたというこだわりだけで暁生が自分から離れることが出来ないと思うことがあったとしたら、それこそ楢崎の方が暁生を抱いたこ
とを後悔してしまう。
「約束してくれ、気持ちが変わったら必ず伝えてくれることを」
「・・・・・」
「暁生」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・わ、かった」
渋々といったように、暁生が頷いた。せっかく初めて身体を繋げた朝だというのに、こんな話を切り出されたことをどう思っているの
だろうか。
(すまん、暁生)
ずるい大人に掴まってしまったと、諦めてもらうしかなかった。
どうしてという思いが頭の中を巡る。
幸せで恥ずかしくて、自分にとっては最高の思い出となった夜の翌朝、もう別れる可能性を口にする楢崎の気持ちが直ぐには分
からなかった。
それでも、自分が何とか頷いた時、楢崎の瞳が少し揺れたのを感じ取って・・・・・彼も、もしかしたら怖いのかもしれないというこ
とに思い当たった。大人である楢崎にふさわしくないかもと自分が恐れるように、楢崎も自分の歳を不安に思っているのかもしれ
ない。
(絶対・・・・・別れるもんかっ)
ようやく手に入れた大好きな人の手を、自分から離すことなど考えられない。30歳になっても、40歳になっても、自分の気持ち
は絶対に変わらないし、共に過ごした時間だけ、好きという気持ちは大きくなるだけだ。
自分がまだ子供だから、楢崎はこんな風に逃げ道を作ってくれるのだろう。それならば、自分の気持ちを信じて、楢崎から離れ
なければいい。
暁生はそう思ったが、口には出さなかった。言葉よりもこれからの自分を見て、ゆっくりと楢崎も信じてくれたらいい。強く心の中
で誓うと、暁生はもう一度楢崎に向かって頷いてみせた。
ゆっくりと朝食をとって。
本当は最後にもう一度温泉に入りたかったが、この調子ではかなり時間がかかってしまいそうなので諦めた。
「気に入ったのなら、また来るか」
楢崎はそう言ってくれたが、暁生は2人で過ごす時間というものの方が嬉しかったので、わざわざこんな所まで来なくても、街で2
人で歩ければ嬉しい。
「痛まないか?」
「うん、平気」
楢崎は申し訳ないほどに気を遣ってくれて、助手席を大きく倒して横たわらせてくれた。
行きも帰りも楢崎ばかりに運転させて申し訳ないと思うが、彼は甘やかしたいからと笑って言ってくれ、その言葉にまた恥ずかしく
なって・・・・・今ならば聞けるかもしれないと、暁生は少し気になっていていたことを楢崎に聞いてみた。
「あ、あの、楢崎さん」
「ん?」
「・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・か、鞄の中にあったあれ・・・・・使わなくても良かった、ですか?」
下から見上げている状態の楢崎の頬が少しだけ引き攣った感じがする。
「・・・・・見たのか?」
「ご、ごめんなさい。でも、楢崎さん、ああいうことしたかったのかなって、思って・・・・・」
初心者の自分からすればとても高いハードルだが、それでも楢崎が望むのならば次の機会にさせて欲しいと訴えると、しばらくして
深い溜め息をつきながら答えてくれた。
「あれは・・・・・貰ったものだ」
「え・・・・・貰った?」
「・・・・・あの宿、俺が見つけたと思うか?」
そう前置きして楢崎が告白してくれた事実・・・・・。
今回泊まった宿は楢崎の上司である小田切が手配してくれたもので、小田切と羽生会の会長である上杉は、真面目な楢崎を
刺激しようとして、あの怪しげなグッズを送ってくれたらしい。
彼らに、自分達が今回初めてセックスをするのだということを知られているのは猛烈に恥ずかしいが、一方では彼らにも公認の仲
になれたのだと思えば嬉しかった。
「・・・・・怒ったか?」
黙ってしまった暁生に、高速を運転している最中の楢崎は視線を向けてくることなく訊ねてくるが、その声音が常とは違う弱々し
いものだと気付いて思わず笑った。
「・・・・・怒って・・・・・」
「・・・・・」
「ない」
「暁生」
「今度、試してみますか?」
楢崎の喜んでくれることならば出来ると思って言ったのに、楢崎は妙な咳払いをした後しなくてもいいと早口に言う。
彼が照れている様子が珍しくて、暁生は幸せな思いで下から楢崎の顔を見つめていた。
それからの日常は変わった・・・・・わけではない。
何時ものようにバイトをして、弟の世話をして、羽生会の事務所を手伝いに行って。毎日は変わらずに過ぎていくが、暁生の心
の中は随分と変わった。
以前は楢崎の直ぐ側にいなければ不安で仕方がなかったが、今では毎日会わなくても信じることが出来る。これも、身体を繋
げたせいかなと思うが、きっと、楢崎が自分と同じようにこの恋に不安だということに気付いたからということもあるかもしれない。
「ふふ」
「どうしたんだ?日野」
「明日、何の日か知ってますか?」
バイト先の先輩に笑って見せると、少し考えた様子の彼はああと言った後眉間に皺を寄せた。
「ホワイトデーだろ?」
「なんか、嫌なんですか?」
「あいつの要求がさあ〜・・・・・ったく、俺にはチョコ1つしかくれなかったくせに、ブランド物のアクセが欲しいって言うんだぜ?わり
に合わないよなあ」
「・・・・・大変ですねえ」
(俺だったら、飴玉1つでも楢崎さんから貰ったら嬉しいけどなあ)
先月、暁生は楢崎にチョコレートを渡した。女の子のイベントだとは分かっていたが、楢崎が自分の知らない相手からチョコを貰
うかもしれないと想像すると苦しくて、そんな自分の気持ちを宥めるために自己満足で渡したものだった。
しかし、楢崎は嬉しいと言ってくれ、大切に食べさせてもらうと言ってくれた。甘い物を普段食べない彼には申し訳ないと思った
が、受け取ってくれたことが嬉しかった。
それはそれで、自分の中では終わったことだったが、昨日、楢崎から電話があった。
『明後日の夜、飯を食おう』
その日がホワイトデーだというのは偶然かもしれない。それでも、暁生にとってはチョコのお返しのような気がして、嬉しくてたまらな
かった。
「日野は?彼女に何を贈るんだ?」
「俺ですか?・・・・・さあ」
「さあって・・・・・お前、付き合っている奴いるだろう?」
「まあ、います、けど」
(相手・・・・・男の人だけどな)
そう言ったら、この先輩はどんな顔をするだろうか?
もちろん、誰にでも言うことではないと十分知っているので、暁生は笑って誤魔化した。
「楢崎さん!」
大きな声で自分の名前を呼びながら駆け寄ってくる暁生。その姿は飼い主に飛びついてくる子犬のようだが、彼は大切な自分
の恋人だ。
あれから、楢崎の仕事が忙しくなり、ゆっくりと会うことが出来なかったが、暁生は以前のように寂しそうな目を向けてくることは無
かった。身体を重ねて安心したのかもしれないが、それは自分も同じだ。
何時でも別れる覚悟をと思っているはずなのに、日々愛しいという気持ちは大きくなる。将来、もしも暁生が本当に自分から離
れたいと言い出しても、その手を離してやれるかどうか自信はないが、それでも・・・・・どんなに自分の心から血が流れたとしても、
楢崎は暁生の手を離すだろう。
「ごめんなさいっ、待たせて!」
「いや」
(今、そんなことを考えなくてもいいか)
せっかく今2人でいるのに、未来のことを考えなくてもいいだろう。
楢崎は自分の目の前に立った暁生を見て目を細めると、行こうかと言いながらそっと肩を抱き寄せた。以前ならば暁生が少しだ
け自分の後ろをついてくるのが常だったが、今はこうして隣に並ぶ。
「ああ、そうだ、これを先に渡しておくか」
「え?」
「先月の、礼だ」
チョコのと言うのは気恥ずかしく、楢崎はそう言って立ち止まると暁生の手を取って小さな箱をのせた。
「こ、これ・・・・・」
「ピアスだ。俺が選んだからセンスがないかもしれないが」
指輪はまだ早いかもしれないし、暁生には重いかもしれない。それでも、この青年が自分のものだという証をその身に刻み付けた
くて、肌に密着するピアスを選んだ。
もう、暁生の耳に開けられた穴は塞がってしまっているが、再び自分が開けてやればいい。
「ここに・・・・・着けてくれないか」
身を屈め、ペロッと柔らかな耳たぶを舐めれば、暁生の頬がたちまち染まっていく。
今夜にでも、この身体を組み伏せながらピアスの穴を開けてやろうか・・・・・そんな大人気ないことを考えている自分は少し若返っ
たのかもしれないと、楢崎は街中にもかかわらず暁生の身体を抱きしめ、笑みの形になっている自分の唇を彼のそれに重ねた。
end
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